第2話 ぼくは、サボる

「あんた、今から小学生な」


 突然、ゲタ姉さんに告げられる。ひょっとして年齢を勘違いしている? いえいえ、ぼくは中学生で。

「見りゃわかるよ」

 心を読まれてしまった。だったらなぜ。

 ぼくが何も言わずにいると、焦れたように「いいから。小学生」と券売機に向かった。その様子を見て合点がいく。なるほど、乗車料金をごまかすためだ。


 屋上で警戒心だけダイブしてしまったのか、ぼくは引きずられるまま、ゲタ姉さんと最寄りの駅に来ていた。これって男女逆なら事案だよな、と呑気なことを考える。もちろんこのままでも事案になりかねないが、騒ぐつもりはなかった。あのまま、屋上にいるよりはずっとマシだった。


 そんなことより彼女が罪を犯す前に、お金を出そう。思い立ち、ポケットを探るのだが空振りに終わる。まとめて部屋に置いていったのを忘れていた。

 ぼくは、ため息をつき、彼女の横に並んだ。


 大変不本意ながら、ぼくは家族や親戚から、いつまでたっても中学生に見えないと、よくからかわれていた。お世辞でもいいから「大きくなったね」くらいの言葉は欲しいが、ずいぶん長いこと言われていない。ぼくとしては、身長だってぐんぐん伸びているし、心なしか顔もシャープになり、男前の領域に達しかけていると思うのだが。


 そんなわけで、彼女の提案も決して無謀なわけではなかった。いささか複雑な気持ちではあるが。

 でも、いいのかなあ。ゲタ姉さんの横に立ちながら、しばし悩んでみる。だけど、お金を持っていないぼくに拒否権はなかった。

 ん? あれ。でも。待てよ。


「ぼく制服着てますけど」

 ゲタ姉さんに作戦の欠点を指摘する。ぼくを中学生たらしめんとする唯一の証明が、ここへきて仇となった。一瞬、ボタンを押す手が止まったが、すぐに何事もなかったかのように動き出す。


「私立の学校とか言っとけばいいんだよ」

 なんて強引な。ぼくは抗議を口にしようしたが、やめた。仮に言っても、この人は止まらない。そんな気がした。


 結局、何ごともなくホームに着いた。

 改札機を通るとき、よせばいいのに駅員さんの顔を窺ったぼくは、迂闊と言わざるを得ない。しかし、呑気にあくびをする駅員さんは、ぼくのことなど歯牙にもかけなかった。むしろゲタ姉さんの奇抜な格好に目を奪われている様子だった。

 制服を着ていても、ぼくは小学生にしか見えないらしい。ちょっと落ち込んだ。


 ホームは、閑散としていた。普段乗らないので、これが普通なのか異常なのか判断がつかない。少なくとも中学生は見当たらなかった。

 なんとはなしに、時計を見上げる。とたんに、忘れかけていた焦燥感がこみあげてきた。そろそろ朝の会が始まる時間だ。


 とつぜん休んだ自分を、クラスメイトは怪しむだろうか。教師は、家に連絡を入れるかもしれない。親はどう思うだろう。宿題の提出。休み明けのテスト。いや、そんなことより、なによりも。


 あいつらは、手を叩いて喜んでいるだろうか。


「今日は、時計禁止な」

 ゲタ姉さんは、ぼくの頭上にある時計を見上げて言った。

「学校サボってんだ。だったら好きなことして、暗くなったら帰ればいい」

 癖毛の頭をポリポリかきながらゲタ姉さんは続ける。


「学校サボるなんて、たいしたことじゃない。全然オーケーだ。むしろサボらない人生こそ、つまらない」

 ゲタ姉さんの声は、ぼくの日常会話における声量を遥かに凌駕する大きさだった。内容もむちゃくちゃだ。だけど彼女が言うと、そういうものなのかと納得してしまう勢いがあった。それに、とゲタ姉さんはボリュームを落とす。


「あたしもサボってるしな。イチレンタクショーってやつさ」

 そこで、はじめてゲタ姉さんの笑い顔を見た。八重歯が覗かせた、印象的な笑顔だ。一蓮托生の言い方が、いかにも言い慣れていなくて、ぼくも笑ってしまう。同時に、思いがけず無邪気な笑顔を見せられて、内心どぎまぎしている自分もいた。


「ゲタ姉さんは、なにをサボってるんですか」

 焦りをごまかすように、ぼくは早口で聞いた。なぜ自分は焦っているのかは、よくわからない。とにかく黙っていられなかった。


「……」

 返事は、ない。すぐに答えが返ってくるものだと思っていた。むしろチョップが飛んできて、濁されるとさえ思ったほどだ。しかしチョップも答えも返ってこなかった。

 ゲタ姉さんは、寂しそうな目で片口角をあげると、まるで聞こえていなかったかのように、別の話題をふってくる。気になったけれど、それ以上尋ねることは憚られた。


「というかなんだよ。ゲタ姉さんって」

 しばらくして、突っ込まれる。

「……言いました? そんなこと」一応とぼけてみる。だが、すぐに観念した。「だって名前知らないですし」

「それにつけてもゲタはないだろ」

「ゲタはありますよ」ぼくは、ゲタ姉さんの足元を指差す。彼女は、しばらく口をぱくぱくさせていたが、「ま、いいか。あたしは寛大だ」とケタケタ笑った。


 焦燥感は、嘘のように消えていた。彼女の言葉に心を動かされたのだろうか。よくわからない。

 代わりに何かが引っかかるように、もしくは撫でるように、胸中をふわふわ漂い始めていた。不快ではないのに、深入りしてはいけない。そんな想いが胸を満たしている。ぼくは、慌ててゲタ姉さんから目をそらし、頭を切り替えた。


 電車がホームに滑り込んでくる。

 悩んでる暇はなかった。選択肢は多くない。学校に戻るか、このまま彼女についていくか、だ。


 悩むまでもないな、と笑いたくなった。どうせ終わらせようとした人生だ。一度くらいアウトローに染まってもいいじゃないか。ぼくは、ポジティブなのかネガティブなのか、よくわからない覚悟を決める。もうなるようになれ。


 こちらの表情に、何かを読み取ったのか、ゲタ姉さんは満足げに、ぼくの背中を叩いた。華奢な見た目からは想像できないくらい力強く、痛い。だけど不思議と嫌ではなかった。

 

 電車の扉が重々しく開く。これに乗れば、もう後戻りできない。正真正銘、学校をサボることになる。だけど覚悟は決まっていた。


 ぼくは今日、学校をサボる。

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