第13話 大丈夫1
「ちょっと、そのピーナッツチョコ、ぼく食べてませんよ」
「るさい。あんたはせんべい食べてろ。せんべい」
喫茶店からの帰り道、ぼくらは、うたうたいの集いにて振る舞われた余りのお菓子をぱくついていた。
奥さんは、親切にも和と洋で袋を分けてくれたのだが、ゲタ姉さんは、これ幸いとばかりに和をぼくに押し付けた。そのわりに大福や、羊羹など腹持ちのいいものは、しっかり貰っていくのだから、実に大人げない。ぼくも負けじと、ゲタ姉さんのお菓子を奪おうとするが失敗に終わる。
「マダム達の贈り物があるだろ」
ゲタ姉さんは、大福をかじりながら逃げ回る。聞く人が聞けば、とんだ誤解を招きかねない発言つきだ。「ファンの半分盗られたかもなあ」と大して焦らず笑っている。
ぼくは、己の手に収まった温泉まんじゅうの箱を見て、なんとも複雑な気持ちになった。
うたうたいの集いが終わった直後、ぼくは年配の婦人がたに囲まれていた。やれ甘いものは好きか。やれ菓子食え、ジュース飲め。やれ歳はいくつだなどなど。ザ・おばさんといった勢いには、参った。その時もらった戦利品が温泉まんじゅうだった。
おまけに、ぼくが年齢を言うと、例外なく驚かれてしまった。「てっきり」と誰かが口にしかけたが、聞こえないふりをした。きっと、ぼくが纏う大人の雰囲気とのギャップに驚いたからに違いない。そう思うことにした。
「そうだな、あんたは大人だ」
ゲタ姉さんは、大福を食べた手で遠慮なく頭をかき乱してくる。あ、粉ついた、と今度は乱暴に払い落とされた。
「ファンも何も、みんなゲタ姉さんの歌を聴きにきてるんでしょう」
「まあな」
大した自信である。ぼくは、いまだ残る粉を気にしながら髪を梳く。一本抜けた髪を吹き飛ばすと、風にのってゲタ姉さんの背中に張り付いた。
「あんたもファンになっていいんだぞ」
駅に着くと、また髪を乱された。構内は、中途半端な時間のせいか、人もまばらだった。
「まあまあのできでしたからね」言ってみるが、本心でないことは誰でもわかる。生意気、とチョップが飛んだ。頭をさすりつつ、こちらも聞いてみる。
「ぼくの歌はどうでしたか?」
「まあまあのできでしたね」ぼくの口調を真似るように言ってから「及第点」と付け足された。
「そんな」
大げさにショックを受けるフリをするが、内心は、ホッとしていたし、嬉しかった。及第点をもらえただけ上々だ。何も問題ない。
照れていると、温泉まんじゅうを強奪された。こいつらも私に食べられたがっていると、わけのわからないことを言ってくる。
「マダムたちは、ぼくに食べて欲しがってると思います」
「よっ、マダムキラー」
「嬉しくないですよ」
そうやって、ワイワイやりとりしながら、帰路に着ければよかった。それで一日が終われば良かった。
楽しかったのだ。本当に。
「あれ? お前」
何者かの声が聞こえた。心臓が不自然に跳ね上がる。脳内では、小爆発が起こり、危うく崩れ落ちそうになった。現実を受け入れるのを脳が、どうにか拒否するかのようだった。
「やっぱり」
何者かは、ぼくの姿を認めると駅内喫茶店の窓を叩いた。見れば数名の中学生が席に陣取っているのがわかった。いずれも、ぼくと同じ学校のジャージに身を包んでいる。音は聞こえないが、何ごとかを口にし、ぼくを指さしていた。笑っている。
昨日、電話口で聞いた声が蘇った。
あいつらだった。どうしてここに。学校は。もう終わった? いや授業中。そもそも制服を着ていない。
ならば。
どうして。
頭はぐるぐる回転するわりに、なんの答えも見いだせない。どうかこの光景が嘘であってほしい。そんな現実逃避に走る始末だった。
目の前の顔が、あの日握手を求めてきたあいつの顔が、まばたきの後に消えることをひたすら願った。
俺ら、一日夏休み長いんだぜ
長期休暇の前、得意げに教室で叫ぶあいつらの姿を思い出した。合宿場所の影響で、特別に欠席が許されたという話だったと思う。よりによって、この駅で鉢合わせるとは、運がないとしか言いようがない。
「返信こないから心配してたんだよ」
部員たちを背に、あいつは小馬鹿にした笑みを浮かべた。まるで背後の代表者は自分だと言わんばかりの態度だった。
一瞬心配という言葉の意味がわからなかった。混乱のあまり、つい謝罪を口にしてしまいそうになり、我に返る。当然、不快感を覚えた。
だけど、ぼくは何も言えない。体も口も動かなかった。
「何とか言えよ、おい」
肩を小突かれる。
「やめろよ、かわいそうだろ」いつの間にか、出てきた仲間二人が笑いながら、あいつを諌めた。奇しくも、『あいつら』全員が揃う形になる。
窓の向こうでは残りの部員たちが、無抵抗のぼくをおもしろがるように、盛り上がっていた。拍手さえ聞こえてきそうだ。ニヤニヤとスマートフォンを向けている輩もいる。
「というかさ、何でここにいるわけ? まさか登校拒否?」
己のかつての行動と発言に、一切の責任を感じていない。そんな無神経な態度に、一瞬頭が沸騰しそうになった。しかしすぐに恐怖が勝る。ぼくは、何も言えず俯いた。彼らからしたら、実にいい絵に違いなかった。窓の向こうでは拍手が沸いてるかもしれない。
早く前を向け。にらみ返してやれ。何かを言い返せ。
心は叫ぶのに、体は言うことを聞いてくれなかった。
「なあ、ひょっとして傷ついちゃったの? ほんの冗談だったのにさ。マジになられると、俺たちが困るんだけど」
「そうそう、推薦ほぼ決まっちゃってるときに、それは困るわ」
「お前マジかよ、いじめっこのくせに」
「ちげえよ、軽いスキンシップだって。つーか、人のこと言えねえだろ」
まるで学校にいるようだった。あいつらが口を開くたびに、自分がひどく惨めな人間に思えてくる。実際、惨めだった。これだけ言われても、ぼくの体は動かないし、反論の一つも返すことができないのだから。
「落ち着けよ、お前ら。こいつも魔が差したんだって。ちょっとサボっちゃった、みたいな。なあ?」
あいつが場をまとめるように言った。登校拒否なんて許さないぞ。言外にそう仄めかしていた。せっかくのオモチャをみすみす手放したくない。そんな歪んだ圧力を嫌というほど感じることができた。
あいつらのいう「サボり」とゲタ姉さんと過ごした今日という日は、確実に別物だった。それだけは断言できた。一緒にしてほしくない。そんな気持ちさえ芽生える。ここで認めてしまえば、今日一日の出来事、全てが汚される気がした。それなのに。
それなのに、ぼくは弱かった。
解放されたい。そればかりが頭を支配していた。
早く認めてしまえ。そうすれば、奴らは満足するぞ。何者かが囁く。それ以降のことなんて考えられない。
楽になりたかった。
顔を上げたときは、いつもするような作り笑いが張り付いていた。ぼくは、心にもない言葉を口にしようとしている。
「そうなん……」
「お前に関係あるのか?」
ぼくの言葉にかぶせるよう、声が響いた。
「あ? いや、あんた誰?」
気づけば横に、ゲタ姉さんがいた。
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