鶴来空 +7日(2)
僕は何も言わない。
ただし、床に置いてあったスクールバッグを机の上に出して、その中身をまさぐった。
もしかしたら、こんな事になるんじゃないか。万が一の可能性を考慮して持ってきたものだったけど、本当に使う事になるとは思わなかった。
お目当てのものは、すぐに見つかった。僕がスクールバッグから取り出したのは、大きなビニール袋だ。半透明なビニール袋は口が縛られてあって、中身が何か見えない。もっともその中身だって新聞紙にくるまれているから、ビニール袋が透明だろうが半透明だろうが、どっちにしろ中身は見えないけれど。
「それが、凶器かい?」
僕が右手に持っているビニール袋を指さして、過馬さんは言った。
僕はうなずいて、ビニール袋を破いた。新聞紙を一枚一枚はがすと、中身が出てくる。
鉄の匂いがした気がした。洗ったはずなのに、こびりついているのだろうか。あるいは、精神的なものか。
新聞紙の中から出てきたのは、奇妙な形をした、大きなナイフだった。
「兎川先輩が持ってきたんですよ。オカルトグッズだと思うんですけど、意外と切れ味が鋭くて」
こんなものが部室に放置されていたのだから、『超研部』おそるべしと言った所か。案外もっと危険なものが転がっているのかもしれない。
姉さんが死ぬ前に、部室で見つけたものだ。それが、姉さんを殺す凶器になるなんて、あの時の僕は想像もしていなかった。
「これが、鶴来さんの遺体の傍にあったんだね」
「ええ、あの朝姉さんの死体を見つけた時、拾いました」
姉さんの死体を見つけたあの時、僕は姉さんの死体に駆けよった。それはあの場にあった凶器を隠すためだった。
結果として姉さんの周りを荒らす事になってしまったけれど、それは姉の死体を見つけた時の焦りって事で何とか誤魔化せた。
実際あの時は大変だった。短い時間で電気ポッドの血痕を拭いて、兎川先輩に連絡を取らなくてはいけなかったら。
「でも、なんで過馬さんは僕のやった事が分かったんですか」
警察の見解はさっき教えてくれた。つまりそれは、警察は真相に到達していないという事だ。
なのになんで、過馬さんは気づいたんだ? そしてなんで、それを僕だけに言うのか?
あふれ出る疑問を短くまとめて伝えたけれど、過馬さんはにっこりと微笑むだけだった。あるいはそれは、嘲笑なのかもしれない。
「いや、俺としてもあんまり確証があった訳じゃない」
そして過馬さんは、自分の推理を披露し始めた。
「そもそも、最初は小さな疑問だった。西園寺さんは、なんで鶴来さんを殺した犯人の事を知っているんだろうってね。だって警察も知らなかった情報を、いくら『超研部』部員で関係者だとしても、あるいは自分が犯人じゃないと知っていたとしても、それに気づくのはおかしいだろう。その疑問を考えた時、もしかして、誰かが西園寺さんに事件の真相を教えたんじゃないかなって思ったんだ」
「…………」
「事件の真相をつかんでいた誰かが、西園寺さんをコントロールした。事件について教えて、西園寺さんが皆月さんや兎川さんを殺すように仕向けた。じゃあそれが誰かって話になるんだけど」
「事件の犯人である、皆月先輩や兎川先輩じゃないんですか」
「事件の真相を一番知っているからって事かい? でもそう仮定すると、犯人は自分で言っておいて殺されているって話になる。それはありえないだろう」
「ありえない事もないでしょう。たまたまの事故だったとか、本人もそうなるとは思ってなかったとか」
「でもかなり可能性が低いよ。それよりも、犯行に加担していない風を装って、他の人間が鶴来玲さんを殺したって、西園寺さんに言った人間がいるって考えた方がそれらしい」
「…………」
「事件の真相を、というよりも事件の全貌そのものを知っていて違和感がなく、西園寺さんと近しい人間。それは消去法で、君しかいないのさ」
「…………でも、本当にそうですかね」
意味のない事と分かっていても、つい僕は反論してしまう。
「別に僕だけって限らないじゃないですか。あるいは他に真犯人がいて、その人間が兎川先輩や皆月先輩に罪を着せたとか」
「でも、『超研部』以外の人間が犯人だとしても、その人間は一見部外者に見えるだろう? 部外者が誰かを密告しても、しょせん部外者の言う事、当事者である西園寺さんが耳を貸すとは思えない。その点、君なら被害者の弟だし加害者の後輩でもある。関係性はばっちりだし、敵討ちがしたいっていう理由なら、密告の理由には十分だ。そんな理論で、西園寺さんを説得したんだろう?」
「……………………」
「じゃあ、なんで君が事件の真相を知っていたかって話になるけれど」
ああ、そうだ。姉さんが死んだあの日。姉さんの死体を見つけたあの時。
僕はその時、真相に気づいたんだ。
そして僕は――――するべき事をしたんだ。
「君は共犯者だったんだ。犯行に加担していたんだよ」
**************************************
「おそらく、お姉さんを殺した人間を庇っていたってところかな」
淡々と、何事もないかのように話を進めていく。
飄々とした過馬さんからは、いったい何を考えているのかが掴みにくい。結果として、この人の次の言動が読めず、この人はすべてを知っているんだろうという事だけを思い知らされる。だからこそ、こちらは言い難い不安感に襲われる。
きっとこれが、この人の刑事としての腕前なんだろう。
「そう考えると、部室の扉に鍵がかかっていなかった理由も何となくわかる。いくら下校時刻で人が少ないと言えども、部屋の鍵をかけないなんて事あり得るのかなってね。ありえなくはないのかもしれないけど、それよりは君が嘘をついて、かかっていた鍵をかかっていなかったって事にした方がそれらしい」
「……………………」
「あの朝、君は朝早くに学校に来ていた。それは第一発見者になるためなんだろ? じゃなきゃ、わざわざ朝早くに学校に来る理由があるとは思えないんだよね。ましてや、禄に活動していない『超研部』になんて、来るとは思えない」
「………そこだけは、間違ってますよ」
別に僕は、姉さんが知っていると分かっていながら学校に朝早く来たわけではない。兎川先輩がもしかしたら姉さんを殺したんじゃないか、そんな予感がしたからこそ、朝早く学校に行って、部室の確認をしたんだ。
そしてその嫌な予感は、的中したわけだけど。
「あの日、僕は姉さんが死んでいたなんて知らなかったんです。本当は、兎川先輩が第一発見者を装う予定だったんだと思います」
「ああ、彼女も朝早く来ていたんだもんね」
「だからこそ、部室の鍵はかかっていたんです」
鍵は掛けた方が安心するのは当然だ。中に死体が入っている部屋に鍵を掛けないのは、いくら何でもリスキーだろう。
でもだからと言って、鍵がかかっていては密室になるのも事実だ。そしてそれは、『超研部』の中に犯人がいる事を示してしまう。
だからこそ兎川先輩は第一発見者になろうとして、僕と同じように朝早く学校に来ていたのだ。結果として僕が第一発見者になってしまったものの、鍵がかかっていないと証言した事で事なきを得たわけだけど。
「つまり、鍵がかかっていなかったって君の証言はでたらめで、本当は鍵がかかっていたんだね」
「だって、そう言わないと『超研部』である僕達が犯人になるじゃないですか」
「実際にそうだろう?」
「…………」
「さて、そう考えると、今までの前提はひっくり返る。君が共犯者である以上、君の証言はでたらめでしかない。すると、兎川さんと皆月さんの共犯関係はなくても事件は成立する」
「僕と、兎川先輩の共犯関係ですよね」
そこで過馬さんは、にやりと笑う。僕が自分から共犯関係に触れた事が面白いのか、あるいは別の理由か。
「そう、君と兎川さんが共犯だとすれば、事件は単純化する。鶴来さんが死んだあの日、兎川さんは部室に寄っている。君はその立ち寄った時間を、一分もかからなかったって言っていたよね」
「ええ、そういいました」
「でも、実際は違っていた。本当は、もっと時間がかかったんじゃないのかい?」
部室棟の前で、兎川先輩を待っていたあの時。僕はしばらくぼーっと待っていた。
時計を見ていたわけじゃないから具体的な時間はわからないけれど、確かあの時は十分とか十五分くらい待っていたんだっけな。
「具体的にどれくらい時間がかかったかは知らないけれど。ある程度時間があれば、人を殺すのは簡単な事だ。つまり、兎川さんが鶴来さんと出会っていたと証言したあの時、兎川さんは鶴来さんを殺していたんだ。早業殺人というやつだね」
「…………」
「案外、突発的な犯行だったのかもね。手元にある電気ポッドで殴って、部室にあったナイフで殺害した。凶器も放置して、部室に鍵だけかけて、君と一緒に帰った。そんなところだろうね」
「…………本人が言ってましたよ。樹村先輩の事を問いただしたら、知らぬふりをされた。ついかっとなって電気ポッドで殴って、その後ナイフで殺したって。実際、血のついた電気ポッドとかは、放置されていましたからね。翌朝に、僕が処理したんですよ」
姉さんの死体を見つけた後。
僕はなるべく証拠を隠そうとしたわけだ。あからさまな凶器を隠したり拭いたりして、だからあの時、兎川先輩に連絡するまで時間がかかったんだ。
「その日の朝に兎川先輩に連絡して、口裏を合わせてもらうようにしたんですよ。共犯関係っていうなら、その時に初めて成立したんだと思います」
「だと思っていたよ。死体を発見して先輩に電話するなんて、いくら何でも不自然だ」
「通話履歴は辿れますから。嘘ついてもしょうがないと思ったんですよ」
「そして、結果として君たちは犯行を隠した」
過馬さんは二杯目の紅茶を飲む。僕もいい加減喉が渇いたので、つられるようにして自分の紅茶を飲む。
味はよくわからない。緊張のせいだろうか。
「後は、君が西園寺さんに事件の事を伝えて、皆月さんと兎川さんを殺してもらった」
「でもそれだと、あなたの推理の前提が崩れますよね」
僕は反論した。
「事件の真相を西園寺先輩に伝えたのが僕しかいないという前提で、僕が共犯関係ってところまで導いたんですから。でも真相は違っていて、僕は嘘をついたって事ですよね。嘘をついて、皆月先輩と兎川先輩を殺してもらったって事ですよね。それだと、あなたの推理の前提がひっくり返るじゃないですか。だったら、あなたの推理はとても不確かなものになる」
「別に、そこまで本格的に推理しているわけじゃないからねこっちは」
その適当な発言に、思わず脱力してしまう。
なんて適当な人なんだ。この間の事情聴取でも思ったけれど、本当に刑事らしくない人だ。
「だから君は、嘘をついて西園寺さんを騙したんだ。少なくとも俺はそう思っているよ。だって君は、凶器という分かりやすい証拠を持っているんだから、説得力は増えるはずだ」
「…………」
「大方、『凶器が部室に落ちていて、思わず拾ってしまった。このナイフを知っているのは部員しかいない。そう考えると、犯人は兎川先輩と皆月先輩しかありえない』とか、そんなことを言ったんじゃないかい」
「…………僕は、別に皆月先輩や兎川先輩を殺してもらうつもりはありませんでしたよ。別に西園寺先輩に嘘をついてもいません。ただ僕は、西園寺先輩に聞かれたんですよ。樹村先輩を殺したのが姉さんだって、他の人に言ってないかって」
「…………それは、どういう意味だい」
「そのままですよ」
樹村先輩の死の真相に気づいた時、僕はその真相をノートに残した。
あれにはしっかり意味があった。誰かに見せるという、大切な意味が。
「そもそも僕は、樹村先輩を殺したのが姉さんだって『超研部』の人たちに言っていたので。兎川先輩に言って、その後に姉さんに言いました。皆月先輩や西園寺先輩に伝えたのは、姉さんが死んだあとですけどね」
「…………驚いた。まさか君も知っていたとはね」
君も知っていた? つまりそれは、過馬さんの方でもその真相には気づいていたという事か。
そんな素振りを見せていなかったから、てっきり気づいてはいなかったのだと思っていたけれど。
「つまり、君がそうやって兎川さんに、樹村さんを殺したのが鶴来さんだって言ったからこそ、兎川さんは鶴来さんを殺したんだ。それは、君の所為だって言い換えてもいいだろう」
「…………どうでしょうかね。僕が言わなくても兎川先輩は姉さんを疑っていたと思いますし。案外そのうち――――」
そのうち殺していたんじゃないですかね。
そう言おうとして、僕は口を噤んだ。それは、鶴来さんの表情が怖いと思ったからだ。ぱっと見では気づかない違い。でも確かに、過馬さんは僕に対して怒っていたように思えた。
そんな表情には気づかないように、僕は話を続ける。
「――――だから僕は、姉さんが死んだとき、兎川先輩が殺したんだってすぐに気づいたんですよ。あの時の時点で、知っている人間は兎川先輩しかいませんでしたから。その後西園寺先輩は、姉さんが殺されたのは樹村先輩の敵討ちが原因だと思い込んだ。それで僕に聞いたんですよ」
「…………君は、正直に言ったんだね」
「ええ。皆月先輩と兎川先輩に言ったと、そう言いました。それで西園寺先輩は、二人が共犯だと思い込んだんでしょうね。いや、まさか僕も、西園寺先輩が二人を殺すとは思ってませんでしたよ。そうと分かっていれば、不用意な事は言わなかったんですけどねえ」
「本当にそう思っているのかい?」
「もちろん」
本当に、兎川先輩や皆月先輩には死んでほしくはなかった。
兎川先輩は姉さんを殺してくれたんだし、皆月先輩なんて無関係だ。でもあの時の僕は、西園寺先輩のあの雰囲気に気圧されてしまった。
怖かった。大事な人間を殺された人間の放つ恨みの感情が。
いや恐怖の理由はそれだけじゃない。あそこまで恨むほど姉さんの事が大切だったというその気持ちが、僕には理解できなかったんだ。理解できないものは、恐怖の対象だ。
「でも僕は、こう思ってもいるんですよ。僕が何か言ったところで、あるいは言わなかったところで、この事件の結末はそう対して変わらなかったんじゃないかって」
「…………」
「一見仲良しな部活に見えますけど。結構亀裂が走っていたと思いますよ。正直僕がいてもいなくても、誰かが誰かを殺して、また殺し返して。そんな事は起こっても不思議じゃなかった」
僕がやったことは、情報を伝えただけだ。
真相を知って、その上で殺人という行動を行ったのは彼女たち自身の事なのだから、そこに僕は関与していない。あくまでも彼女たちは、自分の選択で人を殺した。
きっと僕がいても、姉さんが樹村先輩を殺していた以上、いつかその仇を打たれていたろう。そしてその仇を討とうと、西園寺先輩は人を殺しただろう。
結局のところ、僕の役割なんて狂言回し。物語を加速させるための役割であって、誰でもよかった役割なのだ。
いや、狂言回しですら役者不足だろう。あるいはただの、モブでしかない。
「彼女たちの動機が、事件を引き起こしたんですよ」
「でも、君の動機だって、今回の事件を引き起こしたんだろう」
過馬さんは紅茶を飲み干して、カップを乱暴においた。その体制のまま、僕の目をじっと見てくる。
綺麗な瞳だった。宝石のようだと思った。
「俺は、どうしてもそこが分からなかった」
ぽつりと、喋り始める。
「一体どうして、君は兎川さんを庇ったんだい? どうして君は、自分のお姉さんの犯した罪を隠しておかなかったんだい?」
「…………」
「なあ、もしかして君は、自分のお姉さんの事を――――」
「それ以上言わないでください」
ばっさりと、切り捨てるように僕は告げる。
その言葉の続きを、誰かに言ってほしくはなかった。
「…………おっしゃりたい事で、大体合ってますよ。過馬さん、僕は」
僕は、自分の長袖をまくる。夏でも僕は、ずっと長袖を貫いていた。それは、そうせざるを得ないからだ。
そうじゃないと隠せないから。
「――――それは」
過馬さんは、あらわになった僕の右手を見て、息をのんだ。
赤と青、暴力の痕で彩られた僕の腕を。
「僕は、姉さんが憎かったんですよ」
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