氷上雹珂 +2日
今日は日曜日ではあるが、あんな事件があった後で休みとか言ってられないのも事実で、しかも今の状況を本当に仕事と呼べるのかは疑問だったりする。
本日の私は、翆玲高校近くの喫茶店で一人アイスコーヒーを飲んでいる。仕事をさぼっているとかではなく、これも仕事の一環なのだ。まあ今は仕事とかではなくコーヒーを楽しんでいるだけなんだけど。
「……はあ」
昨日、過馬さんに対して言いすぎてしまった。『超研部』の人たちが犯人という説は過馬さんがあんなにも否定していたのに、私はむきになってそれを覆そうとはしなかった。おかげであの後の聞き込みは気まずい事この上なかった。
しかも過馬さんは、あろうことか『超研部』の面々に直接話を聞く機会を設けていたのだ。
「兎川さんと鶴来空君は俺の方で聞くから、氷上ちゃんは西園寺さんと皆月さんに樹村さんの事を聞いてきて。『超研部』が怪しいっていうなら、直接聞いた方がいいよ」
そういった過馬さんは何も気にしていないように見えたけど、言葉の端々が鋭く突き刺さった。犯人と思わしき人間と直接話をしろなんて、いくら何でもご無体だ。
けれど裏を返せば、過馬さんは『超研部』を少しも疑ってないって事なんだろうけど。
「……あの、すみません」
なんてぼんやり考えていたら、急に後ろから声をかけられる。確認すると、そこに立っていたのは西園寺さんだった。
黒を基調としたモダンなワンピースを着て、おどおどとしながら私の行動を見守っている。
どうやらいつの間にか、約束の時間になっていたようだ。私は居住まいを正して、手で着席を促す。おどおどとした態度を変えずに、西園寺さんは私の前に座った。
「まずは、何を頼む? おごりだから、気にしないで」
「はぁ」
とは言っても資産家のお嬢さまである西園寺さんの事だから、別にこれくらいのコーヒー代は大した事もないのだろう。私としても経費で落とす気満々だから、つまどれだけ頼もうがどちらが払おうが、別にさしたる問題でもない。
けれど西園寺さんは遠慮したのか、普通のアイスコーヒーだけを頼んだ。
ウェイトレスがアイスコ―ヒーを運んでくるまで私たちは無言で時間をつぶした。そんな沈黙を破ったのは、コーヒーに口を付けた西園寺さんだった。
「あの、なんで私を呼んだんですか? もしかして、私を逮捕するとか……」
その疑問は最もだし、何だったら疑っているのだけど、それは決して口に出さず建前かつ本題を伝える。
「今日あなたを呼んだのは他でもなくて、樹村恋歌さんについてもう一度聞きたい事があったからなの」
「…………」
「この間教えてくれたよね。もっと詳しい話が聞きたいんだ」
「…………」
西園寺さんは沈黙してしまう。目を合わせようとせず、ずっと右下のあたりを見ている。縮こまった様子だけど、確かな拒絶を感じられた。
思えば一昨日の事情聴取の段階でも、彼女はあまり多くを語らなかった。それは彼女にとっても喋りにくい事柄だったに違いない。
さて、どうしたものか。これ以上聞いても何も喋らないだろうけど、しかしだからと言ってそのまま帰すわけにもいかない。
私は意を決して、話しかける。
「あのさ、西園寺さん。あなたは鶴来さんを殺した人が、その噂を真に受けたって言ってたよね。もし仮に、樹村さんの自殺の理由が分かれば、鶴来さんを恨んだ人間が分かるかもしれないの」
「…………」
「あなたも、鶴来さんを殺した犯人を知りたいって、そう思うでしょ?」
「……別に、今更知ろうとは思わないです」
「え?」
私は思わず、間抜けな声で聴き返してしまう。今更? それは一体どういう意味なのだろうか。
聞き返そうとした私を制するように、西園寺さんは再び口を開いた。
「恋歌ちゃんは、結構男遊びの激しい人でした。彼氏をとられたって人も多くて」
「うん、らしいね」
「私たちはあんまりそういうのに興味も無かったですから、あんまり関係なかったですけど」
「そうなの? その、『超研部』の人は結構モテそうだけど。特にあなたは」
「そうでもないですよ」
分かりやすいお世辞は見透かされたのか、西園寺さんは笑ってごまかす。
「雨鷺ちゃんはそこら辺さっぱりしてますし、曜ちゃんは勉強一筋だって思われてますし。それに私なんて、好きになってくれる人がいるとは思えません」
「……鶴来さんは、どうだったのかな」
「……玲は、空君を溺愛していたので。結構ブラコンな所があったんですよ。だから他の男なんて目に入っていなかったと思います」
「そっか」
「だから、恋歌ちゃんのその、男癖の悪さは別に私たちの気にする話でもありませんでした」
とすると、意外とそこらへんはさっぱりしている関係だったのかもしれない。恋愛の絡まない、健全な友情だけの関係性。それはある種理想なのかもしれないし、それが成り立っていたのも珍しい話だ。
「だから私たちは、恋歌ちゃんとは仲良くしてました」
「確執とかは無かったんだね」
「ええ、勿論。玲だって、恋歌ちゃんとは仲良くしてましたから。あの噂話だって、根も葉もないんです」
あの噂話というのは、鶴来さんが樹村さんの自殺の原因を作ったという、あの噂だろう。
「私から恋歌ちゃんについて話せる事は以上です」
そう言って、西園寺さんは話を終わらせた。
「うん、十分だよ。あんまり話したくない事もあるだろうし」
問題は、樹村さんだけではない。
鶴来さんについての話を聞かなくてはいけないのだ。
「それで、次は鶴来玲さんについて、教えてほしいな」
「……なんで、玲についてなんですか。玲は被害者で、何もしていないじゃないですか」
「だからこそ、って言えばいいのかしら。あなたから見た鶴来玲さんの印象とか、『超研部』でどんな感じだったのかを教えてほしいの。それが鶴来さんの死の理由に繋がるかもしれないから」
「……まるで、わたしたちの中に犯人がいるかのような言い方ですね」
冷たい眼差しを向けられて、思わず焦る。
ついさっきまでのオドオドとした態度は一変していて、今はじっと私の方を見つめている。
まるで鶴来さんの話題が、彼女にとって大きな意味を持っているかのようだった。
「ごめんなさい、気を悪くさせたのなら謝るわ。ただ、鶴来さんがどんな人だったのか、それを身近にいたあなたから聞きたいの」
「……そうですか」
相変わらず冷たい表情を崩さずに、それでも彼女は口を開く。
「玲は、中学生の時から仲が良かったんです。頼りない私をいつも引っ張ってくれてました。それは『超研部』に入ってからもそうで。私はいつも玲に頼りっぱなしでした」
そこまで言って、西園寺さんは言葉を止めた。涙ぐんだ、すすり泣くような声がかすかに聞こえる。
顔は伏せていて表情は伺えない。けれど泣いているのは確実だった。
そこで私は、自分の軽率さを反省した。デリケートな問題に触れてしまった。
「ああ、ごめんなさい、西園寺さん。大丈夫?」
私は周りの注目を浴びていないか確認して、彼女を慰めようとする。私の右手が彼女の肩に触れるか触れないかの所で、西園寺さんは顔を上げた。
そしてこう言った。
「……玲は強かったです」
その言葉の意味を飲み込めずにいるうちに、西園寺さんはこう続けた。
「玲は強いから、誰かを知らずの内に傷つけたりしたかもしれません。でもだからって、玲が殺される理由にはなりません」
「……あなたにとって、鶴来さんは大事にな存在だったのね」
「ええ、そうです。私にとって玲は心の支えでしたから」
心の支え。そこまで言い切ってしまう西園寺さんが。
私には少し怖かった。
**************************************
西園寺さんへの聞き込みが終わっても、私はこの喫茶店から出れない。なんて言うとまるで私がこの喫茶店に閉じ込められているようだが、実際はそんな事も無い。単純に、この後別の人との待ち合わせがあるのだ。
皆月曜。『超研部』の部員の一人であり、学業においてトップの成績を誇る彼女からも、話を聞く必要がある。
腹ごなしにモンブランを頼んで、それを食べながら皆月さんを待つ。待ち合わせの時間までの一時間、のんびりと待機した。
モンブランだけでは足りなくて、結局追加でショートケーキも頼んで。そしてそれも食べ終わり、コーヒーを飲んで一息ついている所に、ようやく皆月さんは現れた。
待ち合わせの十分前だった。
「…………」
無言で、しかしぺこりと頭だけは下げてから、彼女は席に着く。意外な事に服は制服だった。私服を持っていないのだろうか。
私は皆月さんの表情をうかがう。
彼女の表情はこの間と何も変わらず、無表情のままだった。そうだ、皆月さんはあまり表情に出さないタイプなんだったっけ。
泣き出されても困るけれど、しかし何の反応もないのもそれはそれで辛い。現に、席についた皆月さんと私の間には、気まずい沈黙が流れる。
「ええっと、ほら、何か頼みなよ。どうせ経費で落ちるから心配しなくても大丈夫だし」
間が持たなくて、余計な事を言ってしまう(経費とか)。彼女は平然と言葉を返した。
「……アイスコーヒーを」
注文を店員にして、アイスコーヒーが来るまで待つ。そして店員さんが持ってきたアイスコーヒーを皆月さんは一口だけ飲んで、そこでようやく口を開いた。
「……今日呼んだのは。……玲の事ですか」
彼女はじっと、私の事を見つめる。無表情で、何を考えているかわからなくて、私は少しだけ、そんな彼女の視線が怖くなった。
「……それとも。……恋歌の事ですか」
どくんと、心臓が少し跳ね上がった気がした。
さすが天才、私の行動なんてお見通しというわけか。それはそれで話が早い。私は冷静であろうと努めながら返事をした。
「そうね、どちらかと言えばその両方なんだけど……。あの二人と仲の良かったあなたに話を聞きたいと、そう思ったの。安心して、あくまでも個人的な話だと思ってくれればいいからさ」
「……私から話せる事は。……何もありません。……それに。……恋歌の自殺と玲が関係あるとは。……思えませんけど」
「そうとも限らないじゃない。あなたは、樹村さんの自殺をどう考えてる?」
「……失恋したんだと思います。……気になっている男の子がいるって言ってましたから」
「気になっている男の子?」
「……ええ。……自殺する少し前でした」
思わず息をのむ。自殺した少し前に、何か恋愛関係でこじれていたとしたら、それは自殺の原因に十分になりえる。
一昨日の事情聴取の最期、彼女が言い澱んだのはこの事だったのかと、ようやく気が付いた。あの時言えなかった事を、彼女は今こうして言ってくれているのだ。
「その、気になっている男の子が誰かとかって、分かる?」
「……えっと」
相変わらず無表情のまま、皆月さんは喋り始めた。
スローペースなしゃべり方なので、全てを聞き出すのに苦労したけど、纏めると以下の内容だった。
気になっている男の子がいる。
樹村さんが自殺する少し前、彼女がそんな事を言ったらしい。皆月さんはそれを聞いて、何とも思っていなかったらしい。というのも、樹村さんの男遊びの激しさは皆月さんも知っているところだったので、別に何とも思わなかったらしい。
相手の『男の子』について、樹村さんは何も言わなかった。容姿とか、年齢とか、名前とか、そういう個人情報は何も。隠しているのかもしれなかったけれど、興味がなかったので何とも言えないらしい。
そして、その『男の子』の話をされたのは、その一回だけらしい。それ以降、その『男の子』に触れる事なく、樹村さんは自殺した。
「その『男の子』について、鶴来さん――他の部員の人は知っていたの」
「……空は知らなくて当然としても。……舞花も玲も。……知らなかったと思います。……雨鷺は知ってたかも」
「兎川さんが?」
「……恋歌も雨鷺には言っていたかも」
そういえば、兎川さんと樹村さん、それに皆月さんは同じ中学校出身なんだっけ。だとすれば、樹村さんが兎川さんに個人的な話をしていても不思議ではない。
あとはいくつか、別の質問をした。
しかし、具体的な回答は返ってこなかった。『男の子』の存在はかなりの有益な情報だったけれど、今の状態ではこれ以上調べようがないのも事実だ。兎川さんなら何か知っているかもしれないけれど、他の人は知らないだろうし。
そして皆月さんは、樹村さんについてはこれ以上の事を言わなかった。彼女としても、樹村さんの死について思う所はあったのだろうか、しかし何も知らないというのが本当の所だろう。
気を取り直して、今度は鶴来玲さんについて話を聞いてみる事にした。皆月さんは相変わらず無表情のままで、鶴来玲さんについて知っている事を教えてくれた。
「……玲は。……喧嘩が強くて。……かっこよかったから。……女の子に好かれてました」
「ヒーローみたいな扱いだったって事?」
「……はい」
「じゃあ、恋愛関係はどうだったのかな」
『男の子』と樹村さんの関係が自殺の原因だとして、それにもし鶴来さんが関わっていたとするならば。鶴来さんの恋愛事情が何かの鍵になるかもしれない。そう考えたけれど、皆月さんの答えは拍子抜けしてしまうものだった。
「……そういう話は。……全然」
その後も何個か質問をしたけれど、目新しい情報は無かった。思えば一昨日の事情聴取だって、彼女は樹村さんや鶴来さんの死に心当たりがないと言っていた。今更聞いた所で、新しい情報は期待できないという事だろうか。
ともあれ、これで今日の話は終了だ。私は最後に、皆月さんに礼を言う。
「皆月さん。今日はありがとう。おかげで、いろんな事が分かったわ。この情報は必ず役立てて、鶴来さんを殺した犯人を捕まえて見せるから」
「…………」
皆月さんは何も喋らず、こくりと頷いた。
会計を済ませ、二人で店を出る。その軒先で、彼女は突然口を開いた。
「……あの」
「ん?」
どうしたのだろう。何かあったのだろうか。
「……よろしくお願いします」
そういって、皆月さんは深々と頭を下げた。これには私も驚いてしまう。
というか、店先で女子高生に頭を下げさせるのは、あまりよろしくない。私が女性とは言え。
しかしそんな心配は無用で、皆月さんは下げていた頭をすぐにあげた。
表情は、相変わらず無表情。だからと言って、何も伝わってこない訳じゃない。彼女はきっと、内心が表に出ないだけなのだ。無表情なのに、悲愴な感情や、犯人に対する憤り、そして不安。色んな感情があふれ出しそうだと思った。
だから私は、思わず彼女の手を握った。彼女の片手を、自分の片手で掴む。そのまま体の前に持ってきて、彼女の両手を無理やりくっつけるようにする。
「……大丈夫」
そんな言葉しか出ない。けれど、そんな短い言葉でも彼女にはしっかり伝わったのか、こくりと頷いてくれる。
「絶対に、何とかしてみせるから。安心して」
そんな言葉をなげかける。それを受けて、少しだけ表情を崩す皆月さん。
ああ。そっか。
一昨日、空君といたあの時と同じ感情が、心の内に浮き上がってくるのを感じる。興奮しているのだ。かっこいい、ヒーローのような、このシチュエーションに。
皆月さんを助けるというこの状況に。
そんな私のどうしようもない感情が間違っていると知ったのは、この翌々日。
皆月曜さんが死んだ時だった。
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