鶴来空 +7日(1)
あれからもう、二週間が過ぎた。
あれだけの事件があったにも関わらず、学校は期末試験に突入した。あるいはそれは、事件の事を忘れようする学校側の精いっぱいのあがきなのかもしれない。
とはいっても、生徒の方がそう簡単に忘れられるはずもなく。僕の周りの人たちも、どうやら散々な結果に終わったらしい。
けれど解放されたのは事実で。周りの生徒たちは夏休みを目前に控え浮かれているようだった。
そして僕は一人、『超研部』の部室にいる。
「…………暇だ」
椅子にもたれかかり、何となく暇を潰す。
もう放課後なので、本当ならばこの部室にも先輩たちが来る頃合いだろう。しかしそれは今までの話。これからはもう、この部室に誰か一人でも先輩たちが来ることはない。
それにそもそも、この『超研部』そのものが存続しないのだから、誰が来るとかそういう問題でもないけれど。
『超研部』は夏休みが明け次第廃部になる事が決定された。
部員がもう僕一人しかいないのだし、それに事件の中枢にいたこの部活を存続しておく理由もないのだろう。
今日僕がいる理由だって、部室の後始末を先生に命令されたからに他ならない。この部屋には、とにかく物が多すぎる。僕の私物なんてほとんどないのに、片づけは僕一人でやらなくてはいけないなんて、こんな理不尽な話もないと思うけれど。
いや、この部室にいる理由は、他にもあるんだけどさ。むしろ普通に考えれば、そっちがメインかもしれない。
「…………」
僕は横目で、壁掛け時計を盗み見る。時間は午後五時くらいを過ぎている。姉さんが死んだ時間まで、もうちょっとあるなと思った。
部室はとても静かだ。とてもあの騒がしい『超研部』とは思え無かったし、ここで人が死んだとも思えないだろう。
何事も無かったかのように、あるいはこれからも何事も無いように、この部室は静かだ。
案外そんな感想は、僕の内面を表しているのかもしれない。
姉さんが死んで。あるいは部活の先輩達が死んで。不思議な事に僕の精神はとても落ち着いていた。僕だって関係者の一人なのに。
きっとそれは、こんな結末を予想していたからなのかもしれない。どんな物語だって、オチやあらすじを知っていたら、楽しめないように。
「…………まだかなー」
それにしても遅い。
待ち合わせの時間は午後四時だから、一時間は遅刻している。いくら何でも遅刻しすぎだ。
そもそも向こうは社会人のはずだ。なのにこんなにも時間がかかるなんて、いくら何でもおかしすぎる。
いい加減しびれを切らして、もう帰ってしまおうかと思った矢先。
「おーい、すみませんー」
ドンドンと扉をたたく音を響かせながら、そんな声が聞こえた。
男の声で、あまりにも大きな声だった。声と扉をたたく音が重なって不協和音になり、僕をうんざりさせる。
こんな不躾に大きな音を出す人と、僕はこれから話すのか。そう思うと、少しだけ憂鬱だった。
「…………どうぞー、開いてますよー」
半ば投げやりに、扉の向こうへと声をかける。一拍置いてから、横開きの扉は静かに開いた。
「やあ、こんにちは」
一応スーツを着ているものの、その着こなしはだらしない。普通の社会人ではありえないようなその着こなしは、職業柄か性格上か。
その人は、右手を軽く挙げて、僕の方へと歩いてくる。僕は手で前の席を指し示した。彼は何も言わずにその椅子に座った。
「いやー、今日は暑いねー。こんなに暑いと、頭がどうにかなりそうだよ。この部室にクーラーがついていてよかったよかった。君もその暑苦しそうな長袖を捲ればいいのに」
「…………僕の事は大丈夫ですから」
「へえ、そうかい。まあいいや。今日は態々時間を作ってくれてありがとう」
「いえ。――――僕も、聞きたい事がありましたから」
僕の目の前に座るこの人の事を、僕はあまり知らない。この間知り合ったばかりだから。だから電話で、今日個人的な話がしたいと言われた時はとても動揺したものだ。
この人は普通の人じゃなく、警察の人なのだから。
「さてと、それじゃあ」
その人――――過馬雷灯さんは、身を乗り出して僕に質問する。綺麗な眼が、僕を真っすぐ捉える。
「話をしようか。この事件についてね」
**************************************
「まずは、俺から話をした方がいいか。事件のあらましは君も知っているだろうけど、報道に乗らない事だって多い訳だしね」
「それを、僕が知っていいんですか」
「君はこの事件の重大な関係者だろう。被害者や加害者を除けば、一番密接だ。君にだけ、聞く権利があると言ってもいいんだよ」
君は知らなくてはいけないんだ。
過馬さんは、僕をじっと見ながらそう言う。まるで内面を見透かされたようで、なんだかこそばゆいような不思議な感覚。
この人は、全てを知っているんだ。
僕はなぜか、直感的にそう思った。
「まずは、君のお姉さんを殺した人間の事だけど、兎川雨鷺さんと皆月曜さんが共犯だったというのが警察の出した見解だ」
「…………」
「皆月さんが殺害した後、兎川さんが口裏を合わせた。君と一緒に部室に行ったとき、兎川さんは遺体が無いフリをして、鶴来さんが生きていると証言した。これでアリバイを確保したのさ」
「…………でも、それは憶測ですよね」
さっき僕が淹れた紅茶を手に持って。けれど飲むことはできずに持ったまま、僕は過馬さんに聞く。
過馬さんの方は平然と紅茶を口に運んでいた。遠慮は無いのだろう。
「兎川先輩も皆月先輩も死んでいるんだから、誰も証言できないじゃないですか。だからあなたの言っている事は、ただの推測で――――妄想でしかない。違いますか」「いや、その通りだよ。ただ状況からしてそれしかありえないし、それに兎川さんのスマートフォンに、そんな事件のあらましが残っていた」
「あらまし?」
「事件の大まかな流れが、メモアプリに残してあったんだよ。最終更新日は、彼女が死ぬ二日前だった。自分の身に何かが起こるのかを、察したのかもしれない」
「それは、遺書だったって事ですか」
「遺書にしては微妙でね。内容は、事件の流れだけだった。でもあまりにも内容が細かすぎるから、犯人の独自という事になった。だからまあ、遺書というよりは自白のようなものなんだろう」
兎川先輩がそんなものを残していた。その言葉は僕には信じがたかった。
そんなものを書いていたという事実もそうだけど、その内容も信じられなかった。自分が犯人だなんて、そんな内容を書いているはずもないのに。
「それで、警察はそれを信じたんですか」
「ああ。それで第一の事件はお終いだ」
いや、樹村さんの事件が、第一になるのかな。
ぬけぬけと、何の感情も篭ってない風に、そんな事を言う過馬さん。しかし、それを否定できない。
この連鎖的な事件において、樹村先輩の死はやっぱり第一と言うべきなのだろう。あの事件がすべてのきっかけなのだから。
紅茶を飲み干して、過馬さんはしゃべり続ける。
「それで、第三の事件だけど。これはまあ、あんまり説明する事もないかな。極めて単純な事件だった、そういうしかない。それを食い止められなかった俺たちの責任は、だから重いんだけど」
「…………西園寺先輩の事件、ですよね」
「ああそうだ」
言うなれば第三の事件の大まかな流れは、ニュースで知った話だ。
西園寺舞花の犯した罪は、ニュースでも大きく取り上げられたから、僕だけでなく校内の誰もが知っているだろう。
もっとも、僕は何となく、そうなるんじゃないかと思ってはいたけれど。
「西園寺さんは、皆月さんと兎川さんを殺した。皆月さんは、深夜に時計塔の屋上から突き落として。兎川さんは、家に押しかけて包丁で殺害した。西園寺さんは現行犯逮捕だったよ」
そう、この事件に関しては、大した謎は無い。
西園寺先輩が皆月先輩と兎川先輩を殺した。ただそれだけだ。
「動機について、西園寺先輩はなんて言ってましたか」
「…………鶴来さんの復讐と言っていたよ。それもまあ、単純な理由だよね」
この動機は、兎川先輩の残したメモに比べれば理解できる。
西園寺先輩は、姉さんに依存していたフシがあった。気の弱い人間である西園寺先輩にとって、姉さんのような強い人間が眩しいのだ。だから付いていこうとするし、崇拝だってしてしまう。
そんな崇拝の対象が殺された。だから、仇を討とうとした。
それが、西園寺先輩の犯行の理由。
…………正直、そんな西園寺先輩の心情を、理解しようと思えばできるだろう。でも共感は出来ないというのが本音だった。
「まあそれで西園寺さんは逮捕されて、この事件は一件落着ってわけだ。何か質問はあるかい?」
一見落着なんて言葉でこの事件を締められて、はいそうですかよかった終わった、なんて言えない。
姉さんが樹村先輩を殺し。兎川先輩と皆月先輩が姉さんを殺し。西園寺先輩が兎川先輩と皆月先輩を殺した。
そんな風に言われて納得はできないし、それでお終いという訳にもいかない。それはきっと、この過馬さんが一番よく知っているはずだ。
「…………西園寺先輩は、何か言ってましたか。僕や、姉さん、あるいは兎川先輩や皆月先輩に対して」
西園寺先輩について、僕が今一番気になっている部分はそこだ。
友達を二人も殺すという大きな罪を犯した彼女が、今何を考えているのか。殺した人間、崇拝した人間、そして巻き込んだ僕という人間に対し、どう思っているのか。
それは決して、僕には教えてくれなかった部分だ。
「ああ、つまり伝言を気にしているんだね」
過馬さんは、相も変わらずそんな軽い言い方をする。
「まず兎川さんや皆月さんにだけど。まあ殺人を後悔はしていなかったようだったよ。よっぽど君のお姉さんの事が好きだったんだろうね」
「…………」
それに頷けない自分がいる。
確かに西園寺先輩は姉さんを崇拝していたし、その姉さんの死があったからこそ、皆月先輩や兎川先輩を殺した。
だけど、それが後悔しない理由だとは思えない。
西園寺先輩は、気が弱くってオドオドしていた。けれど意志薄弱って訳じゃあなかったし、ましてや博愛主義者では断じてなかった。姉さんの言う事をすべて受け入れていたから、そう見えるだけだ。
好きな人間がいる分、嫌いな人間がいたっておかしくはないさ。
案外、西園寺先輩は皆月先輩や兎川先輩の事が、元から嫌いだったのかもしれない。だから、姉さんの死がなくても二人の事を殺していたのかもしれない。
なんて言うのは、西園寺先輩に対する侮辱か。
なんにせよ、姉さんの死があろうとなかろうと、西園寺先輩は二人を殺した事を後悔なんてしなかったろう。
「君のお姉さんに対しては、まあ認めてほしいような事を言っていた。まるで神にでもすがるようだったよ」
「…………僕には、何か言ってましたか?」
そこではじめて、過馬さんは言いにくいような複雑な表情を浮かべた。それだけで、僕はなんとなく話の流れが想像出来てしまう。
「――――特に、何も」
「…………そうですか」
それは、予想出来ていた事ではあった。
あの人の眼には、崇拝すべき姉さんの姿や、あるいは憎むべき兎川先輩や皆月先輩の姿は写っていたとしても。
他のどうでもいい人間である僕の姿なんて見えても居なかったんだろう。
あるいはこういってもいいのかもしれない。
西園寺先輩の物語において、僕はただの端役で脇役でしかなく。名前も与えられないような、ちっぽけな存在だったのかもしれないと。
「…………とまあ、ここまでが警察として、俺が果たすべき責任の話だ。そしてここらかは、個人的な話だ」
過馬さんは居住まいを正して言った。
今までの話は、本題では無かったのだろうか。だとしたら、過馬さんの本題とは何だ?
「あー、その前に。紅茶のお替りを貰えるかな」
そう言って、空のティーカップを差し出してくる。本当に無遠慮だなこの人。
しぶしぶ立ち上がって、二杯目の紅茶を淹れる。まあ僕の紅茶も残り少ないし、丁度いいタイミングだろう。ここからが本題だし。
西園寺先輩の残してくれた高い紅茶を適当に淹れて、僕は二杯目の紅茶を配膳した。
そして再び、過馬さんに向き合う。
「…………さて、今日俺がここに来たのは、今からする話をするためなんだ。そうだね、まずは」
過馬さんは真っすぐ僕の眼を見て、右手を差し出してそう言ってくる。
ああ、本当にこの人は、すべてを分かっているんだな。
僕は覚悟を決める。そんな僕の覚悟を見届けたようなタイミングで、過馬さんは口を開く。
僕の罪を暴く言葉を。
「君がお姉さんの殺害現場から隠した凶器、返してくれないかな?」
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