氷上雹珂 +1日
翌日、私たちは学校での調査を続行していた。ただし今回は部室の調査や『超研部』への聞き込みじゃない。
「樹村恋歌、ですか……」
『超研部』顧問である、
数学準備室には机こそなかったものの、椅子が二脚あった。私と東上先生が椅子に座り、向き合って話をする。過馬さんは少し離れた所で、私たちの会話を見守っている。
……とおもいきや、備品に触ったりしているので、あまり興味がないのかもしれない。そりゃこんな不真面目な人からすれば、誰だって気負っている風に見えるだろう。
上司の失態は目に入らないようにして、私は一つ咳払いをする。そして話を続ける。
「去年、『超研部』の部員である樹村恋歌さんが自殺しましたよね。それについて聞きたい事がありまして」
「ああ、いや、あれは自殺事件って事で片がついたんじゃないですか。今更そんな事を言われても……」
「ええ、それは存じております。あれは確かに自殺事件でした」
私も昨日の夜、当時の資料をしっかりと見た。
自殺現場の複雑な状況は一目では自殺とは断定しにくいものがあったが、しかし状況を考えれば自殺事件だったと結論づけざるを得ない。
正直、誰かが殺人を犯し、それを隠蔽したのではないかとも思ったけれど、当時の警察が自殺と結論付けた以上、それを覆すのも難しいだろう。組織に属している人間である以上、その決定には逆らえない。それに去年の事件を今更調査しようとするのも難しいし。
だから本題は、そこではない。
「ただ、その自殺の原因については、いまだに分かっていません。一体彼女がなんで自殺したのか、その原因を探る事で、今回の殺人事件の解決にもつながるはずなんです」
「……そう言われても」
東上先生は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、視線を下の方へと彷徨わせる。
「私は『超研部』の彼女たちについて知っている事はほとんどありません。部活の設立時に顧問がいるからと兎川くんに頼まれたから応じただけで、部室に入ったのだって数える程です。今年なんて一度も入っていない。そんな人間に分かる事があるとは」
「ほんとに些細な事でも良いんです。樹村さんが自殺をしたその原因について、心当たりがありませんか?」
「いや、しかし、私は何も……」
「では、もっと別の事を聞きますよ」
私たちは、声の出た方を見る。そこにいたのは過馬さんだ。過馬さんは大きいコンパスから手を離して、私たちと向き合った。
「樹村さんの交友関係は、『超研部』だけでは無かったでしょう? どうです、他にはどんな人と交友関係があったとか」
「えっと、他の交友関係ですか……。すみません、それも私には……」
「分かりました」
それだけ言うと、過馬さんはまた翻って、今度は大きい分度器をいじり始める。なんなんだあの人は。何がしたかったんだ。
「……こほん。では話を戻しますけど」
「え、ええ」
「樹村さんの自殺の原因について、変な噂話が流れているのをご存じですか」
「えっと、『超研部』の彼女たちに、何らかの原因があるとかですよね。まったく、在り得ない話です」
そこで東上先生は、憎々し気に呟く。どうやら噂話について思う所があるのだろう。いくら幽霊顧問でも、教え子は教え子と言った所か。
「あの子たちが、まるで樹村君を追い詰めたみたいじゃないか。そんな事はありえないというのに」
「ええ、それは我々もそう思います。だからこそ、その真贋ははっきりさせるべきだと思います。実際の所、彼女たちはとても仲が良かったんですか」
「ええ、私の眼から見ても、そう思いましたよ。――ああ、いえ」
何か思い当たる事でもあるのか、何か考え込む素振りを見せる。もしかして、何か思い当たる事でもあるのだろうか。
「その、彼女たちも一口に仲良しと言っても、中々複雑そうに見えたなと思って」
「……それは、つまり軋轢があったという事ですか」
「ああ、いえ。そこまで大層な話では無かったですよ。でもやっぱり、最初の内は壁を感じていましたから」
『超研部』のメンバーは大半が二年生なのだから、去年はまだ一年生か。それに樹村さんの自殺は去年の今頃な訳だし、本当の意味では打ち解けてなかったのかも。
東上先生はそのまま、部活設立当初の話をしてくれた。
「皆月君と兎川君、それに樹村君が同じ中学校だったようで、そもそもその三人で最初に『超研部』を作ろうとしたんですよ。そこから鶴来君と西園寺君が入ってきました。この二人も確か、同じ中学校だったのかな」
「つまり、同じ部活でも二つのグループが存在していた、という事ですか」
「ああ、いや、そこまで露骨でもなかったですが、やっぱり最初の内はそういう感じでしたね。もっとも暫くすれば、五人仲良くやっていたようですが」
「でも、そこには見えない壁があったかも――」
「だから、そこまで私は……」
「氷上ちゃん、そこまでにしときなよ」
過馬さんはこちらを見ずに、私を窘めた。
「部員の仲が実は悪かったと、真実をそう捻じ曲げたいかのように聞こえるよ」
……そう言われて、我が身を反省する。今の私は、自分が望む結論のために、真実を捻じ曲げようとしていた。
私は過馬さんに向けていた身体を東上先生の方に向け、頭を下げた。
「すみません、無神経でした」
「いえ、そんな……」
「では他にお聞きしたい事があるのですが」
下げた頭を上げるのと同じタイミングで、私は質問を続行する。相手への配慮は大事だが、事件の聞き込みも同じくらい大事だ。
間の抜けた、意表を突かれたような表情で、東上先生は私の次の言葉を待っている。
「その、今年ですか。鶴来空君が『超研部』に入って来た時の事を教えてください」
「ああ、その事ですか。彼が入って来たのは、今年の四月だから……」
そういいながら東上先生は手を組んで、何とかその時の事を鮮明に思い出そうとしているようだ。
「――確か、鶴来君、だと紛らわしいですね。鶴来玲君が紹介した形になると思います。紹介というか、無理矢理連れてきたように私には思えましたけど」
「無理矢理、ですか」
「まあ可愛いものですがね、弟は姉に弱い、そういう話ですよ。それで私に顔合わせをして、部活に入りました。顧問と部員として会ったのはそれっきりで、あとは授業ぐらいでしか会ってませんが」
「どうですか、他の部員の人は、空君を受け入れたんですか」
「と思いますよ。それに彼女たちからしたら、友達の弟ですから。多分すんなりいったんじゃないですかね」
ふむ。
話を纏めると、部員間で何か軋轢があったとか、そういう訳ではなさそうだ。
「樹村恋歌さんは、一体どんな生徒でしたか?」
「うわっ。過馬さん、いつの間に後ろに」
後ろから急に声が聞こえてきたから、驚いて後ろを振り向く。どうやらいつの間にか過馬さんが私の後ろに来ていたようだ。肩に手を乗せているので、それは振り払う。
「セクハラですよ。次やったら裁判を起こします」
「うわ怖いなー。いくら取られるんだろ」
「いえ、懲役何年かを考えてください」
「ああ、民事じゃなくて刑事の方なのね」
氷上ちゃんは厳しいねー、と呑気に言いながら、過馬さんは私の両肩から手を離した。
ちゃん付けに関しては寛大な精神で許してあげる事にした。
「で、東上さん。樹村恋歌の印象について教えてください」
「そうですね……。魅力的な生徒だと思いますよ。兎川くんや鶴来くんとは違う意味で、人を惹きつける生徒だと思います」
「それは、どういう意味ですか」
「……私には、なんとも表現しにくいですね。他の方を当たってください」
その時私は、なんだか違和感を覚えた。
東上先生が、何か言葉を濁しているように感じたのだ。知らないというより、言いにくい。そんな雰囲気を感じる。
「……そうですか。わかりました。どう、氷上ちゃん、何か聞きたい事ある」
「えっと、そうですね。私の方からも、大体の事は教えてもらいました」
「それじゃあ、本日はありがとうございました。また何かありましたら話を伺いに来るかもしれませんが、その時は何卒よろしくお願いします」
そういって、過馬さんは頭を下げた。それに従うようにして、私も頭を下げる。
「私に協力できる事があれば、何でもおっしゃってください」
こんな感じで、東上先生への聞き込みは終了した。
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続いて、警備員の方に話を聞いた。しかしここではあまりいい結果を得られなかった。
なんでも警備員は、部活棟の方は見回らないらしい。遺体の発見が遅れたのはそのせいらしい。
「一々部活棟までは見回りゃせんて。あんなところ、なんも無いんだから。え、ちょうけんぶの部室には入れるかって? あそこの鍵は、俺たちも持ってねえ」
というわけで、警備員からの証言はあてには出来なかった。
次に私たちは、樹村恋歌の人となりについて聞き込みをする事にした。例によって例のごとく、過馬さんはまたしても別行動である。
「樹村さんの事を聞くってことは、相手は女子高生な訳だ。女子高生に聞き込みするなら、俺みたいなおっさんより氷上ちゃんみたいなタイプの方がいいって」
「でも過馬さん、昨日聞き込みしてたんですよね。その手腕を発揮してくださいよ」
「いやー、それが昨日の聞き込みの結果、大分不審な目で見られちゃってね。今日は控えておこうかなと」
「なにしたんですかあなた。セクハラを外部に向けてやったら性犯罪ですよ」
「セクハラなんて、生まれてから一度もしてないよ。それは置いておいても、『超研部』の子たちに刺激を与えないためにも、出来るだけ少ない人数の方がいいでしょ」
なんだか納得いかないような、何か気になるような、そんな気持ちで私は一人聞き込み調査を行うことになった。
部活の休憩時間や、校内を歩いている生徒を狙って聞き込みを行う。土曜日で、しかもあんな事件の後なのに、意外と校内には生徒が多かった。
しかしこれが、思うように進まない。最初は過馬さんのせいかとも思ったけれど、どうやら彼らは樹村さんの話題をどこか避けているようだ。
「す、すみません……。恋歌ちゃんの事は何も知らないんです」
「去年の事はあんまり……」
「……思い出したくないんです」
けんもほろろ、声をかけても冷たくあしらわれるだけだった。とは言っても人の口には戸を立てられぬもの、証言をしてくれる人は多少現れた。
その証言を纏めると。
「どうやら樹村さんは、中々に男遊びが激しいようでしたよ」
「……なんだか、反応に困るなあ」
校内をうろついていた過馬さんと合流して、私たちは自販機の前で缶コーヒーを飲む事にした。自販機の前で大の大人が二人してたむろする姿はあまりにも滑稽で子供には見せられない姿だったけど、人通りも少ないのできっと大丈夫だろう。
椅子が近くにないので、壁にもたれかかるようにして、私は樹村さんについて調べた事を伝える。過馬さんはなんだか微妙な、何とも言えない表情を浮かべている。
「ああ、そうか。だから東上先生も言いよどんだのか。でもねえ」
「人を惹きつける、その言葉もそのままの意味だったんですよ」
「兎川さんとも、鶴来さんとも違う意味で、か。なるほどね」
そういって、過馬さんは手に持っていた缶コーヒーをだらしなくぶら下げる。もう飲み終わったのだろうか。
「兎川さんは明るいタイプで、男女ともに人を惹きつける。鶴来さんは凛々しいタイプで、女の子に人気があったんだろうね。そして樹村さんは」
「男の子にモテる女性だった。そういう訳です」
こうして並べれば多種多様で、色んなパターンを制覇しているようにも思える。人の中心にいるタイプとは、きっと彼女たちのような人間を指すのだろうか。
あるいはそれは、西園寺さんや皆月さんも同様なのかもしれない。経済的に裕福な人間や勉学において優秀な人間は、人の中心たるにふさわしい存在だろう。
あるいは、鶴来空君もそんな人間なのだろうか。彼の事はよくわからなかったけれど。
「それで、樹村さんは具体的にどんな人だったの?」
「ああ、えっと」
遠くに行っていた意識を元に戻して、過馬さんの問いかけに答える。
「――樹村さんは、結構男遊びの激しい人だったようで。あまり大きな声で言えませんが、いろんな男の人ととっかえひっかえで付き合っていたようです」
「よっぽどの美人さんなんだろうねえ」
「どうやらそのようで。実際彼氏を盗られたって人も多かったみたいで」
「略奪愛、ねえ」
「そう言ってしまえば、聞こえはいいでしょうけど」
「でも実際、自殺の原因はそこら辺なのかもねえ」
「逆じゃないですか? 盗られた方が自殺するのは、筋が通らないというか」
この場合、彼氏をとられた女性が自殺をしそうなものだろう。それに、噂話を聞く限り、あまり自殺をする程繊細な人とも思えないのだ。イメージがそぐわない。それも勝手な印象論だけど。
「でもそこらへんの痴情の縺れってやつは、自殺の原因らしいと言えばらしいよね。どう、そこらへん、同じ女性として」
「セクハラですよ」
「判定が厳しいなあ」
「私がセクハラと思えばセクハラなんです。……でも、同じ女性と言っても、私には理解できませんよ」
「仕事一筋だもんねえ。あんまりそういう経験もないか」
「訴えましょうか?」
ゴホンと、一つ咳払いをする。話を元に戻さなくては。
「……とにかく、わたしには今一理解しかねますよ。やっぱり、自主的に自殺したものではないのでは?」
「それってつまり、誰かが自殺を示唆したって事かい?」
缶コーヒーを持った手で、過馬さんは私を指さす。したり顔で、その話題を待っていたかのように思えた。
結局、昨日の話に戻る訳か。樹村さんの自殺事件と、鶴来玲さんの事件は何かの繋がりがある。そう二人で話していた。
「その、痴情の縺れで樹村さんを殺害したっていうのが、今のところ一番しっくりきます。そしてそれを、犯人が自殺に偽装した」
「でもねえ。あの事件はもう自殺事件でけりがついている訳だし」
「そうなんですよねえ」
ついへたり込んでしまう。樹村さんの死が自殺である以上、第三者の入る余地はあまりない。たとえ誰かが唆したと言っても、最後に自らの死を選んだのは樹村さん自身なのだから、結局動機は彼女の内面の問題になる。
「あんまり安直に繋げるべきじゃなかったのかもねえ。別の事件として考えた方が、意外としっくりくるのかもしれない。自殺した樹村さんの心理を、後で外野があーだこーだ言う事だって、彼女からすればいい迷惑だろうし」
過馬さんの言葉が、私を容赦なくえぐっていく。
そうだ、結局私のやっている事って、事件を複雑にしたいっていう願望ありきだもんなあ。
実際の事件はミステリのような鮮やかさと芸術性はなく、ただ人間が人間を殺したってだけ、たったそれだけの話。物語性はどこにも無く、単純な話でしかない。
そんな事、今までの経験で十分に分かっていたはずだった。だけどこうしてまた凝りもせず、事件に何か裏があってほしいと願っている。
樹村さんの死はただの自殺で、鶴来玲さんの死とは何も関係がない。その鶴来さんだって、きっと犯人は何のトリックも使わずに、短絡的に殺したに違いない。
その可能性が最も高い。そのはずなのに、それを素直に信じられない自分がいる。どうしようもない程に。
「……でも、私には無関係に思えないんです」
「え? 何がだい」
「樹村さんの死と、鶴来さんの死がです」
私はすくっと立って顔を上げる。過馬さんは眼を見開いて、急に立ち上がった私に面食らっている。
そして持っていた缶コーヒーをぐいっと飲み干して、缶を思いっきりゴミ箱に入れる。そこでようやく、私は過馬さんと向き合った。
「というより、私は『超研部』の人たちが怪しいと思います」
「……なにを言うかと思えばさ」
過馬さんは呆れたように私を見る。どころかそれは、敵意すら感じられそうだった。
「彼女たちにはアリバイがあるだろう? 兎川ちゃんが最後に鶴来さんを見ていて、しかも彼女は鶴来空君と一緒にいた。一体誰に鶴来さんが殺せるんだい?」
「でも、それを抜きにして考えたら、最も怪しいじゃないですか。自殺した樹村恋歌と、殺害された鶴来玲。二人を結ぶ最も単純な線は、『超研部』でしょう」
「……だからね、有り得ないんだって。そんなわかりやすい事をする訳がない」
「…………」
分かっている。本当は分かっているはずなのだ。『超研部』の人間が犯人だなんて事は。
でもそれを望んでいる自分がいる。
「……ま、とにかく、樹村さんの事が分かっただけでも収穫なんだ」
過馬さんはもたれかかっていた壁から背中を離して、そのままゴミ箱まで歩く。そして静かに缶をゴミ箱に入れた。
「午後は俺も一緒に聞き込みするからさ」
「…………」
その呼びかけに、素直に答えられなかった。
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