鶴来空 -6日

 


 昨日は金曜日だったので、今日は当然ながら土曜日だし、当然ながら授業もないけれど、僕はそんな学校に一人でいた。

 校門をくぐると、運動部が校庭で練習をしている。一際大きい声を出すのは野球部で、威勢のいい掛け声が学校の外まで響いている。そんな声を後目に、僕は真っすぐと部室棟へ向かう。

 我が校の部室棟は校舎と同じような造りをしていて、入口は施錠できるようにしてあるのだが、幸いにもその鍵は開いていた。まあ休みと言えども練習している部活は多いだから(文化系、体育会系限らず)、当然の話か。

 部室に向かい、部室の鍵を開ける。この鍵は西園寺先輩が金に物を言わせて特注させた特別製で、正直かなり浮いているくらいしっかりとした鍵になっている。窓の錠も特別製だ。

 金持ち、おそるべし。


「さて、と」


 昨日の話し合いの結果、南沢に協力してもらえる事になった。でも現時点で彼女にしてもらえる事はないし、僕に出来る事もない。ただ、何もしないのも時間の無駄だ。

 なので思いついたのが、とりあえず部室を漁るという行為だった。

 女だらけの我が『超研部』では、私物も当然女子のものが多くなる。女の子の私物を漁るなんて、なんだか後ろめたい気持ちが溢れてくるけど、しかし僕にだって目的があるのだからしょうがない。それに、部室に変なものを置いている人間が悪いんだだから。

 内心で、そんな言い訳をする。

 実際に見てみると、部室の棚には色んなものが乱雑に置いてある。そこから、適当に段ボール箱を引っ張り出す。

 そう言えば、この前も整理のために棚をいじくったっけ。そう考えると、この棚に何かを置いてある可能性は低いのかもしれない。

 そしてその嫌な予感は完璧に的中してしまった。


「……はあ」


 整理を始めて二時間が経ったけれど、禄なものが出てこない。

 UMAの置物、参考書、ダンベル、やけに高そうな食器、儀式用ナイフ、グローブ、英英辞書、小さな壺などなど……。完璧にどれが誰のか分かりやすい物品の数々が続々と出てくる。しかしそれらは使わないものだし、樹村先輩の事件の手がかりにはなりそうもない。

 そして案の定、樹村先輩の私物は一つも出てこなかった。


「時間の無駄だったな、これ」

 

 嘆いていても、使った時間は戻らないけど。

 僕は疲れた体を休めるために、お茶を淹れる事にした。西園寺先輩が持ってきた高い茶葉を勝手に拝借して、これまた高いティーポッドを使って適当に淹れる。高い茶葉と食器の無駄遣いだけど、まあ別にいいだろ。気にしない、気にしない。

 淹れ終えた紅茶は、西園寺先輩が淹れてくれるものに比べると美味しくないけれど、まあ素人が淹れたらこんなもんだろと無理矢理納得して、僕は椅子に座る。

 常日頃、僕は長袖で過ごしているので、今日みたいな暑い日はとても堪える。なので紅茶コップに移し、氷を溢れんばかりにいっぱい入れてアイスティーにした。それを一口飲む。僕は椅子にゆったりと腰かけて、全身の力を抜く。

 しっかしまあ、今までの二時間は無駄だった。失った時間の大きさと、対価に何も得られなかった事実に、思わず愚痴がこぼれる。


「僕は一体何をしていたんだろうか」

「何をしていたんですか?」

「――って、うわっ!?」


 いつの間にか僕の横から西園寺先輩が顔をのぞかせていた。不意打ち気味の登場に加え、顔の距離がかなり近くて僕は思わず飛び起きた。

 

「って、一体いつ来たんですか!?」

「普通にさっき来ましたが……。空君ったらぼーっとして、私に気付かないんですから。何事かと思ったんです」

「ああ、そっか。この部室の扉は音出ないんですもんね」


 まさか皆月先輩とやった事を、もう一度繰り返すとは思ってなかった。


「それで空君は、どうして部室にいるんですか? それにこの散らりようは一体……?」

「そういう西園寺先輩は、どうしてここに?」

「私はちょっと、忘れ物がありまして。……もしかして空君、恋歌ちゃんの事を調べているんですか?」

「……!」


 しまった。

 部室を漁っていたという事実が見つかるだけでも良くないのに。その上、樹村先輩について調べていた事も見透かされた。

 でも、なんで。

 西園寺先輩が、なんでその事を知っているんだ?


「……誰が、そんな事でも言ってたんですか?」

「玲から聞きました。なんでも空君が恋歌ちゃんの自殺の件を調べていると」

「…………」


 西園寺先輩は姉さんとかなり仲が良い(もはや依存していると言っても過言ではないくらい)から、僕がここで自己弁護した所で、西園寺先輩は聞く耳を持たないだろう。西園寺先輩は姉さんを信じるに違いない。

 むしろここは、正直に話した方がいいのかもしれないと、そう僕は判断した。


「……すみません、西園寺先輩」


 立ち上がった状態から、僕は西園寺先輩に頭を下げる。

 すると西園寺先輩は、忙しなく身体を動かして焦り始めた。


「な、なんで謝るんですか?」

「……先輩たちの心情に配慮せず、勝手な真似をしました。先輩たちだって、昔の事件をほじくり返して欲しくないはずなのに」

「え? ああ、別に気にしてないからいいですよ。気になるのはしょうがないですもん」


 それだけ言って、西園寺先輩は椅子に座る。僕が今まで座っていた椅子とは、机を挟んで反対側だ。

 

「それで、恋歌ちゃんの事をどれくらい調べたんですか?」


 リラックスした姿勢を取りながら、柔らかな笑みを浮かべる。


「…………僕の友達に聞いた話ですけど。去年、樹村先輩が時計塔から自殺した事。そしてその死には、『超研部』の人間が関わっている可能性がある事。そんな話を聞きました」

「おおまかに言えば、合っています」


 そういって微笑む西園寺先輩は、いつもと違って見えた。

 普段の西園寺先輩は、もっとポヤポヤとかオドオドしていて、こんな事を言うのは失礼だけど、気が弱そうに見えていた。けれど今の西園寺先輩には、どこか余裕が感じられる。

 正直意外だった。『超研部』の人間にとって樹村先輩の事は一種の禁忌というか、触れられたくない部分だと思っていた。だからこうして話をすれば、少なからず西園寺先輩だって動揺すると思っていた。

 けれど今の西園寺先輩は違う。

 そんな西園寺先輩に対して、僕は思わず身構える。

 僕の警戒心を知ってか知らずか、西園寺先輩は自ら樹村先輩の事について切り出す。


「恋歌ちゃんは確かに去年、そこの時計塔から自殺しました。屋上から飛び降りて、即死したって聞いてます」


 西園寺先輩は兎川先輩と同じように、窓から外を見る。

 時計塔の屋上は三方向を壁に囲まれていて、ここからでもそれがしっかり確認できる。ただし時計盤は見えなくて、それが見えるのはグラウンドからだけだ。

 西園寺先輩が屋上を見る顔は、兎川先輩のそれとは違って見える。そこに過去を偲んでいるような感情は見えず、何というか、過去の事を過去の事として割り切っているように見えた。


「その原因は、決して私たちの所為じゃないですよ」

「でも」


 そんなの、分からないじゃないか。知らない所で、人を傷つけていた可能性だって、否定はできないはずだ。


「――そんな事、断言は」

「断言できますよ。私達と恋歌ちゃんは、仲良しでしたから。というか、恋歌ちゃんは皆と仲が良かったんですよ」


 樹村先輩。彼女は一体どんな人なんだろうか。皆月先輩や姉さんと違って、西園寺先輩なら答えてくれそうだと思った。


「あの、樹村先輩ってどんな人でしたか」

「魅力的な人でしたよ。ある意味じゃ雨鷺ちゃんよりも人気があって、なんというか、人を惹きつけるタイプでした」


 兎川先輩は我が校では、一番人気がある生徒と言っても過言ではない。そんな兎川先輩以上に人気があるなんて、にわかには信じがたい話だった。

 それほどまでに、樹村先輩は人を惹きつけたのか。

 

「だから私たちだって、彼女の事が好きでした」

「…………」

「今でも正直信じられません。恋歌ちゃんが自殺したなんて、命を自ら落としたなんて、そんな理由、無い様にしか思えないのに」

「自殺の理由は、西園寺先輩も知らないですか」

「知らないです。気付きもしませんでした。せめて何か相談をしてくれてば良かったのにって、今でも思ってます」


 西園寺先輩は、話はこれでお終いと言わんばかりに何も喋らなくなる。僕もどうしていいのか分からなくって、部室には痛い沈黙が流れる。


「あの、西園寺先輩」


 西園寺先輩に、樹村先輩の事を聞けるのはこれが最後のチャンスだろう。そう思って、僕は一つだけ質問をぶつける。それは大した質問では無かったけれど、聞いておかなくてはいけないと思った。


「西園寺先輩は、樹村先輩の事をどう思ってましたか」

「……それはさっき言いましたけど」

「なんというか、先輩の主観的な評価が知りたいと思って」

「……そうですね」


 西園寺先輩は自嘲気味に少しだけ微笑んだ。


「嫌いじゃなかったですけど、正直少しだけ苦手でしたよ。少しだけですけど」




**************************************




 西園寺先輩にもっと質問をぶつけていれば、他にも情報を手に入れられたかもしれないけれど、あの雰囲気ではそれも憚れた。それにあれ以上聞いても、西園寺先輩は何も答えてくれないと、そんな予感があった。

 なので僕は方向転換して、今度は別の場所を調べる事にした。

 部室で西園寺先輩に別れを告げ、家に帰る。姉さんは幸いにも出かけていて、家には僕一人だけだった。

 僕は姉さんの部屋にこっそり忍び足で潜り込む。忍び足の必要は無いけど、それはまあ雰囲気作りという事で。


「さて、と」


 僕の考えた、別の調べる場所というのは、ずばり姉さんの部屋だ。

 これはある種当然というか、他に調べる場所がないから、必然的に姉さんの部屋を調べる他ないんだけど。


「とりあえず、クローゼットを調べようかな」


 部室以上に、何か手がかりが出てくる可能性は低かったけれど、ただ何もしないのももどかしい。それに姉さんの部屋ならある程度熟知しているので、部室よりは探索が楽だ。ついでに調べても損はないだろう。

 実際、家探しにかかった時間は、部室を調べる時間の半分くらいで済んだ。

 クローゼットからは色々なものが出てくるが、それらは樹村先輩の件とは関係ないものばかりだ。洋服、登山用具、下着、漫画、CD…………。整理整頓をしない姉さんの部屋からは雑多なものがこれでもかと溢れているが、どれも大したものではない。


「クローゼットは外れかな」


 とすると、この部屋にある収納スペースは、本棚とか机くらいなものか。本棚は見ればわかる(漫画と教科書、それと小説が漫然と置かれている)し、残るは机くらいだろうか。


「よっと」


 机まで向かい、躊躇なく机の引き出しを開ける。幸いにも鍵はかかっていなかった。

 机の引き出しはクローゼットと同じで、殆ど大したものは入ってなかった。シャーペンや消しゴム等の文房具、単語帳、クリップ、ノート……。


「……ん?」


 机の中身の一つであるノートに違和感を覚える。そのノートは表紙に何も書いておらず、一冊だけポツンと引き出しの中に置いてあった。

 なんだかおかしい。このノートは一体なんだろうか。

 パラパラとめくってみても、その中身は真っ白なページが続いているだけで、中身も新品同然にきれいなままだった。


「でもこれ、今年のじゃないよな」


 ノートの表紙はデザインがおしゃれで、右下の方に小さくキャラクターが書いてある。確かこのノートは、海外の子供向けアニメのキャラとコラボして発売されたやつだったはず。僕は買ってないけど、本屋の文具コーナーで結構目についたから覚えていた。

 そして、そのノートは去年しか売ってないはず。

 去年買ったノートを、使わずに机の中に放置している状況は、あきらかに不自然だ。

 姉さんがこのキャラのファンだったら、ファングッズとして取ってある可能性もある。けど姉さんは、このキャラは別に好きじゃない。というか姉さんはそんな可愛らしい趣味じゃない。基本的に人を殴る事が趣味の人だ。

 僕は不信に思って、もう一度ノートの中身を確かめる。


「……あ」


 よく見るとそのノートには使った形跡があった。最初の一ページ目が破られた形跡があったのだ。

 ノートへの違和感は余計に膨れ上がる。最初の一ページだけ使って、後は放置? しかもそのページは破り取っている。

 一体破り取られたページには何が書いてあるのか。ぜひともそれを知りたい所ではあるが、今は無いページに書かれていた事が何かなんてわかるはずもない。諦めるしかないのか。

 と、そこまで考えて、僕はある方法に気づいた。

 僕は引き出しの中に、一緒に置いてあった鉛筆を取り出す。そして破かれたページの次のページを黒く塗りつぶす。


「古典的って言うか、小学生じみた行為だけど、っと」


 失敗する確率の方が高かったが、姉さんの筆圧が高かったのが幸いした。僕は黒い背景の中から、辛うじて白い文字を読み取る事に成功する。


「えっと……?」


 目を凝らして、ノートの文字をじっくりと検分する。

 最初の方は残念ながら、読み取れる程文字はくっきり浮かび上がっていない。けれど後半はまだ辛うじて読める。

 声に出して、一音一音確かめるようにして読んでいく。


「……明……日……の、……放……課……後……に、……時……計……塔……ま……で……来……て……ほ……し……い」


 明日の放課後に、時計塔まで来てほしい。

 そう読めた。

 つまり姉さんは、誰かを時計塔に呼び出した事があるという事だ。おそらく去年のどこかで。

 そういえば、樹村先輩が自殺したのも時計塔で、それは去年の出来事だった。


「……え?」








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