鶴来空 -8日
誰だって自分の人生という、壮大な物語の主役なんだ。そんな如何にも聞こえが良くて人生の指標にピッタリな言葉があるが、しかし僕はその言葉がどうしようもない程に嫌いだ。
理由は明確で、僕は今までの人生で自分が主役だなんて思った事がこれっぽちも無く、到底その名言を信じる事が出来ないから。これに尽きる。
僕、
それは当然の話だ。そう思う程に、彼女たちは突出しているのだから。
生徒会長であり眉目秀麗なハーフの
全国模試トップクラスの秀才、
資産家の娘で、俗に言う深窓の令嬢である
そして僕の姉であり、我が校最強の存在である
彼女たちだけじゃない。僕の友達の
だから僕は、自分の人生ですら主役にはなれない。ずっと日陰者だ。
僕にできる事、それはきっと彼女たちの人生がいかに素晴らしく光り輝いているのかを書き記す、書記のような仕事だけだろう。
あるいは、それは書記ではなくワトソン役と言ってもいいのかもしれないけれど。
どちらにせよ僕は主役ではなく脇役で。誰にも影響を与えず、また与えられる事もなく、静かに生きて、そして静かに死んでいくんだろう。
そう、思っていた。
そんな僕の心理が少しだけ変わり、自分の人生について向き合ってもいいのかもしれないと思い始めたのは、あの事件の後の話だ。
あの事件。
悲痛で、悲惨で、悲恋で、悲哀で、悲愴で、そして悲劇と呼ぶにふさわしい、あの悲しい事件。
あの事件を経験した僕は傍観者である事を止め、自らの人生と向き合う事にしたのだ。あるいは、自分そのものと向き合う事が出来た。
僕が今からする話は、その事件についてであり、あるいはそれは彼女たちの物語でもある。
今となっては終わってしまった、悲しい物語。
悲しいだけの物語。
僕は傍観者としてそれを語りたいと思う。
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「来年の屋台は、絶対UFO焼きが良いって!」
「却下。私たちだって来年は受験生なんだから、そんな事に時間使ってどうするのよ。大体UFO焼きって何?」
「大判焼きに羽根が付いてて、フリスビーみたいに飛んでくのよ。どひゃーって」
「重ねて却下」
「なんでよ!!」
七月上旬。
ここは『超常現象研究部』、略して『超研部』の部室である。
決して広くはない部室の両面には棚が設置されていて、しかも誰が持ってきたのか分からないオブジェやら生活雑貨やら観葉植物やら何やらが追加され、重ねてそこに全員が座れる椅子と大きな机を用意してやれば、当然ながら人が自由にできるスペースはかなり限られる。
しかもそこに五人も集合しているのだから、体感的にはかなり狭い。唯一の救いは、その集合している五人が僕以外は可憐な女子という事だろうか。これがむさくるしい男どもだったら目も当てられない。
「だいたい玲はそうやって人の意見を否定するけど、じゃあ逆にどんな案があるのよ」
「無難に展示なんてどうかしら」
「それじゃあつまんないってー。せっかくなんだから、もっとばぐしゃーって派手にやろうよー」
「ばぐしゃーが何の事かは分からないけど。あなただって生徒会長の仕事があるでしょ」
「それはそれ、これはこれ」
兎川先輩の発言を聞いて、姉さんは肩を竦めてため息を吐く。
たった今、喧々諤々の姦しく五月蠅い言い争いをしているのが、僕の姉である鶴来
兎川先輩は生徒会長を兼任していて(というよりはそっちがメインだけど)、生徒や先生からの評判も上々である。
何せ文武両道な上にハーフだからスタイルも見た目もいい。日本人離れした顔立ちは歩いているだけで人の目を引くし、本人の気さくで明るい性格は人を引き付けてやまない。一年生の時から生徒会長に任命されているのも当然と言えるのかもしれない。誰からも好かれる彼女は、まさに学校の『権力』を握っているのである。
「玲は固いなー、そんなキャラじゃないじゃん。もっとめぐって感じで人をなぎ倒す感じじゃん」
「私の格闘技は文化祭と関係ないでしょうが」
兎川先輩に対するは我が姉、鶴来玲。彼女は兎川先輩とは真逆の存在である。
幼い頃からアウトドアや体を動かすのが好きで、加えて格闘技を習っていた姉は、兎に角腕っぷしが強い。今でこそ大人しく猫を被っているものの、中学の時は不良どもを徹底的にボコボコにして学校中どころか地域中から恐れられていた。
弟の僕はとても肩身が狭かった。
その頃の話は高校でも噂になり、姉に手を出そうなんて不良はこの学校にはいないだろう。兎川先輩が表の支配者なら、姉は『暴力』で裏から支配する、超危険人物なのである。
いや危険人物というよりは怪物とか魔王とかそんな呼称が――。
「――!!」
急に訪れた脛の痛みに思わず悶絶する。頭がガクンと下がり、あわや机にぶつかるところだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あら、どうしたの? 座りながら転んだの?」
心配した表情を浮かべながら、
「だ、大丈夫です、先輩。持病の
「そ、空君は一体何の病気に罹っているのですか…………?」
なお心配してくれる西園寺先輩に応対しつつ、僕は姉さんの方を見る。当然恨めし気な表情で。
しかし僕の無言の抗議などは意にも介さない様子で、姉さんは小声で言った。
「私の悪口を思い浮かべてたでしょ」
エスパーなのかこの人は。
というか、思い浮かべるだけで
他にも言いたい事はあったけれど、思い浮かべているだけでもいつ蹴りが飛んでくるのか分からない。僕は黙秘する事にした。
姉さんも自分のやった事を誤魔化すように、議論の続きを促した。
「それで結局、来年の文化祭は展示だけって事でいいのね?」
「へ、いや、まだ話は終わってないって、玲」
「じゃあ多数決でも取りましょうか。ねえ、舞花はどっちがいい?」
「私ですか!?」
急に話を振られて、西園寺先輩はあたふたと動揺する。
「わ、私は別にどっちでもいいのですが…………」
「じゃあ私の意見に賛成って事ね」
と、自分勝手な姉さんに押し切られる形になってしまう。
西園寺先輩の実家は資産家で、ゆえに西園寺先輩はお嬢様という事になる。実際この部室の高そうな調度品とか生活雑貨とか生活必需品とか、挙句の果てにはドアや窓の鍵まで西園寺先輩が買ってきたものである。
お金持ちな筈だけど、それで威張ったり自慢したりという事は無く、謙虚で人の事を立てていて、そこもまた本物のお嬢様らしいというかなんというか。決して『財力』だけが西園寺先輩の魅力という訳じゃない。
だからこそ僕はお節介ながらも不安になっているのだけど。
「これで二対一ね、雨鷺」
「むー、じゃあ
味方を増やそうと、兎川先輩は
「ねえ曜? 聞いてる?」
「……ごめん、聞いてなかった」
「来年の文化祭の出し物、UFO焼きなんてどう?」
「……それでいい」
僕達の事を他人とでも思っているんじゃないか。それくらい素っ気ない返事をして、皆月先輩は机に戻る。
小動物のように小さい体躯をしている皆月先輩だけど。しかしその中身は、知識という意味においては膨大だ。学年トップの成績を誇る皆月先輩は、わが校のみならず全国模試でもトップクラスの成績を誇る。
その分という訳でもないが、性格は寡黙で口数もかなり少ないし人見知りもする。それはある種自らの天才性を証明していると言える。兎に角、そんな天才的な『学力』を誇るのが皆月先輩なのである。
「じゃあ曜が賛成してくれたから、これで二対二だねー。玲、これはすっぽりと諦めてUFO焼きを焼くしかないんじゃない?」
「そうね、あとはあとはもう一人が何て言うかだけど。ねえ空?」
「えっと……」
三人(皆月先輩を除いて)が一斉に僕の方を見る。
部員は五人。そして今、文化祭の出し物投票は二対二で割れている。つまり僕の意見によって来年の文化祭の出し物が決定してしまう訳だけど。
「…………」
僕は短くため息をついてから切り出した。
「そもそも、こんな時期にする話ですか? 来年って、半年以上先の話じゃないですか。今する話はもっと別の話でしょう。というか、来年この部活って存在してるんですか? 普段、ろくに活動してないじゃないですか」
「それじゃあ、空は展示派って事で」
「おい」
僕の陳情はあっさり無視され、しかも何も言っていないのに姉さんに賛同した事になってしまった。
くそう、これが姉の権力か。
「さて雨鷺。これで来年の出し物は展示にする事が決まった訳だけど」
「……ずるいよー、そんなの。空君、何も言ってないじゃん」
「弟の意見は私の物。弟の体も私の物」
ジャイアンもびっくりである。
兎川先輩は納得しておらず、頬を膨らませて恨めし気に姉さんの方を見ていた。しかしすぐに態度を改め、朗らかな表情を浮かべた。
「ま、来年の話をしてもしょうがないしね。じゃあ次は、もっと身近な話をしようか」
「身近な話というのはなんでしょうか」
「そんなの決まってるじゃん!」
大きく叫ぶと、兎川先輩はホワイトボードに大きくこんな文字を書いた。
『UFO降臨の儀』
「じゃあ早速明日にでも、UFO降臨の儀を執り行いたいと思うんだけど」
「却下」
「なんでよ!」
兎川先輩のUFO(というかオカルト)好きには付き合っていられないとばかりに、姉さんはその案を却下する。
「いいじゃんちょっとくらいー! 人数が多い方がUFO呼び出せるんだってー! みしゃって現れるUFOが見れるかもしれないんだよー?」
「みしゃって現れるUFOに興味ないわ。それに人数が欲しいんだったら、生徒会の人間を呼べばいいじゃない」
「何のための『超研部』なのさ!!」
「ま、まあまあ二人とも落ち着いて…………」
「「舞花はちょっと黙ってて!!」」
「ひ、ひどい…………」
こうしていつもの光景が僕の目の前で繰り広げられる。
姉さんと兎川先輩が喧嘩して、西園寺先輩がオロオロしながら仲裁して、皆月先輩は我関せずで勉強をしている。
そしてそれをただ眺める、傍観者の僕。
これが日常。これが『超研部』。
こんな日々がいつまでも続いたら、きっと面白いんだろうなと、月並みな事を考えた。
こんな日常はこれが最後なのだという事を、僕はまだ知らない。
**************************************
誰もいない部室で僕は物品の整理をしていた。
さっきまでの議論でUFO降臨の儀こそは免れたものの、代わりと言わんばかりに、来年の文化祭はUFO焼きを提供する事になった。
そして僕は、兎川先輩が準備して結局出しっぱなしにしたUFO召還用の怪しいグッズやらなにやらの片付けを命じられ。ついでに物品の整理をしようかなと思い立ち、こうして掃除をしている訳である。
近づいて来た期末試験に対する現実逃避と言われればそれまでだけど。
「ゲホゲホッ」
部室の棚は案外ほこりっぽくて、マスクを持ってくれば良かったなと少しだけ後悔する。しかし今更後悔してもしょうがない。そもそも自主的にやっている事なんだし、適当な所で切り上げよう。
そう思いながら謎のファイル(きっとUFO関係だろう)を棚から出すと、何かが宙を舞い床に落ちた。
「なんだこれ」
どうやらそれは写真のようだった。裏には日付が手書きで書いてあった。その日付は去年の今頃で、つまり僕がまだ中学三年生だった頃の写真になる。
ひっくり返して、表を確認してみる。そこに写っていたのは、当然と言えば当然だけど姉さんたちの姿だった。ホワイトボードに『祝 超常現象研究部設立』と書いてあって、その手前に姉さん達が中腰だったり座ったりで二列になって集まっている。笑顔とピースサインからは、初々しさを感じる。
奥で中腰なのが、右から西園寺先輩に姉さん。手前に座っているのが、右から皆月先輩に兎川先輩に――。
「――あれ」
そこで僕は遅まきながら気が付いた。その写真に写っているのは五人。今年の部員は、僕を入れて五人。そして写真には僕はいない。
つまりそれは、僕の知らない部員が、写真に写っているという事で。
「――この人は、誰だ?」
顧問の先生という訳でもなさそうだ。普通に制服を着ているし。
髪は明るい茶髪で、濃いめのメイクといいなんだか遊んでいそうな感じがする。姉さん含めこの部活の先輩方は髪を染めていない(兎川先輩の金髪は地毛だし)ので、なんだか浮いている。
僕の知らない部員である彼女。彼女が誰なのか気になる所だけど、僕はそれ以上に気になっている事があった。
「なんか、見た事あるような……?」
知り合いではない。それは断言できる。
でもなんか、どこかで見た事がある気がする。一体彼女は誰だ?
思い出せないものはしょうがない、僕は思い出す事を諦めて、その写真をポケットに入れた。
**************************************
「姉さん、これを見てよ」
その日の夜。僕は姉さんの部屋にその写真を持ってきていた。
姉さんはベッドの上で横になって、お菓子を口に咥えながら小説を読んでいる。姉さんはミステリが好きで、身体を動かさない時は大概小説を読んでいると言っても過言じゃない。人を殺せる身体能力を持っててミステリにも精通しているって、存在が危険なんじゃないだろうか。ライオンが武装しているようなものだろ。
「何よ?」
姉さんは返事をしたものの、視線を小説から少しも離さない。これはつまり、『何か見せたいものがあるなら私の目の前に持ってきなさい』と暗に伝えているのだ。
しょうがない。僕は椅子から立ち上がり、写真を姉さんの目の前に突き出した。
「……これって」
写真を見せると、姉さんの顔色はみるみる内に青くなった。露骨に動揺していて、まるで恐怖しているような表情だ。
いっつも勝気で、怖いものなんてこの世に存在しない。そんな姉さんが青ざめた表情を浮かべているのを、僕は初めて見た。
姉さんは身体を起こして居住まいを正し、ベッドに腰かける。それに押されるようにして、僕も座っていた椅子に戻る。
そして姉さんは、鬼気迫る表情で僕に質問をする。
「……あんた、これどこで手に入れたの」
「どこって、部室だけど」
「なんでこんなものを」
「たまたまだよ。部屋の整理をしていたら勝手に出てきたんだ。それよりも姉さん、この写真に写っている人って一体――」
「どう見ても私じゃない」
「姉さんも西園寺先輩も兎川先輩も皆月先輩も見れば分かるよ。そんな事が聞きたいんじゃなくて、見て分からない人を聞いているんだよ。姉さん、はぐらかさないでよ。去年まで、姉さんたちの他に誰がいたの?」
僕の問いかけに、姉さんは一瞬言葉を詰まらせる。
「…………」
「一体、この人は誰だよ」
「……
樹村恋歌。
その名前を頭の中で反復しながら、もう一度手元の写真を見る。
名前を聞けば思い出せるかもしれないと思ったけど、結局思い出せやしない。
「恋歌は去年までうちの部活――『超研部』にいたわ」
「今は?」
「……退部したわ」
そこで姉さんは顔を伏せた。まるで僕に表情を見せたくないように。隠したい事があるように。
それ以上、僕は何も聞けなかった。姉さんが、それ以上聞く事を拒絶していたように思えたから。
一体樹村恋歌とは誰なんだ?
なんで退部したのか?
今は何をしているのか?
それらの疑問を口に出せず、部屋には沈黙が流れる。
「……退部した人間の事を気にしてもしょうがないじゃない」
「まあ、そうだけどさ」
「そんな事よりも、空。そろそろ寝る時間よ」
はっと気付いて、部屋の時計を見る。時刻はもう十二時を過ぎて、寝る時間が近づいていた。
姉さんは、話をはぐらかした。あからさまに。
けれど僕は、それに気付かないフリをした。それが、弟としての役目なのかもしれない。それに姉さんは、僕がいくら聞こうとしても聞く耳を持たないだろう。
「さあ、空」
姉さんはベッドに横になると、薄い布団を広げながらベッドを手で叩いた。蠱惑的な大人の表情と、おもちゃを目の前にした子供のような表情。それらをごちゃまぜにした、ある種恐ろしい表情を浮かべて、姉さんは僕を待つ。
早くベッドに入れと言いたいんだろう。段々とベッドを叩く力が強くなっている気がする。
これからする日課が待ちきれなくなって、つい力が篭っているようだ。これは早く行かないとどうなるか分かったものではない。
「早く来なさい。いつものように、愛してあげるから」
僕は内心でため息をつく。口には出せない。
誘われるまま、僕は姉さんのいるベッドにもぐりこんだ。
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