氷上雹珂 +0日(1)




 誰だって自分の人生という物語の主役なんだという、ある種当たり前で当然の言葉を私は否定しないけれど、しかし私――氷上ひかみ雹珂ひょうかが主役の物語を誰が読むというのだろう。

 私の物語という、あまりにもつまらない物語を。


 若くして刑事となり、殺人事件担当というある種の花形に就いた私を待っていたのは、気が重くなるような単純作業の集まりだった。

 殺人事件に、探偵のようなかっこい推理の出番は無く。ただ自分の足で証拠を集めて、ただそこから犯人も目星をつけて、ただ犯人の自供を待って、ただ逮捕する。そんな単調なリズムの繰り返し。

 最初はそれでも刺激的だったし、誇りも持っていた。

 けれど段々仕事は単純な作業に変わり、私の仕事はつまらないものに変わっていった。

 しかもやっている事は人の人生を終わらせる如き所業なのだから、これがまた気が重くなる。

 それはそうだ。だって逮捕というのはその人の人生の、ある種終わりのようなもので。私はそれに、否応が無しに関わってしまうのだから。

 気だって重くなるというものだ。

 もっとも、いくら終わりだと言っても。終わった人生と言っても。

 人の人生にはまだ続きはあるのだろうけど。人の人生という物語は、死ぬまで終わらないのだから。


 そう考えると私の物語というのは結局、他人の物語の終わりを見る短編集なのかもしれない。

 どこかの誰かが、人生を山場や終わりを迎えるのを、ただ記録するような物語。

 他人の人生の、『オチ』だけ集めた短編集?

 そんな物語に不満を持っているのが私だった。

 いや、もっと端的に言ってしまえば。


 私は主役になりたかった。





**************************************





「……はあ」


 他人の人生の終わりに慣れた私ではあるけれど、だからと言って何も感じないわじゃない。特に今日のような、若い女の子が死んだ事件ともなると。


「被害者は鶴来玲。翆玲高校二年生で、この部屋を使っている超常現象研究部に所属していたようです」


 鑑識の人が、死体の状況を説明してくれる。けれど彼女がこの高校の生徒でこの部室の部に所属している事も分かるし、どうやって殺されたのかも大体わかる。

 彼女は――死んだ鶴来玲は、この『超常現象研究部』の部室で、眠るように死んでいた。

 部室は細長い造りで、廊下に面した扉と、その反対側にある窓以外に、外部と繋がる場所はない。

 そして彼女の遺体は、その窓のある壁にもたれかかるようにして座っていた。制服の、胸のあたりから腰まで真っ赤に染まっている。しかもそれだけじゃなく、床までも同じように真っ赤になっている。床の血痕は、乾いた後に誰かが踏んだような跡があって、きっとそれが第一発見者のものだろうと推測できる。


「高校二年生、か……」


 正直、きつい。

 高校生や、あるいはもっと幼い子供が死ぬのは、テレビのニュースで聞くだけでもいい気持ちはしない。その上、こうして目の前で、殺人事件として繰り広げられると、気分が滅入ってしょうがない。

 とはいってもそれを表情に出すわけにもいかないし、事件は私の事情を考慮してはくれないけれど。


「死亡推定時刻は司法解剖の結果待ちですが、おおまかにいうと昨日の夕方ごろとの事です。遺体の発見時刻は今日の朝八時二十分ごろ」

「第一発見者は?」

「同じ部活で弟の鶴来空という生徒が第一発見者との事です。今朝、授業が始まる前に部室を覗いてみたら、遺体を発見したらしいです。今は空き教室で女性警官と一緒に待機してもらってます」

「そう」


 可哀そうな話だ。

 弟という事はおそらく高校一年生で、去年まで中学生だった訳だ。そんな若い子が姉の死体を見るのは、かなりショッキングな出来事だろう。彼の心境を慮ると悲しく同情的な気持ちになる。とは言っても私にはどうしようもないが。

 所詮私は刑事で、犯人を捕まえる事くらいしか出来ないのだ。良かれ悪しかれ。


「……それで死因は?」

「胸部に刺さったナイフによる出血多量でしょう。他には後頭部に打撃痕があります。打撃箇所からの出血量から、被害者はおそらく鈍器で頭を後ろから殴られ、その後ナイフにより殺害されたのだと思われます」

「ナイフ、ね。後ろから殴って、気絶させてから殺害したのね。突発的な犯行ではなく、ある程度計画的に行われたという事かしら。凶器のナイフと、その鈍器は?」

「鈍器については特定されています。あちらにある――」


 そう言いながら、鑑識官は扉近くのシェルフの上に置いてある電気ポッドを指さした。


「――あの電気ポッドと思われます。あの底部から非常に僅かな血液が検出されました」

「あれから犯人の指紋だけ出てくれれば話は早いんだけどね」


 しかし、そう話は単純でもないだろう。おそらく犯人は最初から殺意を持って計画的に犯行に及んだ可能性が高いのだから。きっとポッドの指紋なんてふき取っているに決まっている。

 あるいは、ポッドから指紋が検出されても困らない人間とか。


「ナイフの方は?」

「犯行現場には残されていません。大まかに言えば、銃刀法ぎりぎりくらいの長さだと思われますが」

「念のため聞くけど、ナイフなのよね? 包丁とかではなく」

「ええ。詳しいことは司法解剖待ちですが」


 とすると、やはり犯人は凶器を事前に用意していた事になる。やはり計画的な犯行か。


「――それにしては」


 この殺人は、やや杜撰と言える。

 こんな場所で殺すというのもそうだし、それに遺体を隠そうともせず、自殺に見せかけるとかの隠蔽工作をしようともしていない。

 第一印象としては、なんだかちぐはぐって感じだ。そして今までの経験から、自分の印象が間違った事は無い。と、思う。

 私はぐるりと部屋を見渡す。

 部屋の内装は一介の部室にしてはあまりにも豪華すぎて、自分の中の部室のイメージとすり合わせるのに大分苦労する。

 そもそも部屋の中に電気ポッドがある時点でおかしいし、それにコーヒーメイカーとか豪華な装飾品とか、真新しい扉の鍵だとか、兎に角全体的にお金がかかっている。

 一体どれだけの成果を上げられれば、こんな立派な部室を作れるだけのお金を、部費として貰えるのだろうか。『超常現象研究部』なんてふざけた名前の部活には到底不可能だと思うけど。


「……部屋の窓には鍵がかかっていたのよね」


 私は窓の方を見ながら鑑識官に話しかける。

 窓は一般的な校舎のものだったけど、付随する鍵は随分とアップグレードしていた。一般家庭の窓だって、もうちょっと謙虚な鍵を付けるんじゃないかってくらいのレベルだ。

 監察官もその窓の事が気になるのか、やや動揺しながらも報告をしてくれた。


「ええ。しかもその、随分と立派な鍵だったもんで。ロック機能だってついているんで、まあ外から細工したとか、そんなのは不可能でしょう」

「推理小説さながらのトリックは無理ってことね」


 今のご時世、針と糸のトリックなんて存在するのか怪しいけど。案外、今時の子ってそういうトリックを知らないんじゃないかな?

 そもそも現実は推理小説じゃないんだから関係ないか。


「それで、扉の方は? こっちも大分立派な鍵が付いているけど」


 体をぐるりと反転させて、今度は扉へと近づく。それにつられ、鑑識官も付いてくる。

 この部室に入った時から思っていた事だけど、近くで見ると本当に立派だと感心する。機能という点についてもそうだけど、外観も金色の装飾が付いている。

 こんな立派なのいるか?


「これも外から細工は不可能よね」

「ええ、プロならあるいは可能かもしれませんが」

「ま、結局それはだけど」


 第一発見者の鶴来空君の証言しだいだろう。

 部屋の中を、俯瞰するように広く見る。そびえたつ棚に様々な雑貨。そして部屋の中央にある五人掛けの立派なテーブルを挟んだ向こうには、鶴来玲さんの遺体。

 眠っているように目を瞑った静かな顔は、彼女が元々美しい人間だったであろう事も相まって、どこか芸術性を帯びているようにも見えた。





**************************************





 しばらく部室の捜査をしていると。突然部室の扉が開いた。そしてのんびりとした声が部屋に響く。


「いやー、すまないねー。道が混んでたもので」


 そういいながらその人は部室に入ってくる。よれよれのシャツにズボンで、普通のサラリーマンなら上司に叱責されるレベルのだらしなさだ。私だってこんな見た目の人間は殺人現場から追い出したい所だけど、そうはできない事情がある。

 私はため息をこれ見よがしについてから、彼と向き合う。


「……過馬さん。このあたりで道がそんなに混むとは思えませんが。遅刻ですよ」

「はっはー、まあ多めに見てくれよ。色々と忙しいんだよ」

「一年中暇を潰しているように見えますが」

「暇を潰す事に忙しいの」


 軽快な、へらへらとした笑顔を浮かべるその人こそ、認めたくないが私の上司である過馬かうま雷灯らいひである。階級は警部で、私より一つ上だ。

 年齢は三十代半ばだが、しかし見た目はもっと若々しくて、下手したら二十代前半にも見えるかもしれない。若々しいというよりは、見た目から年齢が想像できないというか。

 若く見られる理由は、顔が整っているという理由が大きい。綺麗な瞳に、目鼻立ちが整った造形。さぞやモテる事だろう。もっとも見た目だけの話なら、だけど。

 この過馬という男、若々しいのは見た目だけでなく、中身も残念ながら若々しいというか子供じみている所がある。仕事に対しあまり真面目ではなく、兎に角めんどくさがるし、部下に仕事を押し付ける事もしばしばだ。

 つまり、見た目の加点を中身で打ち消している訳だ。

 本当に、なんでこの人は警察を追われないのだろうか。確かに無能では無いし、むしろ有能な人間ではあるのだが、それにしたって私たちは公務員だろうに。


「ふむふむ、なるほどなるほど」


 殺害現場のあらましをある程度説明すると、過馬さんは納得したように頷く。本当に納得しているのだろうか、適当に頷いているだけではないだろうか。そんな疑問が湧いてしまう。


「詳しい事は後程分かるとしても、まずは話を聞かないとなんとも言えないね。えっと第一発見者の……。なんだっけ名前」

「鶴来空君です。殺害された鶴来玲さんの弟さんです」

「そうそう、鶴来空君。彼の話を聞きたいね。彼が扉の施錠についてどう証言するかで、話は変わってくる。もっとも、施錠されていなかっただろうけど」

「そうですか?」


 犯行現場の鍵をかける人間なんてそうそういないのは確かだけど、だからと言って確定したような言い方は納得できない。

 そこまで考えて気付く。私はきっと、施錠されている事を望んでいるだろう。施錠されていたら、この部室はになるのだから。

 密室。それは、今までの単調な仕事とは違う。劇的なエッセンス。

 私のちょっとした反論を面白がるように、過馬さんは自分の論理を証明した。


「この部室の鍵は、彼女の遺体から発見されたんだろ?」

「ええ、ポケットに入っていました」


 先ほど新たに判明した事実である。彼女のポケットに、某レジャーランドのマスコットキャラクターのストラップが付いた鍵が入っていた。その鍵で部室の扉が施錠てきたので、部室の鍵である事が判明した。


「鍵が部屋の中にあるって事は、もし施錠されていたらこの部室は密室になるね。ただ第一発見者が部室を開けた以上、彼も部室の鍵を持っていただろうし、他の部員だって持っていた可能性は高い。つまり、密室だったとすると、彼女らの中に犯人が居る事になる」

「……私としては、その可能性は高いと思いますが」

「そしたら、鍵なんてかけないよ。鍵を持っているんだから、自分たちが疑われるじゃないか。つまりそれは、自分の首を絞めるって事だよ。犯人が部員だとしたら、もっと他の場所で殺すか、もしくは施錠だけはしないでおくよ。部員以外には施錠が不可能で、部員には施錠する理由がない。だから、施錠は殆どあり得ない可能性だ」

「……確かに、施錠はありえないですね」


 分かっていた事だけど、それでもがっかりしてしまう。

 不謹慎ながら、一度でいいから密室の謎に挑戦したいという気持ちが私にはあるのだ。というよりそれは、華々しく事件を解決したいという、英雄欲求だろうか。

 ただ単調な私の刑事人生に刺激が欲しい、心の片隅でついそんな事を考えてしまう。


「仮に施錠されていたとしても、まあ部員が犯人では無いと思うけどね」

「そうですか? 別にそこまで可能性を絞る事もないのでは」

「これは勘に依るところが大きいけどさ。でも部員が犯人だったら、こんな所で殺したりしないでしょ。それこそ、施錠関係なく」

「では逆に、過馬さんが考える犯人像は誰ですか」


 口元に手を当てて虚空を見上げ、しばらく黙り込んでから過馬さんは言った。


「やっぱり、校内の誰かになると思うんだよね。部員以外で、かつ学校の敷地内にいても違和感の無い人間。となるとやっぱり、この翆玲高校の関係者なのかな」

「生徒だけでなく、先生方もあり得るという事ですか」

「それだけじゃなく、用務員や業者だってありえるかもしれない。まあそこから先は、捜査が進んでから考えてもいいだろう」


 過馬さんは入口の扉に手をかけて横に引く。

 ここでの捜査はある程度済んだという事だろう。とすると次は、第一発見者への取り調べに移る。


「過馬さん、では鶴来空君のいる教室に案内しますね」

「いや、その心配には及ばないさ」


 あれ? 

 私は過馬さんには、鶴来空君のいる教室の場所を教えていないけれど。誰かに聞いたのだろうか、過馬さんにしては準備がいい。

 しかしそれは、大きな勘違いだった。

 過馬さんは私の両肩に手を置いて、如何にもな作り笑いを浮かべた。笑いというより、にやけるという表現の方が正しいようにも思える。


「えっと、この手はいったい……?」

「氷上ちゃん、俺のお願いを聞いてほしい」

「部下の肩を掴んでちゃん付けするようなセクハラ上司のいう事を、ですか」

「頼みというのはね」

「話を聞いてください」


 そこで過馬さんは両手を離すと、今度はすり合わせるようにして頭を傾けた。俗に言う、『お願いっ』って感じのポーズだ。おっさんがしても可愛くない。

 そして過馬さんは言った。


「俺の分まで、鶴来空君の話を聞いてくれないかな?」

 

 ……どうやらこの上司は、またも仕事をさぼるようだった。






 


 

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