過馬雷灯 +7日
「あなたは、兎川先輩の血縁者ですよね。だからあなたは、兎川先輩の罪を黙っているんだ」
その発言を予想していなかったわけじゃない。
俺も、自分の推理と称して、警察も知り得ない情報を言いすぎてしまった。勘のいい人間なら、気づいてもおかしくはないと思っていた。
しかし彼がそれに気づける人間だという可能性は、かなり低いと思っていた。思い込んでいた。
でも今日、彼とこうして話してみて分かった。彼は、そんな一般的な物差しで測れる人間じゃない。
まったく、氷上ちゃんは彼の何を見ていたんだろう。
「……………………」
俺は深く息を吐きだして、もう一度深く呼吸をする。クーラーが効いているのだろう、冷たい空気が肺に満ちてくる。
さて、ここからは俺の番だ。俺の罪について、断罪される番だ。
「…………この瞳は、母親の遺伝なんだ。雨鷺ちゃんと俺の母親は姉妹でね。二人とも日本人に嫁いだんだ、おかしいだろう?」
でもまあ、これでようやく『兎川さん』なんて堅苦しい呼び方からは解放される。時々兎川ちゃんという呼び方が出そうになって危うかったんだ。実際氷上ちゃんの前で一回言ってしまっているし。
この事件に関わる際に、なるべく兎川ちゃんとの関係は隠して置きたかった。結局、こんな結末になってしまったが。
「雨鷺ちゃんにとって、俺はまあいざって時に口利きができる知り合いのお兄さんって感じだったよ。樹村さんの事件の時も、俺経由で色々と聞き出そうとしていた。その時はあんまり事件について教えられなかったけど」
「でも今になってほとぼりが冷めると、樹村さんの事件について教える事ができた、と」
「ああ。機密漏洩は重大な違反行為だけど、雨鷺ちゃんの頼みは断れなかった。彼女は事件の当事者でもあった訳だし。今思えば、そんなもの渡さなければよかった」
警察の内部資料。遺体の写真や細かい情報。あんなものを渡したから、雨鷺ちゃんは余計な事に首を突っ込んで、余計な事を知ってしまった。
空君だって、俺が雨鷺ちゃんに渡した資料があったからこそ、樹村さんを殺した犯人にたどり着いたんだろう。つまり巡り巡って、雨鷺ちゃんを殺したのは俺なんだ。
「正直、後悔しているよ」
「…………それは、兎川先輩を庇った事も、ですか」
「いや、あれはあんまり後悔していない。その件で僕が後悔しているのは、雨鷺ちゃんが死ぬ前に彼女を説得できればよかったという点だ」
「…………兎川先輩は、あなたに相談していたんですね。人を殺した事について」
「ああ、事件が発覚した日の、次の日だったかな。雨鷺ちゃんが電話で相談してきてね。だから俺は、雨鷺ちゃんが犯人にならないようにしたかった」
椅子の背もたれに体を預けて、天井を見上げる。その体勢のまま、目を閉じた。
あの日、雨鷺ちゃんが電話で真相を話してくれた日から、俺の闘いは始まった。氷上ちゃんが『超研部』の中に犯人が居ると主張していたのを、何とかなだめようとした。外部の犯人を主張する事で、この事件を有耶無耶にしたかった。
事件が長引けば、あるいは西園寺家が事件の泥沼化を防ぐために何とかするかとも思った。樹村さんの事件では実際に、西園寺家が横やりを入れたからこそ、事件の真実は明らかにならなかったのだから。
あるいは西園寺さんは、樹村さんを殺したのが鶴来さんと知っていたのかもしれない。だから横やりを入れるように頼んだとか。
まあ何にせよ、今更そんな事を考えてもしょうがない。結局俺は、失敗したのだから。
「あなたにとって西園寺先輩の犯行は予想外だった。でもあなたは逆に、それをチャンスだと思った。そうですよね?」
空君の言葉で、現実に戻された俺は、再び空君と向かい合う姿勢をとる。
「あなたは、皆月先輩に罪を被せたんだ」
「…………君と雨鷺ちゃんが協力して、鶴来さんを殺していた事は知っていた。でも皆月さんが死んだのなら、彼女と雨鷺ちゃんの共犯にできると、そう思ったんだ」
「でも、なんでですか。現実にはあなたの思い描いた通りになりましたけど、でも兎川先輩は結局共犯者だ。罪を無くせる訳じゃない。なんであなたは皆月先輩を犯人にしたんですか」
「…………あのね、空君。殺人の実行犯と、犯人をかばった人間じゃあ罪の大きさが違うんだよ。『共犯』と言っても、罪が一緒な訳じゃないんだ」
雨鷺ちゃんは、皆月さんの犯行をかばっただけ。裁判でそれを言ったのなら偽証罪だが、取り調べ段階だったら記憶のねつ造でいくらでもごまかせる。
少なくとも、共同正犯という一緒の罪を被る犯人にはならない。あるいは殺人幇助を行った従犯という可能性もあるけれど、いずれにしても。
「いずれにしても、殺人犯よりは罪が軽い。正直あの時点では、それがベストだと思ったんだ」
「皆月先輩に罪を着せる事が、ですか」
「ああ。最初は、なんで皆月さんが殺されたのかと思ったよ。でも俺は、雨鷺ちゃんが樹村さんの仇討ちのために犯行に及んだ事を知っていたから、誰かが手当たりしだいに仇討ちをしようとしているんじゃないかって気づいた。だから多少の罪を負う可能性があったとしても、事件の幕引きをした方がいいんじゃないかと思ったんだ」
「それを、兎川先輩は受け入れたんですか」
「…………受け入れなかったよ。電話で説得しても、受け入れてはくれなかった。言うなれば自首するようなものだから、すんなりはいとは言えなかったんだろうね」
「メモアプリに残っていた犯行の流れは、あなたの書いた筋書きだったんですか」
「ああ、スマホにメモしてもらってね。結果として、予期せぬ証拠になってしまったけれど」
それだけ言うと、空君は押し黙ってしまった。俺ももう、これ以上話す事もない。空のティーカップを手でなんとなく触っていると。
「ああ、紅茶のお替りでもいれましょうか」
と、言ってくれた。
鶴来空君。気が利くと言えば聞こえはいいけれど、人の顔色を伺いすぎるきらいがある。
だからこそ姉の暴力に耐え、事を大きくすることを嫌ったのかもしれない。だが、決して弱い訳ではないのだろう。でなければ、こうして平然としてはいないだろう。
いやそれは、俺も一緒か。
俺は人の顔色を窺ったりはしない。そういう意味では、彼とは真逆だ。
でも、この事件を通して、色々な人が死に。
その責任は俺たちにあるのにも関わらず、こうして俺たちは平然と紅茶を飲みかわす。
きっと俺たちは、似ているんだろう。
「どうぞ」
「どうも」
短く礼を言って、俺は差し出された紅茶に口をつける。
紅茶の味を楽しみながら、俺は雨鷺ちゃんの事を思い出していた。
小さい頃は、よく世話を焼いていた。母親同士が仲違いをして以来会う事はめっきり少なくなっていたが、樹村さんの事件でたまたま再会して、そこから再び親交を深めた。
だから電話がかかってきて、殺人の事を告白された時は、その真実を隠す事を誓った。なんとしてでも、誰を犠牲にしてでも。
でも、雨鷺ちゃんは死んでしまった。俺の所為で。
俺は雨鷺ちゃんの事をどう思っていたのだろうか。それは今でも分からない。家族愛だったのか、あるいは一人の女性として愛していたのか。
でもどちらでもいい事だ。今となっては、どっちでも。
「…………僕達は、きっと似ているんでしょうね」
「…………ああ、きっとね」
同じ人を庇っていた。
そして、同じ罪を背負っていく。
「…………僕はずっと、自分の事を脇役だと思ってました。人生の主役にはなれない、傍観者のだと」
ぽつりと、小さな声で空君は語り始めた。
今までの、互いの罪を探る話じゃなくて、きっと彼自身の話だ。
「あんなにも周りに凄い人達がいて。僕は自分という存在が、ちっぽけだと思っていたんです。彼女たちの、人生という物語は凄く光り輝いていて。僕はそれを見ている傍観者だと思っていたんです」
「……………………」
「でも今回の事件で、僕の所為で先輩たちが傷つけあって殺し合って。自分が、よく分からなくなって来ました。自分は本当は、傍観者じゃ無いんじゃないかって」
「……………………」
「僕は一体、どっちなんでしょうか。どうするべきなんでしょうか」
それは、思春期らしい悩みだった。
自分が一体何者なのか、そして、どうするべきなのか。彼にはそれが分かっていない。
彼は自分の事を傍観者だと言っていた。だからこそ、自分の姉や兎川ちゃんの死の責任から逃げる事が出来たのかもしれない。
でも自分の事をそう思えなかったら。彼は自分の罪と正面から向き合う事必要があるのだ。
傍観者ではなく、ただの最低な人間。その事実は、彼にはきっと思いのだろう。
「…………まず最初に言っておきたいのは、俺は君の罪を誰かに言うつもりは無いという事だ。君と俺は同じ罪を背負った。だからこそ、俺はそれを隠そうと思う。君がどう思うかは、どうしたいかは別として、俺はそうする」
これは彼を慮ってというより、自分の身の保身のためだ。
兎川ちゃんの罪を偽装した事がばれたら、俺の生活が危なくなる。俺は大人だから、自分の生活を守る必要がある。
「だけど君は、何をしてもいいんだ。自首してもいいし、気にせず生きてもいい。それは結局、君の人生なんだから。君が決めるべきだよ。俺が何かを言える立場ではないさ」
「…………分からないんです。自分が何者なのかが。自分の意思なんて、どうでも良いって思って生きてきたんですから」
彼は目を伏せたまま、呟くように言った。
「ずっと自分は傍観者だと思って。でもそれが違うって思い知らされて。過馬さん、僕は一体何者なんですか?」
その問いに対する答えを、明確に持っている訳じゃない。
そもそも俺は、他人に何か上から言えるような、そんな立派な人間ではない。だから俺は、真摯に答える事にした。
大人としてじゃない、同じような人生を辿る先輩として。
「君は君だよ。強いて役割を挙げるのなら、主人公だ。というより、人はそれにしかなれない。人は、自分の人生という物語の主人公だ」
「…………それにしか、なれない」
空君は顔を上げた。俺の眼を、真っすぐと見てくる。
「ああ。たとえどんな生き方をしようとも、どんな人間であろうとも、何も成し遂げれなかったとしても、人は主人公だ」
「……………………」
「今回の事件だってそうだ。この事件は結局、死んだ彼女たちの物語なんだよ。悲痛で、悲惨で、悲恋で、悲哀で、悲愴で、そして悲劇で――――悲しいだけの物語だ。君はそんな物語に、囚われ続けているんだよ」
彼女たちの物語は、終わってしまった。
それを受け入れなくてはいけないんだ。俺たちは。
「まずはそこから改めるべきなんだよ。だから君は、救ってもらうのも、罰せられるのも、自分からする事が出来ないんだ」
お姉さんの暴力に黙って耐えていた。自分の罪を自覚しながら隠そうとも話そうともしない。
それはきっと、自分から行動を起こす事が苦手な証拠だ。だから彼は、自分を傍観者だと言っていたんだ。
「君は、姉の暴力に対して抗議できなかった。自分から状況を変えるんじゃなくて、誰かに救ってもらう事を期待していたんだ。それが、姉の罪の告発という歪な形で出てきた。そして今君は、自分の罪を裁いてもらう事を期待している。誰かに、あるいは俺に」
「……………………」
「君の物語は、君の物だ。だから君は、自分を受け入れなくてはいけない。自分という、物語の主人公を。その上で、自分がどうするべきかを考えるんだ。そうじゃなきゃ、贖罪だって出来やしない」
自分という人間が、何で出来ているのか。何をしたいのか。何をしてしまったのか。
それを受け入れる所から、彼の物語は始まる。
「そこから始めるべきなんだよ」
「……………………」
空君は黙ったまま、今度は外を見た。窓の外に写るのは時計塔。そこで二人の人間が亡くなった。
彼は今、どんな気分であれを見ているんだろうか。
「…………悲しい物語」
ぽつりと、彼は呟いた。
「最初っからそう言っていれば、傷ついて悲しかったって言ってれば、こんな事にはならなかったんですよね」
「…………ああ」
きっとそれは、彼女たちにも言える事かもしれない。
傷ついた時、彼や彼女は、その痛みを変に堪えてしまった。だからそれは歪な形で表に出て、惨劇を引き起こした。
素直に、悲しいって言っていれば。傷ついたと言っていれば、こんな事にはならなかったもしれない。
最もそれは結果論だし、それは何の慰めにもならないけれど。
「…………そろそろ、俺は行くよ」
急に恥ずかしくなってきた俺は、そう言いながら立ち上がる。
ちょっと青臭い事を言いすぎた。もういい歳なのに、若いエネルギーに充てられてしまったか。
机の上の凶器を忘れないで、俺は立ち上がった。
「紅茶、ありがとうね」
「いえ。…………今日は、ありがとうございました」
扉に手をかけた俺の背中に、空君がそう声をかけた。思わず振り向く。
「なんだか、少しだけ自分が変わったような気がします」
「…………君が変わったんじゃない」
「?」
「物語が変わったんだよ。君の物語にね」
照れくさくなって、誤魔化すように俺は扉を開けて部室を出ていく。
「それじゃあ。またいつか」
「はい、またいつか」
こうして、俺たちの懺悔は終わる。
罪を背負って、自分という人間の愚かさを思い知って。それでも物語は今日も続く。
でもそれが自分なのだから。例えどんな人間だとしても、それを受け入れよう。
そんな自分が主人公の物語を、紡いでいくんだ。
「…………お」
廊下に出ると、敷地の外周を走っている生徒が見えた。
彼らも自分の物語を生きているんだなと、人ごとのように思った。
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