壮大なウソは、彼女を傷つけたのか。それとも……


 バリトンボイスが豪快に笑うと、威圧感ハンパない。

 そのプレッシャーが分厚い雲をも吹き飛ばし、雪交じりの景色を一変して小春日和に変えてしまったのも頷ける。


 ……なわきゃねーだろ。


 この人、天候も操れるの?

 良く勝てたもんだ、そんなのに。


くも愉快、すこぶる爽快な気分だ。まさか我を騙すヒューマンが現れるとは」


「…………ごめんなさい」


「褒めているのだ。我の椅子がそんな卑屈でどうする」


 椅子にされてるから卑屈なの。

 でも、この人の所有物である以上そんな文句も言えまい。


 地面についた左手の甲の傷。

 盛り上がって痕になってはいるけどすっかり塞がって痛みもない。


 気絶した僕を介抱して魔法を使ってくれたであろうジュエルの目には、うっすらと涙の痕が滲んでいる。


 そしてもう一人、満足そうに僕を見つめるアーシェ。ねえアーシェ。


 僕をいたわってくれたんだね。

 心配かけちゃったんだね。


 だから割れたカプセルがいくつも転がってるんだね。

 だから僕の背中に激痛が残ってるんだね。


「…………何しやがったの」


「おかしいのよ、聞いてよ大河! こっちのからはちっちゃな炎が出て服を焦がし始めたからさ、慌ててこっちの使ったら油が出て来てあっという間に炎上よ! びっくりしちゃった!」


 僕がびっくりだ。

 なんでそこまで害のない二つを組み合わせて大魔法完成させてるの。


「さすがデストロイヤー」


「デストロイヤーゆーな! この恩知らず!」


 謝るならともかく、人にいい感じの火炎系ブチ当てといてからの蹴り。

 所詮僕の人生は、君が書いたシナリオに過ぎないってことなの?

 実に唯我独尊。

 実にラスボス。


 ただ、万緑叢中ばんりょくそうちゅう紅一点のきらめきは、自縄自縛の身を解放してくれたこと。

 椅子の姿勢から顔面にブーツがめり込んで、お馴染みの後方五回でんぐり返り。


「やれやれ……、我の椅子を蹴らないでくれたまえ。暴君であるところは未だに変わらないのだな」


「暴君ゆーな! 国じゃ大人しくしてるつもりよ! しきたりにだってそれなりちゃんと……、ん? ちょっと! なんでそんなこと知ってるのよこの覗き魔!」


 元気いっぱいの暴君を、頭を撫でてなだめつつ、魔族の男が立ち上がる。

 そして不安と喜びとをブレンドした複雑な表情を浮かべて立ち尽くすジュエルに、恭しくお辞儀をした。


「……殿下。此度の勝利、おめでとうございます」


「私は何もしていないわ。……一体いつからなのかしら、私は壮大な復讐劇のヒロインとして踊らされていただけなの」


「ふむ。ペテンの嫌いがある勇者ではいささか物語に清廉を欠きますが。殿下が望んだ結末を運んだのは、確かにあの男のようだ」


 そう言って僕を見つめる二人の瞳はどちらも同じような銀色をしているにもかかわらず、その一つは慈愛に満ち、その一つは悲しそうな色を湛えていた。


 ……どうにもその本意が計り知れない魔族の男。

 彼が悲しい表情を浮かべている理由がまるで分からない。


 ジュエルに、魔族へと至る呪いをかけ。

 その呪いを解くに当たり、命を掛け金として要求し。

 反面、ただ勝つ気なら最初から全力を出せば一瞬で済む勝負を、わざと手を抜いて楽しみ、あまつさえそれに負け。

 負けたというのに楽しそうに笑い、そして約束を果たそうという今、心から悲しんでいる。


 この結果を導いたことは、間違いだったのだろうか。

 不安に駆られる僕を、優しい瞳の輝きで慰めてくれるジュエルがかぶりを振る。


 そうだね。

 僕は、僕のキャストが望んだことを全力で叶えてあげただけ。

 そして迎える結末によっては、もうひと頑張りすればいいだけだ。


「……では約束を叶えてもらおうかしら、ル・ン・ベトー」


「…………その結果、殿下にどんな不幸が降り注ぐことになっても、それを厳然たる事実として受け入れる覚悟はお有りか」


 やはり。

 予想通り、不穏な事を言い出した。


 だが彼の言葉に唇を引き結んだジュエルは、一瞬の躊躇に視線を泳がせたものの、最後には当然とばかり、その線の細い顎を引いた。



 ――魔族の男が溜息と共に竜脈の甲を持つ腕を掲げる。

 すると真っ黒だった紋様がさらにその濃さを増して、なぜか僕の目には黒く輝き出すという矛盾が発生しているように映った。


 そしてジュエルの体からゆっくりと立ち上り始めた黒い霧が魔族の手に吸い込まれるにつれ、僕たちの目は驚きに見開かされることになる。


 明らかに、ジュエルにかけられた呪いが消えていく。

 それは見た目の変化で否応なしに理解できる。


 でも、彼女の身に起きた変化が意味するもの。

 あまりにも大きな不幸を受け入れるには、僕たちに心の準備は足りていなかった。


「これで呪いは解除しました。…………その姿で、あなたが今後どのように生きていかれるのやら、それは我の知った事ではありませんがね」



 ……そこに現れたのは、自失と共に床へ崩れ落ちた美女。

 愛するお兄様、お姉様の役に立ちたいと夢見て、呪いを解除してもらうために命を賭して戦った高貴な心の持ち主。

 ダークエルフの国の第三王女、ジュエル。



 ……………………その肌が、白い。

 褐色であるはずの肌が、今は光り輝くほどに白い。


 そして銀の髪が滑る太ももには、消えるはずと信じていた竜脈が、褐色の痕となってその異形をさらけ出していた。



「…………逆、だったのね…………。ダークエルフに、魔族の様な呪いをかけたのではなくて、魔族である私をダークエルフに見えるようにした……」



 魔族の男は返事をしない。

 それがそのまま、肯定の意を表していた。


 彼は未だに黒い霧がまとわり残る竜脈の浮いた手を軽く振って白い椅子を一つ生み出すと、いつの間に置いてあったのやらテーブルに湯気を立てる紅茶を手にしながら優雅に腰かけた。


「……十七年前、偉大なる魔王様がお隠れになり、我が尊敬する主が居城を捨てていずこかへ姿をくらました頃の話だ。……我は転生してこの世に形作られたばかりの赤子を抱きあげたところで、お前の父親に発見された」


 昔話。いや、ジュエルの出生とその秘密。

 ……おそらく、彼がひた隠しにして来た真実が語られる。


 僕とアーシェは目配せの後、揃ってジュエルへ視線を落とした。

 そんな彼女の透き通るような白い肩は、微かに震えていた。


「王がたった一人で魔族の城へ乗り込むなど愚かと感じた我こそが蒙昧。さすがはこの地にあって最強の魔導士。空間ごと封印された我はあっさりと聖剣を突き立てられ、未だに絶えることのない消滅をこの身に残すことになったのだ」


 そう言ったそばから、蒸発音を上げて男の体に大穴が開く。

 だが球状に消滅した胸の上、昔を懐かしむ目元ににわかに増えた皺は、楽しさに満ちあふれていた。


「王を、主を失った矢先のことだ。抵抗など考えもしなかった我が目にした者は、あまりに滑稽こっけいだった。……赤子の姿を我が胸に認めたそやつは、膝を屈して謝罪したのだ。どうせ魔王軍も終焉と見切りをつけていたのも否めないが、我はその懐の大きさに心服してな。姿を現さない代わりに父上に協力することを約束したのだ。……その最初の仕事はもちろん、生まれたばかりの赤子に呪いをかけることだった」


 ……気のせいか、昔話を終えた魔族の男の目に光るものが浮いている気がする。

 彼もまた、ジュエルのお父様と同じくらい彼女を愛しているのやもしれない。


 ジュエルが辿る人生に、二度の岐路。


 一つ目。魔族として生きることを捨て去られ、ダークエルフとしての生を得て。

 そして今日。ダークエルフとしての名を剥ぎ取られ、魔族へと堕とされた。



 所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 自分のためのハッピーエンド。

 そこに至るためのヒューマンドラマ。

 いくつもの思いが交錯して生まれる波に、思うように舵が取れるはずはない。


 僕が書いた、僕のためのシナリオ。

 そんな大波に飲み込まれながら、必死に舟を漕いでたどり着いた結末。

 この物語が降ろした幕の後ろで、君はどんな表情を見せるのか。



 ……誰も音を発することなく過ごした長い時を割ったのは、この物語のヒロインだった。

 その瞳に涙は無く、ただ優しい笑みと有無を言わさぬ威厳が、真っ白な頬に浮いていた。


「…………汝、ル・ン・ベトーよ。以下の伝言を、間違いなく王に届けよ」


「はっ。謹んで御意を拝聴いたします」


 真っ白な椅子を黒い霧に戻し、その場で膝を突いた初老の男が首を垂れる。

 僕もアーシェも雰囲気にのまれて、思わず正座してしまった。


 皆が呼吸すら忘れて緊張する中、ジュエルは優しい表情を崩さぬままに、そして王族の威厳を声音に湛えて自らの道をここに宣言した。


「このジュエラロゥドスタット。見聞を広めるために、今より旅に出る。立派なダークエルフとして勇名を馳せるほどになれば、魔法が使えずとも国家のお役に立つことも出来よう。ゆえに、自分が納得いく功績を上げるまでは、例え何があっても国へ帰るものではない」


 それは、重みのある宣誓だった。

 すなわちそれは、二度と国へ戻らぬ誓いだった。


 魔族の男は、王女の覚悟を耳にして、さらに首を低く下げた。


「これを国王へ伝えよ。……さて、坊や。そしてフェアリーの女王よ。二人の協力が無ければ、私は己が何者であるか知らずに過ごすことになったのかもしれない。その事実に驚愕はしたけど、自分の選んだ道に後悔はないわ。……今日はありがとう。二度とまみえることは無いかもしれないけれど、どうかいつまでも健やかに」


 僕らに対する言葉は砕けているけど、そこに抗う事の出来ない畏怖を感じる。

 言葉の意味は分かり切っているのに、それを止めることすらできない。

 このまま彼女は一人、誰の目にも届かぬところで余生を過ごすつもりなんだ。


 深く首を垂れたままのおじさんも、きっと僕と同じ気持ち。

 言いたい言葉が、王族のオーラに飲まれて喉に詰まる。



 ……だけど、そんな威厳に屈することのない大物が、このビターエンドへのルートをあっけらかんと閉ざしてくれた。



「何をかっこつけてるのよ冷血女! そんなこと言って逃げる魂胆は見え見えよ? あたしばっか嫌なお芝居させられてたところにやっと見つけた仲間、逃がすわけにいかないわ! あんたもあたし達と一緒に来るのよ!」


「……何を言い出したのか全く分からないのだけど。熱血バカ女もほどほどにして欲しいわ。せめて最期くらい静かに別れを惜しませて」


「熱血バカってゆーな! あんたは何も分かってない! この大河が、せっかく手に入れたキャストを手放すとでも思ってんの!? あたしの抱き枕兼勇者様だけど、その変態的な異常性だけはほんとどうしようもないんだから!」


 自慢の金髪を振り乱し、僕を指差すアーシェに言われてようやく目が覚めた。

 そうだ、彼女は僕の中ボス。

 ジュエルを手に入れるためなら、いつもの変態的な異常性を発揮しなければ。


 じゃ、ねえ。


「変態ゆーな、イナカもん」


「イナカもんゆーな! 変態!」


 …………ありがとう、アーシェ。

 君のおかげでシナリオが書けた。


 だからギャーギャー騒がないで地団駄踏まないで。

 願わくば、ちょっとあっち行ってて。


「…………ジュエル、僕との約束、守ってもらわなきゃ困る。国王までスカウト出来た僕にとって王女くらいじゃ話にならない。留学とかなんとか言い訳作ってもらって、このままファースト・ランドに来てもらうの」


「坊やまで……。魔族である私に、何を言い出したの?」


「それ、知らない。…………ほら、おじさん。ぼさっとしてないで、ジュエルにかけた真っ白な肌になっちゃう呪いをすぐに解除して」


 僕の提案に目を丸くさせた魔族の男は、重みのある笑い声と共に立ち上がって竜脈を掲げた。


「ちょっと、待ちなさい! 無礼であるぞ!」


「ははははは! なんと愉快な日であることよ! ……女、無礼と我に申したか。頭に乗るな。我は高貴なる魔族。……ダークエルフ風情が、大口を叩くな!」


 僕のキャストがこの上ない芝居で腕を振るうと、竜脈から噴き出した黒い霧があっという間にジュエルを包み、彼女にかけられた悪夢の様な呪いを解いた。


 それと同時に、彼女の中に出来た氷の壁も粉々に砕け散ったのだろう。

 元通り、本当の肌の色を取り戻したジュエルは膝を突いて大粒の涙を落とす。


 ……そんな彼女の手を、僕は最後のセリフと共に握った。


「王宮へなんか戻れやしない。セカンド・ランドにだって居場所なんかないでしょ。でも、ファースト・ランドじゃ種族なんか関係ない。そこでのんびりと、ダークエルフとして勇名を馳せればいいじゃないの」


 彼女の手を引き、立ち上がらせる。

 そんなジュエルの笑顔は眩しく輝いていた。


「そんな超有名人となったジュエル。実はダークエルフの国の王女で、しかも魔族なのでした。……うん、面白いシナリオ。誰もが感動、大ヒット間違いなし。そしてジュエルは、国の皆さんが望む声に応えるように凱旋を果たすんだ。……僕が、必ずそんなエンディングにしてあげる」


 ……だって僕は、君が活躍するRPGのマスターなんだからね。




 ††† ††† †††




 暑っ苦しくまとわりつくアーシェを大人の対応であしらうジュエル。

 その笑顔に陰りは無い。


 実に素晴らしい。

 早速、初公演のシナリオがまとまった。


 満足に鼻を鳴らした僕の隣から、トーンを落とした声が響く。


「我に続き、殿下まで騙すとは大した男だ。……君は、何者だ?」


 それをあなたが言う?

 体中に穴ぼこ開けながら。


「…………あなたよりは断然普通な高校生」


「その普通の高校生が、とんでもない化け物を二人も従えるとは」


 ……化け物?

 一人は確かにバカ者だけど。


「何度も言わせない。あなたの方が化け物」


「これは異なことを。我は魔族の中でも弱い部類だ。……本来であれば、あの二人どちらに相対しても、足元にも及ばん」


 ほんと、何言ってるんだろ。

 三人がかりで、簡単な条件で、しかもペテンまで使ってようやく勝ったのに。



 ……しかし、魔族か。

 その響きが加わることによって、もともとセクシーなジュエルが余計妖艶に見える。


 ダークエルフはエロいとか世間から言われてるけど。

 アーシェをあしらう大人な姿を見たらちょっとそう思っちゃうけど。

 でも、違うんじゃないかな。


 崇高な意志と、大人びた思考を持っているせいでそう見えてしまうのかも。


 偏見、良くないな。

 世間に君の素晴らしさが広まると良いな。


 そして僕も、ジュエルからいろいろと学び取ろう。



 …………まずは、その面倒なのに絡まれても笑顔でいられる秘訣。



「ほら大河。早く行くわよ! まったくいつもいつもボーっとしてて気持ち悪い! ちゃちゃっとついて来なさい!」


 ジュエル。ねえ、ジュエル。

 今すぐ、その秘訣を伝授して。




 ――所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 自分本位で、他者を踏みにじり。

 自分だけのハッピーエンドへと至るシナリオ。

 誰だって、その物語を彩るキャストに過ぎない。


 でも、一人のクリエーターが書いた身勝手なシナリオが、とある女の子の十七年間を暖かくて輝かしいものにした例もここにある。


 ……だから、きっとできるはず。



 僕の身勝手で、君を今後も幸せにしてあげる事が。

 きっとできるはず。


 だって、ほら。

 君の先輩だって、口では文句を言いながらも凄く楽しそうに演じてるから。




 ……………………と、僕は信じてるから。



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