誰かのハッピーエンドへ至るための、僕の人生


 さて、魔族が悪と決めた者がいたとするならば。


 ……所詮それは、君たち『勝者』の自己肯定に過ぎないのではないのかね?


 誰だって、『悪』や『敵』がいなければ心の均衡を保つことは容易でない。

 その感覚が、我々には希薄で、君たちには濃厚だったのだ。


 だから君たちは、いわれのない理由で我らを迫害し。

 賞金を懸けては、無慈悲に襲って来た。

 そして同胞を屠っては、その行為を肯定した。


 ……君たちの言葉だ。

 『勝てば官軍』。



 だから、魔王様は立ち上がって下さったのだ。


 ……二度にわたって、その願いは叶うことが無かったがね。



 だが、今度こそ上手くいく。

 我らが正義で、諸君らが悪となるその日は近い。



 十八年前。

 魔族が滅亡に追い込まれるまで、あと一手となったその時。


 全員に雌伏を命ずるとともに、そのカギを我ら十三魔剣に託されつつ転生の儀を果たされた魔王様。



 ……我らはあなたの命じるまま、その使命を果たしましょう。




 まずは、ファースト・ランドへのゲートを閉じてごらんに入れます。

 そこから、すべてが始まるのだから。




 ……さて、希代のRPGマスターよ。

 君は今、頭の中にどんなシナリオを描いているのかね?


 この運命に抗う気なのだろうか。

 だが、ゆっくりと考えてみたまえ。




 その行為は、本当に君が望んでいることなのかね?




 ††† ††† †††




 ――所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 自分のためのハッピーエンド。

 そこに至るためのヒューマンドラマ。


 同時進行、何億本ものRPGが交錯し合い。

 その波にのまれる都度、アドリブを要求されるけど。


 そんな時、誰しも、ふと気が付くんじゃないのかな。

 自分のシナリオのつもりが、実は誰かのシナリオに踊らされているということに。



 ……そこに気付くことが出来れば、何が起きても辛くはないさ。

 所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 その人のハッピーエンドのために、僕は今、こうして走らされているんだ。




 辛い、辛い。

 もう限界。


 数キロもの距離を走るの、むり。

 僕、か弱き文系男子高校生。



 速く走れと焦れる体力バカ二人に返事をする余裕は無いけど。

 荒い呼吸に耳も肺も慣れてくると、こうして頭は回り始める。


 ドラゴンは、ファースト・ランドへのゲートを目指して降下している。


 あれを倒すには、ゼロ・ランドの現代科学が必要だから、一見おあつらえ向き。

 しかも有事に備えて、ファースト・ランドには最新鋭の戦車が数量配備されてる。


 でも、国際法で兵器の類をセカンド・ランドに持ち込むことはできない。

 ……さすがにこの場合は超法規的措置?

 あるいは戦車砲をゲートから飛び出させる?



 どんな手段を取るのやら。

 土壇場。分水嶺。瀬戸際。徳俵一杯。


 まあ、それは大人のやることで。

 僕ら子供のやれることと言ったら……。



 こうして全速力で走ること…………いや、もう無理。

 ちょっと休憩。

 頭も、体も。


 さすがにこの距離でも、ゲート街の尋常ならざる騒ぎが伝わってくる。

 ゼロ・ランド人はゲートから脱出するんだろうけど。

 サード・ランド人はどこに逃げたらいいんだろう。



 そして、この二人は……。



 急に立ち止まった僕に、わざわざ引き返してまで迫る金銀コンビ。

 そのうち、うるさい方がその形容詞に恥じぬ勢いでまくし立ててきた。


 君ら、異常。

 特にうるさい方。

 フェアリー必須の、歩くの苦手属性はどこに捨てた?


「大河! 遅い! それでも男の子? まったくいつもイナカもんイナカもんうるさいけど、都会もんは走るの遅くて困るわ!」


「…………アーシェ、ちょっと黙って」


「そうよ、アーシェ。そもそも男性が速いのは恥だと聖典にも……」


「ゲスも黙れ」


 ちょっとアーシェ、突っ込ませないで。

 そもそも僕、しゃべるの苦手。


 あとジュエル、膨れないで。

 面倒。


「毒はいいから! ほら、ちゃちゃっと走るの!」


「そうね。……坊や、おぶってあげましょうか?」



 二人して、ドラゴンと同じとこ目指してるみたいだけど。

 イノシシ頭の君たちに必要なの、冷静さ。


「……僕は走る必要あるけど。君たちは逃げる方がいいんじゃないの?」


 この言葉に、目を見開いて顔を見合わせる美女二人。

 少しだけ肩を上下させた荒めの息が、同じタイミングで闇夜に漏れる。


 やっぱり考えてなかったんだ。

 信じがたいね、猪突タイプってやつ。


 ギンガムチェックのティアードスカートに同じ柄のジャケットとか、冒険者の雰囲気が一ミリもない女王陛下。

 ホットパンツに革のブレストプレートとか、ありがちだけどまったく防御の役にも立たないようなかっこの王女殿下。




 君たちの行く場所は、あっちじゃない。




「ほら、二人とも。はやくサード・ランドに逃げて」


「はあ!? 何言ってるのよ大河! あれをほっといて逃げろって? 冗談じゃないわよバカじゃないの? あのまま進んだらファースト・ランドに入ってきちゃうわよ! 『あたし達の家』が無くなっちゃう!」


「そうね。坊やもそんなこと言わないで、私たちを強引に連れてきた責任をちゃんと果たしなさいな。…………だって、『マスター』なんでしょ?」


 そう言いながら、にやりと微笑む金と銀。

 二人の言葉に、いつも冷めてるはずの僕の心にぽっと灯がともる。



 ……ことなかれ主義を信条にしている僕。

 誰かを楽しませたいと思いながらも、人とのかかわりを避けてきた僕。


 そんな僕を、君たちは、そんなにも頼ってくれるんだね。



「…………嬉しいことを言ってくれる。そんなにダンジョン気に入った?」


 あ、それは両手でペケなのね。


「こんな時にボケてるんじゃないわよ! さあ、早くいかないと!」


「うん。早くファースト・ランドに……、僕たちの家に逃げよう」


「……坊や。それはちょっと違う」


 え?


 あれ? どういうこと?


 悩む僕の手をジュエルが強引に掴んで。

 アーシェも頷きながら、さっと身をひるがえして。


「さあ、急ぎましょう」


「そうね! ほら、大河! ちゃちゃっと倒すわよ!」




「バカなの?」




 僕の、当然の返事。

 二人が疾風のごとく走り出したせいで、随分後ろに置いてきちゃった。



 ……だから、間違ったセリフを口にしていたことがばれずに済んだよ。


 バカなの? なんて質問、間違ってるよね。




 ………………聞くまでも無かった。




 所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 だから僕の人生だって、同じこと。


 誰かのハッピーエンドへ至るための、路傍の石。


 もうこうなったら。

 せめて願わくば。


 君たちには、ハッピーエンドを迎えて欲しい。



 …………?



「待って。この騒動、君らの書いたシナリオじゃないよね」


 僕の疑問。

 二人が疾風のごとく走るせいで、また届きやしなかった。



 ………………

 …………

 ……



 でもね、これは冗談じゃなくて。

 人生には、無駄なセリフや芝居は無いんだ。


 誰かの言葉には、誰かの行動には、すべて意味がある。

 そのことが、ずっと僕を不安にさせているんだ。




 どうして彼は、アーシェを知っていたのか。


 …………『十八年』前のアーシェを知っていたのか。



 そしてなぜ、あんな場所でその話をしたというのか。



 赤い輝きは、暗闇の中に紅を引き。

 次第にその身をゲート街へと降下させていくのだった。


 


 ††† ††† †††




 あれから、もう限界と何回思ったろう。

 人間は限界をいくつも越えることが出来る最強種だということをはじめて知った。


 でもそれは、この二人の叱咤激励と言う訳ではなく。


「いやーーーー! 齧られる!」


「どうなってるの? 尋常じゃない数よ!」



 うん。


 僕も初めて見た。

 コボルドが一個大隊。


 それにしたって。


「これを連れて町に入るわけにはいかないわよ! どうするのよ大河!」


 僕に聞かれても。

 今、走るのに精いっぱいだからあとでね?


「そうね……。ドラゴンから逃げるために凶暴になるなら分かるんだけど、ドラゴンに協調して牙を剥いてるようね」


「ってことは、ドラゴンか、じゃなきゃ他の何かに操られてゲート街を狙ってるってこと? なおさらなんとかしないと!」



 つまり。

 さっきの男が言っていた『バッドエンド』へ至る、これも布石の一つなのか。


 などと思うのが限界。

 ほんと、苦しくて何も考えられない。


 もう、町は目と鼻の先なのに。

 ジュエルがさっきから、何か言いたそうに俺に目を向けるけども。



 ……僕をいけにえにするの、もうちょっとだけ待って。

 前に、何か軍隊っぽいのが見えてきたから。



 この異変に気付いてくれた町の兵士たちだろうか。

 ざっと見て、三百人程の人たちが綺麗な横隊を組んでゲート街の高い塀を背に並んでいた。


 そして、僕の背後に迫る怒号を割り裂くような号令がウェーブのように隊列の中央から外に向かって響いて行った。


「弓隊、構え!」


 この命令に反応したのはジュエル。

 僕とアーシェの手を掴んで自分の背に寄せると、目の前に赤黒く光る紋章を五枚浮かべて、それを正面に向かって一列に積み重ねた。


 対物理防御紋。

 それ、一発の矢が当たると一枚割れちゃうよね。


 弓矢には不利に思えるけど。

 あの矢が僕らに向かって飛んで来たら、とてもじゃないけど防ぎきれない。


 だって僕があっちの司令官だったら。

 中央の三人がコボルドを率いるリーダーだと思うに決まってる。



 でも、それは杞憂だったよう。

 正面から放たれた弓矢は、俺達の後ろへ次々と降り注ぐ。


 助かった。

 ……だから、防御紋が三枚ほど砕けたことは気にしない。


 こええ。


 そして弓の三連斉射が終わると、僕たちとすれ違うように剣士隊が三列の縦深な横隊を組んだままコボルドたちに突撃した。


 コボルドは小さいうえにヒューマンより遅い。

 だから、最初は圧倒的な数の差があるかと思っていたのに、あっという間にひっくり返ってしまった。


 ……もっとも、本物のコボルドだったらこうはいくまい。


 振り返って確認する戦場では、頑丈さが取り柄であるはずのコボルドが、剣で一薙ぎされるだけで光の球になって、宙に浮かんで消えていく。


 あれは、さっき見かけた光景と同じ。


 なら、こいつらを操っているのはあの男?



 ……いつもの僕なら、もうちょっと理論的に考えることが出来る。

 でも、今は無理よ、無理なのよ。


 ジュエルから手を離されるなり、僕は杖を放り出して乾いた地面に倒れた。


 仰向けになっているのも辛い。

 いっそ、池でもあったら飛び込んで浮かびたい。


 時に僕をおぶって走ってくれた二人も、それなり辛い様子。

 ふうと額の汗を手の甲で拭うと、剣士が取りこぼしたコボルド目掛けて走って行った。



 ……うそでしょ?



 そんな二人に驚かされて、上半身だけなんとかもたげると、放り捨てた杖を手にした顔見知りが声をかけてくれた。


「あら、せっかくあたしがプレゼントした杖、気に入らなかった?」


「…………橋上はしがみさん!? なんで?」


 黒のスーツをきっちり着こなすベリーショートの大人の女性。

 橋上さんは、外交官の中でもかなりの権力を持つ大物なのに。


「なんでってこと無いでしょうに。こんな大事件、重役は揃っててんてこ舞いよ。だから一番若いあたしがこんな最前線まで…………? まさかこれ、全部タイガーの仕業?」


 いやまさか。

 ふるふる首を振って返事をしながら杖を受け取ると、橋上さんは苦笑いを浮かべて僕のそばに座り込んだ。


「ふふっ、冗談よ。コボルドの大群からこの町を守ってる最大の功労者に向かって失礼なこと言っちゃった」


「…………僕、逃げてきただけ」


 別に嘘をついてもしょうがない。

 僕がありのままを言うと、橋上さんはにっこり微笑みながら、今にもコボルドたちを全滅させようとしている剣士隊の中軍辺りを指差した。


「いいえ。あの辺りで戦ってる人たちは、正規の軍人じゃない。……みんな、あなたが育て上げた勇者たちよ」


「え…………? どういうこと?」


「みんな、E3DRPGアンシラリー・リアル・ロールプレイングゲームのゲストさん」


 うそ。


 慌てて目を凝らしてみても、かがり火に照らされた程度じゃまるで誰やら分からない。


 ……でも、それが本当なら。

 町を守るために、剣を取ってくれたって事?


 複雑な思いが沸き上がっては来るものの、どうにもこれだけ荒れた呼吸では。


 思考がまとまらない。

 論理的に考えられない。



 ……一体、誰と誰のシナリオでこんなことになってるの?



 呆然とする僕の目が、ゆっくりと立ち上がる橋上さんを追う。


 すると、再びの苦笑いと共に、彼女はぱっちりとしたネコ目を天空へ向けた。


「ま、そうは言っても、あれはどうしようもなさそうだけど」


 彼女が見つめる先。

 そこには、ゆっくりと町へ近づく巨大な影。


 ……いや、影、ではなく。


 自ら赤く輝く光。


 地表を徐々に赤く染め始めたドラゴンの異形が、すぐそばに迫ってきていた。


「……あれ、戦車砲でも倒せなさそう」


「さっきも言ったでしょ? 重役はてんてこ舞い。そんな状態じゃ、戦車はゲートの向こう側までしか配置できないわよ」


「え? ……じゃあ、どうするの?」


「…………ここにいるみんなで戦うしかないんじゃない?」



 無茶な事を。

 常識的じゃないことをあっけらかんと言いますね。


 でも、そんな彼女が見つめる先。

 そこにいる人間への信頼が溢れているようで。

 彼女は本気であれと戦う気なんだろう。



 …………だけど、無理よ?


 僕、ただの高校生。



「じゃ、任せたわね、タイガー」


「無理無理無理無理無理無理無理」



 なに言ってるの、この人。

 立ち去ろうとする橋上さんにすがりながらかぶりを振り続けてみたけど。

 いつの間にやら戻ってきていた二人が、勝手に契約書へハンコを押した。



「坊や、頼られてるのね。だったら信頼にこたえてあげなきゃ」


「よっしゃ! 大河の為に、あたしも本気出しますか!」


「無理無理無理無理無理無理無理」


 うそでしょ。

 なにそのサード・ランド気質。


 そんなのに僕を巻き込まないで。



 ……でも。

 誰かの言葉は、奇跡を生むことがあるんだね。



 今にも漏らしそうなほど。

 生まれたての小鹿もここまで震えてないよねってほどのことになってる僕に。



 橋上さんのつぶやきが、一瞬で勇気をくれた。

 僕はその一言で、全速力で走り出すことが出来た。



「あのドラゴンは、『卍巴まんじどもえのン・ヴァリィ』。正真正銘、魔王軍十三魔剣の生き残りよ」



 ……アーシェ。ねえ、アーシェ。

 君はなんで、全速力で逃げる僕の首根っこをあっという間に摑まえることが出来るの?



「さあ、大河! ちゃちゃっと倒すわよ!」



 ――所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 でも、ちょっとは考えてシナリオを書いて欲しい。



 僕、あきらかにミスキャスト。


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