一番きれいだったアヒルの子が劣化してどうする


 夜空に瞬く宝石たち。

 ついさっきまで、その輝きを競い合っていた空の子供たちは鳴りを潜め、巨大な赤い光に飲み込まれてしまった様にすら感じる。

 

 ゲート街へ迫るドラゴン。

 赤い瞳に黒い瞳孔。巨大な翼が天を埋め尽くす。


 その口から漏れる吐息には炎が混ざり、今にも世界の全てを焼き払おうとしているようにすら感じられた。



 ……敵は、最強種。

 多分、生き物のヒエラルキーで三角形を書いた場合、その紙から数キロ先に名前を書かなきゃいけない、けた違いの存在。



 それを前にした高校生に。


「で? で? あれ、どうやって倒すのよ大河?」


 ……なんて聞かないで。

 思い付くの、ひとつしかない。


「…………核」


「そうね! コアみたいな、弱点ぽいものがあるんだろうね! で? どこよ?」


 違う。

 その核じゃない。



 僕のイメージだと、対物理には無敵。

 戦車砲くらいじゃ鱗にヒビすら入らないんじゃないかな。


 卍巴まんじどもえのン・ヴァリィ。

 本物の、十三魔剣。


「……十三魔剣って、強いんだよね」


「そりゃそうなんじゃない? なんたって、魔王直下の十三人だし!」


「でも、そういうのって知将タイプだっているでしょ?」


「変わってるのね、坊やは。……あれが知将に見えるなんて」


 僕の抵抗、ジュエルの色っぽい呆れ顔で瞬殺。

 仰る通りです。


 それにしても、辺りが急に静かになった。

 皆さん逃げちゃったのかな。


 ま、あんなのに対して何百人味方がいたところでどうしようもないけど。


 だって、とにかくでかい。

 マンモスくらいのサイズなら数で当たれば勝てると思うけど、これはけた違い。

 どれくらいの大きさかと言われてもピンと来ないくらい。


 前に、アーシェが池袋でビルをぽかんと見上げたことがあるけど。

 時と場所を越えて僕が再現。


 ……建物の大きさは、周りに比較対象があるからサイズ感が分かるけど、宙に浮かばれると見当つかない。


 ゆっくり迫って来る威容は二百メートルくらいあるのかな。

 いや、広げた両翼の方が、幅あるか。

 だったら、翼の端から端まで四百メートルくらいってこと?

 プチ天体じゃない。


「……今更気付いた。こんなにでかいと、ゲートに入れない。だから放っておこう」


「あら、坊やは臆病なのね。ちょっとは彼女を見習ったら?」


「この便秘娘を?」


「べんっ!? …………って言うな! 違うわよ! 気合いを入れれば羽根が出るかと思って! ふんぬぬぬー!」


 いつものガニ股で、気合いを入れてるけどさ。

 あのね、心配。


 ……ほんとに出そうだよ? 羽根じゃない方が。


「やれやれ、ね。持ってきてるから、使う? 下剤」


「やっぱそっちって思うよね。じゃねえ。……ジュエルも随分呑気なのね」


 銀の髪を掻き上げて流し目を向けて来るダークエルフ。


 呆れる。

 その反面、妙に落ち着くけど。


「ふふっ、そりゃそうよ。今更慌てたってしょうがないじゃない。だってドラゴンのブレスって、あそこからここまで軽々届くと思うわよ」


 まじかあ。


 じゃあ僕ら、棺桶に片足どころか、全身入ったまま蓋が閉まるのを頑張って止めてる状態なのね。

 そりゃあ慌ててもしょうがないか。


 町の中心部、大きな噴水広場に立つ僕らを見て、誰が決死の戦いに挑んでいるように思うことだろう。


 とくに、こいつのせいで。


「ふんぬー! ああん、頑固ね! いいから出なさいよ! 羽根!」


「こっちはこっちで。それ、慌ててるの? 呑気なの? …………羽根が出たところで何も出来ないでしょ。うるさいから黙ってて、アーシェ」


「何も出来なくないわよ! 飛べさえしたら、あたしはサード・ランド最強!」


 そりゃルールのある大会での話。

 残念だけど、今の発言がウソだから、羽根はもう一ヶ月出ませんね。


 でも、羽根が出ないのは心理的な物。

 だから自分がウソをついたと思わなければカウントされないのか。



 …………待って?



 心理的な物だったなら。あるいは。


 もちろん、君が飛べたからって状況をひっくり返すことなんかできやしない。

 でもやらないよかまし。


「…………アーシェ。羽根が出ないはず、無いと思う」


「え?」


「だって、もう一ヶ月以上、ウソついてない」


 金髪ツインテールをくるりと躍らせて、真ん丸にした目で僕を見つめて来るアーシェの姿。

 ガニ股で振り向くな。ブサイク。


 ……でも、もう一息かな?


「そうだっけ? 一ヶ月経った?」


「うん。実は気付いてたんだけど、離れ離れになるのがいやだから黙ってた」


「言いなさいよ!」


 ツインテールを逆立ててアーシェが怒り出すと同時。

 彼女の背中から三十センチほど離れた空間に、いくつもの虹色の球が生まれた。


 表面を流れる虹色が、それぞれの色を競うように光り輝く球は虚空を泳ぎ出し、アーシェの背中から放射状に離れて行く。

 その動きは、まるで絵筆のように。

 虹色が通った空間に、大きな羽根が描かれていった。


 ……それはファンタジックな光景だった。

 だって、アーシェの背中に、羽が生えているんだ。


 開いた口を塞ぐ術なんか見つからない。


「いやったーーーーーーーーー! 羽根、元に戻った! これで勝てる!」


「……ジュエル、教えて。フェアリーの羽根って、蝶々みたいなんじゃないの?」


「そうね、他のフェアリーはそうなんだけど。キラキラして、虹模様が常に流れているの。とっても綺麗なのよ?」


「じゃあ、あの逆・みにくいアヒルの子は何?」


 さあねえとおどけるジュエルと共に目をアーシェに向けて、失礼とは思うけど、思ったことをそのまま口にした。


「…………君の羽根。おどろおどろしい」


「酷いわね! あたしの自慢の羽根になんてこと言うのよ!」


 そんなに怖い顔しないで。

 似合うから。

 そのラスボス顔に、すっごく似合うから。


 腹を立てて胸に腕を組むアーシェの背に浮かぶ羽根。

 もう、ゲームとかで見たまんま。



 漆黒の、悪魔の羽根が六枚二対。



 合計十二枚の黒い羽根の中に、さらに黒く塗りつぶされたファイアパターンみたいな模様も浮かんでて。



 本気ラスボス、爆誕。

 これ、僕でもデストロイヤーって名付けるよ。



 そんなアーシェの背後に浮かぶ巨竜が、また一回り大きくなっている。

 いや、近付いて来てるのか。


「で? 君の羽根は戻ったようだけど、それでどうするの?」


「それを考えるのが大河の仕事でしょ? さぼってんじゃないわよ!」


「しらん。無理」


 僕の至極当然な返事を聞いたアーシェは、がっくり肩を落としながらジュエルの元にふわりと寄って来る。


 羽根が動いた形跡はない。

 重力キャンセル的な効果があるのかな、その羽根に。


「まったくしょうがないわね。……ジュエル、飛べないならそれ貸してよ」


「あら、いいけど。無くしちゃいやよ?」


 ジュエルから細剣を受け取って、勇ましくかざしたアーシェ。

 でも、そんな小さな武器で、あの巨大建造物クラスの敵に当たろうったって。


「羽根の生えたアリがゾウに挑むようなもの。サイズ感的に、もっとひどい比率」


 どう考えても無理。

 そう思っていた僕に、ジュエルがつぶやく。


「そのアリが、インテリジェンスだったら?」


 …………なるほど。

 確かに僕が、人間並みの思考を持った羽アリに襲われたら。

 成す術なく倒されるかもしれない。


「じゃあ、その剣をどこに刺したら効果的かってことかな」


「目じゃないかしら?」


 うん。アーシェの意見に同意。

 そこくらいしか思いつかない。


「私は、目だって硬いと思うけど。あなた口の中から入ってお腹切ってきなさいよ」


「他人事だと思って無茶言わないで! 口閉じちゃったらどうするのよ!」


「下から出てくればいいじゃない」


「ゲスっ!? ……まあ、食われないように気を付ける。じゃあ行って来るから!」


「食べられても、出してあげるわよ。……あれ? 下剤はどこだったかしら……」


 酷い。

 ……もちろん、ジュエルの会心のボケを聞かずに飛んで行っちゃった、慌てんぼのアーシェが。

 

「あった、ツールボックスの底に剥き出しで。これを持って……、あら? いない」


「本気だったの。…………そんなの飲んだら、お腹壊しちゃう」


「そういう用途なんだから、いいんじゃない?」


 …………ほんとだ。


 しかし、今にも焼き殺されようって時に、平常運転すぎ。

 きっとジュエルの国には、危機感って日本語が伝わらなかったんだ。


 とは言え、僕もいい感じにリラックス。

 ドラゴンに向かって行ったアーシェのおどろおどろしい羽根に目を向けて、無駄とは思いながらもシナリオを練ってみる。


 ……けど。

 冒頭の四文字くらい書き始めた頭の中の原稿用紙が、爆音で吹き飛ばされた。


 アニメの中じゃ、たまに耳にするけど。

 実生活じゃ聞いたこと無いし。

 あと、ここ、セカンド・ランドで聞こえていい音じゃない。


 轟くエンジン音。

 そびえ立つ長砲身。

 土に噛みつき、大地を揺るがす無限軌道。


 さっき、ゲート越えるの政治的に無理って言ってたじゃない。


 僕とジュエルのすぐ手前でキャタピラを止めたのは、都市型迷彩が施された一台の戦車だった。


 そして、ハッチから顔を出したのは。


「さて、このへんでいいかなーっと……。あらやだタイガー! 偶然!」


「偶然ってなに? 僕をこんな三途の河原に連れてきたの、あなたでしょ」


「違うわよ! 適当にブレーキ踏んだら、偶然戦車の目の前に君がいたって話!」


 ハッチからよいしょと外に踊り出した黒スーツが平気な顔してとんでもない事を言ったように聞こえる。


 …………ほんと、偶然。

 僕、戦車から一メートルくらいしか離れてない。


 呆れるけど、でも、いい物持ってきてくれたからチャラ。

 それならドラゴンの鱗にも効きそう。


 戦車砲の代わりに取り付けられているもの。

 無粋な金属感丸出しの長いレールを囲む、無数のリング。

 長々と突き出しているそれは、爆薬の力では無く、弾丸を電磁誘導で加速させる超兵器。


 その名は、リニアレールガン。


「バッテリーの関係で二発くらいしか打てないけど、これなら効果あるでしょ」


 そう言いながら、手元のパッドで砲塔を操作する橋上さん。


「うん。剣と魔法の世界に、マッハ何十って初速度の武器持ち込んじゃダメとは思うけど。……あと、国際法」


「だいじょぶだいじょぶ! 誰かに見られるようなヘマしてないから! もし見られてたって、そいつがいなかったことにすれば済む話!」


 あ。

 じゃあさっき、僕をいなかったことにしようとしてた?


「住民はゲートの向こうに避難させたわ。さあ、マスター・タイガー! シナリオは書けたかしら?」


 書けたも何も。

 これで撃つしかないんじゃない?


「それで穿った穴から、アーシェがほじくり返す」


「あら坊や、ダイタン」


 ジュエルが口に手を当てて驚いたふりをし出したけど。


「だって他に、武器がない」


「もうひとつあるけど、いざって時の為に取っておきたいわね、これは」


 そう言いながら、褐色の指先に白っぽく煌めく爪が僕の前に伸びて来ると、二つの木が絡み合う意匠の杖を取り上げてしまった。


 それでどうする気さ。

 …………投げるの?


 この杖をくれた人、僕らには目もくれずにレールガンをういんういん操作してるけど、放り投げるのはジュエルだから、僕を怒らないで欲しい。

 なんて呑気に考えていたら。


「じゃあ、撃つわよ」


 この人、あっけらかんとデス・マーチの演奏を始めてしまった。


「ちょ」


 僕の身の回りの女子、行動力有りすぎ。

 いや、勝手すぎ。


 一応、抗議らしい声を上げてみたものの、聞き入れてもらえるはずもなく。

 砲身からしゅっと何かを擦ったような音が聞こえた直後に全く間もなく、ドラゴンから金属の擦れるような爆音が響き渡った。


 慌てて振り向いた視線の先。


 なにやら俺たちに向かって文句を言ってるっぽいラスボスの向こう。

 生まれていたのは、ドラゴンの口から左目に至る黒い線。


 傷を負った敵は、炎がよだれのように零れる口を大きく開くと、音の圧力に脳が揺すられるほどの咆哮をあげた。


「ちきしょう、口の中にぶち込んでやるつもりだったのに。……もう一発」


 橋上さんが、この成果に不満げな声を鳴らしながら再びパッドを操作する間に、正面ではドラゴンの巨大な翼がゆったりと前へ振れる。


 でも、サイズ的に何百メートルもある翼が振れるということは秒速数百メートルもの運動をしているということだ。


 それに押し出された、ただの大気が、物理的なマップ兵器と化す。


 猛烈な突風が町を飲み込む。

 建物は屋根から削られるように崩れて、その石材がレールガンを直撃して粉砕してしまった。


 でも、僕たちには被害が及ばない。

 足元に輝く魔方陣が、このとんでもない突風をキャンセルしてくれている。

 しかも、跳んでくる瓦礫も目の前で次々と砕けていく。


 E3DRPGアンシラリー・リアル・ロールプレイングゲームでも、大規模な仕掛けの時に使うことがある超上級魔法。

 アンカー・バリア。


 でも三人分同時に使役できる人、初めて見た。

 さすが、魔族っぽいダークエルフだ。


 すぐ隣に立ったジュエルの太ももからお腹へ巻き付いた竜が、その大きな口を開いておへそを丸呑みにしようとしている。


 ありがと。

 助かる。


 ……僕らはジュエルに守ってもらえたけど、アーシェは大丈夫だったのかな。

 そう思って、ようやく砂埃が収まり始めた視界から上空をうかがうと、そこにはドラゴンの顔面に出来た傷口にたかる金髪カラスの姿があった。


「あれ、避けたんだ」


「さすがはアーシェ。……ここからだとゆっくり動いているように見えるドラゴンの首も、間近だともの凄い速度で動いているでしょうに」


 確かに。

 その風圧もさることながら、表面の凹凸が秒速数百メートルもの速さで動いているところを、傷口目指して剣を突き立てているなんて。


 蝶のようにふわりと舞い、蜂のように鋭く穿つ。

 アーシェがサード・ランド最強と言うのもあながち言い過ぎじゃないのかもね。


「でも、やっぱり致命傷を与えるには程遠い。無理じゃない?」


「そうかしら。断然、アーシェが有利だと思うわ。……これじゃあ私の出番もなさそうだけど、準備はしておこうかしら」


 のんびり一辺倒なジュエルが、僕の杖を地面に突き立てると、そこから二歩だけ下がって自分の親指の腹を噛み切った。


 その手をまっすぐに突き出して、爪先に血を溜める。


 そして雫が一粒落ちると、それが地面に着くよりも早く、真っ黒な手が地中から出て来て滴を掴んで固まった。


 びっくりし過ぎて、逆に声すら上げることのできない僕の視界の中で、その真っ黒な腕がドロドロと溶けて、ジュエルの足元に模様を描きながら広がっていく。

 その模様がどす黒い魔方陣と化して紫色に輝くと同時に、僕の杖を輪切りにするように、青白い魔方陣がいくつも浮かび上がる。


 ……すると、絡み合っていた木が上の方から真ん中あたりまで、パキパキと音を立ててほどけていって、中から呪文のような物が彫られた水晶の棒が現れた。


「なにこれ? ……この杖、凄いの?」


魔血杖まけつじょう・エボルテオン。言うなれば、巨大な魔力保存庫よ」


 マケツ?

 どんな字なんだろ。とぼけた名前だけど。


 光り輝く水晶に青白く照らされたジュエルが、にっこりと僕を見る。

 そして、未だに血の流れる指先をぺろりと舐めると、


「大河が何気なく地面に突く度に、そこから魔力を少しずつ貯えてきたの。この膨大な魔力をコントロールするには、それなりコツがいるけどね」


 そう、説明してくれた。


「ジュエルには使えるって事?」


「さあ? そんなの、やってみなければ分からないわ」


 いつも通り、やる気があるのか無いのか分からないジュエルが肩をすくめる。

 そんな彼女の竜脈が、黒よりもさらに暗く、不気味に輝きを増した。


 腿から胴に巻き付いて、おへそに噛みつくようなファイアーパターン。

 セクシーで、そしてちょっぴり怖い紋様が暗く脈動する。



 ……ん?

 ファイアーパターン?


 そう言えば、さっき……。



「さて。これでいざという時の備えは万全ね。いつでも大魔法を放てるわ」


「結構前から、いざって時だけど。気付いてないのかな、ジュエル」


「ふふっ、坊やは臆病ね。きっとあのままアーシェが暴れて、追い払ってくれるわよ。彼女が食べられたりしない限り平気」


 呆れるほど大物。

 びくびくおどおどするの、ばかばかしくなってきた。


 余裕さえ表情に浮かべながら、ジュエルが指を差す先。

 今も黒い傷跡に挑みかかるアーシェの剣が深々と突き刺さる。


 そして一旦距離を取って、俺たちの視線に気付きでもしたのだろうか、大きく手を振って……。



 ぱく。



 …………あ。

 食われた。



 僕は柄にもなく、大声を上げることになってしまった。



「今! いざって時!」


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