どこかに、弱みを握らせて下さる美女はいませんか


 魔王。


 それは確かに存在し、今まで二度にわたって世界を恐怖に陥れた。


 一度目の脅威が訪れたのは、四百年ほど昔。

 それまでは互いに刃を交え、復讐が復讐を生む救いがたい有様を晒していたエルフ族、獣人族、リザード族、ドワーフ族。

 皆が団結してこれに立ち向かうものの、魔族の強さに対抗するには力があまりにも足りなかった。


 風前の灯たる先住民。

 だが大地の最果てへと追いやられた彼らは、そこで救世主を手にする。


 それが、『ゲート』だった。


 最初に開いた『ゲート』は通り抜けることこそできないものの、そこを通して音や映像を届けることが出来た。


 言葉も通じない異世界に住まう生き物。

 エドジョーという地の者達は、しかし彼らの境遇を把握すると、持てる力の全てで彼らに協力した。


 すなわち、『陣形』と『戦術』を授けたのだ。


 単体の力はあれど数が少なく、指揮系統すらない『魔族』。

 これが次々に屠られていくと、『魔族』達は散り散りに逃げて行った。


 丸裸になった魔王の根城。

 これを『攻城兵器』で破壊すると、魔王はその姿を消した。


 城の下敷きになったのか、あるいは逃げおおせたのか、それは分からない。


 はっきりしていることはただ一つ。

 彼らは今後数百年に亘る安寧を、魔王から勝ち取ったのだ。



 そしてエドジョーに住まう救世主たちは、彼らによって神格化された。


 神族から文化を学び、彼らの扱う言語が公用語となり、そして『ゲート』についての研究も進められていったのだ。




 ††† ††† †††




 通常、週末はセカンド・ランドでのお仕事で終始するのが常という僕にとって、貴重なオフ。


 まったく予定の無い土日。

 この機会に、セカンド・ランドで中ボスを見つけ出そう。

 などと気合を入れてこの地へ踏み込んだというのに、このイナカもんのワガママで台無しにされた。


 ……まあ、道すがら信じがたい事の連続で、楽しい旅になったからいいか。

 いくつかはシナリオに使わせてもらうことにしよう。

 ほんと君、トラブル寄せ付け体質なんだね。


 昼間だと言うのに三つの月が浮かぶこの世界、セカンド・ランド。

 きわめて湿潤な西の森にあって、今、僕たちが歩く丘陵だけは乾燥している様子。


 植生も近辺と随分違って、ピンクに黄色、見たことのない小花がぽつぽつ可愛く揺れる。

 森もさほど深くはなく、木漏れ日が青々とした下草を真っ白なモザイク模様で箔押しして、目にも爽やかな楽しいハイキング。


 ……ま、そんな気分を楽しむためには、連れが芸人でないことをお薦めしたいけどね。


「ぷぎゃっ!? いたーい! 誰よ、草を結んでトラップにしたのは! 躓いちゃったじゃない!」


「…………その犯人、三十分前に森の入り口で見かけた。ゲートへの道順をこうして迷わないようにしてるのよってドヤ顔してた」


「毒舌っ!」


「別に毒じゃないでしょ、今の」


 自分で作った道しるべに、かれこれ五回は躓いてるけど。

 その都度、縞パンが丸見えだけど。

 無理を言って連れてきた僕を楽しませるために、そこまで体を張ってくれなくてもいいんだよ?


「ひあ!? 見たわね! このラッキースケベ属性主人公!」


 誰が主人公だ。


 僕は、誰かを主人公にするRPGのマスター。

 主人公じゃない。


 それに、こんな森にデニムミニで来る方が悪いと思う。


 胸丈のデニムジャケットにTシャツ姿の金髪ツインテが、僕を見上げて膨れているけど。

 信じられないだの意味分かんないだの、いつもの大声早口でまくし立ててるけど。


 僕には君が一番意味不明。

 ……まあ、僕が全知なわけではないけどね。



 例えば。

 一度も行ったことのないサード・ランドはどんなところなのか、とか。

 まだまだ未開のセカンド・ランド、その全貌はどうなっているのか、とか。

 どうしてセカンド・ランドにはサード・ランドへ向けていくつもゲートが開いているのにファースト・ランド方向へは一つしかゲートが無いのか、とか。

 ファースト・ランドのドームの外はどうなっているのか、とか。


 知らない事ばかり。



 そんなセカンド・ランドの秘密を、今日は一つ知ることが出来そうだけど。

 随分遠いんだね、君の国への入り口。


 日の出前からゲート街で馬を借りて、三時間ほどのんびり揺られて。

 やっとたどり着いた森をガサガサと踏み分けて。


 ……長い旅だったけど、ようやく目的の場所へ辿り着いたようだ。


「あったあった! どっこらしょ!」


 ピンク色をした鈴のような花が群れて咲く、その少し上。

 地面すれすれにできた直径三十センチほどの丸いゲート。

 アーシェはその漆黒に波紋を浮かべながら手を突っ込んで、ごそごそと中をあさり始める。

 そして引っ張り出された腕には、洋服が何着もぶら下がっていた。


「…………どういう仕組み?」


「このゲート、あたしのクローゼットの中にあるのよ。ほら、持って!」


 おう。

 謎が謎を呼ぶね。


 なんでそんなことになってるのか改めて問いたい。

 そして、平気で僕の手に服を積み上げる君の図太い神経がどうやって育成されたのか教えて欲しい。


「あのね、僕、サード・ランドにこっそり入ってみたくて付いてきたんだけど」


「違うゲートから行けば? ここは乙女のプライバシーが詰まっているので却下」


 ……その、乙女のプライバシー、ぐちゃぐちゃにしながら積んでるじゃない。

 とは言えアーシェがダメと言ったのに潜り込むわけにはいかないか。

 下手をすると大問題。せっかく軌道に乗り始めた夢が潰えてしまう。


 がっかり顔が引っ込まない僕をよそに、アーシェは満足そうに鼻を鳴らすと、金髪を翻して今来た道を戻りだす。


 ……そしてまた、結わえた草に躓いて転んだ。


「ぷぎゃ!? 誰よこんなところにトラップ仕掛けたのは! あと、大河! またパンツ見たでしょあんた!」


「……頭の上まで積みあがった服しか見えてない」


「あ、そっか。……じゃあよし! ほら、ちゃちゃっと行くわよ!」


 ま、そんな僕の目の前には積みあがった服からぶら下がるレースのパンツが揺れてるんだけど。

 余計なことは言わないでおこう。



 ――前が見えないのに、ちゃちゃっという速さで歩かされ、やっとの思いでたどり着いた森の外縁。


 僕らが乗って来た馬が結わえてあった場所。


 ……結わえて、あった、場所。


「…………過去形になったのは誰のせい?」


「おかしいわね。まさか馬泥棒?」


 こんな辺鄙へんぴな場所にいないよ、泥棒。


 考えられることは一つだけ。


「僕の腰の鞄からロープの先っぽ引っ張り出して。……そう。で、目の前の木に縛り付けてみて」


 眉根を寄せながらアーシェが紐を結び終えるのと、僕が馬泥棒の犯人を捜しあてたのは同時の事だった。


 説明もいるまい。


 僕が歩き出すと、ロープは抵抗なくするするとほどけて付いてくる。


「うそでしょ!? あんなに頑丈に縛ったのに! 何のイリュージョン!?」


 君の頭がイリュージョンだよ。

 ああもう、どこかで馬をレンタルしなきゃ。


 ただの踏み固めとは言え、道が続いているということは町でもあるんだろう。

 僕はうろ覚えの地図を思い浮かべつつ、一番近くの町を目指して歩きながら、引きずられるロープを眺めて目を丸くする女王様に声をかけた。


「素敵なハイキングは、誰かさんのせいでまだまだ続きそうだ」


「毒っ!」


 …………よく今のが皮肉だって分かったね。


 頭の上に浮かんだ白い太陽が、柔らかな暖かさで僕の頭を照らしつける。

 じっとしてる分にはちょうどいい塩梅あんばいなんだけど、意外と重たい荷物を持たされて歩く身にはちとつらい。

 僕は少し滲んだ額の汗を、目の前のレース付きタオルでごしごしと拭いた。


 両手が塞がってるんだ、しょうがないだろ。




 ††† ††† †††




 エルフ族特有の木組みの町は、三十分も歩き続けた僕に対して酷く冷たかった。

 町行く人は鼻の頭に不快を表し、僕がサンダルで巻き上げる土煙ですら迷惑そうに鼻を鳴らす。


 記憶によれば、ここは多分、フ・ジャンガの町。

 エルフの所領へ通じるゲートを管理する街なんだけど、明るく切り開かれたところに作られている。

 エルフの町は森の中に作られるものって聞いたけど、やっぱりその辺も普通のエルフと違うんだ、ダークエルフって。


 それにしてもエロいな、ダークエルフ。

 女性が着てる服、ぴっちり体に張り付いて、胸元からおへそにかけて開きっぱ。

 そして褐色のおみ足を、皆さんこれでもかとさらけ出している。

 これぞ、ザ・ファンタジーといった印象だ。


 ゼロ・ランドの文化を取り込みつつも、独自に発展したのだろうか。

 …………こんな服、ゼロ・ランドでも流行るといいな。


「大河! ねえ、大河! やっぱり帰りましょ?」


「帰るために馬を調達しに来たの。…………それよりアーシェ、また何かした? この扱い、明らかに君に向けられた悪意」


 そう、彼らが僕に向ける不快は『あのラスボスみたいな顔をした女の隣にいる荷物持ち』といった程度に過ぎない。

 悪意のメインターゲットはアーシェ。

 そこには殺意すら込められている。


 なんでこんなことになっているのやら、改めて問う必要もあるまい。

 君、おしゃべりだからね。

 放っておいたら案の定、アーシェは半べそになりながら解説を始めた。


「無理無理! あたしたち、ダークエルフとずっと戦争してたんだから!」


「…………その敵国の王様が平気な顔して皆さんと同じ空気吸ってちゃダメ。離れてていい?」


「毒っ!? やめてよ大河! 一人になった途端、火あぶりにされる!」


 なにその一触即発。

 さすがにそれは町に入る前に言って欲しかった。


 言われてみれば、至る所にアーシェの似顔絵が張られていて投げナイフの的にされているし。

 小石を投げようとしてる子供を慌ててお母さんが持ち上げて連れてっちゃったし。


 ……馬、借りれそうもないな。


 仕方がないので、再び頭の中に折りたたまれた地図を開いてみる。

 えっと、確か……。

 フ・ジャンガを越えて一時間くらい行った所、街道沿いにヒューマンの村があったはずだ。


 でも不案内な土地だから、道を外れたらたどり着けそうもない。

 仕方ない、この導火線に火が付いた爆弾を持ちながら町を強行突破だ。


「これ以上皆さんの怒りを煽らないために、君の首にロープを結び付けたいんだけどどうだろう」


 最大限アーシェを尊重した紳士的な提案をしながら振り向いたお隣に、さっきまでぶら下がっていた金髪が見えない。


 どこに行ったのやら首を巡らせてみたら、切れ長の目をキラキラ見開いて、雑貨屋さんのワゴンの前で立ち尽くしていた。


「…………ちょっと。僕から話しかけさせないで。知り合いだと思われる」


「この髪飾り可愛い! ……ねえ大河! あたしに買って!」


 ……店のひさしには『小綺屋 アーヴロッド』と書かれている。

 この辺りでは『小綺屋』なんて言葉が生まれたんだね。なんて読むんだろ。


 それにしてもアーシェ、君の好奇心には恐れ入る。

 でもね、どこにでも首を突っ込んじゃいけないよ。

 そんなに興味あるのかな、ギロチンの穴の向こう側に。


「てめえこの! とっとと出て行かねえと八つ裂きにするぞ、デストロイヤー!」


「デストロイヤーってゆーな! 今日のあたしはお客様!」


「なあにが客だ! 休戦中だからってこんなとこフラつきやがって! おら、ウチの商品が汚れちまうだろうが! 出てけ出てけ!」


 アーシェ。ねえ、アーシェ。

 どうして君が歩くだけで次々とトラブルが起きるの?


 呆れてため息をついたまさにその時、小綺屋さんの隣の薬局っぽい店から、もうひとつトラブルが転がり出てきた。

 開きっ放しのドアから外へ突き飛ばされたダークエルフの女の子が地面に倒れ込んだんだけど、何事さ。


 ……僕は見なかったことにしていい?

 いますぐ担当に変わりますので。



「このガキ! 金がねえならねえって言いやがれ! 下らねえウソなんかつきやがって! 薬が欲しけりゃちゃんと金を持ってこい!」


「ほんとなんだ! 家を出た時は、ファーネル銀貨を一枚持っていたんだ! ちゃんと探して持って来るから薬をおくれよ! 母ちゃんが昨日からずっとせき込んだままなんだ!」


 ダークエルフの女の子は、よく見れば髪もボサボサで靴も履いていない。

 よっぽど苦しい生活を強いられているのだろう。


 アーシェの騒ぎで人だかりができていたところにこれだ。

 ギャラリーの視線が二つのお店を行ったり来たり。


 ……まあ、それも一瞬の事だったけどね。

 結局はトラブル担当の君だけ見てれば済むってことだ。


「何てことするのよ! お金ならあたしが出すから、薬をこの子にあげなさい!」


「誰だお前さ……ん……!? デ、デストロイヤーだと!?」


「どいつもこいつもデストロイヤーってゆーな!」


 女の子を背中から抱いてあげて、ムキになって怒ってるけどそれじゃダメなんじゃないかな。


 案の定、ひいと叫び声を上げた薬局のおじさん、慌てて扉を閉めちゃった。


「こら逃げないで! ファーネルなんてケチなこと言わない! あたしのツレがユキチ札で払うから!」


 持ってきてないよ一万円札なんか。

 それに余所者が持って来た外貨なんてダメに決まってるでしょ。


 気持ちばかりが空回りの親切さんがギャラリーに助けを求めて見回すけど、皆さん慌てて逃げて行く。


 そりゃ当たり前だ。

 誰だってこんなこんな面倒なことに首を突っ込みたくないし、しかも相手は仇敵の女王だ。


 ……でも、逃げる人込みに逆らってこちらに歩みを進めるもの好きが一人。

 アーシェと子供の前に来ると、どこか高貴なオーラを携えて、腰に下げた細剣のグリップに片手を乗せながら立ち止まった。


「ねえ、宿敵。私たちの問題に余計な口を挟まないで欲しいんだけど。この子の父親を、自慢の剣で突き殺した張本人のくせに」


 真っ白なファーのベストだけを素肌につけた、ホットパンツのダークエルフ。

 それが銀の長髪をなびかせて、妖艶な笑みと共に口にした言葉の重み。



 ……フェアリーの国とダークエルフの国、戦争してたって言ってたもんね。



 普段のアーシェを見ていると想像もつかないけど。

 でも、サード・ランドの戦争だって、ゼロ・ランドのものと変わるまい。


 所詮人生は、誰かの書いたシナリオに過ぎない。

 その誰かがほくそ笑むための最悪のシナリオ。

 それが戦争。


 踊らされる者は望む望まぬに関わらず敵を殺める。

 だってそうしないと、自分が殺されてしまうから。


 一体、誰が書いたシナリオなのか。

 その根源に気付かず、君はその細腕でダークエルフたちを……。



「父ちゃん、生きてるよ?」


「どうやって将棋であんたの国民を殺せるのよ」



 ……………………は?



「あらそうなの。でも、その方がドラマティックだから、ここはそういうことにしておきなさい」


 将棋?

 なにその牧歌的な戦争。


 それにこの人、ちょっと面白いんですけど。


 ダークエルフにしては優しい目元が妖艶さを醸し出す美人のお姉さん。


 ……僕は思わぬ出会いに何かを期待し始めていた。


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