僕の後ろには誰もいないけど、あたし「たち」って?


 すべてが異常。

 でも、今訪れている場所を表するなら、こんな表現が最も的確。


 季節が異常。



 春に咲く花が咲き、夏にしかいない虫が飛び、秋のように果実が実り、そして雪が舞っている。


 馬が潰れない程度、少しリズムよく歩かせて三時間。

 頭の中に持っているセカンド・ランドの地図からかなりはみ出た辺りを進んでいるという実感が、この異常を見ていると沸き上がって来る。


 馬上から見えるのは、遥か正面に霞む灰色の山脈と、左手に迫る濃い森林。

 そして右手の湿原から顔を出す赤いツノを持ったカエルのような生き物。

 そんな景色がここ三十分ほど延々と続く。


 そろそろ退屈してきた頃合い、というものは中々どうして、どんな人でも近しいタイミングで訪れるものみたい。

 先頭を行くジュエルが、すぐ隣であくびをかみ殺すアーシェに声をかけていた。



「寒くなって来たけど、平気?」


「無理よ。さっきから歯の根が合わないわ。……ジュエル、そんな水着みたいなかっこでよく平気ね」


「あらやだ。美女は寒いと暑いを感じないものよ? そして汗もかかないし鳥肌も立たないの」


 そんなの生き物じゃないよ。

 だからアーシェ。ジュエルの軽口に感心して背筋を伸ばさないように。


 それにしても、魔族がセカンド・ランドに隠れ住んでるなんて。


「大河は平気? ……なにか考え事?」


「うん。魔族なんかいて、セカンド・ランドは平気なのかなって」


「彼は大丈夫。私の国で大臣やってるくらいだし」


 彼「は」、ね。

 それにしても、魔族か。


「…………詳しくないんだけど、魔王がいたの、何年も前だよね」


「魔王? そんなの、ちょうど私が生まれた年に倒されてるわよ」


「そうね。サード・ランドは魔王によって二度征服されて、二度復興しているの」


 …………それは知ってる。


 ああ、いまさら気付いた。

 だから十七年前にサード・ランドって改名したのか。



 二度目の戦争の時、魔王が放った大魔法で空間にひずみが出来て、セカンド・ランドへのゲートがいくつも出来たんだよね。

 そしてエルフの皆さんが同じような魔法をセカンド・ランドで使ってゲートが開くかテストしてみたら、不安定で重力しかない空間を経てゼロ・ランドへ繋がったんだ。


 その不安定空間を埋めるようにドームが作られて、ファースト・ランドが出来上がった。

 僕たち四季島しきしま高校の皆、いや、ファースト・ランドの住人なら誰でも知ってる事。


 そして、魔王が倒された平和を謳歌するように、セカンド・ランドへ町を築いていったサード・ランドの皆さん。

 その地に、僕ら限られた日本人だけは入って来れるけど。


「…………魔族は生き残ってるんだよね。ここ、全然安全じゃない」


「当たり前じゃない。サード・ランドじゃ隠れるとこ限られてるからね。そうでしょ、ジュエル」


 知ってる範囲になるけど結構いるわよなどと平気で話すジュエルの返事を聞いて、背中におぞ気が走った。


 戦争を現実的に受け入れている二人との、感覚の差異。


 僕は魔族と敵対するという事実を俯瞰で眺めていたのかもしれない。

 この戦いで、命を落とすことになるのかもしれないんだ。


 手綱を握る手に思わず力がはいる。

 するとそのタイミングで急に前を行く二人が馬を止めて鞍から降りた。


 目的の場所が近い。

 馬から降りるまでに、結構勇気が必要になった。


 小川のほとりで馬を立ち木に結わえ、森の中の踏み分け道を進む。

 そこを抜けると、小さな窪地が広がっていた。


 ……くぼ地の中央には、巨大なチェス盤のような舞台。

 その中央、真っ白なテーブルには優雅に紅茶を楽しむ男がいる。


 恐怖が胸に流れ込んで満たされていく。

 手が、呼吸が。凍えて思うように動かない。


 ……でも、それと同時に感じる真逆の高揚。


 これは性分だからしょうがないよね。


 もっと近くで彼を見たいという好奇心。

 僕はそんな危うい衝動に突き動かされて、自然と足を速めていた。




 ††† ††† †††




 執事服に身を包んだ初老の男性は、体中に服もろとも穴が開いていた。

 いや、穴が出来ては、服と共にゆっくりと埋まっていく。


 薄い石造りのテーブルに置かれたティーカップに伸ばした手。

 その肘が、じゅおっと蒸発するような音を立てて消え失せたのに。

 だと言うのに、そこから先の腕が何事も無かったかのように紅茶を口に運ぶ。


 そんな、カップを持つ彼の手の甲には、竜脈がくっきりと浮かんでいた。



 魔族。

 魔王と共に、異世界を二度、滅ぼしかけた存在。


 こうして実際にまみえると、現実感が無さすぎて恐怖すら感じない。

 きっと、彼がそう願っただけで、僕という存在を消すことすらできるのだろう。


 そしてここまで圧倒的だと……、僕も大概とは思うけど、彼の持つ無機質感をどうやってダンジョンに再現しようかと本気で考え始めていたりする。


 生きている。動いている。そこにいて、そして今、僕を見つめている。

 なのに、生き物とすら感じない。


 存在。


 そんな魔族の男が紅茶をテーブルに置いて、心臓の辺りに新しい大穴を開けながら、バリトンで挨拶をして来た。


「さて、大きくなられた。ジュエラロゥドスタット殿下にはご機嫌麗しく」


「久しいわね。……彼は、現存する魔族の一人、ル・ン・ベトー。我が国を陰から支える大臣。彼に勝てば、私の呪いは解かれるの。……そして、この二人は……」


「ご紹介いただかずとも結構。少年の高名は聞き及んでいる。そして、そちらの女性を知らぬ者などどこにも居るまいよ」


「ジュエル。今の失礼発言によりあたしも参戦決定」


 ……ついさっきまでとは打って変わって、アーシェの軽口にジュエルが乗るようなことは無かった。

 褐色に煌めく右腕は腰に下げたレイピアの柄を握ったまま。

 優しさの象徴のような瞳は瞬きもせず、魔族の男を見据えたままだ。


「さて、ル・ン・ベトー。私の要求、分かっているわよね?」


「無論。だが、簡単に殿下の呪いを解くわけにはいきません」


 椅子の背もたれを鳴らしてそこから立ち上がろうともしない魔族の男は、糸の様なもので辛うじて繋がり始めた腕を軽く掲げると、その指先から赤紫の魔方陣を頭上に展開した。


 赤く、暗く脈動する魔方陣。

 直径一メートルほど、巨大なガラスのコインのような円が僕たちにその表面を向けると、中央に握りこぶしほどの真珠のような球体がぷかりと浮き出した。


「その、随分と物騒な武器で魔方陣を切りつけてみなさい」


 言われるがまま、純白の鞘から銀のレイピアを抜き放ったジュエルが魔方陣の一点に打突をいれると、そこから薄氷が崩れるような割れ方で赤い円の一部が砕け散る。


 そしてレイピアを構え直したジュエルが短い息と共に中央の真珠を突くと、そこから放射状に、粉々に魔方陣は砕け、細かな音をチェス盤を模した床に響かせた。


 ……なんか、淡々と進んでいるけど。

 これがなに?


「……この魔方陣は、殿下のレイピア、あとはその腰に下げた三本の短剣で砕けば氷程度の硬さしかない。だが、それ以外の物が触れると鉄の様に硬くなる」


 魔族が説明を続けながら頭上に再び腕を伸ばすと、まるで塔のように次々と魔方陣が浮かび上がり、それらが一斉に僕らをドーム状に包み込んだ。


 ゆっくり、クルクルと宙を漂う三十六枚の巨大コイン。

 その中央に、コアと呼べる真っ白な玉が次々と浮かぶ。


「魔方陣、三十六よう。これをかいくぐり、体、服、テーブル、椅子、何でもいい。我の所有するものにその武器を当てれば殿下の勝ちとしよう」


 …………え?


 なんか、簡単そう。

 ひょっとしていわざと負けようとしてるのかな。

 じゃあいい人なの?


 そんなことをぼけっと考えていた僕の視界の端。

 驚きを覚える暇すら与えられず、褐色の足が軽やかに、そして鋭く舞台の床を蹴った。


 先手必勝。

 彼我の距離はほんの五メートル。


 だが、その奇襲攻撃は目にも止まらぬ速さで宙を舞った魔方陣によって軽々と阻まれた。


 目に追えたのは、横薙ぎにジュエルの腹に体当たりをした一枚。

 さらに突き飛ばされた先、待ち受けていた魔方陣により脳天をしたたかに叩きつけられて、彼女の体が舞台にバウンドする。


「ジュエル!!!」


 唖然として立ち尽くす僕を尻目に駆け出したアーシェが、苦しそうに呻くジュエルの肩を揺すっていたかと思うと、そばに転がった細剣を握って魔族へ突き出した。


「ジュエルになんてことすんのよ! このイナカ貴族!」


「……イナカもんが言ってもねえ」


「毒っ!? ちょっと邪魔しないでよ大河!」


 怖い怖い。

 剣をブンブン振り回しながらこっちに迫らないで。


 そして反射的にへっぴり腰のガードポーズをとった僕の横にまで来たアーシェが、再び剣を魔族へ向けながらバカな事を言い出した。


「あたし達が助太刀するわ!」


「…………たち?」


 君の他は誰の事だろう。


 後ろを振り返ってみたけども、君に見えている誰か、僕には見えないよ。


「これはこれは、随分と恐ろしい敵が現れたものだが……、自慢の羽根はどうなさったのかな? あれが無ければ最強無比の回避などできるまい」


「なんで知ってるのよ!」


 アーシェの怒号に呼応して体をこちらに向けた男の右頬がぼしゅっと音を立てて消滅する。

 そんな、口も鼻も消え失せた初老の男が響きのある笑い声をあげると、愉快そうに眼をほころばせて言葉を発した。


「知っているとも。聖なるものに腐敗を与える邪剣、『小夜時雨さよしぐれ』を構えるそのいで立ち。……一度見たら、その邪な表情と共に忘れることなどできんよ」


「よこしまってゆーな! あんたまであたしをラスボス扱い!? うそでしょ? あたしそんなにラスボス? ねえ大河! そこまでラスボスじゃないわよね!」


 少なくとも、僕を面倒ごとに巻き込もうとする程度にはラスボス。

 

「……殿下を助けて、自分に従わせる気なのかな?」


「そんなこと欠片も思ってないわよ! ジュエルは、なんかいいやつなの! お友達になりたいの!」


「友達! はっはははは! これはいい!」


 急なドタバタ女の闖入ちんにゅうに、魔族の男は笑いっぱなし。


 まあ、ジュエルが回復するまで、客席をあっためることくらいはできるでしょ。


 ジュエルの腿に浮かぶ竜脈。

 そしてうっすら白く輝く体。


 さっきのアクロバットで負ったダメージを魔法で回復しているようだ。

 何とか気づかれないように時間稼ぎしないと。


 ……ひとしきり笑った男が、元通りに埋まり始める顔を楽しそうに歪ませると、紅茶を口に運びながらアーシェに問いかけた。


「参加するのは構わないが……、ゲームに参加する気なら、それなりの対価を払っていただかないとな。……何をかける気だ?」


 アーシェ。ねえ、アーシェ。

 それ、自分で蒔いた種。

 僕をにらんだって知らないよ。


「……なるほど、大した覚悟も無いと見える。つまらん偽善ならやめておけ。地に堕ちたお前など、殿下の邪魔になるだけだ」


 うわ、まじか。

 ツインテールが物理法則を凌駕して逆立ち始めた。


「ふっ、ふ・ざ・け・る・なーーーーーーーー!」


 うん、予想通り。

 賭けの条件も決めずに襲いかかろうとするアーシェの前に飛び出して、なんとか止めることに成功。


「…………瞬間湯沸かし器」


「うるさい! こんなムカつく男見たこと無いわ! ほらボケっとしてないで! あたし達で倒すわよ!」


 もいちど後ろを見てみたけど、どうにも複数形のお相手がいない。

 いぶかしむ僕に、もひとつ訳の分からないプレゼント。

 すいません、脳が追い付きません。


「…………何やら難しかっこいい銘の剣を僕に持たせてなんとする?」


「あたしが後衛なんだから、大河が前衛に決まってるでしょ!」


 無理無理無理無理無理無理。

 勝手に参加させないで。

 あと、絶対前後が逆。


「そもそも後衛ってなにやる……気……、いいや答えなくても」


 君の右手にこれ見よがしに握られたカプセル。

 なりたかったって言ってたもんね、白魔道士。


「ほら大河! ちゃちゃっとやっつけるわよ!」


「さすがに嫌だ」


「あたしがばっちり回復してあげるから! ほら、前を向いて!」


 鼻息の荒い金髪ツインテが僕の右肩を押す。

 敵に振り向かせるつもりだったんだろうけど、勢い強すぎ。


 思わず尻もち。そして後頭部強打。

 うん、僕はどうやらここまでのようだ。


「いたいいたいいたいいたい」


「何やってんのよ! 戦う前から回復魔法使わせないでよね!」


「まってそれだけはヤメ……、いたっ。……熱いっ!!!」


 アーシェが力任せに投げつけてきたカプセルがおでこにヒット。

 そして噴水のように噴き出す熱湯。

 すごく熱い。何しやがる。

 でも、悔しいけどちょっと面白い。


 熱湯を浴びて悶える僕の背中に無慈悲に叩きつけられた二つ目のカプセル。

 今度は何だと飛び退すさってみたら、中からコボルドの人形が転がり出て来て、呑気に歌い始めた。



 …………森のくまさん。



 ごめんよくまさん。君は大きな勘違いをしてる。

 お嬢さんからすたこらさっさと逃げ出したいのが、僕。


「なんだかね。ある意味、なごんだ」


「さすがあたしの回復魔法ね! ジュエルも回復したし! 三人で倒すわよ!」


 おお。茶番、終了ね。

 多少は回復したジュエルが離れた辺りで立ち上がると、アーシェに親指を立てる。

 ……三人でこの魔族を倒すのか。

 じゃあ誰の事だか分からないけど、その三人目の人によろしくね。



 僕は帰る。



 そんな気持ちを察してくれたのだろうか、ジュエルは真剣な表情で腰の短剣を抜きながら優しい声をかけてくれた。


「気持ちは嬉しいけど、二人は黙って見ていて。……そもそも、掛け金だって払えないだろうし」


「そんなこと無いわよ! こう見えてもお金持ちなんだから! ……大河は」


 …………お金、関係あるのかな。

 でもそう言われると、ちょっと気になるね。


「ねえおじさん、ジュエルが負けたら何を払うの?」


 興味本位で気楽に聞いた一言。

 これを聞いて、なにやら慌てながら、目を逸らして俯いたジュエル。


 一気に不安に陥った胸中に、まるで毒の息を吹きかけられたかのような。

 そんな一言が突き付けられた。


「…………命だが?」


 息をのんだアーシェが振り向く先で、ジュエルは自虐的な笑みを浮かべていた。


 そう、か。


 さっきの奇襲に対抗した魔方陣の動き、激しかったとは言え、命を取るようなものじゃなかったからどこか安心しきっていたけど。


 そもそも、賭け金がジュエル自身だったとは。



 ……それは参った。

 それじゃ、困るんだ。


「おじさん。……だったら、僕らも参加するよ」


 二人の仲間たちが驚きの声を上げている。

 でも、これは当然のことだよ。


「ジュエルには、僕のダンジョンの中ボスになってもらうの。死なれちゃ困る」


 僕は、キャストを全力で守る。

 それがマスターとして最低限の心得だからね。


 そんな言葉に反応したのだろうか。

 楽しそうな笑顔を浮かべた魔族の男の体に次々と穴が開く。


 どうやら了承してくれそうだけど、いいのかな、そんな余裕の笑みを浮かべてて。


 だって、この僕がシナリオを書くんだよ?



「…………というわけで、この勝負は僕たちが勝ちます」



 雪の舞い散るチェスボード。

 震えるほどのバリトンが笑い声となって舞台を埋め尽くす。


「くっくっく……。実に面白いぞ、PRGマスター。して、参加料は?」


 ……シナリオは、準備が出来た。

 あとは役者が演出通りに動いてくれさえすれば。


 いや。

 珍しく舞台に上がった僕自身。

 セリフを間違わないようにしなくちゃね。


「…………僕ら三人のうち、誰かが倒れて気を失うようなことになったなら……」


 そして、役者である以上芝居もこなさなきゃ。

 僕は細剣を振りかざし、魔族の男に向けながら、びしっと決めた。


「命も込みで、僕そのものをおじさんにあげる。魔族にするなり殺すなり、お好きにどうぞ」



 このベットに、悲鳴にも似た、息をのむ音が二つ響く。

 二人の美人さんが、それぞれ悲壮と驚愕を滲ませて僕の目を見据えて叫ぶ。


「坊や! 君は関係ないでしょう! 今すぐ参戦を取りやめなさい!」


「ちょっと大河! 本気なの!?」


「……うん。だからこれから作戦タイム」


 僕が魔族の男に手の平でタイムをかけると、今日一の大声で笑われた。

 ふふ、狙い通り。

 彼は僕を侮ってくれたようだ。

 これで盗み聞きするような無粋はすまい。


 二人をちょいちょいと手招きすると、今にも泣きそうな表情を浮かべたダークエルフに痛いほど腕を握られて、そして白魔導士からは蹴飛ばされた。


「タイムってなによ! 緊張感無いわねあんたは!」


「…………うるさい。じゃあアーシェは玉砕役に決定」


「毒っ!」


 ……もちろん君にも怪我なんかさせるわけにはいかないから、ウソだけど。

 でも、アーシェの玉砕覚悟。

 ちょーっとだけ見せてもらおうかしら?




 ††† ††† †††




 ちらちらと舞う程度だった雪が、少しだけ密度を増した気がする。

 視界には不安が出てきたけど、どういう仕組みなのか、白と黒の舞台に堕ちた雪は水を経ずに昇華してしまうため足元に不安はない。


 ……よし、行こうか。


「GO」


 魔族の男が指定したレイピアと三本の短剣をそれぞれ手にした僕らは、準備万端整ったところで一斉に走り出した。


 多少の奇襲が意味をなさないことはさっきの事で分かっているけど、ご丁寧に名乗りを上げてから襲い掛かる必要も無かろう。


 体、服、机、とにかく彼の持ち物。

 何れかに武器を当てることが出来れば勝ち。


 この条件のうち、恐らく聡明な彼でも気付いていないものを僕は狙う。


 ……そのために、二人には『ウソ』の情報を与えておいた。

 必死に、全力で自分の芝居を全うしてちょうだい。



 ――予想外の事態にも冷静に対処できるのが強者。

 だが、予想外の事態に陥れば、他へ回す意識は確実に減る。

 本物の強者はそんな時、意識が回せない方向へは堅実に最大限、防御的に対処するものだ。


 だから僕らRPGマスターは、シナリオ上必ず引っかかって貰わなきゃいけないトラップへは二つのダミートラップを重ねる。


 ただ重ねるのではなく、ダミーに対して正しい対処をとってもらうことによって本命の落とし穴へと誘導するのだ。


 この、強者であるがゆえに引っかかる罠のことを、RPGマスターはこう呼ぶ。



 『双葉の裏の隠し針』。



 ……作戦開始の号令と共に、二人の前衛戦士が魔族へ向けて襲い掛かる。

 三百六十度すべての方位が攻撃手段である魔方陣を、跳び、避け、地へ這いつつも確実に破壊しながらじりじりと距離を詰めていく二人。


 レイピアを手にしたセカンド・ランド最強剣士のラスボスじみた突破力はともかく、ジュエルも先ほどの気走った狭い視野とは打って変わって冷静に魔方陣を破壊しているのだけど。

 それにしたって強い強い。


 今も、背後から襲い来る魔方陣を高さのあるバク転でかわしつつ、無防備な着地際を狙った追撃に短剣をカウンターで合わせて粉々に打ち砕いた。


 なまめかしく輝く褐色の肌を持つ四肢がしなやかに舞うその姿。

 美し過ぎて思わずため息。


 なんて見惚れていたら、僕にも一枚の魔方陣が横向きに回転しながら襲い掛かって来た。


 ……待望の、戦士としての僕を過小評価してくれた、足止め程度の攻撃が来た。


 魔方陣に知性があるはずもなく、そのすべてをコントロールしている男としては、僕に対して雑な攻撃しかできやしない。


 そこまで分かっていれば、必死のヘッドスライディングで避けながら短剣で魔方陣を割り砕くことくらいはできる。


 そのまま急いで起き上がって男の後方を目掛けて走り出すと、案の定、『予想外な善戦』と評価した彼は二枚の魔方陣を僕の方へ回した。


 ……『一手目』。大したことのないトラップ。

 しかし、確実に彼の意識に配分の乱れが生じた。


「…………今っ」


 僕の合図に反応したのは、魔族の男とジュエル。


 ジュエルは合図と同時に手にしていた短剣を男に向かって投げつける。

 それに対して神速の反応で、短剣の前に魔方陣を六枚縦に並べた男は、四枚ほど魔方陣を割り砕いたところで地に落ちる得物に目をくれる暇も与えられず異変に意識を集中せざるを得ない。


 合図から一呼吸開けたタイミングで発生した異変。


 アーシェが僕にレイピアを投げ、僕は短剣を男の頭上へ放り投げたのだ。


 この、一見意味のない行動。

 特にレイピアの方は意味不明。

 ……そう、実際意味などない。

 この『二手目』『三手目』同時のトラップは、意味が分からないから全力で対処しなければいけないと感じさせることに意味がある。


 男は適切な対処が分からないから、持てる火力のほとんどをつぎ込んで確実に対処してきた。


 すなわち、手持ちの武器を捨てたアーシェを四枚の魔方陣で踏みつぶし。

 レイピアを五枚の魔方陣で遥か彼方へ突き飛ばし。

 頭上の短剣は十二枚の魔方陣で防御して。


 そして……。


 過酷なサード・ランドに暮らすヒューマンならともかく、体なんか鍛えたこともない軟弱な僕。


 これに対して、十枚もの魔方陣が襲い掛かって来た。


 悲壮な叫び声が二つ聞こえる。

 そうね。

 どうやって勝つか、までは説明していなかったからね。


 まるで走馬燈。

 死を迎える直前のよう。

 クロックアップした頭脳が、迫り来る魔方陣を一つ一つ認識できるほど。


 そんなクリアな思考の中で、僕は恐怖を感じながらも、こうつぶやいた。


「…………勝った」


 圧倒的な暴力に叩きのめされて、意識を失うその直前。

 僕は自分の手の甲に、隠し持っていたものを突き刺した。




 ……これが、双葉の裏に隠した一本の針。




 気を失ったことにより、魔族の男の『所有物』となった僕に。

 ジュエルの短剣を突き立てたのだ。


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