207年・襄陽~天下三分ノ計~

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 三国時代西暦205年に転生してから今日までの三年間は、まさに生き延びるための戦いだった。


 何せ、孔明家を支える三人――諸葛亮孔明、妻の月英、そして弟の諸葛均――がまるごと現代人おれたちに入れ替わってしまったのだ。


 正確には、変わったのは意識だけで外見に変化はない。……が、いきなり言葉が喋れなくなった孔明おれと月英ゆづきを、周囲の住民は当然不審がる。こうして俺たちは、人目を避けて諸葛家の農園に引きこもった。


  だが、その農地は痩せて収穫は少なく、しばしば飢饉に見舞われた。まずは食糧を確保することが最優先課題だった。


 この時代、苦労して手に入れた種を畑にまいても、芽さえ出ないことは日常茶飯事だ。


 ようやく芽が出た……と思ったら、雨や嵐が根こそぎ掘り返してしまう。残ったわずかな苗も、収穫前に日照りで枯れ果てる。その繰り返しだった。


 天候を予測しようにも、天気予報なんてない。周りの人に聞こうにも、言葉が分からない。

――人生詰んだと、本気で思った。


 唯一の救いだったのが、諸葛均おとうとに転生した十八歳の青年――孫龍――が、古代中国語だけでなく、日本語も話せたことだ。趙雲役として、赤壁公園で日本人観光客と触れ合う内に、自然と日本語を覚えていったらしい。


「巻き込んで、ほんっとにごめん!!!」

 転生当初、俺たちはひたすら謝り倒した。


 俺達自身、転生の原理自体はさっぱり分からなかったが、少なくても創に呼ばれたことだけは確かだ。だが、孫龍の場合、赤の他人おれたちを助けようとして巻き込まれたという、完全な“もらい事故”だ。


 もちろん孫龍も、初めは流石に戸惑ってはいた……。が、その後の順応は驚くほど早かった。


 真夏の直射日光のようなポジティブすぎる性格もあるだろうが、何より三国時代ここは彼にとっての憧れの時代だったらしい。


「いやー、親父が趙雲子龍の大っファンっだったんスよね~。で、孫龍って名前になったんです。“子龍”の子どもって意味で」


「ただ、結構スパルタで……。三歳くらいから武術の特訓してました」

 その後、俳優学校に通い、持前の身体能力を活かしてスタントマンをこなしてるうちに、赤壁公園での実演の趙雲役をオファーされたらしい。


 孫龍は、古代中国語のみならず、自衛のための武技も教えてくれた。

戦闘が当たり前デフォのこの世界において、平和ボケした国から来た俺たちは最弱の部類だった。


 戦闘神経ゼロの俺と違って、結月の成長は早かった。空手の基礎があるだけあって、身のこなしとスピードは抜群だった。


 だが、結月が最も興味を持ったのは「武器」や「道具」そのものようだった。やはり、発明マニアの血が騒ぐのだろう。


 ある時、「見て見て、作ってみたよ~」と持ってきたのは、引き金を引くと短い矢が発射できるクロスボウだった。弓矢や剣が――というよりも戦闘全般が――苦手な俺でも、これなら扱えそうだ。


 そんな無力な俺にも、一つだけ特技があった。三国志ヲタの文系男子として、軍略や戦略を考案することだ。


 思い起こせば、人生で唯一、創に勝ったことがあるのが“ゲーム版三国志”だった。

 数十敗の末の、マグレみたいな勝利だったが、「軍師、向いているかもな」と創に言われ、有頂天になった記憶がある。


……まさか、その十数年後、三国時代でリアル軍師をやる羽目になるとは思いもしなかったが。



  転生して一年後。孫龍のお陰でようやく言語に慣れ始めた俺は、農園改革に取り掛かった。


 まず様々な書物を読み漁り、昼には雲を、夜には星空を見つめ続け、天候のパターンを読み解く。経済学でいうところのマクロ環境要因の分析だ。


 次に土壌の特徴を把握し、最適な作物と植えるべき品種を選択した。その上で、農地に住む農民たちの個々の能力を把握し、最も適した作業を割り振る。更に、結月の改良した農具を導入し、生産性を向上させる。


 つまり、いきあたりばったりだった農業に、計画、実行、チェック、改善というPDCAサイクルを導入したのだ。


  始めは不審がっていた農民たちも、収穫量が明らかに増えてからは積極的に取り組むようになる。その収穫が家族の命を支えているのだから当然だ。


 だが、収穫が増えると略奪のターゲットとなる可能性も増す。次に俺たちが取り組んだのは、夜盗やコソ泥対策だった。始めは守衛を巡回させていたが、広範囲をカバーしようとなるとその分コストが嵩かさんでしまう。


 そこで、麦の中に見張りトラップを仕掛け、引っかかると自動的に矢が発射される仕組みを導入した。トラップの位置を定期的に変えることで、夜盗の数は大分減った。


 こうして、三年間、俺たちはどうにか生き延びてきた。ようやく生活の目途が立ち、待ち望んだ平穏な日々が近づいてきた頃――劉備一行が現れた。



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「天下三分の計…とは?」

 劉備が身を乗り出してくる。


「現在、曹操軍はほぼ無敵です。単独で打ち破れる軍はありません。ですがそれは、曹操が天下を取れることを意味しません。」


「天下を統治するためには、力のみならず、義が求められるからです。今、我らが住む荊州を治める劉表は病の身。隣り合う益州は劉璋りゅうしょうという愚鈍な君主・・・・・が治めています」


 反応を伺うために、敢えて不遜な表現を使う。同じ「劉」の血を引く劉備は眉をひそめたが、関羽と張飛は頷いている。


「民からの不満は大きく、新たな王を待望する声が挙がっています。だからこそ、今こそ劉備様が王として立つ好機なのです」


「だが、曹操軍が攻めてきたら、ひとたまりもないではないか」

 前回、徐州で曹操軍に手痛い敗北を喫した関羽が、今日初めて口を挟んだ。


「そのための呉との同盟です。呉の孫権も曹操率いる魏の台頭には深い危機感を覚えています。それぞれでは太刀打ちできないものの、劉備様と孫権が組み、ともに曹操に立ち向かえば勝機は見えてきます」


 そのまま俺は、詳細な現状分析と、取るべき戦略についてのプレゼンを行う。

 ――正直、ここまでは、昔読んだ本からの丸パクリだ。


「それが、天下三分の計…か」


 借り物の戦略とは知らない劉備は、いたく感動したようだった。しばらく宙を見つめ、やがて意を決したようにこちらを見つめ直す。

「諸葛亮孔明殿、是非わが軍の軍師として共に戦ってほしい」


 張飛はいまだ釈然としない様子で、「言うだけなら、誰にでもできるじゃねえか」と呟いている。


 ――ここからが本番だ。歴史にない言葉を、俺は吐こうとしている。

「三つの条件・・・・・があります」


  緊張で震える口元を扇で隠しながら“三つの条件それ”を説明する。


 説明が終わるや否や、意外なことに劉備はあっさりそれを承諾した。

「分かった。任せた!」


 ――え、いいの!?

 俺は、思わず呟いた。正直もっと反対されると思ったのだが……。


 笑顔の劉備の背後で、関羽が苦々しい表情を浮かべている。張飛に至っては怒りで震えている。何だか嫌な予感がする。


ここはさっさと三人にお帰り頂こう。

俺は急かし気味に三人を門までまで送る。


 劉備が馬に乗り、胸を撫で下ろして門を閉めようとした瞬間――。


 がしっ!!!

 張飛の分厚い手が、閉まりかけた門を掴む。

「忘れ物をした。劉の義兄あにき、先に行っていてくれ」


「え!?」

 困惑する劉備の馬の尻を、張飛が蛇矛の柄つかで叩く。


「ヒン」と短く鳴いて、劉備を乗せた馬が走り出す。

 何かを予感したのか、関羽も馬から下り、張飛の傍に立つ。


 劉備の馬を見送った張飛は、俺を睨み付けてこう言った。

「さっきは黙ってきいてりゃ、調子に乗りやがって……。表出ろ」

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