208年・新野~進撃ノ魏軍~

 三顧の礼から今までの一年間、劉備軍おれたちは、必死に曹操との決戦に向けた準備を進めてきた。

 

 灌漑設備の整備、農具の改良、収穫の備蓄、戸籍の整備、農民軍の育成……。脆弱だった基盤は徐々に整ってきた。


 だが、それでもようやく一万の劉備軍に対し、曹操軍は数十万に上る。正面からぶつかったら、勝てる見込みはまるでない。


 頭を抱える俺の部屋に、趙雲との稽古帰りの孫龍が入ってくる。

「いやー、やっぱ趙雲兄貴ししょうは半端ないっす!」

 

 ―年前の三顧の礼の日、張飛にボコボコにされた孫龍は、前にも増して自己鍛錬に励みだした。


  そんな中、劉備軍に身を寄せていた趙雲子龍と出会う。憧れの存在に出会えて浮かれた孫龍は、その場で弟子入りを志願したらしい。


 ――自分の身は自分で守るのが鉄則の三国この時代、むろん弟子入りなんて制度はない。趙雲も最初は断っていたものの、孫龍の槍術の筋の良さに加え、軍師おれからの要請もあって渋々承諾した。


「張飛と趙雲って、どっちが強いの?」

 俺の部屋で武器を改造していじっていた結月が、素朴な疑問を投げかける。三国志好きなら誰もが気になる質問だ。


「うーん、趙雲兄貴ししょうは鍛錬の鬼って感じなんですが、張飛兄貴は生まれながらの戦闘の天才なんですよね。武術を習った人間ほど、張飛の兄貴の動きは読めないんです。だから、一対一なら張飛兄貴が優勢なはずです」


 ――そういうものなのか。雲の上すぎて、想像がつかない。 


「でも、冷静な判断が求められるような、例えば敵味方入り乱れる乱戦になったら、趙雲兄貴の方に分がある気がします」


 ――乱戦か。

 その乱戦それがまさに起ころうとしている。

 “長坂坡ちょうはんはの戦い”。これから始まる、長い曹操軍との戦いの初戦だ。


 俺は、単刀直入に聞く。

「では、趙雲が曹操軍に取り囲まれたとして、趙雲一人で母子を守れると思う?」


「それって……。もしかして」

 どうやら質問の意図に気が付いたようだ。


 歴史書によれば、この“長坂坡ちょうはんはの戦い”において、趙雲は、劉備の甘夫人息子阿斗を守ろうとして曹操軍に取り囲まれる。俳優時代現世での孫龍が、趙雲役として実演していたシーンだ。


 だが結果は、歴史書によってズレがある。陳寿の“三国志”では母子双方が助ったが、羅漢中の“三国志演義”では、足手まといになることを恐れた母親は自害し、子だけが助かる筋書きだ。


  何が何でも、二人とも助かる方陳寿のシナリオを実現させなければならない。


「弟子の俺としては、趙雲兄貴ししょうなら大丈夫!――と言いたいとこなんですけど……。」

 孫龍には珍しく、歯切れが悪い。


「出てくる相手の力量次第っすかね。歩兵ならまだしも、騎馬隊に出てこられると正直キツイです。二人を抱えて戦うとなると、攻撃方法も限られるし、馬のスピードも落ちるんで」


 ――やはり、成り行きに任せるにはリスクが高すぎる。曹操軍には、天下に名を轟かせる神速の騎馬隊、虎豹騎隊がいる。


 だが、劉備の妃と息子ふたりの警護を固めようにも、数十倍の戦力を持つ曹操軍に対して、割ける兵には限界がある。未来が分かっているにも関わらず、打てる手が少なすぎる。


「こんな時に、創ちゃんが現れてくれればいいのに……」

 結月が呟く。

 ――ホントにそうだ。


 この一年間、、劉備の領土内で、如月創という人物を探させ続けてきた。結果、似たような名前の男たちや、劉備への士官を願う者たちがひっきりなしに表れた。


 ――これだけいれば、創が見つかるかも。


 俺と結月の期待は否応なく高まったが、期待それはすぐに失望へと変わった。俺が日本語で話しかけても、怪訝な表情を浮かべるだけで誰一人反応できなかったからだ。


 とはいえ、人材不足の劉備軍としては、一人でも優秀な人材は欲しい。が、なかなかそれが見つからない。本当に優秀な人材は、既に魏の曹操や呉の孫権に囲い込まれている。


 現代で言えば、誰もが知っている有名企業に入りたがる学生のような心理なのだろう。俺も現代社会むこうじゃその一人だった以上、今さら文句も云えない。


 ――それにしても。少し前までは就活に振り回されていた俺が、何の因果で三国時代の面接官なんてやってるんだろう。


 就活の時は、面接官は運命を決める神のような存在に見えた。だが、実際、こんな俺でも務まるんだ思うと、昔の自分を笑いたくなる。


「孔明!!!」

 声を上ずらせながら、劉備が部屋に駆けこんできた。

 関羽と張飛も続いて入ってくる。


「まずい。曹操軍が、荊州こっちに進撃してきた。その数、五十万」

 一万対五十万。いよいよ、絶望的な戦いの幕が開ける。

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