207年・襄陽~孔明ノ参戦~

  207年中国・襄陽じょうよう 諸葛亮孔明の家


 さっきまで張飛の打撃ノックが鳴り響いていた扉は、いつの間にか、しんとしている。


 ――あれ!?

 もしかして、劉備たち帰っちゃったとか!?


 俺は、そっと扉を開けてみる。


「待ってたぜぇ」

 突如眼前に、仁王立ちした張飛が現われ、思わず叫びそうになる。


 その手にはなぜか、赤々と火が灯る松明が掲げられている。


 この陽光降り注ぐ昼飯時に、松明を使う用は二つしかない。

 食事か、放火かだ。――どっちなのかは、恐くてとても聞けない。


「ようやく出てきやがったな」


 張飛は、手にしていた松明の炎を一振りで消し去ると、地面に叩きつける。赤い火の粉をまき散らしながら、松明が粉々になった。


 血走った眼で見下ろしてくる張飛は、やはりデカい。

 190cmはあろうかという巨躯と、特大の蛇矛。夜道で出会ったら、本気で命乞いするレベルだ。


 左隣の長い髭の男が関羽雲長だろう。口元は穏やかな笑みを湛えているが、決して目は笑っていない。俺という人間を、見定めているといった風情だ。


 そして背後にいるのが劉備玄徳のはずだ。

 二人と比べると小柄なせいか、思わず後ずさってしまうような迫力はない。だが、その瞳には、人を引き付ける何かがある。


 ――劉備と関羽ふたりはともかく、さっきから、張飛の視線が痛い。そして、握りしめている蛇矛が怖い。


 まあ、面子メンツを重んじるこの時代において、無位無官の孔明が、王の血を引く劉備の訪問を二回もスルーしたのだ。劉備を敬愛する弟分の張飛にとって、俺は、無礼極まりない輩なのだろう。


「いやー、諸葛亮殿!お会いしたかった」

 そんな緊迫した空気を破るかのように、劉備が挨拶してくる。


 やがて蜀の王になる男とは思えない気安さだ。


「ところで、後ろにおられるお二人は?」

「妻の月英と弟の諸葛均にございます」


「女とガキは失せろ」

 横から張飛が凄む。


 思わずひるみそうになる。――が、ここで引き下がるわけにはいかない。

「この者たちは、“生まれた日は違えど、同じ日に死せることを願う家族ゆえ”」


 ――ほう。

 関羽の目が一瞬鋭くなる。

「我らの桃園の誓いをご存じらしい」


 劉備、関羽、張飛の三人が、桃園で結んだ義兄弟の契りの言葉を引用する。

 ――三国志ヲタなら当然、暗記しているフレーズだ。


「流石は、臥竜と名高い諸葛亮先生。では、我らが悲願もご存じでしょう」

 劉備が身を乗り出してくる。

「漢の復興ですね」


「流石は先生!」

 劉備は、目を見開き、突如跪く。


「ぜひ、その智慧とお力をお借りしたい。漢王朝の復興のために」

 そのまま深々と頭を下げながら、民の窮乏を涙ながらに説く。


 年下の若造に対し、ここまでする劉備の器の大きさに驚く。

 これが、魏の曹操・呉の孫権と比べて弱小勢力でありながら、張飛・関羽・趙雲などの綺羅星のごとき英雄が集まる理由の一つだろう。


 後ろでは、張飛が物凄い表情で睨み付けてくる。

 ――兄者にここまでさせておいて、もし断ったら……分かってるだろうな?

 とでも訴えかけているようだ。


 だが、俺は断言する。

「それは――。できません」


「何だと?」

 張飛の手が蛇矛に伸びる。


「よせ、張飛!……今はな」

 関羽が制止する。


「漢の命運は既に尽きかけています。朝廷には奸臣に溢れ、心ある家臣はみな追放されました。人こそ国家の要。それが絶えた以上、再興などできません」


 ――これは現代でも一緒だ。どんなに優れた組織も、時間とともに腐敗する。


「では、次の天下はどうなる?」

 劉備が喰らいついてくる。


「中原の曹操が、頭一つ抜け出ています。最大勢力の袁紹えんしょうを倒した今、あらゆる人材が彼の下に集まっています。何より、天子をその手に収めたのが決定的です」

 

 今の天子、献帝が曹操の傀儡かいらいなのは周知の事実だ。つまり、曹操に盾突くことは、天子に弓を引く逆賊となることを意味する。


「曹操の強さは、身に染みて知っている。その怖さもな」

 劉備の目が遠くを見つめる。


 今まで冷静を保っていた関羽の表情が動いた。


 西暦200年七年前徐州じょしゅうで曹操と戦った劉備は散々な敗北を喫し、関羽は曹操軍に囚われてしまう。だが、その力量を高く評価した曹操は、関羽を客人として迎え入れる。


 つまり、関羽は一時期曹操軍に加わっていたのだ。結局、桃園の誓いを守って劉備の下に戻ってきたが、曹操の強さは誰よりも分かっているはずだ。


「更に南は孫権が抑えています。天然の要塞と言える地形に囲まれ、強い忠誠心を持った家臣が集まっております。いくら曹操といえど、簡単には陥とせません。」


「……んなこと分かってるんだよ。問題は、俺たちが今何をすべきかってことだ」

張飛は苛立ちを抑えない。


 ――その問いを待っていた。

 間髪入れず俺はこう宣言する。

「天下三分の計です」


 月英と諸葛均に目配めくばせする。

 ここまでは、プラン通りだ。三年間、この事態――正直できれば巻き込まれたくなかったが――を、想定して考え抜いてきたのだ。


 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽             


 ――三年前。

 長江で白銀の光に包まれた俺たち――俺と結月と趙雲役の青年――の3人の“意識体”は、雲を超え、更に上昇し続けていた。

 地球の輪郭が見えるほどの高さに至ったとき、光は反転し、地上へと急下降していった。


 途中、俺たちと入れ替わるように、3つの光がすれ違う。

 まるで俺たちが来た道を辿ろうとするかのように、それは天へと昇って行った。


 雲を抜けても、俺たちの魂は下降を続ける。眼下に待っていたのは、明らかに現代とは様子の違う赤壁だった。建物が殆どない。だが、悠然と流れる長江が、そこが赤壁だと示している。


 地表に近づいたとき、光の帯の中に、横たわる三人の人影が見えた。俺たちの身体ではない。顔は良く見えないが、質素な布製の着物をまとっている。


   俺たちの意識が、その三人の体に溶け込んでいく。


 ――こうして俺と結月、そして趙雲役の青年は、三国時代に転生した。


 その時はまさか、自分が入り込んだ体が、あの諸葛亮孔明のものだとは想像さえできなかった。

 ましてや結月が月英ヨメに、そして巻き添えを食った青年が、諸葛謹おとうとに生まれ変わろうとは……。

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