15 サラスヴァティー

 より濃密な芳香に包まれたと思った瞬間、先輩の声が聞こえた。


「なにやっとんねん、あのアホは」


 突如脳裏に浮かんだ光景は、さっきまでいた珈琲店の店内で、テーブルには、珈琲が少し残ったカップと、空になったお皿が並んでいる。


「出来ひんかったら出来ひんかったで、連絡くらい寄越せっちゅうねん。報連相ほうれんそうも知らんのかいな。あーもう、しゃーない。サラス。アイツを探してくれ」

「darlingは?」

「オレは、坊サンに迎えに来てもろて、場所わかったら一緒に向かうわ」

「何かあったと思ってるんだね。わかった。坊やのことはあたしに任せて」


 これは、サラスさんの記憶の一部。

 ここへ来る直前、先輩と交わしたやり取りだろう。

 同調がうまくいった証拠だ。

 意識は一瞬で切り替わり、山中の景色が戻ってくる。

 僕の背後に回ったサラスさんは、ふわりと宙に浮いたまま、僕の右肩に右手を置き、左手で『ごりょうさん』を示した。


「さあ、行くよ、坊や。あんな女になんか、絶対負けないんだから」

「女って、あれは別に女のヒトじゃ――」


 振り向くと、すぐ横にたわわな胸があって、僕は慌てて目を逸らした。

 しかし、彼女は僕の動揺など気にもせず、ひたすら敵だけを注視している。


「本当なら、ぎったんぎったんにしてやりたいとこだけど、darlingから、手荒な真似するなっていわれちゃったからなぁ。弓矢に刀、矛、斧、ちょうしょ鉄輪てつりん羂索けんさくどれがいい?」

「は?」

「だから、キミの武器エモノだよ。一つ貸してあげるから」

「それ、僕も戦えってことですか?」


 また振り向いて胸を見てしまい、急いで顔を背けたが、彼女の方が僕の正面に回り込んでくる。


「僕じゃなくて、僕だよ。あたしが戦ったら、うっかりっちゃうかもしれないし」


 平然といわれ、僕は言葉を失った。

 僕が戦ったら、僕が殺られちゃいますよ。

 だけど、女神サマには逆らえない。


「……ちょうしょと、てつりんって何ですか?」

「長杵は昔のインドの武器なんだけど、竪杵たてぎねの先に刃が付いてて、敵を刺したり殴ったりするの。ほら、金剛力士像が持ってる棒みたいなヤツだよ。あと、鉄輪はね、円月輪って聞いたことないかな? 外側に刃の付いた輪っかで、敵に投げ付けて使うんだけど」

「……矛でいいです」


 どれも使いこなせる自信はないけど、これが一番マシな気がする。


「OK。それから、守備力とか運のよさとか、いろんなステイタスの上がる魔法もかけてあげるから、呪文を唱えな――って、逃がさないよっ」


 サラスさんは振り向きざま、青・黄・赤・白・黒の五色の糸でられた長い縄を放った。

 縄の先端には金色の尖った金具が付いていて、それは真っ直ぐに宙を走り、蛇のようにぐるぐると『ごりょうさん』へ絡み付く。

 どこから出したか謎だけど、あれが羂索だろう。

 縄をしっかり掴んだまま、彼女はいった。


「ほら、坊や、呪文っ」


 彼女と繋がってるからか、自然と唱えるべき文言が浮かぶ。


「チニャタサンメイ・ビサンメイ・ソワカ・サケイタイ・ビケイタイ・ソワカ…………チラトイバツタ・バツラカンマヌマツト・ソワカ」


 すべて唱え終えたとき、全身に力がみなぎってくるのを感じた。

 そして、目の前に現れる三叉の矛。

 なんか勇者にでもなったような気分だ。


「さあ、darlingを煩わせたクソ女を、死なない程度に懲らしめておやりなさい」

「――って、懲らしめたらあっかーん」


 まるでツッコミを入れるかのようなタイミングで、再び先輩の声が聞こえた。

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