第24話 さっぱりわからないんだけど

 誰かと一緒に砂浜を歩いている。見覚えのある後ろ姿。ここは東京? いや違う。私の第二の故郷、福島だ。眼前に広がる湖。そう猪苗代湖だ。遠くには磐梯山が見える。





 声が出ない。ただ後ろをくっついて歩いているだけ。どこに連れて行くの。波の音、砂浜の感触。





 男の子が振り返って笑顔で前の方を指さしている。日差しが眩しくて顔が見えない。手を握られた。勢いで砂浜に足が取られる。





「大丈夫?」と優しく声を掛けられる。聞き覚えのあるとても心地よい声。





「葵? 泣いているのか?」





 え? と私は右手で涙を拭く。





「俺さ、実は、中学を卒業したらまた東京へ引っ越すことになったんだ」





 私は何も言えなかった。男の子の顔が薄っすらと見えてきた。今となっては懐かしい記憶。





「俺さ、お前の事……」





 透哉君? 待って。なんで離れていっちゃうの。私は、あなたのこと。


 


 葵は目を見開いた。薄汚いグレーの天井が見える。どうやら夢を見ていたようだ。しかし、それは夢というよりは実際の記憶の再現だった。涙がつーっとこめかみを通り、耳に触れた。





「起きたようだな?」





 どこか聞き覚えのある男の声。葵は覗き込む男の顔を見て、飛びあがった。涙を手の甲で拭った。





「まぁ、落ち着けって」





 葵は辺りを見渡した。





 ここはどこ? 廃墟? ビルの中? 私は麻美ちゃんと新宿へ向かっていたはず。





「そう構えるなって」





 男はそう優しく諭す。葵は男の雰囲気にどこか違う雰囲気を感じた。





「構えるなって言われても」





 葵は後ろへ後ずさる。左足に軽い衝撃が走った。葵は振り返った。どうやら椅子に当たったようだ。周りを見渡す。ここはオフィスなのだろうか。デスクや椅子が乱雑に配置されていた。





「その辺の椅子に勝手に座ってくれ」





 男は手に持っていたペットボトルを葵に向けて投げた。葵はそれをキャッチした。





「ちょっと。どういうこと? さっぱりわからないんだけど」





 男は困った表情を見せ、鼻を掻いた。





「俺の勘違いだったみたいだ」





 葵は男の言っている意味がわからず、益々混乱した。





「あれだよ。その、お前のネックレス」





 男は葵の胸元のネックレスを指した。





「それが何だっていうの?」





 葵は苛立ちを隠せない。男は頭を掻いた。





「まぁそう苛つくなって」





 男のその一言に葵はまたイライラした。





「最初はな、お前が俺と同じ漂流者だと思って、遊んでいたんだよ」





「漂流者?」





 葵は男に聞いた。





「ああ。お前ループしてるだろ?」





 葵は黙って頷いた。





「俺も同じなんだよ」





 男はそう言うと、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。





「何度もループしてると、暇なんだよ。だから、俺と同じ奴がいないか、観察してたんだ」





 男は煙草を吸うと、口から煙を気持ちよさそうに吐いた。





「俺は、そのネックレスを無くした。そして、お前がネックレスをしていた。だから俺は執拗に追い回した。要するに、お前が盗ったんじゃないかってな」





「私が人の物取るわけがないっ!」





 葵は鼻を大きく膨らませて言った。





「まぁ、普通の精神状態ならそう思うのが当然なんだろうな。お前どのくらいループしてるんだ?」





 葵は10回目くらいからは数えていなかった。





「わからない。けど、10回以上は」





 フッと小馬鹿にしたように男は笑った。





「まだまだ甘いな」





 葵はその言い方に少しイラッとした。





「お前もそろそろおかしくなりそうなんじゃないか? 終わらない毎日に飽き飽きしてくるころだろ」





 男は高笑いしている。葵はイライラしつつも、その通りだったので、小さく頷いた。





「今までの事は謝る。まさか、本当に自分と同じ境遇の奴に会えるとは思わなかったからさ」





 男は葵に頭を下げた。





「そういや、まだ名前を言っていなかったな」





「あ、うん」





「俺は景だ。鈴村景」





 景はそう言うと、煙草を一服し、机に擦りつけた。





「お前は?」





 景は机の上に置いてある、ペットボトルの蓋を開け、飲んだ。





「私は、楠木葵」





「葵か。同じ漂流者同士仲よくしようぜ」





 葵は、首を振った。





「無理。無理です」





 景はハハっと笑った。





「別にお前の事を好きになったりするかよ」 





「なっ」





 葵の右こぶしを握り締めた。





「お前、まだまだガキだろ? それに俺にはちゃんと彼女もいるし」





 景は、煙草を一本取り出すと、火をつけ一服した。





「そう言えば……」





「何?」





 葵が聞き返す。





「ずいぶん前に。ああ、そう言うと、ちょっと表現がおかしくなるが、そう、大分前に、東京駅で初めて会った奴がいたんだが、俺たちと同じネックレスをしていた」





 景はそこまで言うと、煙草を咥えた。





「同じ?」





 景は煙を吐いた。





「そう。名前なんだっけかな。と、とうり? なんだっけな」





「とうや?」





 葵がそう言うと、景は葵を指さした。





「そう! 透哉だ。そうかお前の彼氏だったのか。その透哉ってやつが、お前を探すって、新宿に行くって言ってたかな」





 私を探す……





「私を探すって?」





「ああ。俺も詳しくは聞かなかったんだがな。なんか知ってる風だったな。あいつも漂流者なのかもな」





「なんでそう言い切れるの?」





 景は煙草を机の上に置いた。煙がふわふわと昇っていく。





「お前も、感じるところはあると思うが、バグが入り込むと、違和感があるだろ? それと同じで、あいつを俺は知らない。初めて見たからな。忽然と現れやがった」





 忽然と現れた……





「それって?」





 葵は景に聞いた。景は煙草を咥えた。大きく吸うと、煙草の先端が赤々とギラギラしていた。煙草を手に取ると、口から煙を吐き出した。





「あいつは、なぜか、どこからか現れたってことだ。要するに、謎。バグかもしれないな」





「私たちと同じ?」





「いや、多分違うだろ。俺は、俺たちとあいつは違うと思う」





「違う?」





「ああ。もし、同じなら、どこかで見ているはずだからな。もしかしたら、あいつはバグじゃなくて、俺たちを解放してくれるカギなのかもしれないな」





「というと」





「確証がないんだから、あんまり聞くな。でもな、俺たちがこんなことになってること自体あり得ない事なんだ。それと同じような事が起きても今更驚くことはない。そして、結果があるのは原因がある。事象には必ずきっかけがあるはずだ」





 葵は顔をしかめた。少し、面倒くさい話になってきたと感じた。





「俺たちがこんなことになったのも、原因がある。そして、あいつが現れたのも何かの原因がある」





「その原因って?」





 景はニヤッとして口を開いた。





「だから。俺に聞くなって。それを知っていたら、きっと俺はこんなことしてないよ。お前をおちょくる前に出会っていないさ」





「まぁそうよね」





 葵は頷いた。





「お前、スマホは持ってるのか?」





「一応」





「いいな。俺はアホなのかドジなのか。普段そんな事しないのに、こういう時に限って、スマホを忘れてきちまってよ。誰にも連絡できないってわけよ。アホだろ?」





「ええ。まぁ」と言いたいところだが、また逆上されてしまっても困るので、葵は適当に笑ってごまかした。





「それじゃ、彼女さんとも連絡はとれてないんだ?」





 景は頷いた。





「まぁな。俺たちは死ぬことはないはずだから、ゆっくりその事は考えるよ」





「そう」





 葵はこの輪廻のような生を一生繰り返すのは、ごめんこうむりたいと思った。深いため息が出る。





「話は変わるが、お前と一緒にいた子は、友達か?」





 葵は、そう言われて麻美の事を思い出し、ハッとした。





「そう言えば……」





 葵は椅子から立ち上がり、周りを見渡すが、麻美の姿はなかった。





「友達なのか」





「いや、違うの」





 葵は首を振った。





「麻美さんは透哉君の友達で」





「友達で?」





 景が聞き返した。





「わかんないけど、東京にいて。それで……」





 景はペットボトルを手に取り、飲んだ。





「それで、透哉君たちは新宿で私を探して、でも麻美さんだけはそれはちがうんじゃないかって、勝手にこっちに来たって」





「ははーん」





 景は何か面白いことがあったのか、ニヤッと笑みをこぼした。





「今のお前の話を聞いただけで、俺はピーンと来たね。やっぱりあいつは俺たちとは違うってね」





 葵は景の言っていることが、いちいちイラッとくるし、回りくどい事を言うので、理解が出来ずにいた。





「本当の理由はわからないが。あいつは東京から新宿へ場所を移動している。要するに、そこでお前と約束していたからだ。しかし、あいつは東京へ来ていたこともあった。そう、麻美って子と同じ理由だったかもしれないが、あいつには、東京に来るだけの理由があったのかもしれない。例えば、東京駅で待ち合わせをしていた。もしくは、お前に東京駅で待つように言ったか」





「そんな。私は……」





 葵は俯いた。しかし、麻美が言っていたことを思い出して顔を上げた。





「そう言えば、麻美さんが、私はこの大地震で死んでいたって。そして、透哉君も過去に遡っているって。そんなことを言っていた気がする」





 それを聞いて景は大きく高笑いをした。





「やっぱりあいつは……よかったなお前」





 景はそう言うと、煙草をふかした。





「要するに、あいつは未来から来たってことだよ」





 未来から……透哉君の言葉。それなら納得がいく。





「あいつは、お前を助ける為に過去へ来た。しかし、なぜか、あいつとお前の行動にズレが生じている。それは……」





 景が話し終る前に、遠くから葵を呼ぶ声が聞こえた。麻美だった。





「麻美さん!」





 葵は椅子から立ち上がり、麻美の方へ駆け寄った。二人は満面の笑みで抱き合った。





「よかったよかった」





 麻美は、葵の背中をポンポンと叩いた。





「麻美さんこそ」





「あの人が助けてくれたんだよ」





 麻美がそう言うので、葵は景の方を振り向いた。





 景は煙草をふかして、知らんぷりをしていた。





「あいつが?」





「そうだよ。あの人が私たちを津波から助けてくれたの」





 確かに、今更疑っても仕方がなかった。事実私たちは助かっている。しかし、パニックになっていたのか、葵の記憶から津波の記憶がすっぽり抜けてしまっていた。





 葵と麻美は景の元まで歩いた。





「すっかり元気になったか?」





「おかげさまで」





 麻美は頭を下げた。景はペットボトルを麻美に渡した。麻美はそれを受け取ると、キャップを開け、口に流し込んだ。





 景は二人を見て口を開いた。





「それはそうと、葵だっけ? お前これからどうするんだ?」





 麻美は葵の顔を見た。腕を組んで考えてるようだ。葵が景の顔を見た。





「出来れば、透哉君に会いたいけど」





 景は煙草を口元から離した。





「まぁそうだわな。しかし、この状況の中どうやって探すかだな」





 葵は窓まで移動し、外の状況を確認した。





「まだ、水が引いてない」





 葵は窓に手をついて、遠くまで目をやった。東京という街が、そこにはなかった。B級映画でよくあるような、パニック映画さながらの風景がそこにはあった。





「今15時40分を過ぎた頃だから、あと少しで、水は引くはずだ」





 景はそう言うと、立ち上がり、窓の外を見た。





「水が引いたとしても、どこを探すんだ? あいつがいそうなところわかるのか?」





 景は葵を見た。





「それは……わからないけど」





 葵は自信なさげに小さい声で言った。





「電波もまだ圏外みたいだし」





 麻美はそう言って、自分のスマホをいじっている。





「とりあえず、スマホが通じるまで、下手に動かない方が良さそうだな」





 景はそう言うと、椅子に座って、煙草を咥えた。





「うん」





 葵は頷く。





「まぁ、東日本大震災の時も、電波は復旧したから、そのうち繋がるだろ」





「そうね」





 葵は外の景色をじっと見つめた。あちこちで、煙が上がっている。





「それじゃ、私はもう少し寝てようかな。どうせやることないし」





 麻美はそう言うと、また、隣の部屋に行ってしまった。





「あいつは暢気なもんだな」





「うん」





 葵は窓から離れ椅子に座った。





「俺たちは、後数時間でまたやり直しだっていうのに」





 景はつまらなそうに言うと、持っていた煙草を机に擦りつけた。





「そういや、さっき言い忘れたんだけどな」





「何?」





 葵は景を見た。景は眉間にシワを寄せている。





「ズレだ」





「ズレ?」





 葵は首を傾げる。景はフッと笑みを浮かべる。





「行動のズレ。俺の方は詩穂の方がどうなってるのかわからないから、お前の方しかわからないが」





「詩穂?」





「ああ。俺の彼女の名前だ。まぁそれはいいとして」





 景は照れ臭そうに鼻を擦った。





「お前の話を聞いた限り、お前と透哉ってやつの行動にズレが生じている」





「行動のズレ?」





「そう。恐らく、俺らとは時間の軸が違う」





 景は煙草の箱から煙草を取り出そうとしたが、既に空だった。箱をくしゃっと握りつぶすと、後ろに放り投げた。





「麻美ってやつが言ってたんだろ? 過去に遡ってるって」





「そ、そうだけど」





 外からヘリコプターの音が聞こえてきた。二人は窓の方を見た。





「俺たちは違う。お前は、何時ごろ目が覚めるんだ?」





 葵は腕を組んで目が覚める時間帯を思い出している。





「確か、12時くらいかな」





「12時か。お前その前の記憶ってあるか?」





「え、まぁあるけど?」





 景が頷く。





「だったら、なんであいつは行動を変えているのか。もしかしたら、あいつも気づいたのかもしれない。俺たちとの行動のズレについて」





 景は机の上に置いてあるペットボトルを取り、一口飲んだ。





「あいつは、恐らく過去に戻った時、お前に新宿駅に行くなと言っていたのかもしれない」





 葵は景の言葉を聞いてハッとする。





「そう言えば……」





「思い当たる節があるようだな。まぁそれはもう仕方がないとして、あいつも、気づいたんだ」





 葵は景の顔をじっと見ている。





「ある時間を境に、そう例えばお前の場合は12時くらいか。その時間の前と後であいつとお前の記憶にズレが、矛盾が生じてしまう」





「そういうことだったのね。話が噛み合わないことがあった。急に謝ってくることもあった。ただ、私はそれがよくわからなかった」





 景は二度頷く。





「俺たちはあいつに会って、話し合わなくちゃならない。今のこの状況や打開策について何かないかをな」





「そうかもね」





 葵は頷く。





「あいつは俺たちと違って、時間があるんだ。俺たちは数時間しか時間がない。だから、俺たちに出来ることは当然限られてくる。恐らく何にも出来ないに等しいかもしれない。俺たちは無力なんだよ」





 景はそこまで言うと、深いため息をついた。





「なんでこんな事になっちゃったんだろう。いっそあの時死んでいれば良かったって……」





 景がハハっと笑った。





「かなり弱気になってるな」





「そりゃ、弱気にもなるでしょ。相変わらずイラッとくるわね」





 葵はそっぽを向いた。





「まぁ、後は透哉と連絡が着くまで待つしかないな。お前は、30分置きでもいいから、電波の状況を確認してくれよ」





「わかったわよ」





 葵は机の上に置いてあるバッグから、スマホを取り出し握りしめた。





「俺もひと眠りするから、後はよろしく頼むわ」





 景はそう言うと、椅子に寄りかかり、腕を組んで目を瞑った。





 葵は景の行動に納得は行かなかったが、自分達を助けてくれたせいで、疲れているんだとしたら、やむを得ないと思った。





 葵は窓に近づき、遠くを見た。今まで、自分の事で精いっぱいだったから、実家の家族の事までは頭が回らなかった。東京でこれだけの被害が出ているのだから、関東一帯や、東北、東海地方も被害は甚大になっているのかもしれない。





 葵は目を閉じた。





 終わらない一日が、もしかしたらそんな事も忘れさせてしまうのかもしれない。もし、明日が来るのなら、お母さんに連絡しよう。生きているかわからないけど。





 葵は、窓から離れ、椅子に座った。握っていたスマホの画面をじっと見つめた。画面は真っ黒で何も映っていない。ただ、自分の悲痛な顔がそこに映っていた。




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