第16話 大切な人はいますか?

 ネットカフェ「快適空間」は吉祥寺駅を降りて北口のサンロード通りに入る手前の雑居ビルの6階にある。




 透哉はエレベーターに乗り、「6」のボタンを押した。エレベーターが作動する機械音が鳴る。途中で乗ってくる人もいなかったので、直ぐに6階に着いた。ドアが静かに開く。エレベーターから降りると、目の前に入口がある。自動ドアが開く。透哉は快適空間に入った。





「いらっしゃいませ!」





 爽やかな、でもちょっと低いドスのきいた声が店内に響き渡る。店長の吉井だ。吉井は顔が任侠映画の悪役俳優のようないかつい顔をしている。そして、怒ると本当に怖かった。透哉は怒られた時の事を思い出して、一瞬身体がブルっと震えた。





 本当はヤクザなんじゃないのかな?





「おはようございます」





 吉井と目があった。なぜか知らないが重いプレッシャーを感じる。





「神木。今日は早いな」





 何か記入していたのか、ボールペンをカウンターに置いた。





「はい。熊井さんが今日休みだって、真中さんが」





「そうそう。今日熊井休みだから。真中と二人だけど、頑張ってくれ」





「わかりました」





 吉井はそう言うと、レジの隣にあるパソコンの前に移動し、何か入力を始めた。





 透哉は荷物を置くのと着替えをする為に、バックヤードへ移動した。途中、朝勤のパートの女性二人とすれ違った。茶髪に長い髪を束ねてポニーテールにしている女性を先頭に、次いでボブカットに黒縁眼鏡を掛けている女性。顔は覚えているが、名前が思い出せない。





「お疲れ様です」





 透哉が会釈をすると、女性二人も会釈をし、お疲れ様ですと返してきた。それ以上の会話はなかった。





 ドアを開けて、8畳ほどのバッグヤードに入ると、制服に着替えた月美が立っていた。制服と言っても、下はチノパンに上はワイシャツにネクタイだ。





 ドアの音に反応して、月美が振り返る。





「おはようございます」





「おはよう!」





 明るく元気な声が透哉に届いた。ドアがガチャッと音を立てて閉まった。





「今日は二人だから頑張ってね!」





 月美はニコッと微笑んだ。透哉はドキッとして照れた。そして、まいったなあという思いが交錯した。透哉は頭を掻いた。しかし、顔は自然と笑顔になっていた。





「は、はい」





 ちょっとだけ気持ち悪い声が出てしまったかもしれない。





 よし! と、頷くと月美は身体を反転させ、鏡を見ながらネクタイの調整を始めた。





 このバックヤードは、ドアを開けて、真正面には全身が映る鏡が打ち付けられている。そこで、従業員は服装のチェックをする。その隣に、長いテーブルが壁の端まで続いており、椅子が四脚置かれていた。





 テーブルの上にはテレビやパソコンが置かれている。テレビは休憩の時に見ることができたし、パソコンも必要があれば、使ってよかった。





 反対側には壁を背にロッカーが並んでいた。隅っこに、カーテンで仕切られた、着替えをするスペースになっている。





 透哉は自分のロッカーを開けると、荷物を入れ、制服を取り出した。





「お先~」





「すぐ行きます」





 月美が手を振って笑顔でバックヤードから出て行った。


 


 平日ではあるが、夜ともなると客がひっきりなしに入店してくる。学校が終わった学生から、仕事帰りのサラリーマンなど。50席ほどある空間は意外と広く、二人で仕事を回そうとすると結構大変な作業だった。





 一人はレジを担当し、もう一人が部屋の清掃を担当する流れになる。今日はなぜか人の出入りが激しかった。何度もカウンターと個室を移動するのを繰り返したものだから、透哉は疲労でクタクタになった。





「こんなに疲れたっけかな」





 愚痴をこぼしながら、透哉は座席の入退出の切り替えの為、PCを操作した。それを隣で聞いていた月美がクスクス笑った。





「確かに今日は出入り多いね」





「本当ですよ。今日に限って」





 透哉は後ろのポケットに入れていた、ゴミ袋と、腰に掛けていたアルコールスプレーを取り、しゃがんでカウンターの下に置いた。透哉は立ち上がった。





「ちょっとこっち向いて」





 透哉は振り向いた。同じくらいの身長のせいか、目線が同じ高さだ。目が合い、ドキドキする。透哉は目線を下に逸らした。月美の手が胸から顔の方に上がっていくのが見えた。





 首元がキュッと閉められた。





「よし。これでオッケー」





 そう言うと、月美は透哉の背中を叩いた。





「いったっ」





 透哉は背中をさすった。





「あと少しだから頑張れ。私が今度は掃除するから、透哉君はレジをやってね」





「わかりました」





 しばらくすると、客が伝票を持ってレジに向かって歩いてきた。月美はそれを見ると、掃除セットを持ってカウンターから離れた。





 数名、数組の客を見送り、そろそろバイトも上がりの時間に迫ろうとしたときだった。





 透哉の目の前を女性が通り過ぎた。その女性は首から見慣れたネックレスをぶら下げている。





……あれは。





 透哉は口をぽかんと開け、その女性を目で追った。相当間抜け面だったんだろう。





「なんて顔してるの?」





 掃除から戻ってきた月美だった。





「あ、すみません」





 透哉は頭を左右に振った。月美は呆れ顔で、そのままPCを操作する。





 月美が退店処理を終えた頃、カウンターに夜勤の男性が二名やってきた。挨拶を済ませ、レジのチェックを済ませる。金額はどうやらあっていたようだ。夜勤の二人に引継ぎをした。





「お疲れ様でした」





 透哉と月美は挨拶をすると、カウンターから離れた。





「ねぇ。さっきの女性どうかしたの?」





 月美はネクタイを緩めて、第一ボタンを外した。





「いや、何でもないですよ」





 透哉はネクタイを緩めると、そのままネクタイを外して、第一ボタンを外した。月美は髪を束ねていたヘアゴムを取る。纏まっていた髪がファサーっとなびいた。





「ほんとに?」





「まぁ」





 何かを隠しているなあと女の勘なのか何なのか、疑いの眼差しで、透哉を覗き込んだ。





「綺麗だな~って。ただそれだけですよ」





 透哉はそう言うと、月美より一歩先を歩いた。





「はぁ~。彼女さん可哀想になぁ~」





 透哉はドアを開けた。どうやら店長は既に帰っているようだった。月美も少し遅れて入ってきた。





「お疲れさん」





「本当に疲れましたよ」





 透哉はロッカーを開ける。月美もロッカーを開けた。月美は着替えを手に取り、着替えスペースに入った。透哉は、ロッカーの前で着替えた。





「月美さん。ちょっといいですか?」





「なに?」





 カーテン越しでモゾモゾしている月美が答えた。





「急な話しなんですが、オカルトって信じます?」





「え? 何?」





「オカルトですよ」





 一回目より少しだけ大きい声で言った。透哉はワイシャツを脱ぎ、高校指定のワイシャツを羽織った。





「オカルト?」





「そうです」





 少し間が空いた。透哉はチノパンを脱ぎ、制服のズボンを穿いた。





「うーん。どうかな~」





「例えば、未来から人が来たとか」





 透哉はズボンのベルトを締めた。





「未来から過去へってこと?」





「そ、そうです」





 また間が空いた。月美の着替えをする音が聞こえる。カーテンが空いた。ワイシャツとチノパンを手にもって月美が出てきた。透哉を見た。





「そういうのは面白いとは思うけど。信じられるかどうかはどうだろうな~。どうして?」





 月美はロッカーを開けた。チノパンとワイシャツをハンガーに掛けている。





「例えば、僕が未来から来たって言ったら信じますか?」





 月美が振り返った。透哉へ向かって歩き出した。目の前で止まった。月美は、右手をサッと、透哉の額に当てた。





「熱はなさそうだね」





 そう言うと、また、自分のロッカーへ戻った。





「当り前じゃないですか。熱なんかないですよ」





 透哉は赤面して、恥ずかしそうに答えた。月美の手は温かく、感触が柔らかかった。





「高校では、そういうの今流行ってるの?」





 月美はスマホをいじっている。





「いや、別にそういうわけじゃないんですけど」





 透哉は頭を抱えた。月美はロッカーを閉めると、手に持っていたリュックサックを背負った。透哉もロッカーを閉め、バッグを手に持った。





「まぁでも、そういうのってロマンがあるよね。未来から過去へ助けに行ったりさ。まぁ実際現実的には考えられないけど」





「……そうですよね。でもロマンなんてありませんよ」





 透哉は月美に聞こえないくらい小さな声で呟いた。





「なんか言った?」





 月美には聞こえなかったようだ。





「いや、なんでもないです」





「それじゃ~お先~」





 そう言うと月美は透哉に向かって手を振った。ドアノブに手を掛け、開けた。





「月美さん、大切な人はいますか?」





 月美が眉を顰める。透哉の顔をじーっと見つめる。





「大切な人? いるけど?」





「だったら、今週の日曜日、地震に気をつけてください」





 月美はフフッと笑った。





「オッケー! ありがと、ありがとう!」





 そう言うと月美はバックヤードを後にした。





 月美さんは絶対に信じていない。あの口調はから返事だ。





 誰もいなくなったバックヤードは物音一つなくシーンとしている。透哉も帰ることにした。

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