第18話 懐かしい味
透哉は博人と吉祥寺の喫茶店にきていた。この喫茶店は木造の作りで、緑を基調とした色に、屋根は赤いペンキで塗られている。絵本の世界から飛び出してきたかのようなメルヘンチックな喫茶店「クルシュ」だ。
店内に入ると、可愛らしい動物や子供のイラストが描かれている。食器もティーカップも可愛らしく、お伽の国にきている感覚を味わえる。
透哉はティーカップを手に取り、口に運ぶ。少し酸味のきいた程よい苦みのあるコーヒー。懐かしい味がした。
高一のときに博人に連れられ、最初こそ、苦みが受け入れられず、残してしまっていたが、何度か飲むうちに病みつきになっていた。
「透哉、お前、最近変だよな。将輝ともなんか話してるみたいじゃん」
博人はコーヒーを一口飲んだ。
「まぁ。俺にも色々あるんだよ。それにしてもここのコーヒーは本当に上手いな」
透哉は10年ぶりの味を堪能した。
「たいして味もわからないくせによく言うよ!」
博人は小馬鹿にするように笑った。「確かにそうかもな」と、透哉もつられて笑った。
本当に懐かしいな。
水曜日の夕方、とはいっても、17時を過ぎたあたりなのに、店内は透哉達以外にも大学生や、高校生、主婦などで席は満たされていた。
ウェイトレスも忙しく働いている。そのウェイトレスの一人が二人の席へ近づいてくる。透哉はその女性と目が合い、軽く会釈した。
「透哉君久しぶり」
そう言うのは井上真梨阿(いのうえまりあ)だ。真梨阿は博人の彼女である。切れ長の大きな目、肩まで伸びているロングヘア―の中々の美人だ。正直博人には勿体ないのではないかと思っている。
博人と真梨阿は、博人が初めてお店に来た時に、一目ぼれをして、しつこく半ば強引に連絡先を聞き、徐々に話をするようになり付き合いだした。
当初、真梨阿は博人をチャラくて、あまり好きになれなかったようだが、実際に接しているうちにそれは誤解だとわかった、とのことだった。
「よっ」
博人が右手を挙げて挨拶をする。
「あんたは来なくていいのに。ほんと恥ずかしい」
真梨阿は透哉のほぼ空のグラスに水を注ぐ。
「俺が一緒に行かないとさ、お洒落なお店に透哉一人で来れないでしょ?」
「はいはい」
と、生返事をして博人のグラスにも水を注ぐ。
「そうそう。透哉最近おかしいんだよ」
博人は真梨阿を見た。
「そうなの?」
真梨阿は透哉を見た。
透哉は頭に手をあてた。
「いや、まぁ。色々あってさ」
「私たち高校生だし、色々悩むこともあるよね」
真梨阿はニコッと微笑んだ。
「それじゃ、私は戻るね」
真梨阿はそう言うと、二人の席から離れた。
「話を戻すけどさ」
博人が神妙な表情で透哉を見る。
「やっぱりお前おかしいって。急に変な事言い出すし、オカルトとか興味なかったじゃん」
透哉はコーヒーを一口飲む。
「まぁな。オカルト云々は興味なかったけどさ、俺だってよくわからないんだよ」
透哉は博人と視線を合わせず、自分のコーヒーカップを見る。
「だからさ、こんな意味不明な事をぶっちゃけられるのは、彼女はもちろん、お前らしかいないんだよ」
透哉は博人を見た。博人はずっと透哉を見ていたようだった。
「未来から来たとか、俺らはそんな事を急に言われてもよくわかんないし、すぐに信用できるわけがないからな。それに、先週までは透哉、お前そんな事一言も言ってなかったじゃねーか」
博人の声のボリュームが一段階上がった。
「あんまり大きい声出すなよ。他の客に迷惑だろ」
そう言って制止すると透哉が周りの客を見渡す。二人の近くに座っている客は二人の方を迷惑そうに見ていた。
「ほら」
透哉は小声で博人に囁いた。透哉の視線の先に見覚えのある顔が視界に入った。一瞬動揺し、言葉が漏れそうになったが、堪えた。
しかし、相手に気付かれたみたいだった。
「どうした?」
博人がそう言うと後ろを振り向いた。
「ああ、絵理ちゃん。お前知らないんだっけ? 彼女はうちの高校の二年生だ」
「ああ。知ってるっていうか、何というか見たことはある」
博人は左眉を持ち上げ、にやついた。
「結構、会っているはずなんだがな。まぁ、紹介も何もしてないし」
絵理がクルシュでバイトしていたなんて。当時はそんな事気づきもしなかった。
絵理は腫物でも見たかのように、透哉を睨めつけると、奥の方へ入っていった。
まいったなあ。
透哉は心の中で呟いた。
「それでさ」
博人が最初の話に戻した。
「仮にお前の言ってるそれが本当だとしたら、お前はなんで過去に来たんだ? どうやって? 目的は?」
博人は背もたれに寄りかかって腕を組んだ。
「……」
透哉は黙ってコーヒーカップを見つめ、考え込んでいる。なんで過去に来たのか。目的は何なのか。この二つについては、やはり葵に関係しているのではないかと考えた。しかし、どうやって来たのかがわからなかった。気づいたらいた。これでは博人に説明ができないし、理解してもらえない。
「目的は何となく。ただはっきりとはわからない。どうやって来たかについては、説明ができない」
透哉は当惑した。それでも続けた。
「俺はあの日、2028年の7月15日に新宿の雑居ビルで月を見ていた。そしたら意識が遠くなったんだ。それで、気づいたらこの2018年にいたんだ」
「月? なんで雑居ビルで月なんて見るんだよ」
博人は首を傾げた。透哉は右頬を掻いた。
「その日はスーパームーンだったんだ」
「スーパームーンっていったら今週の日曜日のやつだろ?」
透哉は頷く。
「そう。そのスーパームーンを見ていたんだよ。そう。そうだ。そしたら、急に突風が吹いて、体がフワッてなって。気持ちよくなって。それで、意識がなくなって」
透哉はコップに注がれている水を一口飲んだ。
「俺は狂ってるのかもしれない。でも、確かに俺は未来から来ているはずなんだ」
博人もコップの水を一口飲んだ。
「ごめん。俺にはさっぱりわからない」
そう言うと博人は何か考えこむ様に押し黙った。
「わりー博人。ちょっとトイレに行ってくる」
透哉は席を立った。トイレがどこにあるのかは記憶が覚えていた。座席の間をすり抜け、店内の奥にある人二人分通れる通路を歩いていく。トイレは男性用と女性用がわかれている。
透哉が通路を歩いていると、一人の女性とすれ違った。先日バイト先で見かけた女性だった。
透哉は思わず、振り返って女性を見た。女性も透哉の方を振り返ってみていた。
「あっ」
透哉は声を出そうとしたが、うまく言葉がでなかった。
透哉がはにかんでいる間に、女性は特に何も言うことなく歩いて行ってしまった。
透哉は何か引っかかっていた。あの女性は何か気になる。好きとかそういう感情ではない。何か、大事な何かを握っている、そんな直感めいたものだった。これもオカルトのせいなのか。
透哉はトイレから戻って椅子に座った。博人は考え込んで腕を組んで座っていたが、コーヒーカップの中身は空になっていた。
「やっぱり、お前の言っていること、よくわからないよ」
博人は続けた。
「お前が未来から来たとか」
透哉は黙って聞いている。
「でも、俺はお前の昔からの友達だから、正直信じたいっていうのもあるんだ。もしも、これが嘘だとしたら、それこそお前らしくない。それに、今まで、お前がこんなにしつこく言うことなんてなかったしな」
透哉はコーヒーカップを手に取り一気に飲み干した。コーヒーカップをテーブルに置く。
「ありがとう。博人。今から言う事だけどさ、驚かないでくれよ?」
博人が頷く。今更驚くかよという、不敵な笑みを浮かべた。
右隣の席の人が席を立ち、荷物を持ってレジカウンターに向かった。
「支離滅裂かもしれないけど」
透哉はそう前置きした。博人は黙って頷いた。
「俺は、既にこの世界を2回やり直している。7月15日、7月12日。そして今回が3回目の7月8日」
博人は首を傾げた。透哉は博人が疑問に思っていることが読み取れたので、付け加えて簡潔に説明をした。
「俺の言い方が悪かった。最初に目覚めたときは、7月15日だった。その日が終わり、目が覚めると、7月12日に遡っていた。そして、また7月15日が終わると、7月8日に遡っていた。という訳なんだ」
「あー」と、博人は頷いた。
「要するに、7月15日になると、時間が遡るってわけか……でも、なんで7月15日なんだろうな?」
博人の身体が、前のめりになる。透哉も前のめりになった。
「実は今度の日曜日の7月15日に大地震が起きる」
博人の身体がさらに前のめりになった。
「それって、この前言ってた、掲示板のやつか?」
「そう。恐らく俺と似たような境遇の奴がいるんだ。それで……」
「それで?」
「俺が過去に飛ばされた理由はそこにあると思うんだよ」
「そこに?」
博人は聞き返した。隣の席では絵理が帰った客の食器を片付けている。
「葵はその日から行方不明になっている。恐らく地震で死んだんだと思う。俺はあの日からずっと葵を探していたんだけど。結局見つからなかった」
「とすると? 葵ちゃんを助けるために?」
博人は唾を飲み込んだ。絵理は食器を持って、レジの奥へと歩いて行った。
「多分。恐らく。本当にそうなのかわからないけど。でも、俺はそれも関係しているんじゃないかと思っているんだ。まぁ、どうやって過去に飛ばされたのかはわからないけどさ」
透哉は背もたれに寄りかかった。そして、キッチンの方をチラッと見た。
「それに、絵理っているだろ?」
博人は2回頷く。
「俺はあいつを一度東京駅で助けている。それに電話番号も知っている。でも、その事を今の彼女は知らない。どうやら記憶があるのは俺だけみたいなんだ」
博人は天地がひっくり返ったかのように、驚き、口をぽかんと開けている。
「はー。という事は、俺はっていうか、みんなだと思うけど、透哉とこうやって話していた事とか、そういうのは全部リセットされちゃってるってことだよな」
「ちょっと違うかも知れないけど、ニュアンス的にはそういう事だと思う。要するに、今のこの時間にいるお前は存在していないのかもしれない。だから今のこの時間に意味があるのかどうなのか……」
博人は目をつぶって何かを考えているようだ。
「それで、二度目の時に、俺は新宿で葵に会えたんだがな。葵が……まぁ色々あって……」
透哉はその続きを言うのを止めた。葵が死んだ話をしても、博人も透哉も暗くなるだけだから、その先を言うのを止めた。
「結局、目覚めたら、7月8日だったってわけ。たぶん、7月15日が来たら、また俺は過去に戻ってるはず。また何も知らないお前らに、一から順を追って話すことから始めなければならないはず」
博人は頷いた。
「なるほど。馬鹿馬鹿しい話だが、本当ならかなりやっかいだな」
博人は眼鏡を外し眉根をつまんだ。
「やっぱりさ、その循環? ループっていうのか? お前がさっき言ったように7月15日に葵ちゃんを助けるとか? 何かをクリアしないといけないのは確かなようだな」
「やっぱり曖昧だけど、多分その辺りに近い気がする。もしかしたら全然違うかもしれないけどな」
透哉はハハっと笑った。
「でも、そのクリアするモノっていうのが確実であるような何かがわからないようじゃ、話にならないよな」
博人はそう言うと、手に持っていた眼鏡を掛けた。
「まぁそうなんだけど。むやみやたらに繰り返すより、葵を助ける。何かを達成するというような目的があった方が動きやすいってのは確かかもな」
透哉は考えた。無意識に天井に目がいっていた。
「まぁそれについては、透哉自身で考えてくれよ。何かどこかにヒントがあるはずだよ」
透哉は博人に目線を移した。
「ああ。そうだな」
「それはそうと、お前の未来では俺たちはどうなってるんだ?」
博人はニヤッとした。透哉はすました顔で答えた。
「7月15日。皆、あの日、地震で死ぬんだ。俺は、博人があの時どこで誰と何をしていたのかわからないけど。麻美も、井上さんも、皆死んでいる。事実は報道されたし、資料にも載っている」
「ちょっ。ちょっと待てよ」
博人から笑みが消えていた。意外だったのか。それとも、自分は生きていたんじゃないのか。博人はそう思っていたのかもしれない。大概、人は、自分は他人とは違う。災害があった時も、自分は助かるはずだ。そう思っている人が大半だろう。もしかしたら、博人もその一人だったのかもしれない。頭のシミュレーションと実際の行動は相反する。非情に残酷だ。
博人の声に反応し周りの客が二人をジロジロ見た。透哉は小声で「静かにしろ」と囁いた。
「まぁ落ち着けよ」
「それ聞いて、落ち着いていられるかよ」
二人はヒソヒソ声で話す。
「本当は、葵だけって思っていたんだけど、お前たちとこうやって接していると懐かしくってさ、やっぱりお前らがいない未来は俺には寂しすぎたよ。だから、俺は葵も、お前らも助ける。それが俺の未来にとって正しいのかどうかはわからないけど」
博人はひどく動揺しているようだ。博人は水を一口飲んで心を落ち着かせようとしている。
「そう言うけどさ、15日まで後3日しかないんだぞ」
「わかってるよ。でも、なんとかするしかない」
どうやら透哉達の声が次第に大きくなっていたのか、聞きなれた女性の声が割って入ってきた。
「あの~。他のお客様のご迷惑になりますので、あまり大きな声を出さないようにお願いします」
絵理がムスッとした顔で透哉を睨んでいた。透哉は絵理の凄みに圧倒されていると、博人が「ごめんごめん。そろそろ帰るからさ」と謝った。
「そうして頂けますと助かります」
絵理が博人を見て、わざとらしい笑顔を見せる。
「そうだ。こいつまだ紹介してなかったよな?」
博人が絵理と透哉の顔を交互に見た。透哉は気まずそうに下を向く。
「知ってますよ。気持ち悪い人ですよね?」
絵理が蔑んだ目で透哉を見た。
「おいおい。なんかあったのか?」
透哉が言葉に詰まっていると、絵理が口を開いた。
「いえ、一昨日初めてお会いしました」
「まぁ」
「用もないのに私の事ジロジロ見ていたので」
ははーんと博人が一人わかったように頷く。
「絵理ちゃん。こいつも悪気があったわけじゃないんだ。事情があったんだよ。ゆるしてやってよ。ね?」
博人は透哉の事情を聞いたら、そうしてしまうのも無理はないと思った。
「まぁ、博人さんが言うなら……」
不満はありそうだったが、絵理は渋々了承した。
「俺が後で教えてやるから」
博人は絵理を見た。
「お前も後で教えてやれよ」
博人は透哉を見た。透哉は引きつった笑顔で頷いた。
「わかりました。それでは」
絵理はそう言うと、二人の元から離れた。
透哉と博人はグラスの水を飲み干した。
「そろそろ行くか」
博人が時計を見た。透哉は店内の窓から外を見ると、だいぶ暗くなってきていた。
「そうだな」
「とりあえず、3日しかないけど、何かあるはずだ。俺も死にたくないし、手掛かりがあるか探してみるよ」
「ありがとう」
透哉はそう言うと、バッグを手に取り、席を立った。会計を済ませようとレジへ向かって歩いていると、一人の女性の視線が目にとまった。あの女性だった。何か訴えかけているようなそんな表情をしていた。
透哉と博人は会計を済ませ店を出た。夜風が気持ちよく、空を見上げると星がちらほら垣間見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます