第22話 信じてもらえないかも知れないけど

「あっ」





 走りながら電話をしていたせいか、通話オフのボタンを押してしまったのだろうか。透哉との電話が切れてしまった。





はぁはぁ。





 走っているせいで、呼吸が乱れる。握りしめているスマホが震えている。透哉からの着信だろうか。それすらも確認する余裕がない。





 葵は新幹線から降りると、一番近い八重洲南口の改札へと走った。そのまま、地下へ続く階段を駆け下りていく。曜日に関係なく、人で溢れているせいか、葵の肩がすれ違う人とぶつかり合う。





 後ろを振り返ると、あの男が無表情で追いかけてきている。





「なんなのよ。あいつ」





 葵は南口通りを真っすぐ走る。腕時計をちらっと見た。12時44分を指していた。





 前を向こうとしたとき、ドンっと強い衝撃が頭を突き抜けた。一瞬目線を時計に移したため、前から来る人をよけられず、ぶつかってしまった。





「っつ」





 息が漏れる。また、尻餅をついたせいで、お尻がじんじんと痛んだ。葵はお尻を摩りながら立ち上がる。「ごめんなさい」と一言言うと、後ろを振り返った。男の姿はなかった。葵はほっと安心した。しかし、それも束の間、男は葵の目の前に立っていた。





 男が右手で葵の首を掴もうとしたが、葵は咄嗟にバックステップでかわす。こんなところで、バスケ部で培ったフットワークが役に立つとは思ってもみなかった。





 走っていたせいで、だいぶ呼吸が乱れていた。





はぁはぁ。なんなのよこいつ。





 肩が上下に揺れる。何があったんだと、すれ違う人たちが二人を見ながら歩いている。恐らく、あまり関わらない方がいいのだろうという、心理なのだろうか。誰も止めようとするものはいなかった。





 男が左手に隠していたナイフを葵めがけて突き刺してきた。これも葵はギリギリでかわすと、そのまま前方へ走って逃げた。





 男はイライラしたのか、目の前の男の首をナイフで切り付けた。男は何をされたのかわからぬまま頸動脈を切られ、血が噴水のように飛び出た。





 辺りに悲鳴が轟く。それでも男は周りの目を気にせず、落ち着いて葵の後を追いかけた。男もまた時計を気にしているようだった。





 葵は、南口のコーナーを道なりに左へと進んだ。後ろから悲鳴が聞こえたが、振り返らなかった。





 通行人の悲鳴のせいもあってか、歩いている人の足が止まっている。皆、どうやら男のいる方を見ているようだ。





 葵は人込みを掻き分けるように、逃げた。しかし、どんどん人が集まってくる。葵は逃げながら、この野次馬根性の通行人に心の中で舌打ちをした。





 また、悲鳴が聞こえた。どうやら男が誰かを殺したのだろうか。葵と同様に通行人も止めていた足を動かし、逃げ始めた。





……出口がわからない。どこなの?


 


 葵に焦りが出てきた。額から汗が滴り落ちる。視野も狭く、普段なら発見できる案内板も視界に入らない。立ち止まっては視線を右往左往させた。その度に逃げ惑う人たちに体当たりをされ、身体が跳ねた。





「なんで逃げる?」





 背後からあの男の声がした。声のトーンは低く、妙に落ち着いている。





 葵は、ギョッとして背筋が凍り付いた。足が動かなかった。





「あ、あんたが私をそうやって……」





 葵の声は震えていた。その刹那、背中に衝撃が走ると同時に前へ吹き飛んだ。「うっ」と息が漏れる。前のめりに倒れる葵。男は足で、蹴り上げる様にし、葵を仰向けにする。そして、片手で葵のTシャツの襟を掴むと軽々しく持ち上げた。





 葵は倒れた時に、左目を傷めたせいで開くことができなかった。右目の視界がぼやける中、男の顔がぼんやりと映る。殺される。葵は唾を飲み込んだ。





「お前、このネックレスどこで拾った?」





 男の拳に一層力が入り、首元を締めた。





「うっ。ち、違う」





 言葉を絞り出す。





「違う?」





 男の眉根が上がる。





「ひ、拾って、ない。か、買ったの」





 男は葵の襟を放した。葵はバランスを崩し、一歩二歩と後ろへ後ずさる。締め付けられていた喉が解放され、葵は咳きこんだ。





「買った?」





 男がそう言ったとき、警察を呼ぶ声が二人の耳へ届いた。どうやら誰かが警察を連れてきたみたいだ。葵は逃げるチャンスだと思ったが、足が動かなかった。





「そ、そうよ」





 まだ、喉の痛みはとれない。葵の返答に男は首を傾げる。





「そこの男! 両手を上げなさい!」





 どうやら、騒ぎを聞きつけ警察官が来たようだ。ぼやける視界の中、男の背後に薄っすらと二人の警察官が見えた。





 男は両手を上げる前に、腕時計を見た。ふっと笑みを浮かべると両手を上げた。





 葵はホッとし、意識を失いかけた。クラッと身体が前のめりになる。しかし、意識が朦朧としているせいなのか、地面が揺れているように感じた。いや、違う。地震だ。葵は途切れそうになっていた意識を精一杯繋いだ。





 次第に強くなっていく地震。物凄い、轟音。激しく揺れる構内。立っていることは難しく、葵はしゃがみ込み手を地面につけた。





 それでも葵は、四つん這いになりながらも、出口を探し、進んだ。波打つ地面のせいで思い通りに進まなかった。





 天井から天板が落下してくる。その度に、葵は、頭を両手で守った。しばらくすると、電源がやられたのか、フっと構内は暗闇に包まれた。何も見えなくなった状態で、構内から悲鳴が木霊する。さらに激しくなる地震に、耐震構造で作られているであろう東京駅も予想外の地震の破壊力に無力になってきていた。崩落の音が聞こえ、さらにそこら中で悲鳴も聞こえる。





 しばらくすると、地震が収まった。葵は、手探りで、バッグの中からスマホを取り出す。電源ボタンを押し、画面を表示させ、ライトモードに切り替えた。





 先ほどまで活気のあったお店の姿はそこにはなかった。隣をライトで移すと、血だらけになっている男性が映し出され、葵はビクッと身体を震わせた。





 葵は驚きの余り声も出なかった。葵は立ち上がった。どうやら、左目は大分回復し、また視界も良好になった。





 廃墟と化した東京駅構内をスマホの明かりで照らしながら歩いていく。ドーンという音と共に、何かが地下へ落下していく音が聞こえてきた。





 どうやら早く出ないとここも危ない。葵は足を速めた。前方に照らし出された傾いた看板には「案内所」と書かれているのが見えた。





 案内所より、丸の内方面へ行く通路は天井が崩落していて、通ることは出来なかった。また、進行方向に対しても同じように天井が崩落していて通ることが出来なかった。





 葵は丸の内方面とは逆の、唯一通ることができる通路を歩いた。足元に注意しながら進むと、前方に階段が見えた。





 葵は、細心の注意を払いながら、歩を進めた。階段も少々崩れてはいたが、上ることに問題はなかった。光が見えてきた。





 葵は階段を上がると、駆け上がり地上へ出た。グラッと身体が揺れた。また地震だった。





 倒れそうになる葵の身体を小柄な女性が支えた。





「大丈夫?」





 心配そうに女性は言った。この聞き覚えのあるハスキーボイスは……。葵は顔を上げた。





「あ、麻美さん?」





 地震がまた強くなってきた。地面が揺れるせいで足元がおぼつかなくなってきた。





 麻美は頷くと、葵の肩を抱きながらしゃがんだ。地震が落ち着くまで二人は無言だった。轟音が辺りに響く。どうやら周りのビルが倒壊しているようだ。





 麻美は葵を立たせると、駅から離れ、今は車も走っていない、道路へと歩いた。





「麻美さん、なんでここに?」





 葵は麻美の顔を見た。麻美は白のレースのインナーに丈の長い黒のワンピースを着ている。麻美は車道の端の縁石に座った。葵を見上げた。





「透哉は新宿にいるでしょ? だから私は東京駅に来てみたの」





 葵は「は?」っと心の中で思った。微笑を見せ、首を傾げた。





「透哉達は葵ちゃんが新宿に来ると思って、あっちで待ってるんだよ。私はなんか違うんじゃないかなって、勝手に来たんだけど」





「達? ってことは、他にもいるんですか?」





 葵は右手で口を覆い、他に誰がいるのだろうと考えた。





「なんか、色々いるみたい。私もよくわかんない」





 麻美は微笑んでいる。葵は麻美の事はそれほどよくわかっていなかったが、透哉から色々話は聞いていた。予想外の行動を取ったり、言っていることがすぐ変わったり、かなりの不思議ちゃんらしいので、ペースに巻き込まれると泥沼にはまるということだった。





 葵は麻美のペースに乗せられない様に注意を払うことにした。





 麻美は葵が顔や身体を気にしているのが気になった。





「だいじょうぶ?」





 葵が麻美を見た。





「う、うん。ちょっと変な男に追われてて」





 麻美の眉根が上がった。





「変な男?」





「そうなの。あの執着ぶりは絶対おかしい」





 葵は左目を摩っている。





「この前も、襲われて……」





「この前も? どこかで会ったの?」





 麻美は膝の上に肘をつき、右手を頬にあてた。葵も縁石に座った。





「ううん。違うの。信じてもらえないかも知れないけど……私、同じ日を何度も繰り返してるみたいなの」





 麻美は顔を伏せた。葵は麻美に視線が合わない様に遠くを見ていた。人の気配がしない。いや、ポツンポツンと人がいるのが見えたが、いないに等しかった。それほどこの東京駅一帯が静まり返っていた。





 地震によって脆くなったビルが、重力に耐え切れなくなり、倒壊する音が聞こえてくる。





「そういや、透哉。透哉も同じような事を言ってたような気がする」





 麻美は顔を上げた。





「透哉君も?」





 葵は視線を麻美に向けた。





「そう。なんか過去に戻っちゃうって。私はよくわかんないんだけどさ」





「そう。そうだったんだ……」





 葵は両手で顔を覆い、太ももに埋めた。





 透哉君も同じようなことが起きていたんだ。過去に戻る……。私とは違うような気がするけど。麻美さんに聞いてもよく知らないだろうな。





「これからどうしたらいいんだろう」





 葵はぽつりと呟いた。





「透哉がさ、葵ちゃんに会いたいって。助けたいって」





 麻美は腰に手を当てている。葵と目が合うとニコッと笑った。





「なんかね、透哉が言うには私も葵ちゃんもこの大地震で死んでるんだって」





 私も死んでいる?





 葵は心臓の鼓動が早くなっていくのが分かった。





「私が死んでる?」





 麻美に聞いてもどうしようもないのは分かっていたが、どうしても聞かずにはいられなかった。





「そうみたい。なんかね、透哉は未来から来たって。そう言ってたよ。昨日の夜に博人と電話したんだけどさ、博人も多分信じてるようだし、私も信じようかなと。地震が来ることも当たってるし」





「未来から? どうやって?」





 葵は動悸が激しくなり左胸を右手で押さえた。





「う~ん。そこまでは私もわからないな~」





 麻美は首を傾げた。





 透哉君はどうやって未来からきたのだろうか。





 葵は目を瞑って考えるが、皆目検討がつかなかった。





 私は死んでいる? 地震で死んだ? 思い出せない。何か違うような気がする。頭がモヤモヤする。





 葵は首を左右に振った。目をあけた。





「透哉君は新宿にいるんですか?」





「そうだよ。ていうか、敬語じゃなくていいよ。同い年なんだからさ」





 麻美はうん。うん。と頷いた。葵はニコッとした。





「ありがとう。新宿か。電車は……この有様じゃ動いていないだろうし……」





 麻美はスマホをいじっている。





「スマホも圏外で連絡できないわ」





 麻美はため息をついた。葵もそれを見て、思い出したかのように、バッグからスマホを取り出して、確認した。





「本当だ。圏外だ。透哉君とどうすれば……」





「とりあえず、新宿に向かってみる?」





「うん」





 葵は立ち上がった。地震により無残な姿になった東京。荒廃した街。いくつもの炎と煙を上げるビル群。二人は新宿へ向けて歩き始めた。



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