第4章

第14話 葵の声

「ちょっと! 聞いてる?」





 透哉の耳に甲高い声が届く。





 誰かが俺を呼んでいる。





 聞き覚えのある声だ。





「寝てるの!? 透哉ー!」





 透哉はハッとして突っ伏していた頭を起こした。





 透哉は辺りを見渡す。アイドルのポスターが壁に貼ってある。誰だか今となっては思い出せない。それに、コルクボードには博人たちとの写真。本棚に乱雑に並べられた漫画たち。





 どうやら自分の部屋のようだ。





 俺は死んだはずじゃなかったのか。





 あの日、葵がビルの下敷きになった後、透哉もまた、別の場所で崩壊するビルの下敷きになった。





 まだ生きている。





 透哉は机に視線を戻すと、机の上にはスマホが置いてあった。どうやらスピーカーフォンになっているようだ。





 透哉はスマホの電源ボタンを軽く押した。画面には2018年7月8日(日)22時00分と表示されていた。通話の相手は葵だった。





「おーーーーい。聞こえてますか?」





 葵の声が棒読みに近くなっていた。恐らく呆れているのだろう。





「いるいる! 起きてる。起きてるって!」





 透哉は朦朧とする意識を無理やり叩き起こした。口元のよだれを手の甲で拭き取る。内心ひどく動揺していた。





 寝ていたのか。あれは夢だったのか。





「寝てたんでしょ?」





 葵の苛立った声が聞こえてくる。声のトーンは低かった。





「いや、そんなことないよ」





 透哉は髪の毛を掻きむしった。





 一体何が起きているんだ。





「嘘はいけません。何度呼んでも反応しなかったんだから」





「ご、ごめん」





 そんなに長い時間眠っていたのか。





 透哉は眉根をつまんだ。記憶は7月15日のだったはずだ。





 あの日、確かに俺は、あの時……





 透哉は何がおきているのか理解に苦しんだ。





 28歳の俺は、なぜか10年前にいる。なぜ10年前の自分を体験しているのだろうか。夢なのか。いやこれは絶対に夢じゃない。





 透哉はこの一連の流れに関して整理した。そして、仮説と共に一つの結論を導き出した。





 恐らく、これは夢ではない。夢ではなく現実の世界。そして、死んでも生きていても7月15日になると、なぜか過去へ戻ってしまう。それも、小説の題材でよく使われるような、同じ日をループするとかいうそんな生易しいものじゃない。過去を遡っている。今日は7月8日。前は7月12日。その前は7月15日。





 7月15日になると、さらに過去へ飛ばされる。記憶に関しては28歳のまま。そして、繰り返された日の記憶は継承されている。俺の28年間の記憶は今現在全くと言っていいほど役に立ってはいないが。過去ばかり考えて、前を向こうとしない自分への罰なのかもしれない。





 恐らく、この7月15日を何度も繰り返してしまうと、どんどん過去へ飛ばされてしまうはずだ。これは一見、葵を探し、助けるべく絶好の機会かと思われるが、過去へ遡るということは、中学生、小学生、幼稚園、さらにその前に戻る可能性も大いにあるような気がする。





 いくら28歳の知性を備えていたとしても、そんなことを何度も繰り返していたら、葵を助けるとかそんな事を悠長に考えている場合じゃなくなってしまう。





 そもそも出会えるきっかけや環境が、28歳の知性と行動によって変わってしまうかもしれない。過去に戻れるからと言って、再び出会って、俺たちが結びつくとは限らない。





 何としても、この無限ループにも似たカラクリから抜け出さなくてはならない。





 透哉は天井を見つめながら考えていた。





「かみきとうやくん? キョウハモウオワリニシマスカ?」





 葵の声が完全に棒読みになった。恐らく何度も呼んでいたのだろう。しかし、自分の置かれている状況を考えていた透哉には、葵の声は聞こえていなかった。





「……ごめん。ちょっと考え事をしてた」





 葵の返事は返ってこなかった。透哉は目を閉じて息を吸った。吐いた。





「なぁ?」





「ナンデスカ?」





「俺の話聞いてくれないか?」





「なによ? 今まで人の話し聞いてなかったくせに」





 葵はつまらなさそうに生返事を返してきた。





「俺さ、何か同じ日を何度もやり直しているみたいなんだよ」





 2人の間に沈黙が訪れる。





「ハハハハハ」





 乾いた笑い声が聞こえてくる。





「どうした~? おかしくなった?」





 人を小馬鹿にした葵の声が聞こえた。恐らく電話越しの葵は呆れているのだろう。





「本当なんだって。俺、本当は二十八歳だし、こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど」





 透哉は必死に答えた。呆れる葵の顔が易々と脳裏に浮かぶ。





「はいはい。今日はもう寝ようよ。おやすみ~」





 葵は聞く耳を持たずに、話を終了させてしまった。透哉は深いため息をついた。





「わかった。おやすみ。またメール入れるよ」





 通話が終了した。透哉は葵がすぐ理解してくれたらいいなと、思ってはいたが、逆の立場だとしたら、さすがに同じ行動をしただろう。透哉は仕方のない事と思うことにした。





 時を遡っている……





 透哉は椅子にもたれ掛かった。椅子がギィーっと軋む。天井を見上げた。深いため息をついた。





 28歳の俺は、未来の俺は今どうしているのだろう。実態はあるのだろうか。それとも高校生の俺と入れ替わっているのだろうか。





 俺はこの先どうすればいいのだろう。過去を遡っていくという仮説が正しいのなら、俺は全ての関係を一から構築させなければいけない時がくるのだろうか。そんな事を繰り返していたら、精神が壊れてしまうのではないか。





 透哉はまた深いため息をついた。





「どうしたらいいんだよ!」





 透哉は机を思い切り両手で叩いた。ドンっという大きな音が部屋中に響き渡った。





 壁の向こうからドンっという音が聞こえてきた。妹の阿依だ。





 透哉は自分の部屋を出て、妹の部屋に向かって歩いた。廊下を出て数歩先の阿依の部屋の前に着いた。





 ドアをノックした。特に返事も何もなかった。透哉は勝手にドアを開けた。





「なぁ、俺が未来から来たって言ったら信じる?」





 透哉は素直に聞いてみた。自分でも呆れるくらい実に馬鹿らしい質問だった。





「はい?」





 阿依は首を傾げた。そして続けた。





「お兄ちゃん? ここ大丈夫?」





 阿依は自分の頭を指さした。





「あ、まぁ」





「忙しいから、はい、いったいった」





 阿依は虫を追い払うかのように手を振った。





 妹にすら信用されないか。まぁわかっていたことだけど。





 未来から来たなんて話、急に言われたとしても信じる人はいないだろう。





 葵しかり、阿依にせよ、未来から来たなんて話受け入れられるはずがない。もちろんこの俺もなんだけど。自信はない。





 透哉は自室に戻り、ベッドの上で横になった。白いクロスが綺麗に張られている天井を眺めた。





 こんな状況だが、透哉の頭にふと変な思いがよぎった。





 今の俺は一番充実しているのかもしれない。





 というのも、28歳の透哉は毎日、職場の往復で、友達とも遊ばず、彼女もいない。一人部屋で引きこもっては休日を過ごしてたからだった。





 特に何が楽しいわけでもなく、ぼーっとテレビやネットを見ている。気づくと日が落ち、夜になっている。飲めない酒を飲んで、過去を忘れようとしたこともあった。でも忘れることは出来なかった。





 たまにくる友人からのメールや電話は特に返事も返さなかった。それでも、連絡をくれる友人には心の中では感謝していた。





 今が過去と決別するチャンスなのかもしれない。高校生の俺はこんなにも毎日が充実し、将来? を見据えていたのかもしれない。





 透哉は自分に再確認した。





 俺は7月15日を乗り越える。その為には葵を見失うわけにはいかない。絶対に。





 色々考えているうちに、透哉の脳裏にふとネットの掲示板の記事が浮かんだ。





 そういや、昔、ネットで未来から来たとかそんな事言ってる奴がいたな……確か、今頃の時期だったような気がしたが……





 透哉は身体を起こし、パソコンが置いてある、机まで移動した。ノートバソコンを開き、起動ボタンを押す。OSが起動する。





 透哉は起動するまでの間、高校の頃は、アニメやテレビ、アイドル。それとエッチな動画などをよく検索していた事を思い出していた。懐かしい記憶が蘇る。今は本当に役に立たない、どうでもよい記憶だ。





 パソコンが音を鳴らして立ち上がる。デスクトップにアイコンが次々表示されていく。透哉はブラウザのアイコンをクリックして開いた。もしかしたら、今透哉に起きていることに関して、何かヒントがあるかもしれなかった。





 ピアニストのように華麗にキーボードを打つ。検索バーには「未来から来た」と入力してみた。





 検索一覧が表示された。1行目には、巨大掲示板のフラワーちゃんねる(略してFちゃん)のスレッドのタイトル「2030年の未来から来たものですが」が表示されていた。





 これだったかな。





 透哉はクリックしてみた。スレッドの一行目には、次の事が書かれていた。





「私は2030年の未来から来ました。年は34歳です。何が起きたのかわかりませんが、私はここにいたのです。私のいた未来の東京は、これから起きる大地震の被害からは想像も出来ないほど復興しました。私はこの世界から帰りたいのですが、何か方法はありませんか? ちなみに未来ではタイムマシンとかそういう類のものはまだ発明されていません」





 透哉にとって非常に興味深い内容だった。そして、透哉の状況とよく似ていた。





 しかし、その後に続くスレッドには、設定が足りなすぎる。出直して来い。女性ですか? ここの板は優しい人が多いから相手してくれるよ。など、小馬鹿にするようなコメントがびっしり書き込まれていた。それでも興味を引いたのが、東京の大地震はいつ起きますか? との質問にそのスレッドの主はこう答えていた。





「2018年の7月15日13時くらいだと思います」





 透哉はその書き込みを見て、身体が硬直した。マウスを握る右手からじわーっと汗が出てくるのがわかった。





「まさか、本当に俺以外にもいるのか……」





 透哉は無意識に手で口を覆った。マウスでスクロールし、スレッドを読んだ。目を大きく見開き、画面に釘付けになる。





 大きな戦争が起きるのか? という質問に対しては、世界大戦のような大きな戦争はないが、北朝鮮の核爆弾が日本海に着弾し、日朝関係が一時危険水域まで及んだこと。それを米が牽制し事なきをえたこと。





 世界的にウイルスが蔓延し、世界の人口が大幅に減ったこと。それに伴い経済が大打撃を負い、世界恐慌が起きること。中国とアメリカや欧州との戦争や中東の小競り合い、東南アジアでの小規模な戦争は何度かありますとの書き込みがあった。





 透哉はそれも当たっていると頷いた。さらに、様々な質問がされていたが、透哉のいた2028年までの状況と非常に酷似していた。





 恐らくこの人が住んでいた世界は自分の住んでいた世界と一緒なのではないか。





 透哉は確信はないがそう感じた。





 透哉はこの人となんとか連絡を取りたいと思ったが、どのように連絡をとっていいのか方法がわからなかった。スレッドの日付は半年前だった。半年も経っていたら、この掲示板には本人はいないだろうし、元の世界へもしかしたら戻っているのかもしれない。もしかしたら、自分みたいに過去へ過去へ流されているのかもしれない。





 透哉はパソコンを閉じた。大きな欠伸が出た。時計を見ると、23時30分を回っていた。眠くなってきた透哉は尽きない悩みを抱えながら、布団の中へ入った。





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