第8話 夢か現実か
7月14日土曜日、蒸し蒸しする暑さの中、透哉は吉祥寺駅にいた。理由は日付を1日前に戻す必要がある。
退屈なホームルームが終わり校舎を出ると、身に覚えのある女の子がベンチに座っていた。絵理だった。どうやら昨日の件で透哉を待ち伏せていたのだろう。
「あっ」
透哉は動揺し思わず声が漏れた。反射的に頭に手を当てる。隣を歩く博人の口角が上がる。
「ははーん。お前もやるね~。それじゃ、透哉またな! 葵ちゃんに言っとくわ~」
博人はそう言うと、ポンと透哉の肩をたたいた。
「ちょっ!」
楽しそうに軽い足取りで歩く博人の後ろ姿を見て透哉は無性に腹が立った。
すれ違う博人と絵理。博人はチラッと絵理を見る。絵理も博人を見る。博人と絵理は見知っているのか、博人がフフッと笑うと、絵理はムッとした顔をしていた。
博人は透哉からどんどん離れていく。代わりに絵理が近づいてきた。コンクリートの上に多少に散らばる砂利を踏みつけるザッザッという絵理の足音が耳につき、透哉に考える暇を与えなかった。
絵理は透哉の目の前まできた。風で絵理のスカートがゆらゆら揺れている。
「昨日の事だけど、なんで私の事知ってるの?」
絵理は昨日からずっと気になっていた。気まずい透哉は絵理から視線を外した。視線の先にある噴水は、静かな音を立てて流れている。
「昨日の事? あ、ああ。あれね」
透哉の目が泳ぐ。
「そもそもなんで私の苗字を知ってるの?」
「話せば長くなるというか。何というか」
透哉の額から汗が一滴流れ落ちた。絵理の目は透哉を離さない。
「信じてもらえないというか。そうだ。そうだよ。そう。夢だよ。夢」
透哉自身何をどう説明していいのかわからなかった。理路整然としないこのわだかまりが胸につかえていた。
「夢だと思う。そうあれは夢だったんだよ。夢で君と出会って。それが正夢というか、なんというか。わからないけど。でも、夢じゃなかったら、未来から来たとしか言いようがないけど。俺自身もよくわからない」
透哉は普段より早口で話した。
絵理はふふっと笑った。絵理は馬鹿にしてるの? とでも言わんばかりの表情をしている。
「正夢? 未来? あるはずないじゃん。特に未来とかそんなの」
絵理の言葉に少々苛立ちが混じっていた。
「ま、まぁ、そうだよな。正夢とか未来とかは例えばの話しだよ。俺だってよくわからないんだ。俺は、今が夢なのか、そうじゃないのか。それすらもわからないんだ。今の俺は本当の俺じゃなくて、あの日の俺は本当で、でも実はそうじゃなくて。でも、今が本当だとしたら、俺は十年以上の長い夢を見ていた。でもしっくりこない。だって、あれはリアルだったんだ。匂いも感触も何もかもが」
透哉は空を見上げた。雲一つない海のように澄んだ青い空が広がっていた。
これも俺の脳が見せる景色なのだろうか。わからない。
「相当頭おかしいと思っているだろ?」
透哉は苦笑いをした。絵理は透哉の話について行けずキョトンとしている。
「まぁ、そう言うリアクションになるよな」
絵理は即答した。
「うん。だって何を言っているのかわかんないし」
「だよな」
透哉は頭を掻いた。確かに、自分でもわかっていないことを他人が理解できるとは思えない。余計に絵理を混乱させるだけだった。透哉は少しだけ後悔した。
「まぁ、俺もよくわからないんだから仕方ないよ」
透哉はため息をついた。
「それで、私と会ったんだっけ?」
絵理は透哉に聞いた。
「そう。俺は君に、藁谷さんに会ってるんだ」
「要するに、夢の中で私と出会って、何かしたということだよね」
「そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。ちなみに……」
透哉はそう言うと、スマホを取り出して、操作をした。
近くでスマホのバイブレーションがなる音がした。
絵理が慌ててバッグの中からスマホを取り出し、画面を見る。知らない番号からの着信だった。
絵理は知らない番号の電話に出た。
「もしもし?」
男の声が聞こえた。それもすぐ近くから聞こえた。
その声は次第にどんどん遠くなっていった。口から発せられていたであろう、その声はほぼ聞こえなくなり、変わりにスマホから声が聞こえてきた。ほんのつい先程まで聞いていた声。絵理は驚きのあまりその場から一歩も動くことが出来なかった。唾を飲み込む。
「……もしもし?」
絵理は声を絞り出した。すぐ透哉の声が返ってきた。
「藁谷さんだよね?」
「……はい」
一瞬、時が止まったように静寂が絵理を襲った。時間にして、数秒であったに違いはないが、予想だにしない展開が、絵理の時間をいつもの倍以上に引き伸ばした。
「君に教えてもらったんだ」
「え」
「あの夜。君に教えてもらったんだ」
「あの夜? ちょっと待って? 私が教えた?」
透哉は黙って頷いた。
「……夢。いや、未来から……過去へ来た?」
「現実なのかもしれない。夢かもしれない。わからない。だけど……」
透哉はそう言うと、通話のボタンを押して、電話を切った。透哉はあの日あの時、ほんの少しの時間だったけど、一緒に生き残った絵理に会えて嬉しかった。そんな感情が生まれたのかもしれない。だから、絵理が目の前にいた時に話さずにはいられなかったのかもしれない。
透哉のスマホが震えた。画面に相手の名前が表示されず、番号だけが表示されていた。絵理からなのは明らかだった。
「……明日。話を聞きたい」
「……いいよ」
それから透哉と絵理は吉祥寺駅での待ち合わせを決めた。
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