第2話 戸惑いの朝
身体がビクッとして目を大きく見開いた。透哉は上半身をガバッと起こした。
「はぁ! はぁ!」
悪い夢を見ていた時と同じように、胸がドキドキしている。落ち着けと言わんばかりに右手で胸を押さえ、透哉は目を瞑った。そのまま小さく深呼吸をした。
なんて夢を見ていたんだ。急に突風がやってきて、身体が持ち上げられ、吹き飛ばされ、落っことされたのか?
夢か……
そう思うと、透哉は布団にくるまった。しかし、透哉は目をカッと見開いて飛び起きた。
ここはどこだ!?
透哉は辺りを見渡す。なぜか見たことがあるような、どこか懐かしい感じがする部屋。だが、今透哉が住んでいるアパートの部屋とは大分違っているようだった。
透哉は戸惑いながらも近くに置いてあるスマホを手に取った。若干大きさが違うスマホに違和感がある。随分昔のスマホのような気がする。
「スマホ……小さくなったか? 違うよな。夢か?」
寝ぼけなまこではあるが、どうみても完全に別物だった。
透哉はその何とも言えない違和感に戸惑っていると、そのスマホから音楽が流れてきた。メールが一件受信されたようだ。メールの差出人は楠木葵(くすのきあおい)と表示されている。
葵!? なぜ?
「……なんで葵から?」
透哉は眉をひそめた。不思議なそのメールの差出人に動揺する。
誰かが気の利いたふざけた悪戯をしているのではないかと考えた。今テレビで流行っているらしい、素人をだます企画なのだろうか。しかし、ドッキリにしてはあまりにも失礼ではないか。透哉はその考えを却下した。
透哉はまだ目覚めたばかりで思考が働いていない。まだ夢ではないかという疑いを自分の頬をつねるという自傷行為によって断ち切ろうとした。
「い、いてぇっ」
痛覚は正常通りだった。でも、夢から醒めない。夢ではない。どうやら現実なのか。定かではないが。それではなぜ、葵からメールが来るのか。やはりドッキリなのか? いやそれはやっぱりやりすぎだろう。透哉は不思議でならなかった。しかし、一つだけ言えることは、葵からメールが来ているという事実だった。
葵は死んだはず……なのだ。しかし、葵は生きている。意味がさっぱり分からない。
透哉の脳裏に葵の思い出がよぎる。意識とは無意識にスマホの画面に触れてしまった。メールが表示された。
「また寝てるんじゃないでしょうね。13時に新宿だよ! 遅刻しないでね」
13時に新宿……。どういうことだ。透哉は一度、スマホを布団の上に置くと、ベッドから降りた。無意識のうちに向かったのは、机だった。あたかもそこに透哉が欲するものがあるのがわかるかのようだった。透哉は机の上に置いてある卓上カレンダーに目をやった。
「に、2018年!?」
あたふたする透哉。ダイブするようにベッドに飛び込むと、スマホを右手でキャッチした。使い慣れた手つきで、もう一度メールを開ける。
「2018年7月15日!?」
どうやらスマホにもカレンダーと同じ日付が表示されている。透哉のいるこの世界は2018年で間違いない。透哉は混乱する頭を布団に叩きつけた。
「俺は、今28歳のはずだ。そして、暦は2028年のはずだ。一体ここは……なんなんだ」
透哉は顔を上げると、どこか懐かしさを思い出させるこの部屋に一通り目を通した。
「このアイドルのポスターに、友達と遊んだ時の写真、新品同様の教科書に参考書。本棚に不揃いに並ぶ漫画……」
間違いない。懐かしさが込みあがる。しかし、納得のいかない感情がそれを上回った。
ふと目をやったスタンドミラーに映った自分の姿に驚愕した。
「な、なっ! なにー!」
開いた口が塞がらなかった。自分であるが自分でない。そんな気味の悪い感じ。透哉は若返っていた。髭もない。髪も今の自分より長い。身長だけはおそらく変わっていなかった。
「まじか……」
透哉は身体を震わせ激しく左右に首を振った。目をぱちくりした。鏡を見る。
「まじだ……」
透哉は両手で頭を抱えた。
「透哉!! うるさいわよ! お母さんたちは出かけるからね! 阿依をよろしくね!」
一階から母親の声が聞こえてきた。忘れもしない懐かしい声だ。
お母さん……
透哉の両親はあの地震で亡くなっていたはずだった。生きているはずのない母親が今そこにいた。
「お母さんが生きている。もしここが本当に2018年だったら。お母さんたちは……」
透哉は10年前の今を思い出そうとした。眉間にしわを寄せる。まだ整理しきれない透哉の思考を遮るように、外から車のエンジンがかかる音が聞こえた。
窓を開けるが、車のエンジン音で声は届きそうにない。勢いよく窓を閉め、透哉は走って部屋を出た。転びそうになりながらも、体制を立て直し、階段を颯爽と駆け下りた。一直線に玄関を出て叫んだ。
「いっちゃだめ……」
透哉が最後まで言い切る前に、両親の車は出てしまっていた。慌てて母親の携帯に掛けるが、出ない。家の中から微かに着信音が聞こえてくる。
透哉は音の鳴る方に耳を傾けた。どうやらリビングの方から聞こえてくる。
透哉はリビングへ向かうと、木製のテーブルの上に孤独に光りながら、音をならす携帯電話が一台置かれていた。透哉はその携帯電話を見つめた。
「俺は何をしているんだ? 本当に夢じゃないのか? 俺は……」
通話を切ると、スマホをテーブルに置いた。透哉はテーブルの脇にあるソファーに座った。ソファーには妹のだろう、何かのキャラクターの人形が置かれている。確か、セクハラまがいの事を喋るクマかタヌキだったか。名前は思い出せなかった。
ソファーに深く座ると、透哉は両手で顔を覆った。
今日は7月15日。あの日なんだよな……
透哉は母親に連絡を取ることを諦め、父親に電話を掛けようとしたが、止めた。透哉は父親が携帯電話を持っていないことを思い出した。父親が言うには、どうせ誰に連絡するわけでもないし、いらないという理由だった。
もうこれ以上、両親に連絡を取る手段はなかった。テーブルに視線を移すと、母親の携帯電話の着信ランプが点滅している。
二階から女性の声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、急にどうしたの!? うるさいんだけど!」
透哉は二階にいる妹の阿依に向かってちょっと大きめの声を出した。
「なんでもないよ。 ごめんごめん」
本当は何でもなくはない。しかし、この状況を妹に話しても理解してくれないし、自分でもどう説明していいのかわからない。仕方がないと思った。透哉自身状況が呑み込めず整理ができていない。だから、誰かに説明するなど不可能に近いし、納得のいく論理的な説明が見つからなかった。ただ、今が2018年の7月15日の日曜日であるという事実だけははっきりしていた。夢じゃなければだけど。
透哉はスマホの電源ボタンを押し、画面を表示させた。画面には、11時45分と表示されている。
スマホの通話アイコンを押し、履歴から葵の電話番号を探す。すぐ見つかった。葵の番号をタップし、電話をした。
透哉は葵が電話に出るように祈るが、葵は電話に出なかった。新幹線に乗ってしまったら、東京へ来てしまう。時間的に見ても、既に乗ってしまっている可能性は高かった。
透哉は一旦、葵との連絡を諦めた。スマホをポケットに入れると、二階へと上がった。
ちょうど階段を上がり終えると、ドアの隙間から阿依が半分顔を出しているのが見えた。
「うるさい」
そう一言言うと阿依はドアをバタンと閉めた。幼くなった妹にやはり違和感を覚えるが、今はあまり考えないことにした。
透哉は自分の部屋のドアノブに手を掛けたが、確認したいことを思い出し、阿依の部屋のドアの前まで歩いた。
ドアノブに手を掛け、少しだけ開けた。
「お前、今日どこに行くんだっけ?」
透哉は阿依に問いかけた。10年前の記憶については、自信はなかった。
「図書館だよ。 デートをする誰かさんとは違うんですよ~」
どこか馬鹿にしたようにそれでいて、ぶっきらぼうに返してきた。可愛くない妹だ。
開けたドアから少しだけ見えたのは、阿依が教科書なのか参考書なのかわからないが、バッグに詰めているところだった。なんで、俺の妹はこんなに愛想がないのだろう。外面と内面での評判がこんなに違う奴もそうはいないだろうと思った。
当時はこんな妹を紹介してくれとかいうモノ好きが後を絶たないのが理解できなかった。しかし、今思えば、当時の男性は見る目があったのかもしれないと透哉は少しそいつらを感心した。それでも今の阿依を見せてあげたい、少しは幻滅するはずだ。
「ちゃんと勉強して来いよ」
そう言うと透哉はドアを閉めた。阿依の部屋からうるさい! とドアの隙間から声が漏れた。
透哉は部屋に戻った。相変わらず汚い部屋だなと我ながら感心した。大人になってもそれは変わらない。どうやらこの汚い部屋は自分の部屋で間違いない。
それでも今は、部屋が汚いとか、綺麗とかそういう問題ではない。ここが、透哉の今いるこの世界が2018年の7月15日ということが重要であり問題だった。
透哉は壁に掛けられていた円盤型の時計に目をやった。12時ジャストを指していた。
透哉はいくら考えても、どうして2018年の世界に来てしまったのかわからなかった。その理由は知る由もないが、実際にきてしまったのかもしれない。夢であればいいと切に願うが。
今日という日の記憶が透哉の脳裏をよぎる。
「本当に今日が、7月15日だとしたら……」
透哉は大慌てで支度をする。支度の合間にメールの受信音が鳴った。
メールを開くと葵からだった。
「ごめん。新幹線に乗っちゃってたから出られなかった。どうしたの? 何かあった?」
何かあった? とか流暢なことを言っている場合じゃないだろ? 葵、お前自分の運命がどうなるかわかっているのか!?
透哉は一度スマホを布団に置き、急いで支度を済ませた。リュックサックを背負い、後は部屋を出るだけだ。透哉はスマホを手に取り、メールを打ち始めた。
「今どこ!? 新宿にはくるな! そこで待ってて!」
何を言っているんだ。新宿でデートの約束をしているはずなのに、来るなとはどういうことだ。葵はそう思っているはずだ。
透哉は送信されたことを確認すると、スマホをズボンのポケットに入れて、勢いよくドアを開けた。ドタドタと音を立てて階段を下りる。背中越しに、うるさーい! と阿依の声が聞こえてきたがもう、そんな事はどうでもよかった。
玄関の壁にぶら下がっている自転車のカギをむしり取り、ドアを開けて、ダッシュで自転車の置いてある場所に向かった。
自転車のロックを外し、競輪選手よろしく、物凄いスピードで三鷹駅を目指した。ポケットの中ではメールが届いたのか、バイブレーションで太ももが微かに振動していた。
10年前の俺はあいつとどんなやりとりをしていたんだ? ――思い出せない
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