第9話 なんで知ってるの?

 吉祥寺駅の中央改札口を出た所に、みどりの窓口がある。





 透哉はみどりの窓口の前で退屈そうにスマホをいじっている。





 14時を3分ほど過ぎた頃、絵理が透哉の前にあらわれた。





 白いTシャツにカーキー色のショートパンツに黒いサンダルというラフな格好だった。





 背中には少し大きめのリュックを背負っている。絵理のルックスに伴い中々に似合っていた。





 デートじゃないのに。なんでこんなに気合入っているんだ?





「すみません。ちょっと遅れてしまいました」





「いいよ。別に」





「それじゃ、どこに行きましょうか?」





 絵理が透哉に聞いた。





「う~ん。喫茶店にでも行こうか」





 今日は夏のように暑かった。気温も30度を超えている。こんな暑さじゃ外を歩き回るのは正直しんどい。例え、18の高校生だとしてもだ。





「そうしましょうか」





 絵理はそう言うと、美味しいパンケーキが食べられるという店があるので行こうと透哉の前を歩きだした。





 通りから外れた、裏路地の狭い道にあるそのお店は、「ヨナヴァ」という名前のとてもお洒落なお店だった。





 お店の中には水槽があり、熱帯魚が泳いでいる。





「いらっしゃませ」





 可愛らしい女性店員の声だ。





「二人です」





 絵理は言った。





「それではお席まで案内致します」





 そう言うと、店員は席まで案内してくれた。





 透哉達は席に座った。





「今すぐ、お冷をご用意致します。お決まりになりましたら、お呼び下さい」





 店員はそう言って頭を下げた。





「あ、すぐ注文しますので」





 絵理は店員の顔を見て言った。





 絵理は立てかけられていたメニュー表をテーブルに広げた。





 透哉がメニューを見ようとするが、絵理は慣れた感じで2人分注文をした。





「セットの飲み物はいかがなさいますか?」





「私はカフェラテで」





「俺は……えっとアイスコーヒーで」





「かしこまりました」





 店員がオーダーを確認すると、席を離れた。





「ここの店って、来たことあるの?」





 透哉は絵理に訊いた。





「何度かね」





 絵理はメニュー表を片付けようとした。





「ちょ、ちょっと待って」





「何ですか?」





「いやいやいやいや。メニュー見せてくれよ」





 透哉は絵理が片づけようとしたメニュー表を手に取った。





「あ、ごめんなさい。いつもの感じで注文しちゃって」





 絵理は頭を下げた。





「別にいいよ」





 俺はそう言って、メニュー表を見ていると、店員がお冷を持ってきた。





 美味しそうなメニューを眺めていると、注文したパンケーキが運ばれてきた。





 パンケーキの上にはバニラアイスクリームが乗っており、その上から、ハニーシロップが申し分なくかかっていた。どうやら、アメリカから最近輸入されてきて、メディアで取り上げられるほど有名らしい。女性のアンテナはスイーツには鋭い反応を示すようだ。





 パンケーキを一口サイズに切り取り、口に入れると、ハニーシロップとバニラアイスの程よい甘さが薄味のパンケーキによくマッチしていた。普段は甘いものを食べない透哉だったが、余りの美味しさに無我夢中で平らげてしまった。





 その姿がおかしかったのか、絵理はクスクス笑っていた。





「ねえ?」





 ちょっと恥ずかしそうに名前を言い出せそうにない絵理に向かって透哉は言った。





「ああ、透哉でいいよ」





「透哉君は、なんなの?」





 絵理は両手にあごを乗せてのぞき込むように透哉を見た。透哉はその仕草にドキッとした。葵にばれたら、怒られるどころの騒ぎじゃないな。透哉は雑念を捨てようと努力した。





 テーブルの上に置いてあるアイスコーヒーを一口飲んだ。もちろんブラック。高校生にしては大人か。





「俺か、三鷹高校普通科3年A組、なんの取り柄もない普通の高校生だけど……」





 本当は28歳、10年前に彼女を失った事で、塞ぎこんでしまったしがないサラリーマンのはずなのだが。今となっては自信がなかった。





「普通科の3年A組なんだ~……ってそんな事を聞いてるわけないでしょ」





 絵理は芸人に負けず劣らずのリアクションで透哉に突っ込みを入れた。





「聞きたいのは、私の事を……いや、それはもういいか。あれですよ、正夢とか未来から来たとかなんとかわけの分からない事を言ってたじゃないですか?」





 絵理はそこまで言い切ると、テーブルの上に置いてある、カフェラテを一口飲んだ。





「あ、ああ。あれね」





「あれね。じゃないですよ」





「いや、ていうか、藁谷さんそう言うの信じるの?」





「絵理でいいですよ」





 透哉は周りを見渡した。店内はお客さんで溢れていた。皆それぞれデザートやコーヒー、紅茶などを嗜みながら会話を楽しんでいる。





「まぁ、あれが夢じゃなければ、今から十年後の未来から来たってことになるんだけど。はずなんだけど……な」





「10年後!?」





 絵理の大きな声が店内に響き渡る。透哉は前のめりになって、絵理の口の前で人差し指を出し制止した。





「10年後の未来ってどういうこと?」





 絵理はひそひそと小声で言った。





「多分そうだと思うって話しなんだけど。俺だって本当によくわからないんだから。実際意味不明過ぎて頭がパンクしそうなんだよ」





 透哉は頭を掻いた。





「そう。で、私とはいつ出会ったんですか?」





「……明日」





 絵理が大きな声を出しそうだったので、透哉は再び制止した。





「あ、明日!?」





 絵理はさえずる様に小さい声で言った。





「そう。10年後の未来で俺は君に出会わなかったんだけど。高校でも知らなかったしね。まぁあれが未来ならの話なんだけど……」





「え? どういうこと? 結局会ってないんじゃないですか? でも、だって、明日会うって……」





 透哉は足を組んだ。アイスコーヒーを一口飲んだ。





「そうなんだけど……」





 透哉は困った顔をした。





「うん。俺もよくわからないんだよね」





「よくわからないって?」





 絵理は首をかしげた。





「そう。1回目は自分のベッドから目覚めて、2回目は授業中に」





「1回? 2回? やっぱり夢なんじゃないんですか? 正夢的な」





 絵理がそう言うので、透哉は今までの経緯を思いだし、考えを巡らせるが、これといった答えを導き出すことはできなかった。





「そうなのかな。どれもこれもとてもリアルな感覚だったんだよ……」





「ふーん」





 絵理は透哉の話に納得のいかない顔をしていた。





「まぁ、色々突っ込みどころ満載ですけど、やめときます」





「ごめん。俺もよくわかってなくて」





「最後に1つだけいいですか?」





 絵理のお願いに透哉が返事をしようとしたとき、透哉のスマホが震えた。





 葵からの着信だった。





「ちょっと待ってて」





 透哉はそう言うと、左手で謝る手振りをして電話に出た。





「もしもし?」





「もしもし!?」





 葵の声に怒気が混じっているのが感じられた。





「ねぇねぇ。木曜日から連絡ないんですけど?」





 透哉は葵のメールを確認してから返事をするのを忘れていた。葵も葵で律儀なのか、返事が来るのを今日の今まで待っていたのだ。





「ご、ごめん。ちょっと考え事してて」





 電話越しにため息が漏れるのが聞こえた。





「考え事ねぇ~。どうせくだらない事でしょ?」





「いや。くだらなくは……ないんだけど……」





「へぇ~。それはそうと随分賑やかそうだけど、どこにいるの?」





 透哉の額から汗が流れ落ちた。





「か、カフェにきてる」





「カフェねぇ」





 葵がイライラしているのがヒシヒシと伝わってくる。透哉が1人でカフェに来る事がない事は、葵は知っていた。そして、友達と出かけるときは、お互い連絡する事にしていた。要するに、そうしていないということは、そういう事だと葵は悟った。





「いや、これには理由が……」





 透哉は嘘をつくのが下手だった。慌てふためく透哉を見て、絵理もはぁと深いため息をついた。





「とりあえず、明日行くから」





 明日。明日東京にきては行けない。透哉の脳裏にその言葉が木霊する。





「明日は東京に来ちゃだめだ」





 葵の静寂の無言が数秒続いた。が、透哉より先に葵の口が開いた。





「行くから」





「だから……」





 透哉が最後まで言い終るまでに電話は切れてしまった。





「彼女さんですか?」





 絵理が申し訳なさそうに聞いた。透哉は震える右手でアイスコーヒーを一気に飲み干した。





「……まぁ」





 クーラーが効いているはずの店内であったが、透哉の全身から汗が噴き出していた。





「なんか悪い事しちゃいましたね」





「いやいいよ。別に」





 透哉はスマホの画面を操作している。葵にメールを打っていた。絵理は残りのカフェラテを飲み干した。メールを打ち終わったのか、透哉が顔を上げた。





「そろそろ行くか」





「そうですね」





 2人は、席を立った。支払いを済ませお店を出ると、井之頭公園の方へ向かって歩き出した。





 土曜日ともあり、街中は賑わっていた。行き交う人の群れを避けながら2人は歩いた。





 公園に近づいてきたのだろう。セミの声が聞こえてきた。人の数もまばらになってきた。公園に着くと、2人は木陰になった砂利の遊歩道を歩いた。





 フォークギターで歌を歌っている人。白地のキャンパスに絵を描く男女のグループ。仲良くベンチに座り楽しく会話をしている恋人たち。この暑さの中ランニングをする、老若男女。様々な人たちが公園で楽しんでいた。





 透哉はそんなこの公園が好きだった。都会でありながら、田舎のような空気が吸えたからだった。





 透哉は木でできたフェンスに両手をついた。眼前には池が広がり、アヒルのボートが点々としていた。絵理も透哉と同じようにフェンスに両手をついて、池を見渡した。





「さっき、なんか聞きたいことあるっていってなかったっけ?」





 透哉は絵理の方を見た。





「うん。でも何を聞こうとしてたか忘れちゃっいました」





 絵理はフフッと笑った。





「そっか」





 透哉も笑った。今まで競い合うように鳴いていたセミの声が消えた。





「明日」





「明日?」





「うん。明日東京駅には絶対に行くな」





 絵理は驚いた表情を見せた。





「なんで知ってるの?」





 絵理は透哉の顔を見た。透哉の視線は真っすぐ池の方を見ていた。





「さっき言っただろ? 明日。俺は君に会ったからだよ」





「そこで何があったの?」





 透哉は自分の両手を見つめた。そのまま口を開いた。





「信じるか信じないかは君に任せる。夢かもしれないし、現実だったのかもしれない。本当に未来から来たのかもしれない。だから、君の判断に任せる」





「う、うん」





「明日。東京湾を震源とした大地震が起きる」





「え!?」





 絵理は目を丸くした。くりっとした目が一段と大きくなっていた。





「大地震が来て、東京はほぼ壊滅する。まぁ、あそこで絵理と出会ったのも偶然だったんだけどね」





 透哉は続けて話した。





「だから、東京駅には行かない方がいい。恐らく……」





 透哉は続きを言うか躊躇った。





「恐らく?」





 絵理は聞き返した。透哉は絵理の顔を見た。





「君は死ぬ」





 透哉は言い切った。もしかしたら、明日は地震も起きないし、絵理も死ぬなんてことはないのかもしれない。なんの根拠もなかった。透哉はあの日の事をありのまま言葉で表現した。透哉が助けなければ、絵理はあのまま死んでいただろう。





「死ぬって」





 絵理の声から乾いた笑いが出た。





「それじゃ、透哉君は明日……」





「俺は、明日、葵に会いに新宿に行くよ。あいつは行くって言ったら絶対来るからさ。馬鹿だよな」





 透哉はハハっと笑った。ちょっと引きつっているように絵理には見えた。





「だったら、私も……」





 おいおい。冗談だろ。透哉は顔を歪ませた。





「俺は彼女に会うんだよ? 絵理がいたら話がややこしくなるよ」





 絵理は少し寂しそうな顔で透哉を見た。





「俺は新宿に行くから、何かあったら電話してくれ。できるなら、東京から離れた方がいい」





「わかった」





「13時くらいに地震はくるから」





 絵理は無言で頷いた。沈黙を守っていた、セミたちの鳴き合いがまた始まった。





「帰ろうか」





「うん」





 肩を落として元気の無くなった絵理を誘導するように透哉は前を歩いた。帰りの電車の中も2人は終始無言だった。吉祥寺駅から1つ隣駅の三鷹駅に着いた。





 透哉が口を開いた。





「何かあったら絶対連絡してくれよ」





「ありがとう」





 そう言うと、絵理は透哉とは逆の方向へ歩いて行った。何か悪いことをしてしまったような気がした。根拠のない事をベラベラと喋り、不安を煽ってしまっただけかもしれない。





 ただ、絵理には死んでほしくなかった。








 

   

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