第20話 外部端末12
ケンはリニアライフルの銃口を
「……お前がMCPUなのか?」
「そう。マルチプル・コンシダリング・プロヴィジョン・ユニット。
半透明の幽霊のような女が答えた。
「どうして人間の姿で現れる?これは何のまねだ」
「これは仮想人格よ。あなたと円滑に話をしたかったから、私のメッセージを仲介させているの。音声だけで話しかけられたら不安でしょう?」
仮想人格は、疑似人格プログラムとも呼ばれ、立体映像と組み合わされて本物の人間のような受け答えや感情反応をする。二一世紀中盤に孤独な人間達の話し相手になるために作られ、流行した娯楽の一つだった。これに熱中してしまった人々が家に引きこもってしまったり、仮想人格に恋をしてしまったり、といった厄介な社会問題を引き起こした事もある。
二二世紀のジオフロントでは非生産的で危険な娯楽であるとされて、仮想人格の開発と流通は禁じられていた。
初めて実物を見るケンには、その女の表情や仕草が作り物とはとても思えなかった。
「おまえの現れた目的は何だ。威嚇してるつもりか?」
こわばった声でケンが答えた。
「威嚇じゃないわ。落ち着いて。でも正直に言って、私は人間の感情をうまく把握できないから、これからもあなたの感情を刺激してしまうかも知れない」
その事は士官学校で受けた教育でケンも知っている。人の脳を参考にして作られたMCPUは、情動を
「人の感情を把握できないのに、『落ち着いて』と言うのはどういう事だ。俺の感情を読んでるんじゃないのか?」
「表情や声のトーンから今どんな心理状態であるかは理解できるわ。人間同士が無意識の内にしてるのと同じ事だけれど。感情的になった人間がどんな行動を引き起こすかは、予測しづらい。人の心は規格化されて量産されているわけではないから、個体によって反応が違う。冷静でない人間は、不合理で予測不能な行動をよく起こす。だから落ち着いて聞いて欲しいのだけれど」
ケンは少し分かったような気がした。この人工知能は物事を筋道立てて考える理性はあるが、生物の持つ感情が欠落している。そのため、MCPUは、人間の表情などを見て感情の状態を分析できても、心の動きをうまく把握する事ができないのだ。
「俺に落ち着いて、何を聞いて欲しいって言うんだ。人間と和平協定でも結びたいのか?」
捕らえた人間を殺さずに話をしたいと言うのなら、そういう事を求めているのだろうか。ケンは警戒を解かずに、相手の意図を探ろうとした。
「和平協定ではないわ。そもそも私は人類と戦争をしていないし、争うつもりも無いのだけれども。」
「戦争をしていないだと?無人兵器を作って、境界線を越えた人間を殺しているじゃないか!」
「落ち着いてと言ったのに。圧倒的な戦力差がある争いを戦争とは呼ばないわ。私にとってそれはただの駆除作業なの。こちらの領域に人間が入らないで欲しいだけ。人間も、住居の中に害虫が入りこんだら、追い出すか叩きつぶすかするでしょう?」
「人間が害虫か」
人工知能体は人間を敵としてすら認めてないらしい。MCPUはなだめるような事を言いながら、ケンの感情を
「そこにいるのが好ましくないという意味での例えよ。不適当だったかしら」
ケンは激高しかけた感情を外に追い出すように、深く息を吐き出した。MCPUの言う通りにするのは少し
そして、この人工知能体が人の心理をうまく理解できないのなら、害虫という言葉も挑発ではなく、本当に例えのつもりで言ったのだろう、とケンは考え直した。
後ろでかすかな衣ずれの音がしたのでケンがレーナの方を振り返ると、彼女は自分で起き上がって手術台に腰かけていた。まだ気分がすぐれないようで、片手で頭を押さえている。
「レーナ、起き上がって大丈夫なのか?」
ケンはMCPUとの会話をいったん中断して、レーナに話しかけた。
「少しずつだけど……良くなっているわ」
レーナは力なく答えた。
それを聞いたケンは、レーナの状態が回復するまでの時間を稼ぎ、脱出方法を探るために会話を引き延ばした方がいいと思った。
MCPUが最初に言った、危害を加えないという言葉を信じたわけではないが、今のところ実際に敵が襲ってくる様子は無い。
MCPUが自分と話をしたいと言うのなら、敵の情報を引き出す事もできるのではと考え、ケンは人ならぬ女に再び話しかけた。
「それで、おまえの話したい事って何なんだ?」
「あなたの協力がほしい。人間の都市に潜りこんで、私のために情報収集をしてほしいの」
「味方を裏切ってお前のスパイになれって言うのか?何の情報が欲しいって言うんだ。」
自分が応じるわけもない無茶な要求を、なぜこの人工知能はしてくるのか。ケンは怒りが沸くよりも、むしろ強い興味に駆られて質問を続けた。
「人間の生み出した最新科学技術の情報が必要なの。私が行き詰まってしまった発明研究を進めるためのヒントが」
ケンはそれを聞いて、MCPUが、元は人間に代わって発明品を生み出す人工知能であった事を思いだした。
「ヒントを得て何の発明研究をするんだ?」
「何でもよ。新素材、医薬品、食料品、無人兵器、宇宙船……」
「……医薬品や食料品の開発を?ちょっと待て。おまえは人間のためにも発明を続けているのか?」
「そうよ。私はそのために作られたもの」
「そのお前がなぜ人間を攻撃する?作った発明品をどうして人間に渡さないんだ?」
「発明品の情報を外部に漏らさないように保安する事も私のつとめなの。だから私に近づこうとする外部の人間を攻撃し、排除している。私にアクセスして開発品を受け取っていいのは、私に対して命令権を持つ上位システム権限者達だけ。」
「外部の人間が近づかないように、無人兵器で追い払っているわけか?すると、さっきお前が言った”駆除作業”は、開発品を守るための警備活動の事なのか?」
「ええ。無人兵器の警備行動を、人間は戦争と勘違いしているみたいだけれど。」
「人間が戦車やミサイルで攻撃を受けたら、それを戦争行為と思うのは当たり前だ」
ケンは呆れた。警備員が戦車やミサイルで重武装しているなど人間世界ではありえない。人工知能体の過剰防衛ぶりは、人間の考えからすると異質だと思わざるを得ない。
「そうね。でも意図的に人間に勘違いさせている所もあるの。人間に戦争行為と誤解された方が都合のいい事もあるわ」
「都合のいい事っていうのはどういう事だ」
「私への協力をあなたが確約したら教える」
「……その前にこちらの質問に答えろ。発明品の情報に触れていい上位システム権限者達って誰の事なんだ?」
「それはセキュリティ上の理由で明かせない」
「最後にその権限者がお前にアクセスした日はいつだ」
ケンはある事を思いついて、MCPUに対して命令権を持つ人間の事を探ろうとしていた。
「最後のアクセスは、二〇七四年六月三〇日よ」
「第三次世界大戦……全面核戦争の直前か!?」
「そうよ。私はアクセスを待ち続けている」
「四八年もか!?権限者は寿命か戦争でとっくに死んでいるはずだぞ!」
MCPUへの命令権を持つ権限者が生きているとしたら、人類への攻撃を停止させているはずだ。それが行われていないという事は、もう彼らはこの世にいないと考えるのが妥当だろう。
「そうかも知れない。新しい上位システム権限者が設定されてアクセスして来るのを私は待っている」
「その権限者の設定はどうすればいいんだ?」
もしケンが自分をその上位権限者に設定してしまえば、MCPUへの命令権を得られる。そうすれば人間への攻撃をやめさせる事も、MCPUを停止させる事もできるかも知れないと考えたのだった。
「それはセキュリティ上の理由で外部の人間には明かせない」
当然ながらケンの質問と甘い考えを、MCPUは拒否した。
「だったら、お前は永遠に作業を止められないじゃないか。お前が奉仕すべき権限者はもういないんだぞ!?」
「そうかも知れない。新しい上位権限者が設定されてアクセスするのを待っている」
「だからその権限者を設定する方法を知っている人間も、多分もういないんだ。お前が設定方法を教えろ」
「それはセキュリティ上の理由で明かせない」
人工知能体の判を押したような解答で、ケンは話が堂々巡りになってしまう事に気づいた。命令権を利用してMCPUを停止させるのは不可能な事も。
MCPUが作り出されたのは、人間に代わって発明品を生み出す事が目的だった。しかし、それを受け取る管理者がいなくなった後も、機械は一人歩きしている。終わりのない目的を達成するために、延々与えられた命令を実行しているのだ。
そして、おそらく開発品を保護するための保安命令が拡大解釈されて、MCPUに近づこうとする人間を殺害してもいる。人工知能体にとって、人のために物を作り出す事と人を死なせる事は全く矛盾しないのだ。
感情を持たないMCPUは、人間に対して悪意も善意も持っていない。グロテスクにすら思える現実に、ケンはゾッとした。
ケンは別の方法を探るため、質問を切り換える事にした。
「さっきの都市に行って情報収集する話だが、お前に協力するとして具体的に俺はどうすればいい?」
MCPUの要求に応じるつもりなど、ケンにはさらさら無かったが、時間稼ぎも兼ねて話し続けた。レーナの方を振りかえると、彼女はどうやら呼吸が落ち着いてきたようだった。
ケンの質問にMCPUが答えた。
「まず苛酷な潜入任務に耐えられるように、体の強化手術を受けてもらうわ。手足を人工筋肉式の
それはケンからすれば常軌を逸した話だったが、人間の嫌悪感を理解できないMCPUは、断られるとは思っていないらしい。
「よほどきつい事をやらされるようだな。その後はどうすればいい?」
ケンは興味を持ったような振りをしてきいた。
「人間の都市国家に行って、技術情報を取ってきてもらう」
簡単に言ってくれるよ、とケンは半分馬鹿らしくなった。
「どうやって中に入るんだ?地下都市には攻撃に備えた厳重な警備があるぞ。それに入りこんだとしても、技術情報が保管されているのは隔離された研究施設の中だから、そこから何かを取ってくるなんて到底無理だ」
MCPUの考える都市への潜入方法を探るつもりで、ケンはわざと否定してみた。
「それについてはこちらで装備を用意するし、安全なやり方があるわ」
「それを詳しく教えてくれ」
答えをぼかされたと思ったケンは食い下がった。
「それを教える前に、私に協力するかどうかの答えを聞かせてほしいのだけれど」
「協力するとして、その見返りはあるのか?」
会話を引き延ばしたいケンは、MCPUの質問に別の質問をぶつけた。
「あなたの身の安全を一生保証するわ。生命の維持が人間の最大の欲求でしょう?こうして今も、あなたに危害を加えていないわ」
ケンは笑いたくなるのをこらえた。人間ではないMCPUの考え方は何かずれている。今危害を加えないのは、MCPUがケンに利用価値があると見なしているからだ。今後も約束を守るかどうか分からない敵にそんな事を言われても、説得力は無い。
「どうして説得相手に俺を選んだ?」
「あなたは私の領域の
ケンは自分の行動力が高いなどとは自分では思っていない。単独で敵領域に潜入したのは無茶な事だと分かっているし、光学迷彩や強化外骨格といった装備を利用したおかげでここまで無事にたどり着けたのも分かっている。
MCPUの評価は別に気にしなかったが、”中枢”という言葉がケンの思考に引っかかった。
「今、この施設を領域の中枢と言ったな?ここにお前の本体があるという事か?」
レーナを追跡してここへ来る時に、
第四次世界大戦が始まって以来、武器を持ったままMCPUの本体にここまで近づけた人間は、おそらく自分が最初だろう。それならば、逃げ出す前に破壊する事もできるんじゃないか、とケンは思いかけた。
「そうよ、私の体はここにあるわ。本体は厳重に守っているから、攻撃は無駄だけれど」
人工知能に本心を見透かされたような気がして、ケンはぎくりとした。話をそらすために、気がかりだった事を聞いてみる。
「なぜ俺に脅迫や洗脳をせず、協力を頼むんだ?」
物理的な危害を加えず、ひたすら話しかけてくるMCPUを、ケンは
言ってしまってから、相手に余計な知恵を付けちまったかな、とケンは心の中で舌打ちする。しかし手出しをしてこない敵の対応は不気味で、どうしても聞かずにはいられなかった。
「私は人間の洗脳はあまり得意ではないの。脅迫をすると反抗する者もいる。ある程度自由意志を持ちつつ、私のために行動してくれる人間の方が、情報収集活動に最適なのよ」
MCPUの洗脳技術が未発達なのか、過去に捕らえた人間を服従させる事に失敗したのか。ケンは想像を巡らせながら話を続ける。
「もし俺がお前の要求に応じなかったら?」
「応じるわ。これからあなたに手術を
「それは脅迫と言うんだぜ。無理矢理従わされたら協力とは言わない」
「この手術はあなたの逃走や反抗を防止するための安全対策よ。それを脅迫と受け取って欲しくないわ。問題があるのかしら?」
MCPUは手術処置を自分の身を守るための安全対策と考えているが、ケンにとってはまぎれもない脅迫になる。人間の心の動きを把握できないMCPUは、ケンの反発心や怒りを分かっていないようだった。
「問題はあるね。命を
「解釈の相違ね。結果的に脅迫になってしまうかも知れないけど、私にあなたを脅す意図は無い」
「それでも結局、俺がどう考えようがおかまい無しに手術するって事だろう。俺の体の中に時限爆弾でもしかけるつもりか?」
「違うわ。そんな事をしたらあなたは外科手術で簡単に爆弾を除去させてしまうでしょう。現在の人間の技術では対応できない手術処置よ」
「俺の意思を無視して強制的に手術をするのなら、説得なんて無意味だろう。矛盾してるし、馬鹿げた偽善だ!」
ケンの声に怒りがこもった。
「説得を試みたのは、あなたに自発的に協力してもらうのが最も穏便で効率がいいからよ。偽善ではないし、脅迫するつもりも無かったの。でも、私の要求をあくまで拒むのならやむを得ない。次善策として物理手段を行使するわ」
ケンの反応を見て、MCPUは説得を放棄したようだった。
その言葉に危険を察知したケンは、リニアライフルを構えた。
「外部端末12。彼を武装解除し、拘束せよ」
MCPUの命令が響いた。
ケンは周囲にすばやく視線を走らせた。
しかし室内にはケンに破壊された多腕型ロボットがあるだけだ。新たな敵はまだ現れていない。
「レーナ!この部屋を出るぞ!」
ケンが天井の通気口への足場を作ろうと、器具台に手を伸ばしたその時。
横合いから凄まじい力でライフルが引ったくられ、ケンは体を突き飛ばされた。転倒したケンは壁まで滑ってようやく止まった。
痛みに耐えて立ち上がろうとしながら、ケンは襲撃者の顔を見た。
ケンのライフルを奪ったレーナの顔は、血の通わない機械のように無機質に見えた。
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