第9話 地下都市の食糧事情

 その後も、通りを案内しながら歩いていると、ケンは昼時になっているのに気づいた。


「何か食べようか」


 ケンがレーナに提案した。


 「ええ。そう言えばお腹がすいたわ。」

 「食べたい物はあるかい?なんでも言ってくれよ。」

 「うん。さっき話してくれた、養殖魚がいいかな。」

 「分かった。知ってるシーフード料理店がある。席が空いてるか、見てみるよ。」


 ケンはポケットから二つ折りの薄い情報端末を取り出した。伝統的にスマホと呼ばれている物だが、名前の由来をケンは知らない。折りたたんでいた情報端末スマホを広げると、音声入力で店を検索し、空席をチェックした。画面の真ん中の折り目は、広げた時には消えている。


 「席が取れたよ。ここから歩いて一〇分ほどの所だ。行こう。」


 端末をポケットにしまいながら、ケンが言った。


 魚介類はジオフロントでは希少食料なので、値段が少し高い。しかし、この店は値段と味が見合っている(と、ケンが思っている)のだった。頻繁ひんぱんに来られる所ではないが、今日は特別だ。


 二人は店に着くと、予約していた一番奥のボックス席に座った。


 「ここなら周りから見られないから、サングラスとカツラ、はずしたら?」


 ケンがレーナに言った。


 「気を遣ってくれたのね。ありがとう。」


 メニューの立体画像を見て、レーナが気になったものを片っ端から注文した。シーフードピラフ、エビとハマグリのパスタ、カニのグラタン、イカとタコのマリネ、チャウダースープなど。


 公僕の身で、経費を使って自分までこんなに食べていいんだろうか、とケンの良心がうずきかけた。しかし、接待だからまあいいや、とすぐにそれを正当化でねじ伏せた


 昼間からアルコールを飲むのはまずいので、二人ともこれを避けた。


 人間のコックと調理用ロボットアームが共同で働く厨房ちゅうぼうから、一〇分ほどで次々に料理が運ばれてくる。料理を運んでいるのは、安定性の高い自律式四輪ポーターだった。


 「君の街では、普段はどんな物を食べてるんだい?」


 カニグラタンをスプーンですくいながら、ケンが聞いた。


 「私の街の主食は、地下農地で穫れた小麦よ。パンを焼いたり、伝統的料理として、水餃子のペリメニとか小さなパイのピロシキの皮に使ったり、カーシャっていうおかゆにしたり。あ、カーシャはそば粉のタイプが人気かな。」


レーナはフォークでパスタを、大まじめな顔で巻き取っている。


 「いろいろあるんだな。ここでは面積あたりの収穫量が大きいとされてる米が主食だよ。戦前もそうだったらしいけど。」

 「世界が激変しても、それぞれの食文化は受け継がれるものなのよ、きっと。

 他にもキャベツスープのシチー、ビーツのスープのボルシチ、牛肉をスライスしたビーフストロガノフとか……。」

 「君の都市にも牛肉はあるのか。」

 「ええ。ここと同じクローン肉だけれど。戦前のロシアの技術よ。」

 「クローン技術か。戦前のロシアは、科学技術に力を入れていたと聞くよ。そのおかげだね。」

 「うん。クローンの元になる魚介類の保存はい細胞は、失われてたんだけど。」

 「それで魚を食べたことがなかったのか。それなら、技術交換に加えて、クローン細胞の交換もすればいいんじゃないか?」

 「そうね。今度本国に提案してみるわ。

 あ、それから、小麦はお酒の原料にしたりもするの。」

 「伝統酒のウォトカの事かい?」

 「よく知ってるわね。」

 「実は情報ライブラリっていう検索サービスで読んだんだ。」


 ケンは話題に困らないように、昨夜にいくらかロシアの事を調べていたのだった。


 「そうなのね。飲み方は自由だけど、一気に飲みこむとなかなか強烈よ。」

 「俺はビールで満足してるけど、いつか、それも飲んでみたいな。

 それにしても、ウラジオストクも、穀物こくもつで酒を作る余裕があるんだな。」


 ケンはカニグラタンを冷ましながら、言った。


 「食料生産に余裕の無かった昔でも、ウラジオストク政府はお酒を作ってたわよ。」

「政府が食糧供給を減らしてまで、酒を作ってたことかい?冗談だろ?」


 核戦争後の神戸では、初期には食料生産量に不安を感じ、酒は贅沢ぜいたく品として禁止された。酒の原料となる農作物は、まず食料として消費されるべきだったからだ。密造酒を造るやからはいたが、その頃は神戸ジオフロント政府は取り締まっていた。


 「アルコールの供給を減らしたら暴動が、いえ、反乱が起こるかも知れないから、公安対策の一環として政府が作ったの。酒税を取る目的もあったらしいけど。私の住んでいる所は、昔からお酒好きが多いのよ。」


 レーナは肩をすくめた。


 「酒のために反乱ね……。分かるような気がする。俺の部隊にも二,三人、それぐらいの酒好きがいるからさ。

 まあ、そいつらが本当に反乱を起こそうとしたら、ぶん殴ってでも止めるけど。」


 理解したようなことを言いつつも、ケンには信じられなかった。


 料理の味には、ケンはいつも通り満足だった。初めて食べる魚料理を、レーナが不思議そうにしげしげと眺めたり、おいしそうに食べるのを見て、楽しんでもらえてるみたいだな、とケンは嬉しく思った。


 二人は料理店を出た後、腹ごなしに、しばらく歩くことにした。歓楽区域を離れて、静かな住宅区域へと歩いて行く。住宅区域と言っても、規則正しく並んだ、一〇階建て以上の積層型集合住宅がほとんどだった。そこは住民からは、団地とも呼ばれている。一軒家はほとんど無い。


 「あの建物の間にかかっている広い橋は何かしら?渡り廊下にしては大きすぎるみたいだけど。」


 レーナの指さした幅のある長い橋は、高層住宅の五階あたりから、道路をまたいで別の高層住宅につながっている。


 「あれは公園だよ。」

 「公園って何?」

 「何って.......。誰でも利用できる公共の広場ってところかな。散歩したり遊んだりする所だよ。」


 ケンが困惑しつつも答えた。


 「そうなのね。私の都市にはそんな所無いのよ。」

 「無いというのは......ああ、君の街は元が核シェルターだったね。」

 「うん。シェルターの目的は生き残りが第一だから、きっと設計段階ではぶかれたんだわ。」

 「まあ、それは合理的な考えだろうね。そもそも地下施設で広場なんて贅沢だし。」

 「広場があんな所にあるのね。」

 「都市設計の時に土地確保に苦心したらしい。

 街の設計者が、”公園は市民のいこいの場だから必要”って強弁したから、折衷せっちゅう案で中間層に造られたんだ。その時は戦前で、そんな意見が通るゆとりがあったんだよ。

 見てみるかい?」

 「うん。」


 二人がエレベーターで上ると、そこには一〇〇×五〇メートルほどのスペースがあった。人工芝がかれ、そこに遊歩道がいくつも通り、ベンチや遊具が設置されている。平日の昼下がりなので、人は少ない。


 「いい所ね。なんだかホッとするわ、ここ。」

 「そうだな、たまには来てみるのもいいもんだ。」


 公園の無人屋台でケンがコーヒーを、レーナに紅茶を買った。


 「君の都市では、今でも紅茶にジャムやマーマレードを混ぜるの?」


 レーナが砂糖入りの紅茶を選んだのを見て、ケンがたずねた。


 「ううん。デザート代わりにスプーンですくって食べるの。紅茶の中に入れる習慣は、昔の一部の地域にあったみたいだけど、」

 「そうか。情報ライブラリにも間違いはあるんだな。」


 二人は空いている近くのベンチに座った。

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