第7話 地下都市 神戸ジオフロント

次の日の午前六時に、士官独身寮のスピーカーから流れる起床音楽でケンは目を覚ました。軍隊に入ってから体に叩きこまれた習慣でベッドから即座に降りようとして、休養日だったのを思い出した。


 「いや、実質、今日も明日も休養日じゃないな。」


 ケンは独り言をつぶやきながら、寝る前に着替え忘れ、シワの付いた服を脱いだ。


 本部への詳細報告、一日放り出したままだった装備の手入れ、戦死した部下の葬儀そうぎへの出席、分隊の隊員とバーで生還せいかん祝いと死者への追悼ついとうをおこなって、あっという間に時間が過ぎた。レーナはどうしてるだろうと思いながら、明日の街案内のための調べ物を情報ネットで検索し、午後九時に床についた。

 

その次の日の午前九時に、言われたとおりに中央政庁に出頭すると、そこで待っていた三島主任から、クレジットチップを手渡された。電子マネーが入金チャージされた、財布代わりのICカードである。


 三島主任から伝えられた内容は、次の通りだった。

 

 その費用でリヴィンスカヤ少尉を歓待してくれたまえ。ああ、カードは後で返すように。

 おいしい昼食を彼女にご馳走してあげてほしい。

 何かプレゼントを買ってあげてもいい。経費として認めるよ。

 小うるさい報道機関マスコミに捕まらないようにな。彼女の来訪をぎつけて、記者がここに押しかけてる。政庁で記者会見をして彼らを引きつけておくから、用意した車で、地下駐車場からこっそり出てくれ。

 監視する市警察の公安部員達は、尾行びこう手練てだれだから、心配せずにどこへでも移動してくれたらいい。

 彼女の夕食はこちらで準備するから、遅くとも午後六時までには、ここに連れて帰るように。

 

 ケンは受け取ったクレジットチップを見た。表面の電子ペーパー部分には、五〇万円と表示されていた。ケンの俸給ぼうきゅう二ヶ月分ほどの金額だ。


 ケタを見間違ったんじゃないかと、思わず二回見直した。



地下駐車場に用意された車の前に、長髪の黒いカツラをつけたレーナが待っていた。


 「それ、変装かい?」

 「うん。服と一緒に貸してもらったの。」


 レーナは膝までの長さの白いワンピースを着て、その上から腰までのたけの水色のカーディガンを羽織はおっていた。通気性にすぐれたナノテク素材でできているので、涼しく着られるものだ。


 地下都市ジオフロントの気温(室温とも言う)は、人間の活動に最適とされる摂氏せっし二〇度前後、湿度は五〇度あたりに調整されている。核戦争前の温暖湿潤気候の春を参考にして、そう設定された。


 「そうか。服、素敵すてきだね。似合ってるよ。」


 きれいと言うより、清楚せいそだな、とケンは思った。


 「ありがとう。」


 レーナは少し照れくさげだった。


 青い薄手のジャケットと、白いジーンズという姿のケンは、もっとマシなもの着てくりゃ良かったかな、と思った。


 「どこか案内してほしい所はあるかい?」

 「この都市の事はよく知らないから、あなたの選んだ所へ。」

 「わかった。じゃあ、歓楽区域にでも行こうか。面白い物が見られると思うよ。」


ケンは、昨日のうちに案内場所の候補の一つにしていた所を提案した。


「ええ、お願い。おとといから楽しみだったの。」


 ケンは、レーナを車に乗せて、地下駐車場から基準階層(地下都市の一階)に出た。報道員がいないのを確認して、ほっとした。報道社のカメラドローンも見当たらない。テロ対策で、政府機関の集中している官公庁区域を飛行ドローンが飛ぶのは、禁止されてるのだ。もっとも、都市外部に強力な敵が存在する今の時勢、テロなどほとんど起こらなかったが。


 公道に出ると、ケンは車を自動運転モードに切り換えた。ハンドルから手を放して、レーナをちらりと見る。


 レーナは黒いカツラをかぶって一般人の服装をしているし、西洋人の顔立ちも、神戸ジオフロントにはそれほど珍しくない存在だから、それらが原因で目立ってしまう事はない。ただ、彼女の顔はニュースで報道されているし、美人なので、そちらが人目を引いてしまうかも知れない、とケンは危ぶんだ。


「君はニュースに出た有名人だから、ばれたら、報道記者や興味を持った人達に囲まれて、観光どころじゃなくなるかも。」

「じゃあ、サングラスをかけてみるわ。私に関心を持ってくれてる人達には、悪いけれど。あまり変装にならないかな?」


 地下都市ジオフロント天井部の照射ライトには、太陽光を再現して紫外線を含めてある。紫外線は強すぎると人体に有害だが、適度な量であれば、かえって体の健康を保つことになるからだ。日焼けや、まぶしさを嫌う人もいるから、地下都市でも帽子やサングラスを着ける市民はいる。


 レーナのかけた黒いサングラスは、人の顔立ちの大きな特徴である目の形を隠し、カツラとも相まって人相が見分けにくくなっていた。


 「いいね。かっこいいよ。」

 「ありがとう。ケン、いろいろと面倒をかけさせちゃって、悪いわね。」

 「いいんだよ。俺も楽しいしね。」


 嘘ではなかった。上司や上官から口うるさく指示を受けた時には、それはもうゲンナリしたものだが、こうしてレーナとこっそり街に繰り出す段になると、ケンは何か楽しくなってきたのだ。


 いや、こっそりじゃないか。ケンは後方視界ディスプレイバックミラーを見た。


 市庁舎のそばからずっと、つかず離れずの距離を保って、つけてくる一般車があった。別の車を間に二台はさむという尾行の基本を、律儀りちぎに守っている。


 ご苦労さん、と警察の公安部員達に心の中でケンは声をかけた。彼らが監視を仕事でやっているのは分かっているから、腹は立たない。


 「昨日、市街地の大まかな説明を受けたわ。私の街よりずっと大きいのね。」


 レーナが、外を流れる景色を見ながら言った。


 「建物が密集している中心市域は、半径7キロぐらいだよ。その外側に農地や軍の施設が散らばっている感じかな。」


 官公庁区域を抜けた車は、上層の高速道路に向かっていた。そこは本来は軍用道路で、緊急事には防衛軍に通行優先権が与えられる。普段は一般用道路として解放されていた。車はほとんど走っていない。


 平日の出勤時間帯を過ぎている事もあるが、そもそも地下都市では車を持っている一般人は少ないのだった。大抵の市民は無人の路面バスや、都市中空に渡された管状走路チューブの中を走るリニアトレインなどの公共交通機関を利用している。


 「この都市は最初から大きく作られたの?」


 レーナが聞いた。


 「いや、最初は五万人ぐらいが住める街だったらしい。まあ、それでも大きいのかな。核戦争後に、さらに大きく拡張したって聞くよ。ウラジオストクは何人ぐらい住んでるんだい?」

「一二万人程よ。今の神戸ジオフロントは二五万人でしょ?地下都市なのに、それだけの人を養えるなんて驚きだわ。」

 「ウラジオストクの一二万人も、大したもんだと思うけどね。

 ここは建設された時から、大きな食料生産施設があったのが、幸いしたんだ。その後、人口増加に合わせて食糧の増産もされた。」

 「建設時から地下で食料を作っていたの?」

 「そうだよ。神戸ジオフロントは・・・。」



神戸ジオフロントは、今から六四年前の、二〇六八年に建設された地下都市だ。


 核戦争前の二一世紀半ば、兵庫県神戸市は長年続けていた科学産業の誘致政策が功を奏し、景気は活況とは言えないまでも、上向きの状態だった。独自技術を持つロボット生産企業やナノテク企業の売り上げ増加によって、市の税収も増大した。下請けをする関連中小企業にも恩恵をもたらし、被雇用者が消費するお金は、彼らを客にするサービス産業にも、経済波及効果をもたらした。


 好景気は人を呼び寄せる。


 神戸市南側の狭い平地の人口が、外国人を含む他地域からの人口流入で、過密状態になった。そして北側の山岳地域の開発もほぼ隅々まで行われていたため、新しい住宅地や工業用地のための土地が狭まりつつあった。


 全国的に人口減少の問題に苦しむ当時の日本において、神戸市域は数少ない例外となった。


 しかし、人口増加は、人口減少に比べてマシな悩みではあるとはいえ、人が増えすぎるのも困りものだった。市域の外にホームタウンが造られたが、それでもまだ足りない。


 そんな時、市の開発企画部職員の一人が、とある昔のSFアニメからヒントを得た。巨大人型兵器で地下都市を防衛するとかいう内容の物だった。


 そうだ、地上が人でいっぱいなら、地下に住めばいいじゃないか。


 発想の仕方は実に安直あんちょく軽薄けいはくだったが、実現は可能だった。二一世紀半ばの今日こんにちであれば、安全な掘削くっさく技術も、高速かつ堅実な建築技術もすでに確立されている。地層の重圧を支える資材なら、軌道きどうエレベーター(地表から静止軌道まで延びる超巨大構造物メガストラクチャー)にも利用されるような、あきれるほど頑丈な建築材もある。


 そして、新都市開発事業そのものによって、新たな資本投下や雇用も生まれる。大規模な公共工事発注によって土木建築業や不動産業など、関連企業への落水効果を起こし、好景気をさらに促進する事も期待された。


 年々増加する人口流入に対応するため、という触れこみで、神戸ジオフロント構想がスタートした。地下都市へ七万人の入居者を見こむ、大規模プロジェクトだった。


 繁華街である三宮さんのみやから元町もとまちあたりまでの地域の地下に母都市ぼとしを作る事になった。地下一〇〇メートルまで固い岩盤をくり抜いて行き、そこに空洞を造る。都市の天井と壁を兼ねる半球形の空洞ドームは、圧力と経年劣化に強いカーボンナノチューブ複合合金で支える。ドーム状の空間をいくつも作り、そこに集合住宅を建て、それら居住ドームを道路でつないだ。


 そして、住宅地の中心区域を造りつつ、元々あった上層の地下街を、地下道で連結してしまう。


 地中から掘り出された大量の土砂と岩塊は、神戸港の人工島ウォーターフロントである、ポートアイランドや六甲アイランドの土地拡張に利用された。


 ジオフロントの建設は、本来は人口増加対策だったが、利便性の問題が提起されたり、利権がらみの横やりが入ったりで、計画は途中で、やや修正された。


 そうして住居だけでなく、住民達の勤め先まで地下都市に用意された。サービス産業だけでなく、通常は都市部に組みこみにくい、工場までも。もちろん、公害を完全にブロックできるクリーンな産業に限ったが。


 人口増による地上の異常な地価高騰に悩み、神戸への進出をためらっていた企業を、税制の優遇や土地購入の割引で、地下都市に誘致した。


 さらに、自動化された大規模複層式地下農業も導入され、地上を含めた都市圏への食料供給を、容易にした。ロボットによる農作業によって低コスト化が図られ、上昇傾向にあった市域の農産物の価格を押し下げた。


 そして当時、世界情勢が不穏になっていた事も考慮に入れ、核シェルターとしても機能するように、全ての出入り口には完全密閉式のゲートまで設置された。


 途中で噴出した無数の問題はさておき、西暦二〇五九年に着工された神戸ジオフロントは、順次入居者を迎え入れつつ、二〇六八年に完成した。


 工場や地下農場の設置スペース確保が必要になったため、実際にジオフロントに入居できたのは、当初の目標よりも二万人少ない、五万人ほどになった。人口過密問題に完全に対応できたわけではなかったが、市の景気刺激策としては、まずまずの成功を収めた。


そして、西暦二〇七四年に開戦された第三次世界大戦。世界の主要都市に核反応ミサイルが着弾し、報復攻撃の応酬が行われ、大戦と無関係だったそれ以外の国々にも、放射性降下物を平等にまき散らした。


 凄惨な暴風が吹き荒れた地上世界からわずかな距離を置いて、神戸ジオフロントは、生き残った。地下の岩盤と密閉式ゲートが、防御効果を発揮したのだった。


母体だった神戸市は無くなったものの、地下の住民五一〇二七人が、その生存者となった。

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