第12話 義体(サイボーグボディ)
二人は最後に、住宅区域の端にある、科学博物館を訪れた。住宅街をぐるりと回って、その前を通りかかったときに、レーナが興味を示したのだ。
「科学博物館か。神戸との科学技術交換と関係あるのかい?」
ケンがたずねた。
「ううん。個人的な興味よ。住宅街に博物館があるのね。」
「うん。核戦争直後は食料の備蓄倉庫として使われてたらしいけど。」
「博物館が倉庫に?ああ、当時は博物館を運営するどころじゃなかったのね。」
「そうそう。ちなみに、さっき行った歓楽街も、核戦争からしばらくたって発展したんだよ。生活資源の生産に関係ない物は後回しの扱いだったのさ。」
科学博物館の元になったのは旧神戸市の青少年科学館で、神戸ジオフロントが建設される前の20世紀に、市民の科学技術への理解と興味を広げる目的で、市によって建てられた科学技術展示館だった。地上のポートアイランドにあった本館が戦争で失われてしまったので、地下のジオフロントにあった分館が本館の代わりとなった。
しかし、核戦争直後は博物館を維持する余裕など無く、展示物は撤去されて、ただの倉庫として使われていた。
神戸ジオフロント政府は、科学技術の発展を都市国家の死活問題と考えていたため、市民生活にある程度のゆとりができた後、市民の科学教育のためにここを再開した。
博物館の再開後は、小中学校の学童が社会見学の時間に何度も通わされ、彼らから「もう
二人が中に入ると、フロアごとに、音や光の基本原理を解説した物や、
「興味深いわ、これ。」
大きさ一〇億分ノ三メートルの、
「楽しんでもらえてるなら良かった。その
言われるままにレーナが立体映像に触れると、空中触覚技術の組みこまれた構造図の角度が変わった。手で映像に触れたときに、感触があった。
「あら、本当だわ。どうしてさわれる事が分かったの?」
立体映像には手で触れられずに透過する投影型と、超音波で触感も再現してある触覚型があるが、見た目だけでは区別が付かない。
「実は俺、子供のころ何度もここに来たんだよ。」
「そうだったの?じゃあ、あなたには退屈?」
「いや、そんな事はないよ。大人の視点であらためて見れば、新鮮に思える。
でも、どうしてナノマシンに興味があるんだい?」
「私の体の中には、医療用ナノマシンが入っているの。」
「医療用?体が悪いのかい?」
人間の肉眼では見えないぐらいに小さな医療用
「私の体の一部は機械なの。体が、異物である機械部品に拒絶反応を起こさないように、ナノマシンで調整してるのよ。
あなたに隠すつもりは無かったのだけど……」
「……そうだったのか。体の一部が機械って言うのは?」
ケンから見て、レーナの振る舞いには何か不自由があるようには見えない。
「一六才の時、事故に遭って足を義足にしたの。」
「義足に.……部分クローニングで再生しなかったのかい?」
本人の体細胞から抽出した遺伝子情報を元に、失われた体の一部を培養・復元して手術で接合する事が、二二世紀現在ではすでに可能になっていた。この方法だと肉体に拒絶反応が起こらないので、手術後は普通に生活ができるようになる。
「私の都市では、体の再生手術にはとても高い費用がかかるの。家にはあまりお金が無かったから、手術は受けられなかったわ。中古の義足を使う方がずっと安くすむの。
再生手術の費用を貯めるつもりで、一八才の時に軍の士官学校に入った。職業選択の幅が少ない社会主義体制だったから、選択肢の中で一番条件が良かったのはそこだったの。」
「足が義足でも士官学校に入れるのかい?」
「ウラジオストク軍では、入隊と同時に
「義体に?軍に入って体まで機械化したのか?それじゃ足の再生手術はどうなるんだ。生身の体に戻すために手術代を貯めるんじゃなかったのか?」
それじゃ本末転倒じゃないか、とケンは思った。
「体を交換したのは、一時的な事よ。それに骨格の強化と人工肺への交換、痛覚制御を一部に
任期満了で軍を除隊するときには、体と足を元に戻す再生手術の費用を、政府が全部負担してくれるの。その時まで生き残っていればだけど。」
「それは……つらいな。他に再生手術を受ける方法は無かったのかい?」
「父が早くに死んで、実家を支えなきゃいけなくもあったから、無かったわ。
母が工場で働いていたけど、給料はあまり良くない。家は生活を維持するだけで手一杯だった。
私が軍の士官になったら高給が得られて、母の負担も減る。
でも、母には感謝しているのよ。貧しい中でも私を大事に育ててくれたもの。」
「そうなのか……。立派なお母さんだな。すまない、こんな事を聞いてしまって。」
「ううん、いいのよ。あなたになら話してもいいと思ったから。」
レーナの緑色の瞳に見つめられたケンは、心に生じかけた感情をごまかすように、あわてて質問を次いだ。
「でも、どうして君の軍は体を機械化するんだ?」
「軍の少数精鋭化のためよ、兵士の体を軍用
ケンはレーナを救出したときの事を思い出した。彼女は横転した車の中にいたり、至近距離の爆発で吹き飛ばされたりしたのに、重傷を負わずにいた。あれは着ていた装甲服が
「入隊する人達は、体を機械化する事に
「高い給料がもらえるし、最終的に体は元に戻してもらえるから、それは気にしないの。」
「そこは割り切っているんだな。でも、君の街ではロボットが嫌われているんじゃなかったかい。サイボーグはかまわないのか?」
「頭脳は人間のままだから、安全に制御できるっていう考えなの。」
「頭脳か……。そう言えば、さっきとった食事はどうだったんだ?味は感じるのか?」
「味覚や消化器官がそのまま残っているから、食事は楽しめるの。おいしかったわよ。」
「そうか、それなら良かった。」
ケンは、展示物に目を向けた。
しばらく言葉を探した後、
「レーナ、無神経にいろいろとつらい事を聞いてしまって、悪かった。本当にすまない」
ケンは、動揺するままに質問を重ねてしまった自分の浅はかさに、嫌気がさしていた。
しかし、それは彼女の事をもっと知りたいという思いに駆られての事でもあった。
「そんなに気にしないで。私、自分が不幸だなんて思ってないわ。
今は、生きていくのにほとんど支障は無いのだし、いつか元の生身の体に戻すつもりなのよ。
体の一部が機械だとしても、生きていれば楽しいことだって体験できる。こうして今みたいにね。」
レーナが微笑んだ。ケンは、少し救われたような気がした。
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