第16話 決死の追跡
レーナを見送ったケンは、小隊に撤収命令を出した。
「第二小隊、引き上げるぞ。負傷者のそばにいる者は、手を貸してやれ。見張りは相互援護で後方警戒しながら戻れ。」
相互援護は、基本的に兵士が二名一組でおこなう。片方の兵士が移動する間に、もう一人の兵士が遮蔽物のそばに止まって周囲を警戒し、相棒がある程度進んだら役割を交代する。これを交互に繰り返して慎重に進む。撤収の時には警戒は主に後方に向けられる。
狙撃手の冬月上等兵が一番速くそばまで戻ってきた。彼は後方から長距離狙撃をおこなう役割だから、小隊陣形の後側のケンの近くにいたのだ。
他の兵士とは違って
「冬月、装甲車をここまで持って来てくれ。負傷者を乗せてやりたい。」
ケンが命じた。
「分かりました。」
命令を受けた冬月が境界トンネルに向かって走っていった。
部下を待つ間に、ケンはレーナが去って行った道路を見た。見通しのいい丘陵の上からまっすぐな道路を見下ろしているので、本来はまだ彼女は視界に入っているはずだった。しかし光学迷彩を装着しているためにその姿は見えない。
ケンはふと思い当たって、大気変動センサーの表示を呼び出した。空気中の微粒子の動きから、音源や高速移動物体の位置を検知するセンサーだ。ヘッドアップディスプレイに情報が表示されすぎると視界の邪魔なので、普段はこの表示を切っている事が多い。
センサーを向けると、道路上にレーナとバイクの輪郭らしき物がおぼろげに見えた。高速走行で空気を押しのけながら移動しているため、大気変動センサーに捕らえる事が出来たのだ。
やはり光学迷彩は万能のカモフラージュというわけではないんだな、とケンは思った。しかし、無人兵器に発見される心配は無いはずだった。
彼女が無事に神戸にやって来る事ができたという事は、敵が大気変動センサーの技術を持っていないか、持っていたとしても敵だという認識をできないという事だ。
ケンが考えていた時、レーナの進む道路の先の緩やかなカーブに、
ヘッジホッグの増援要請に応じて近傍からやって来たのだろうか、今さら手遅れだがとケンは思った。
ケンは丘の頂上付近で伏せて、センサーカメラの付いたヘルメット頭頂部を少しだけのぞかせている状態なので、向こうからは気づかれていない。
「撤収中の各員へ。後方の道路上にタランチュラが現れた。距離は遠いが、岩陰に隠れながら戻ってこい。」
一応の警告をケンは出した。引き上げ中の小隊は最初からあちこちに隆起する地下丘陵や岩に姿を隠すように戻っていたから、新たに現れた敵の視界に入る事は無い。
ケンが気がかりなのは、むしろレーナの方だった。
大気変動センサーで視覚化された彼女の
レーナの乗ったバイクが、
「全くレーナは、大した度胸だよ。」
ケンは安心のあまり、無意識のうちに笑みを浮かべていた。
レーナのバイクが敵のそばを通った時、ケンはヒヤリとしたが。タランチュラには見えないか、関心を持たないようだった。光学迷彩は万能ではないにしても有効なのだ。
ケンがそう思った時、急に
「そんなはずはない。気づかれるはずがない。」
タランチュラの動きを見て
丘陵の後ろを大回りして帰ってきた望月曹長が、
「様子が少し変ですね。」
移動しながらケンの視界映像に目を配っていた望月が言った。
「光学迷彩に何か不具合が出たんだろうか。さっき彼女もヘッジホッグの電子攻撃を浴びた。」
ケンは動揺を隠せなかった。
「電子攻撃はコンピューターウイルスでしたが、それで光学迷彩に影響が出るんでしょうか?」
望月に言われて、ケンは自分が光学迷彩の仕組みを全く知らない事を思い出した。
「……分からない。迷彩が何らかのプログラムで作動するのなら、感染の可能性はある。でも、見た限りでは電流を流すだけの単純な仕組みだったと思う。」
ケンはレーナに見せられた光学迷彩を、必死で思い出そうとした。
タランチュラ達はいまだにレーナの去った道路を見ている。
「彼女の姿は消えてますし、タランチュラの注意を引いたとしても、敵だとは思われてないはずですよ。彼女は攻撃をされてないでしょう?。」
望月は年下の上官の不安を、やわらげようとした。
それなりの人生経験を積んできた望月曹長は、ケンの立ち振る舞いや発言から、彼がレーナに気がある事を察している。うまくいけばいいと、その事は好意的に思っているが、指揮官が軍務に私情を持ちこんで冷静さを失ったらまずい、とも考えているのだった。
「その通りだが、せめてタランチュラの注意をこちらに引きつけられないだろうか。」
望月に言われて少し落ち着いたケンが言った。
「彼女の援護ですね、そうしましょう。まずは狙撃手に……。」
望月が言いかけた。
その時、静止していた二両のタランチュラ達に動きがあった。
突然興味を持ったかのように、レーナのバイクの後を、猛然と追いかけ始めたのだ。
ケンの心臓が跳ね上がった。
「そんな……!そんなバカな!」
カーブを曲がってケンの視界から消えようとしているレーナの迷彩に、異常は見当たらない。そして彼女が自分が追われている事に気づいている様子もまた、無い。警告を送る事はもうできなかった。
「小隊各員、高台に登ってタランチュラを攻撃しろ!こっちにおびき寄せるんだ!ちゃんと
兵士達が強化外骨格の持つ高い跳躍力を活かして、連続ジャンプで大岩や
しかしリニアライフルの弾丸は、厚い装甲に
攻撃を受けたタランチュラ達は銃弾の雨を
機械兵器の思考や視覚は人間の物とは全く違う異質の物だ、というレーナの言葉をケンは思い出していた。
人間の視覚や強化外骨格のセンサーでは捕らえられない異常を、敵に見つけられてしまったのだろうか。
だとしたらタランチュラが彼女に攻撃を加えなかったのはなぜだろう。
今からそうするつもりで追い始めたのか?
タランチュラが消えていった道を見つめながら、ケンはレーナを助ける方法を考え続けた。
「もうどうする事も出来ません。我々が小隊戦力で追いかけても全滅させられるだけです。彼女の無事を祈りましょう。」
隣にいた望月も何とかしてやりかった。しかし感情とは別に、レーナが機械兵器軍の勢力圏奥深くに入りこんでしまった以上、彼女の援護をする事は不可能だ、と冷徹に断定をしていた。
副官に反論する事ができず、ケンは絶望しかけた。あちこちに視線をさまよわせて、何か方法はないのかと必死に考える。
冬月上等兵が、取りに戻った装甲輸送車を運転してきて、丘陵の中腹に止めた。
それを見たケンは、突然叫んだ。
「あれだ!」
望月がケンの指さした装甲車を見る。
「どれですって!?装甲車で彼女を追うなんて自殺行為ですよ!少しも進まない内に敵に発見されて、すぐに撃破されてしまいます!」
上官の正気を一瞬疑った望月は、ケンの腕を押さえた。
「違う!予備のバイクと迷彩服があるじゃないか!」
レーナ帰還の決行日に故障などのアクシデントが起こる事に備えて、光学迷彩を張ったバイクと迷彩服がもう一組、余分に作られていたのをケンは思いだしたのだ。それら予備装備は装甲車に積んである。
あれを使って全速力でレーナを追えば、彼女を連れ戻せるかも知れない、とケンは考えたのだった。
望月に向き直ってケンは説明した。
「レーナは長距離走行の燃料節約のために、適正速度の時速六〇キロほどで走っているはずだ。このバイクの最高速度はたしか時速一三〇キロだから、二倍の速度で今から飛ばせば追いつけるんじゃないか?」
ケンはそう言って、返事を待たずに装甲車に走りはじめた。
取り残された望月は、この無茶に思える計画は本当に可能だろうか、と頭の中ですばやく検討した。頭の回転が速い彼は即座に、やはりダメだな、と答えを出した。
「少尉待ってください、危険すぎます!彼女のバイクが敵に見つかったのなら、予備のバイクも同じように見つかるでしょう。」
「予備のバイクは電子攻撃を浴びた時、装甲車の中で防護されていた。故障はしてないはずだ。」
バイクと迷彩服を装甲車から降ろしながら、ケンが無線で答えた。
「電子攻撃で彼女の光学迷彩が故障したというのは、推測に過ぎません。元から欠陥があったのかも知れないでしょう?」
バイクを押して丘を登ってくるケンを見ながら、望月は言った。
「光学迷彩に元々欠陥があって敵に見えるのだとしたら、レーナが神戸にやって来られたはずがない。」
ケンは頑固だった。
「彼女と無事に合流したとして、その後の戻り道はどうするんですか?バイクに二人乗りするとしても、彼女の故障した迷彩で見つかるかも知れないじゃないですか。」
「彼女を前に座らせて、
ケンは光学迷彩のロングケープを強化外骨格の上から
「そもそも、バイクで追いかけるというのは作戦外の行動になってしまいますよ。」
望月は辛抱強くケンの説得を続けた。
「彼女を無事に送り出すのが任務だろ?危険に気づいたから、彼女を呼び戻しに行くだけだ。」
「それは命令の拡大解釈です。敵勢力圏の中を深追いするなんて、作戦本部が認めないでしょう。どうしてもと言うのなら、まず本部の指示を仰ぎましょう。」
「でも、それなら母都市につながる有線電話のある前哨基地に戻らないといけない。戻って許可を取ってたら間に合わないかも知れない。ここと前哨基地との往復だけで、急いでも三〇分はかかるんだぞ。しかも伝達が命令系統を往復するから、さらに大事な時間が失われる。」
ケンは言いながらリニアライフルを荷台に固定した。
「私も彼女を何とか助けたいですが、とにかく勝手に隊を離れるのは軍規違反です。」
「じゃあ、俺の行動は命令違反と無許可離隊になるから、軍法会議にかけられるな。」
ケンはバイクに乗って駆動キーをひねった。
「……どうしても行くんですね。」
望月がため息をついた。
「すまないな。君が俺を止めようとしたのは、作戦記録に録画されてる。君達は命令違反には問われないよ。」
「さあ、どうでしょうかね。」
あきらめ口調で望月が答えた。
装甲車の周りに集まって来た兵士達が二人をかわるがわる見ている。無線で会話を聞いていた彼らには、指揮官と副官が対立しているように聞こえて動揺していた。
「面倒をかけてすまない。身勝手で、ろくでもない上官に当たってしまったとあきらめてくれ。小隊を頼む。」
「ろくでもない上官だなんて思ってませんよ。ご無事をお祈りします。」
「勝手にくたばれ、と言わないでくれてありがとう。」
光学迷彩を起動して透明になったケンは、バイクを発進させた。
ケンは入隊初期の基礎訓練でバイクに少し乗った事があるだけだったが、操縦は体が覚えていた。広めの道路を走るぐらいなら問題は無い。
バイクで走りながらケンはふと気づいた。
望月曹長はケンに銃を突きつけて、力ずくで止める事もできたはずだ。
いや、たとえ相手が上官であっても、明確な命令違反をしようとする者がいたら、軍規に規定されてる通り、絶対に止めなくてはいけない。
そうするとケンを物理的に阻止しなかった彼も、軍法会議にかけられて罪を問われる事になる。その事を優秀な下士官である望月が知らないはずがない。
望月は自分も懲罰を受けるのを覚悟して、ケンを行かせてくれたのだ。
軍法会議ではなんとしても望月曹長を弁護して、懲罰を軽減させるか無罪を勝ち取らないといけない。ケンは固く決意した。
――生きて帰る事ができれば、だが。
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