第5話 外交交渉
西暦二一二二年現在。
ケンとレーナの乗った装甲輸送車は、ようやく都市国家、神戸ジオフロントに到着した。
都市国家は、元々古代に生み出された統治形態で、高い外壁に囲まれた都市を市民生活の中心とし、その周辺部を領土とするミニ国家だ。
周囲を防御隔壁と
ケン達は、ジオフロントの防御隔壁の前で検問を受け、三重のゲートを順に通って、市内に入った。レーナは、そこで待っていた公用車に乗せられて、どこかへと連れて行かれた。
彼女を見送ったケンは、部下達と共に駐屯基地に戻った。
シャワーを浴びて着替えたケンは、口頭報告をするために、上官の
「中央政庁ビルへですか?」
ケンは、レーナが何か問題でも起こしたんだろうか、といぶかしく思った。
「そうだ。たった今、市長から要請があった。」
「市長が小官にですか?何の御用でしょうか。」
「詳細は俺にもわからない。とにかく、行ってくれ。表に車を用意してある。」
民間人に軍務に割りこまれる事を嫌う大隊長は、少し不機嫌だった。しかし、文民統制の制度が採られているジオフロント軍では、制度上の上司である市長に文句を言うわけにはいかない
「はい、失礼します!」
虫の居所が悪い大隊長から一刻も早く離れたくなったケンは、さっと敬礼してすばやく退室した。
運転手付きの車で政庁に送られた時には、ケンはなにか得体の知れない不安を感じた。
「市長が俺に何の用があるんだろうな。」
ケンは首をひねった。レーナに関係する事だろうが、自分にこれ以上大事な役割があるとは思えない。
中央政庁ビルは、一二階建ての建物で、官公庁区域にある市政府の
そこにはケン以外に、六人の男女がいた。うち四人が、ジオフロント政府において、要職にある者だった。
応接机を囲んでいる四人の内の一人は、稲田 秀一。神戸ジオフロントの市長で、この都市国家の最高指導者になる。
彼は戦時の指導者にしては緊張感の見られない、恰幅のいい初老の男性で、その福々しい笑顔だけで、有権者の票を大量獲得したと言われる。公約よりも外面の印象がいい候補者を選んでしまう有権者は、二二世紀になっても、いまだ多かった。
しかし、政務はまともにやっているらしく、任期4年目になっても、不正も醜聞も聞こえてこない。一年後の総選挙で再任され、引き続き政務を担うだろうと言われている。
その隣にいる文官が、三島 グレン。国防・外務主任。西洋人の血を濃く引く顔立ちで、広い額と高い鼻が特徴の、細身の壮年男性だ。彼は元防衛軍統合作戦本部の副参謀長だった経験を活かし、国防施策を的確にこなしている。
軍服を着た男は、織田
離れた席でレーナの持ちこんだポータブル端末を見ているのは、真田
あとの二人は女性だった。ロシア語の通訳者一人とレーナだ。
神戸ジオフロントに迎え入れられたレーナは、装備を解いて入浴した後、服を与えられていた。装甲車と共に着替えが燃えてしまったとの事だった。階級章のついていない神戸ジオフロント防衛軍の、女性士官用第一種軍装(儀典用の礼装)を借りていた。
レーナは装甲車から運んできた大きなアタッシェケースを、足元に置いていた。
「我が政府は、科学技術交換の件を積極的に検討したいと思います。」
一〇分程の儀礼的な会話を
「ありがとうございます。良いご返事を期待しています」
「しかし、リヴィンスカヤ少尉、遠い所からよく無事にここまでたどり着けましたね。」
稲田市長がいたわるように言った。
彼女の社会身分は、軍の下級士官だが、今は外交官の代行をしているので、
「ウラジオストクから、どれぐらいの時間がかかったのですか?」
「交代で休み無く車を走らせて、二二時間ほどでした。」
「二二時間!どのぐらいの距離なのでしょうか?」
「直線距離でも九八〇キロメートルほど、地下トンネルに沿って走りましたから、一一〇〇キロメートルほどでしたね。」
レーナの言っている地下トンネルは、日本海の海底下を通る長大な地下道路のことだった。機械兵器達が掘った事は分かっているが、何の目的で掘ったのかが正確に分からない。MCPUのユーラシア大陸方面への侵攻路だろう、とは推測されていた。それを利用して、彼女はここまでたどり着いたとのだった。
「ウラジオストクとは二〇年間も音信不通でしたから、心配してましたよ。あなたの母都市が健在で何よりです。
そして、久しぶりのお客様が、あなたのような素敵な麗人で、まことに嬉しく思います。」
ニコニコしながら稲田市長は言った。
美人以外ならがっかりなんだろうか、とケンは思った。
「ありがとうございます、閣下。」
レーナは軽く微笑んで答えた。
「しかし、どうやって無事にここまで来られたのですか?領土境界線からはみ出した人間は、例外なく無人兵器の攻撃を受けてしまうのに。一一〇〇キロメートルも移動したのなら、出くわした敵の数は、一〇〇〇や二〇〇〇じゃすまないでしょう。」
織田少将は心底不思議そうだった。というより、この場の誰もが持っている疑問だった。
「それについては、交渉と関連がある事柄なので、後でお話しいたします。」
レーナが答えた。
「ふむ、交渉と言えば・・・真田少佐、データディスクの内容はどうかね。」
三島国防・外務主任が呼びかけた。国防主任と外交主任を
離れた席で真田技術少佐は、女性通訳者と小声で話し合いながら、レーナが持って来たデータディスクを調べていた。
「全部で一八件あります。八つの兵器設計図と一〇件の民間技術です。」
真田少佐が答えた。彼は軍事技術だけではなく、民間技術の知識も幅広い。民間技術は軍事にも転用できる事が多いからだ。
「中でも、装甲車両の設計図と電子妨害対抗手段、それからクローン細胞の高速培養安定化、金属ガラス量産の低コスト化などの技術は、非常に有望と思われます。」
これらの技術が本物であれば、とは少佐は口にしなかった。
「技術の本格的な解析と価値の査定に、どれぐらいかかりそうかな?」
三島主任がたずねた。
「主に解析の方に時間がかかりますが、自動翻訳を
クエビコは、多目的で使用される、ジオフロント政府の高速処理コンピューターのことである。
「一八件もあるなら、そんな所かねえ。」
三島主任はうなずいた。
「このディスクと端末を、お借りできますか?こちらの技術開発研究局で、解析をしたいのですが。」
真田技術少佐は、レーナを見て、たずねた。あらゆる物理現象を再現できるクエビコの仮想世界で、設計図の仮組みをして、実際に作動するのかシミュレーションしてみたいのだ。
他の都市国家との技術交換など、神戸ジオフロントにとっては、久しぶりのことだった。 役に立たない技術や偽物の技術を受け取り、代わりにこちらが最新の技術を渡してしまったりしたら、目も当てられない。
一方で、このディスクの中身が本当に有用な技術だったなら、正当な取引のために、やはり正確に価値を査定をしないといけない。
いずれにせよ、ディスクを受け取るのは、当然の要求だった。
「もちろんお渡しします。」
レーナは、あっさりと答えた。
「感謝いたします。しかし、ずいぶん、その……。」
稲田市長は、ややとまどい気味だった。
「気前が良いですか?」
「ええ。我々にこれほどの技術情報を、提供していただけるとは。」
「交換ですから、同等の価値があるものをお渡しいただけたら、と思います。」
「しかし、失礼ながら、我々が交換する技術情報を渡したとして、その価値の評価を、あなたにお出来になりますか?」
三島主任がレーナにたずねた。
もしこちらが不誠実な対応をして、価値の低い技術を代わりに渡すなどしても、あなたには分からないのではないか、と遠回しに聞いているのだ。
「正直に申し上げまして、私にはそうした技術知識がありませんから、できません。本来は随行員の一人がその役目だったのですが……。ですからこちらは、私が本国に帰還してから、渡された技術価値の査定を行う事になります。私以外の者が死亡した今、あなた方を信用してディスクをお渡しするしかありません。」
「ディスクをこのまま持って帰って、もう一度外交使節を連れて来るのも、大変でしょうからね。
あ、いや、もちろん、我々は誠実に対応したいと、思っていますよ。」
稲田市長が、あわててつけ加えた。
MCPUという共通の敵と戦っている人間同士、もっと協力的にできないものかな、とケンは思った。まあ、異なる権力機構同士では、警戒と牽制が入ってしまうのは仕方ないんだろう、と心の中でため息をついた。
「それから、私たちが保有する最新技術は、これだけではありません。これはほんの一部です。信頼関係が確立された場合、さらなる重要技術の交換をしたいと、ウラジオストク政府は考えています。」
レーナは付け加えて言った。
もし、データディスクを受け取って、彼女に有用な技術情報を与えずに帰したなら、今後の取引はしない、と言外に言っているのだった。
「ふむ……。」
外交担当の三島主任は、顎をなでながら考えた。
駆け引きの選択肢として、こちらはそんな技術はいらないと、いったん突っぱねる事もできる。しかし、これは単なる技術情報交換ではなく、二〇年ぶりに連絡の取れた都市国家との、提携確立のきっかけになる。それに、提供される情報は、停滞するいくつかの科学産業分野にとって、技術突破のヒントになるかも知れない。そう考えれば、断るのは惜しい。
レーナは、取引材料のディスクを相手に渡してしまって不利になった交渉を、対等な所まで持ちこもうとしていた。
なかなかやるじゃないか、とケンはレーナの交渉技術に感心した。表面的には無表情を保っている。
「友好関係の確立は、我が市も大いに歓迎するところですよ。」
心の中でどう思ったにせよ、稲田市長は、にこやかな表情で答えた。
「それから、私が持ちこんだレーザーライフルと装甲服ですが、これもお渡しいたします。解析にかけていただいてかまいません。ディスクの中の設計図と同じものですから、技術査定の役に立つでしょう。」
「こちらとしては助かりますが、帰りはどうするおつもりですか?」
織田少将がたずねた。
武器も無しに、無人兵器のうろつく
「代わりに別の武器をお借りできれば、ありがたいです。帰りの移動手段に車も。」
レーナが答えた。
「ははあ、なるほど。」
織田少将はニヤリと笑った。
借りた兵器をウラジオストクへ持ち帰った後、こちらも同様に解析すると言っているのだ。つまり、お互い様だ。軍事機密が外に
「しかし、外交といっても、無人兵器に妨害されて、お互いに連絡が確実にできるわけではありません。どうやって奴らの監視をくぐり抜けて、行き来しますか?
聞きそびれていましたが、そもそも、あなたはどうやってウラジオストクからの長距離を、ここまでやって来られたのでしょうか?」
三島主任が、頭痛に悩まされているような顔をしていた。
「無人兵器の目を
「なんですって!?」
「
「そういえば、そんな軍事技術が、昔あったと聞いたことが事があります。しかし、核戦争で開発企業ごと失われたとか。再現に成功したんですか?」
織田少将が驚いていた。
「はい。それと全く同じ仕組みかどうかは分かりませんけれど。
私が乗ってきた装甲輸送車に装備していたのですが、何らかの故障で作動しなくなり、発見されてしまったというわけです。」
「試作段階の装備を使って監視網を突破とは、大胆ですね。」
織田少将は、感心したような呆れたような顔をしていた。
「人口減や技術開発の頭打ちなど、都市の衰退を恐れた本国政府は、他都市との接触を、急いでいたようです。私が派遣されたのも、そういう事情ではないかと思います。私に政治の意志決定権があるわけではないので、詳細は分かりませんが。」
「うーん、故障か……。」
織田少将がケンに目でたずねる。
「小官が装甲車を発見した時には、それらしい迷彩は見えず、はっきりと視認できました。」
ケンは答えた。
「その時は作動してなかったんです。」
レーナが答えた。
「ふむ……。そのカモフラージュ技術の情報は、あのデータディスクに入っているんでしょうか?」
織田少将は光学迷彩に、強い興味を持ったようだった。
「いいえ。未完成の物ですから。しかし、サンプルは、ここにあります。」
彼女は部屋に持ちこんでいたアタッシェケースを指さした。
「ここに!?」
「はい。」
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