第3話 異国の外交官
「ケガは無いか?」
美人だな、と思いながらケンは彼女に聞いた。
「ええ。あなたもケガは無い?」
戦闘直後だというのに、その若い女性は落ち着いていた。
「うん。俺は、神戸ジオフロント軍所属の
ケンもつとめて平静な声できいた。部下が二人死んだ事にショックを受けていたから、声が暗くなりがちだった。
「私は、エレーナ・ルキーニシュナ・リヴィンスカヤ少尉。」
「君も軍人か。どこから来たんだ?」
これまでの断片情報と彼女の名前の響きから見当を付けながらも、ケンはたずねた。
「ウラジオストクよ。」
「ロシア地域の都市国家だな。外国人なんて、初めて会ったよ。」
ケンは、学校教育や一般の
「日本語が
核戦争後の最初の二五年間は別として、それ以降に人工知能体MCPUの通信妨害と交通遮断を受けた二三年間は、地下都市間の連絡が全く取れていなかった。そのため外国語を習得する必要性は低くなってしまっている。外国語は、今や一部の専門家の技能だった。
「ええ。望んでる人だけね。私は仮想化教育で勉強したの。」
仮想化教育は、頭部密着ディスプレイで疑似体験できる、
「なるほどね。君一人で来たのか?」
「四人だったけど、私以外は、装甲車が破壊された時に死んでしまったわ。一人で脱出するのが精一杯だった。」
「亡くなった人は、気の毒にな。俺達の力が及ばず、すまない。」
「ううん。あなた達のせいじゃないわ。私の方こそ、亡くなったあなたの仲間に、感謝を捧げます。」
リヴィンスカヤ少尉は、目を伏せた。
「ああ……。君は、神戸ジオフロントに向かっていたのか?」
装甲車の進行方向から、それしかあり得なかったが、ケンは確認のために聞いた。
「ええ。地下都市間は敵の無人兵器に
「連絡を取るだって?」
海外の都市国家から積極的な接触があるなど、思いもしてなかったケンは、思わず聞き返した。機械兵器の支配領域に入った人間は、例外無く攻撃を受けて全滅させられてしまうので、そのような事はここ二十年ほど試みられてなかった。
「正確には外交交渉なの。目的は、都市間の
「つまり君達は、ウラジオストクの外交
「ええ。私は
リヴィンスカヤ少尉は、持って来た大きなアタッシェケースを指さした。体を丸めれば、大人でも入れそうなサイズだ。
「外交官が亡くなったのに、護衛の君がそのまま、ディスクだけを届けるのか?」
そんな事をして何になるのだろうと、ケンには疑問だった。
「外交官の身に何かあった時、非常策として三人の
今の時点で任務に半分失敗してるから、なんとしても
「軍人の君が外交交渉をするだって?」
ケンはまたも驚かされた。
「ええ。無人兵器達に監視されていて、都市間を簡単に行き来できるわけではないから、新たな外交官を連れてくるのは困難なの。
これが交渉のためのディスクよ。」
リヴィンスカヤ少尉は、アタッシェケースを開けて見せた。中には透明の保護ケースに入った四角いデータディスクが一枚。その読みこみに使われると思われるポータブル端末が一台。ケーブルの付いた小さな箱形装置が一つ。あとは容積の大部分を占める白い布が納められていた。
小さな装置は何だか分からないが、布の方は
「事情は分かったが……。」
他の都市国家との外交案件など、
それに、無人兵器の出没地帯であるこの場に留まり続けるのは、危険でもある。
「とにかく、リヴィンスカヤ少尉、敵の追っ手がさらに来るかも知れない。俺達の装甲車に乗ってくれ。まずは
「助かるわ。ありがとう。」
彼らは一〇分ほどで、一九式装甲兵員輸送車のある所に着いた。これは火力支援用の二連装レールガンを砲塔に搭載した、やや縦長な見た目の四輪装甲車で、搭乗者が強化外骨格を装着したまま乗りこめるように、内部は広めに作られている。運転席に操縦手一名、助手席にレールガンの操作をする
ケンは運転手と砲手を指名し、残りの部下達に後部座席に着くように言った。
「リヴィンスカヤ少尉も乗ってくれ。」
「ええ。それから
「レーナか。うん、いい名前だな。」
本名はエレーナだったと思うが、略称か愛称なんだろう、とケンは思った。自分が
「俺はケンでいいよ。」
部下達とレーナを先に乗せたあと、ケンは向かい合った長い後部座席の、レーナの隣に座った。
巨大な地下空洞には敵が整備した舗装道路がある。そこを一〇分ほど装甲車で走り、人間と機械の勢力境界線に近づくと、前方に白色灯の明かりが見えてきた。ジオフロント防衛軍が守る境界トンネルへの入り口だ。
そこは
装甲車が識別信号をパスして、防衛軍側のトンネルに入ったのを確認した時、ケンはようやく緊張をゆるめた。
「もう安心していい。」
ケンはレーナに言った。
「ここは安全なの?」
「都市境界線の内側だから、まあまあ安全だよ。油断はできないけど。無人兵器はここには、ほとんど入りこんで来ない。」
「入り口の防備は大した物だけど、その気になれば敵はいくらでも大軍を送りこんで圧倒できるのに、不思議ね。私の都市にも、こんな安全境界線があるわ。都市の中心部から半径一〇〇キロメートルほどの円周よ。」
「
世界規模の核戦争を生き残った地下都市、
「それに、仮に奴らがこっちのトンネルに入って来ても、それなりの
境界のトンネル出入り口を初めとして、道路各所には電磁パルス照射装置や、レーザー銃座、長砲身レールガンなどが設置されている。
しかし、それ以外の場所に敵にトンネルを掘られて
だからといって今ある
イタチごっこに疲れ果てた防衛軍は、通り道をそのままにして、代わりにそこへ大量の迎撃兵器を設置した。それでも安心できないというのが今の状況だった。
敵がその気になったら、いつでも侵略を開始して人類を絶滅させられる。機械兵器軍と人類の戦力には、それほどまでの差があった。それなのに何故こちらの中心都市に全く侵攻して来ないのか、というのが防衛軍にとっての大きな疑問であり、不安だった。
無人兵器群を操る、人工知能体MCPUの戦略が、人間側には全く理解できないのだ。
「ウラジオストク軍はどうやって都市を守っているんだい?」
ケンはレーナに聞いた。
「大まかな対処方法は、同じよ。境界線付近に迎撃兵器を設置して、そこから少し下がった所に、監視と兵器管制のための前哨基地を設営している。」
「ふーん、君の所もか。今のところ、この防衛体制が一番なのかな。」
「そうね。今のところ、というのが不安だけれど。
それにしても、私が来るのをどうやって知ったの?助けてもらえたのは偶然かしら?」
レーナの装甲車が破壊されたのは、機械兵器達の支配領域だった。ケンの率いる分隊が、境界線を越えて、そこまで進出していたのが驚きだったらしい。
「敵の無線通信をこちらで大量に探知したんだ。普段の何倍以上もの通信量だった。何事かと思って見に来たら、君が追われてたというわけさ。」
ケンは、外部の者に話してしまうわけにはいかない機密保護の観点から、簡単に説明した。
実際の所は、見張りのために設置された早期警戒指向性アンテナが、機械軍のデジタル通信を
無線の受信距離は送信距離の約2倍ほどもある。無線は地下では短距離通信にしか使えないが、受動探知で敵の大まかな動きを知るのには、便利だった。
「そうだったのね。みなさん、危険をおかして助けてくれて、本当にありがとう。」
戦死者を出したものの、レーナに礼を言われて、兵達は嬉しそうだった。鼻の下を伸ばす者もいる。
それからまもなく到着したのは、神戸ジオフロント軍の第二五
領土外縁部に設営されている第二五前哨基地は、ケン達の分隊がそうしていたように、巡回警戒部隊の一時拠点として使われたり、
装甲車が停車すると、ケンがレーナに言った。
「降りて一緒に来て欲しい。基地司令に事情を説明しないといけない。」
「分かったわ。」
ケンは基地司令に報告を入れ、母都市の神戸に連絡をすることになった。
各前哨基地と母都市の統合作戦本部は、とてつもなく長い通信用ケーブルでつながれている。無線通信が使われないのは、いくつかの理由がある。地下の厚い岩盤は無線の電波を反射してしまうから、直線距離で約一〇〇キロメートルも離れている母都市との無線通信は不可能なのだ。無線中継アンテナを間にいくつも設置するという案もあったが、盗聴の防止と、運用や保守点検のコストの低さなどを考慮に入れて、
ケンは基地内の有線電話で、ジオフロント軍統合作戦本部に報告を入れた。
ウラジオスオトクの軍人を救出した事、彼女が交渉のためのデータディスクを持っている事。そこには最新技術の情報が入っているらしい事。交戦中に部下を二名失った事など。事の大きさに驚いたオペレーターの女性
話を聞き、事情を把握した情報通信部の
「了解しました。帰還までに二時間ほどかかります。」
危険な巡回任務を、予定よりも六日早く切り上げる事になり、ケンは少しほっとした。これ以上部下を失うのは嫌だった。
「三時間かけてもいいから、とにかく安全に帰ってこい。
こちらは彼女の受け入れ態勢を整える。
神戸ジオフロント政府は、あなたの来訪を歓迎します、と伝えてくれ。」
如月大佐に言われたケンは、困惑した。
「了解しました。桐生少尉、指揮下分隊と共に、リヴィンスカヤ少尉をジオフロントまで護送します。」
とりあえず、ケンは答えた。
ケンが通信室から廊下に出ると、基地の将兵達が遠巻きに、しかし興味津々で、椅子に腰かけるレーナを眺めていた。ケンは彼女に近づいて、声をかけた。
「リヴィンスカヤ少尉殿、母都市と連絡が取れました。
神戸ジオフロント政府は、あなたのご来訪を歓迎いたします、との事です。
今から神戸までお連れいたしますので、車にご乗車ください。」
背筋を伸ばしながら言った。
「ありがとう、ケン。でも、どうしたの?今さら改まった口調で。」
レーナが不思議そうにケンを見た。
「国の
「別にいいわよ、そんなこと事。助けてくれた人に、そんなしゃべり方されたら、私も困るわ。」
レーナがくすり、と笑った。
「しかし、そういうわけには……。」
「外交の
レーナが提案した。
「……そっちの方が助かる。実は俺、堅苦しいしゃべり方は苦手なんだ。」
ケンは苦笑いした。レーナも笑った。
二人は分隊と共に装甲輸送車に乗りこむと、神戸ジオフロントに向かった。
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