第18話 虜囚のレーナ

 レーナが乗せられた装甲輸送車と前後を挟む二両の歩行戦車タランチュラを、二時間近くケンは尾行し続けた。


 その途中で何度も地下トンネルと自然洞窟を交互にくぐり、一七〇キロメートルほどの

距離を進んだが、光学迷彩のおかげでケンの存在は気づかれる事が無かった。


 ケンが旧名古屋市の地下辺りに入った事をナビゲーションで確認した時、不意に大きな人工空間に出た。


 それは、はるか上まで弧を描く巨大な地下の半球形ドーム空間だった。


 上を見上げると、空洞の壁面から上に伸びた無数の白いアーチ型の支柱が、天井の頂点で結ばれて美しい幾何学模様を描いている。ケンがマルチセンサーでレーザー測量すると、その人工空間ドームの高さは三〇〇メートル以上もあった。


 岩石がきれいに取り除かれたドームの中央には、一辺一二〇メートルほどの銀色の異様な立方体があった。その外周は高さ三メートルほどの白い外壁で囲まれている。


 その外壁のスライド式通行門ゲートに道路が続いていた事から、巨大な立方体がMCPUの施設である事が分かった。しかし、何のための建物なのか外見からは分からない。


 建物の周囲には重戦車ビートル滞空攻撃機ラプターが何機も待機していて、それら無人兵器の数は、ざっと見渡しても二〇〇以上はいた。厳重な警備が敷かれているのだ。


 猛禽ラプターはその名のとおりに肉食鳥の姿をした無人兵器で、翼で水平飛行ができ、小型回転翼ローターの角度を変えて垂直上昇もできる空中攻撃機だ。旋回飛行を繰り返す事で、広範囲を見張っていた。


 施設外壁のゲートに近づいたケンは、前を進む歩行戦車タランチュラとの車間距離を詰めた。相手に見えていない事を利用して、後ろに貼り付いたまま一緒に建物内に入りこんでしまうつもりだった。


 その時、横合いから大きな陰が進路上に割りこんできた。警戒中の滞空攻撃機ラプターの飛行軌道が、ケンのバイクの進路と交差したのだ。無人兵器の眼にはケンの事が見えていないから、当然回避行動など取ろうとしない。


 ケンはとっさにブレーキをかけながらハンドルをひねった。急な制動と進路変更のためにバイクは横滑りし、バランスを失って転倒した。


 バイクから投げ出されたケンは、路上で何度も転がってから片手で路面を叩き、受け身を取ってようやく止まった。何十メートルも転がったが、体を覆う強化外骨格の衝撃吸収装甲と骨組みが守ってくれたおかげで、かすり傷一つ負っていない。


 ケンは上半身を起こして、地面でこすれた光学迷彩服を見た。表面に所々白いまだら模様が浮いていて、それが周りを浸食して広がりつつあった。壊れた部分の異常が、全体に拡大しようとしているように見える。


 道路の先に滑っていったバイクに目をやると、こちらは光学迷彩の電源供給装置が外れてしまったのか、完全に車体が見えてしまっていた。それを発見した何体かの無人機がそばに近づきつつある。


 そして建物の外周ゲートは、レーナの乗った輸送車を迎え入れて閉じようとする所だった。


 最悪だ、と思いながらケンは立ち上がった。


 ゲートの通過をあきらめて、建物を囲む外壁の方向にダッシュする。途中に転がっていたリニアライフルを拾った。


 走りながら周囲を見回したが、無人兵器達はまだ彼に注意を向けてこない。ケンはもはや半壊していると言っていい光学迷彩の欺瞞ぎまん効果が、いまだ有効な事に驚いた。


 高さ三メートルの壁面に走り寄ったケンは、助走の勢いが付いたままジャンプした。強化外骨格の跳躍補助機能の助けを借り、自分の身長の二倍近い壁を軽々跳び越える。


 ケンは、着地の瞬間に体を丸めて地面で一回転し、勢いを減殺げんさいしてから止まった。中にある建物の一メートル手前でストップし、壁に激突せずにすんだ。

 

 ケンの今いる建物と外壁の間の中庭のような空間には一〇メートルほどの奥行きと、一五〇メートルほどの幅がある。その中庭が、建物の周りにぐるりと設けられてるようだった。

 

 空中を飛ぶラプターの監視から逃れるために外壁に身を寄せてかがんだ後、ケンは自分の体をもう一度確かめた。光学迷彩の効果がほとんど消えかかっていて、白い部分が迷彩服の大部分を占めるようになっていた。

 

 迷彩に頼れるのもここまでだな、とケンは思った。光学迷彩が壊れてしまった以上、建物の正面入り口から入る事などできない。


 一辺一二〇メートルの立方体の、一階と思われる階層の高さには、入りこめそうな窓やドアは他に見当たらない。平らな壁が続いているだけだ。捕らわれたレーナが連行されて来た事も考え合わせて、ここは捕虜収容施設で、脱走を防ぐために窓やドアを設けていないんじゃないか、とケンは推測した。

 

 考えながら建物を見上げる。建物の上に目を走らたケンは、高さ一二メートルの辺りに、一メートル四方の穴を発見した。


 しかし、あそこから忍びこむのは無理に思えた。高すぎて強化外骨格のジャンプでも届かない。それに、一メートル四方の穴では強化外骨格で這い進もうとしてもつっかえてしまうし、入りこむ前に空中を舞っているラプターに発見されてしまうだろう。


 しかも熱源センサーで調べると、そこは六〇度ほどの熱気を排出していて、排気口のようだった。仮に強化外骨格を脱いで生身のままで入ったとしたら、レーナの元にたどり着く前に体がからびてしまう。


 そこをあきらめたケンは、正面入り口のある方向とは逆に建物を周り、別の侵入口を探す事にした。


 建物の角まで走って、曲がり角の先の、またも続く奥行き一五〇メートル、幅一〇メートルの長細いスペースをのぞきこむ。そこにも見張りはいない。外側の監視が厳しいから、ここにはわざわざ見張りを置いていないのかも知れない、とケンは思った。


 外壁に沿ってさらに角を二回曲がった。建物をほぼ一周したが、やはり侵入口は見つからない。正面入り口しか無いのかと思いかけた時、ケンは建物に入りこめそうな場所を見つけた。


今度は建物の壁の高さ二メートルの位置に、一メートル四方の穴があったのだ。ただし、太い鉄格子ごうしが縦に四本はめこまれている。格子こうしの隙間は各一五センチほどだ。マルチセンサーで調べると、空気の流れが建物の中に向かっているのが分かった。つまりこれは空気を取り入れる通気口で、したがって中の温度も常温のはずだった。


 ケンは、鉄格子にジャンプで飛びつき、強化外骨格の馬鹿力で鉄格子を曲げて広げた。しかし、十分な隙間を作っていったん手を放すと、鉄格子は急速に元の形に戻り、侵入口は閉じてしまった。形状記憶合金を利用した自動修復機能のようだった。


 鉄格子が張られ、自分の身長よりも高い位置にあり、強化外骨格よりも小さな通気口にどうやって入るか。ケンは考えて悩んだ末に、銃を鉄格子に向けた。


 そしてリニアライフルで、鉄格子を支えている上下の根元を一つずつ順番に撃ち抜いていく。電磁加速銃のリニアライフルは、発砲音はしないが、鉄格子に弾が命中した時の音は辺りに響く。ケンは、着弾音を聞きつけて敵がやってこないかと焦りを感じながらも、射撃を続けた。


 潜入で派手な音をたてるのが危険な事はケンには十分に分かっていたが、レーナを早く助け出さないと間に合わないかも知れない。リスクを承知の上での行動だった。

 鉄格子を銃撃で全て除去した後、ケンは通気口の下に近づき、壁から少しだけ距離を置いて背を向けた。


 光学迷彩服と装甲ヘルメットを脱ぎ、強化外骨格パワードスーツの首の根元の除装ボタンを押す。蝶々ちょうちょのサナギのように強化外骨格の背中が左右に割れて、ケンの上半身が解放された。脚も引き抜いて完全に自由になったケンは、今度は前に回りこんで強化外骨格を建物の方へ押し倒した。強化外骨格は通気口の真下で、上半身を壁にもたれかかせて座りこんだ。これで上に登るための足場ができた。

 しかし、黒い強化外骨格が銀色の壁に寄りかかっていたのでは目立ってしまう。発見が遅れるよう淡い期待をかけて、ケンは光学迷彩の白い布で外骨格を覆った。


 続いてケンは銃の伸縮式の肩下げ紐スリングを伸ばして、リニアライフルをななめに背負った。そしてズボンの三つのポケットに予備マガジン二つ、電磁グレネード一つを無理矢理詰めこむ。本来これらの武器は、筋力補助機構パワーアシストのある強化外骨格を着て使う仕様になっているから、生身の体のケンには少々重い。


 ケンは建物に寄りかかって座っている強化外骨格の肩を踏んで上に登り、通気口内に両手をついた。足がかりを蹴って勢いを付け、中に入りこむ。


 縦横一〇〇センチの穴だから、身長一七五センチのケンには、かがんで歩くのは苦しい。そこで四つん這いになって進み始めた。強化外骨格を置き捨てて行くのは苦渋の決断だったが、建物に侵入するためには仕方が無い。そして時間も無い。


 敵は発見したバイクの位置と、鉄格子を壊した音の位置を結びつけて、侵入者が建物へ入った事を確実に知るだろう。その捜索過程で強化外骨格も見つかってしまう。それらの装備はあきらめて捨てて行くしかない。


 代わりの脱出手段として、レーナを乗せていた輸送車を奪おうか、とケンは思った。しかし、それが完全自律式の無人車だったら、人間が乗りこむ運転席など最初からついてかもしれない。


 あれこれ考えながら狭い通気口を奥に這い進むうち、途中から道は上り坂になった。ケンはそこを設計したであろう人工知能体をののしりながら、三〇度ほどの傾斜を登って行く。


 しばらくすすんだ時に、通気口の下側に網格子が張られ、工事のような騒音が聞こえてくる所があった。そこを覗きこむと、回転する天井の送風ファンが手前にあり、その向こうには大きな兵器工場が見えた。


 多脚戦車や昆虫型ドローンなどの生産ラインがしかれ、平行移動の作業台座に乗って進む未完成の兵器群が、ロボットアームによって次々に肉付けされていく。部品のはめ込み、配線、溶接などが人間には不可能な速さと正確さで実行されていた。


 ここは工場なのか?レーナがここに連れ込まれたのは何故だ?収容所や工場が一つにまとまった複合施設なのだろうか。想像しながらもケンはそこから離れ、先へ進んだ。


その後、ケンは三〇分も通気口の中を這い回る事になった。途中で分岐点と坂がいくつもあって大変だったが、姿を隠したまま階層を移動できるのは、思ってもいなかった幸運だった。


 しかし、暢気のんきしてもいられない、と装備の重さで汗だくになったケンは思った。警報こそ鳴っていないが、敵は、こちらが通気口を這い回っている事にもう気づいているだろう。ぐずぐずしているとレーナの身も危ない。


 ケンはレーナがいそうにない第一階層の工場を後回しにして、第二階層を回った。あちこちの天井の網格子から覗いて回ると、そこには薬品や医療器具が大量に置かれた部屋がいくつもあり、人間が横になれる大きさの手術台などもあった。


 その階の設備は、病院か医療研究所の物のように見える。機械兵器達がそのような施設をなぜ必要とするのだろう、とケンは思った。化学兵器や生物兵器の研究のためだろうか。それらの有効性を試す人体実験のためだろうか。


 機械兵器軍によって拉致された人間の捕虜が人体実験にかけられる、というのはジオフロント軍で流れている噂話だ。しかし、生還者や目撃者がいるわけではないので、あくまで噂にしかすぎなかった。


 自分が見ている物は、その噂が事実である証拠ではないだろうか。自分の想像に慄然としながら次の網格子を覗いた時、ケンはレーナを見つけた。


 彼女のいる部屋は白く清潔な印象があると同時に、無機質で冷たい感じがした。


 多くの医療器具に囲まれたその中央に手術台らしきベッドがあり、彼女はそこに横たわっていた。

 

 目を閉じた彼女は、眠っているようにも死んでいるようにも見える。

 

 先端部が注射針になっているロボットアームが、レーナの頭部に何かの薬品を注入している所だった。

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