幕間
天使の増やし方
妹のハミングが鳥の鳴き声のようにユラユラと揺れて、音が大きくなったり小さくなったりを繰り返しているのを聞きながら、僕は近くの椅子に座り込んで、額に流れる汗をゆっくりと
眩しさに目を細めて、椅子を少しだけ影の方に移動する。すると指先だけが光に照らされて、まるで白いペンキを塗ったみたいに明るく目立つ。
……妹と会ったのは、ちょうど一年くらい前だっただろうか。孤児院で育った僕や姉さんと違って、妹はどこかの家族に引き取られていたから、それまで顔も見たことがなかった。初めて出会ったときの彼女は、縫い跡が見えるくすんだドレスを着ていて、遊び場でキョロキョロと、男の子たちに「あなたがお兄さん?」と聞いて回っていた。でも僕を見つけてすぐに、「あなたでしょ! よかったぁ、ちゃんと会えた」と喜んでいたのを覚えている。どうして僕が兄だってわかったんだろうか。そんなに顔が似ていただろうか。
とにかく、それから僕らは同じ部屋で暮らしてきた。
僕は、妹が好きになった。
妹は、僕を好きになっただろうか。
僕にはそれはわからない。色んなことに、僕は鈍い。もしかしたら嫌われているのかもしれないけれど、聞いて確かめたことはない。
でも僕は、妹が好きだ。
猫のように愛らしい顔が好きだ。
茶色い髪が好きだ。
寝癖が好きだ。
その髪を
寝る前に、今日のことを話してくれる唇が好きだ。
僕に抱きついて、寝息を立てている夜が好きだ。
笑っているときの口元が好きだ。
怒っているときの口元も好きだ。
いろんなものを映す、大きな瞳も。
上ずった声も。
何か見つけるたびに、僕を引っ張っていく柔らかい手も。
その手をハサミで二つに裂くのも。
骨の形も。
白い肌の下の、薄桃色の肉も。
骨の周りから肉を少しずつ削っていくのも、大好きだ。
ハミングは続く。声がまだ聞こえるのが、僕は嬉しい。笑う声も、泣く声も、子守唄のように、ずっと耳の奥で響いている。
僕は椅子から立ち上がり、妹の前髪を掻き分けて、白いおでこにキスをした。妹は天使になったあとは、どこかの家に飾られることになるらしい。寂しくなるけど、でも、妹は天使になるのを待っていたのだから、仕方がない。僕はきちんと、心を込めて、彼女を天使にしなければならない。
愛してるから。
大好きだから。
ずっと。
綺麗なままで。
滑らかなままで。
冷たい天使で、いられるように。
でも……せめて切り取った足だけは、ずっと僕だけのものにしたいと思う。
それくらいのことなら、許されないだろうか。
ぼんやりとこれからのことを考えながら僕は、舌を、妹の顔からまっすぐにおへそまで這わせていく。そこからは、肋骨を通して心臓が見える。そういう細工だ。体の左側だけ、肌の上にところどころ開いた裂け目から、内臓が全部見えるように造っている。心臓の形は、人によって違う。手術のやり方を、孤児院の血が繋がっていない兄さんや先生に教えてもらっていた頃から、何度もそれを確かめてきた。でも、妹の心臓は姉さんと同じ形をしているから、大好きだ。お母さんとも、同じ形だ。二人共の心臓を僕は丁寧に腑分けしたから、いつでも、どのアングルからでも思い出せるくらいにちゃんと覚えている。僕は男だから、自分の心臓は見られないけれど、きっと同じ形をしているんだろう。そう考えると、嬉しくなる。
僕らはここで、天使を作っている。
ミキサーの中で生まれ変わった”少女たち”の体を丁寧に切り分けて。
骨を叩き。
肉を減らし。
声を聞いて。
震えを感じて。
愛を形に変えて。
生きている。
……そろそろ、時間だ。今日は少し特別なことがある日だから、加工は早めに終わらせなければならない。
妹の腕をゴーレムに掴ませて、スイッチを入れる。この腕は、尺骨を広げて翼にする予定だ。
ムーっと、叫び声。
妹の顔を見る。涙をいっぱいに浮かべ、顔をくしゃくしゃに引きつらせて、かすかに首を振っている。
完成前の天使たちは、時々こうやって体が痙攣するものなのだ。今まで僕が見てきたみんな、一人残らず、そうだった。ちゃんとそのことを知らないと、きっと妹が嫌がっているように見えるだろう。本当は、いってらっしゃいって言ってるだけなのに。
微笑みを返した僕は、その頭に手を乗せて、「いい子にしてるんだよ?」と呟いてから、冷たい頬に二度目のキスをした。冷たいものは大好きだ。住んでいる孤児院はいつも暑いから、そう思うのかもしれない。きっと妹も心地いいだろう。
僕はマスクを外してテーブルに置き、手術室を出た。
ゴーレムが腕を裂いていく音とハミングを背に受けながら、アトリエの暗い道を進んでいく。いつも通り、左右の部屋から、色んな子たちの歌が聴こえてくる。”少女たち”を天使にするために、みんな頑張っているんだ。それが”少年たち”の役目だから。今、一番多い仕事は、きっと「歯車」だろう。次が、僕の姉さんやお母さんと同じ、空間を曲げて悪いやつを殺す装置だ。
休憩室が見える。水を飲んで行こうかと迷ったけれど、きっとみんな待っているだろうからと、僕は先を急ぐことにした。
目的の部屋へたどり着く。ドアを開けて中に入ると、やっぱり僕以外のみんなは全員集まっていた。覆いのかけられた車椅子の周りで、みんな思い思いの姿勢で佇んでいる。
「揃いましたね」ドアを閉めた僕を見て、先生はにっこりと微笑んだ。「それでは……」
車椅子の上から、覆いが外される。
とてもキレイな女の子が、白く美しいウェディングドレスを身にまとって、姿勢良く据え付けられていた。
体は天使らしく微かに震えていて、つぶらな瞳が、僕らを見つけてびっくりしたようにキョロキョロと動いている。
「この子が、新しく聖母として選ばれた天使です」
聖母……それは、天使になった後でも、子供を生むことができる特殊な少女のことである。そういう人はとても少ない。再生魔法や<ルナ>の促進薬の力があっても、ミキサーを経た後で
だけど、聖母じゃなければ……。
天使化の手術を超えた体でなければ、僕ら、”少年たち”を生むことはできない。
再生と不死の魔法を扱い、天使を造形する、僕たちのような存在は作れない。
僕らはみんな、聖母の息子たちなのだ。
「皆さんは、聖母への加工をまだ経験していない”少年たち”です」新しい聖母の頭を優しく撫でながら、先生は僕らに語りかける。「この中の誰かが、彼女を聖母にしてあげなくてはなりません。さて、どうやって決めましょう?」
少しの間みんな黙ってから、前の方で一人、誰かが手を挙げた。「今まで加工してきた人数で決める……とか?」
「なるほど、では、そうしましょう。一人ずつ、人数を教えてください」
僕から見て右側の方から行儀よく、数字が並んでいく。
4、7、5、12、2、1、5、9……。
最後にみんな、僕の方を見た。
「……19」
フッと、方々から笑い声が漏れる。おしゃべりな誰かが、「ダントツじゃないか」と呟くのも聞こえた。
「それでは、あなたに頼みましょう」先生も、にっこりと笑って僕の方へ手を差し伸べた。「こちらへどうぞ……」
僕は進み出て、車椅子の前に立つ。後ろでは、僕以外のみんながゾロゾロと退出していく足音が聞こえた。みんな用がないなら、自分の仕事に戻りたくて仕方がないのだ。僕だって、同じ立場だったらさっさと妹の加工を再開しただろう。
後ろのことは無視して、僕の担当になった、彼女を眺める。
金色の、美しい髪。
産毛もない滑らかな肌。
桃色の唇。
冷たい肌。
垂れ目だけど、優しげな瞳。
不安げな顔で、恐れているように、僕を見ている。
白い歯が、口枷にぶつかって、カチカチと音を立てた。
とても、キレイだ。
「では、確認しましょう……」先生の声。「聖母が産める子供の数は、どれくらいですか?」
「多くても5人です」僕は答える。「不老の天使でも、妊娠期間は成長してしまいますから……その間に不確定の代謝が起こり、美しさが損なわれてしまう可能性があるのです。僕のお母さんは3人産んだ後、劣化の兆候が見えたので、一度ミキサーに掛け直した上で、天使として僕が作り変えました」
「聖母手術のやり方を、覚えていますか?」
目を閉じて、記憶を辿る。
「まず、子宮に水を入れて全体を膨らませて、破裂させます。次に、破れた子宮を、卵管との接合点は保ったまま丁寧に引きずり出して、脚の骨と布を使って作った鍋の型に貼り付けます。再生魔法の力により破れた子宮は回復を始めますから、結果的に子宮は鍋状に形成されます。鍋にしてしまえば基本的な錬金術の手順を全て行えますから、血液を介さない胎児の発育が可能です」
「はい」
「再生が完了したら、鍋の型から骨以外の人造物、つまりは布を取り外します。子宮の錬金鍋を支えるためにはどうしても内側から補強が必要なのですが、本人由来以外のものを支えに使ってしまうと、羊水に使う培養液がうまく働かなくなる場合があるからです。外側からは腕で支えますから、聖母は鍋を抱いているような形になるでしょう」
「私たちが<聖杯>と呼んでいる形ですね」
「鍋に羊水を満たした後は、卵が生成されているタイミングを見計らって、僕の精子を鍋の中に注ぎ込み、受精を待ちます。着床が確認でき次第、
僕はそこで一度、言葉を切る。
「……男の子だとわかった時点で、僕の血を注ぎ込んだ上で、人肌程度に保っていた羊水を専用の冷水に置換します。そして一ヶ月ごとに麻やケシ由来の薬液を脳に注射し……」
「いえ、そこまでで結構です」
先生が、僕の説明を遮った。
「よくわかりました、あなたはとても優秀です。きっと、彼女の立派な花婿となってくれることでしょう」
「花婿……」
目を開けて、聖母となる予定の天使を見つめる。
ガクガクと、さっきまでとは比べ物にならないほどに激しく震え、涙とよだれをハラハラとこぼしながら、彼女は首を振っていた。
こういう痙攣の強さも、彼女の意志力と魔力の証なのだ。さすがは聖母に選ばれた少女である。
「今、この場より、この娘はあなたの花嫁です」
花嫁。
その言葉を聞いた時、僕はとてもドキドキした。
「僕の……花嫁……」
そう呟きながら、きっと僕は笑っていただろう。
それくらい嬉しかった。
あぁ、やっと僕の番が来たんだな……。
美しい、僕の……僕だけの、花嫁。
星のように輝く金色の髪が、とても可愛い僕の天使。
「では、この場で、誓いのキスを」先生の声。「これからずっと、二人で愛を紡いでいくのですから……」
言われるまでもなく、僕はゆっくりと花嫁の頭に載せられた花のヴェールを払い、雪のように白いその肌に、唇を寄せていた。
口枷を、外す。
よだれが糸を引いて、甘酸っぱい香りが、鼻をくすぐった。
「あ……いや……いあぁ……」
天使が、あえぐ。
「う………うちに………かぇ……して……」
愛らしい声に応えて、唇を、重ね合わせる。
とても、冷たい。
僕の、花嫁。
喉が、跳ねる。
こんなに、震えて。
あぁ……なぜだろう。
まだ会ったばかりだというのに、どうしてこんなに、僕は彼女のことが好きなんだろうか。
妹と初めて会ったときも、お母さんを見たときも、僕はこんな感じだった。
惚れっぽいのかな。
だってみんな、本当に、美しいんだもの。
触れ合えるのは、とっても素敵じゃないか。
彼女の舌を、僕の口の中へと導いて。
誓いとして、愛をこめて、噛みちぎる。
聞き慣れた、ニチョリという音。
叫び。
……よかった。ちゃんとうまくキスできたようだ。
一段と強く震えながら、喘ぎ続ける彼女を見下ろして、僕は冷たくて柔らかな天使の舌をゆっくりと咀嚼した。
待っていて、僕の花嫁。
きっと、誰よりもキレイにしてみせるから。
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