ハイヌウェレ

 アートならともかく、ストレス無く過ごせればいいだけなはずの日常生活にまで雰囲気作りを持ち込むやからというのはいつの日だって厄介なものだ。美しさを語るもの、悩みを詩のようにして吐き出すもの、心を通り過ぎる雑多な感想の一つ一つを捕まえていちいち注釈をつけるもの……そんな、自分たちの日常が語るに足る小説のようなものだと誤認している連中と食卓をともにすることほど苛立ちを煽るものはない。あぁ、わかっている、これは結局のところ同族嫌悪みたいなものだ。自分が少年と呼べる歳のうちに恥と切り捨てた悪しき習慣を、芸とばかり喧伝けんでんする恥知らず。笑って流せない自分がムカつく。

 つまりは、飯時の食卓をこんなに暗くする馬鹿がどこにいるって話だ。天井のあの逆さ樹木のようなシャンデリアを冷たいオブジェに留めたままで、この悪趣味なライトにこだわることが、いったいどんな調味料になると思ってるんだ?

「この明かりはね、彼女らの乏しい筋力にて発光しているのですよ」父は誇らしげに、自分が作ったわけでもない作品を自慢する。「光とは、つまりは熱です。天使たちが何よりも求めてやまない、初夏の太陽のように優しい温もりなのです」

 ほぉー、と、ゴミのように気取った感心の吐息が、父の背後に控えるブサイクどもの口から屁のように漏れる。

「彼女らが自分の体内のライトを発光するためには、我々が外からスイッチをひねってやらねばなりません。そして一度ライトが起動すれば、天使たちは痛みに疲れた体で必死に踏ん張りながら、柔らかな光を白い肌から透かしてくれるのです」

 そうさ、そういうことさ。だからこんなに切れ切れで、弱々しく、不便な明かりなのだ。

 父が自慢げに語るランプの天使は、内臓を光源に取り替えられた、どこかの小娘たちである。普段は翼に加工された腕に取り付けられた糸で、天井から、円形のテーブルの中央に立つような姿勢(膝から先はないが)に吊り下げられている。表情は一切動かないが、瞳及び、限定的ではあるが足腰を自分の意思で動かすことを許された、珍しい構造の天使だ。とは言っても、何一つ自由ではないが。

 都合三つある天使の照明のうち、まだ灯っていない最後の一つは、首が真後ろにひねられた挙句に、そのまま目が天井を向くよう、手前に向かって90度以上の角度でへし折られている。これがスイッチオフの状態。

「ほら、ダリル」父に名前を呼ばれる。「お客様のために早くスイッチを入れて差し上げなさい」

 返事の代わりに立ち上がり、天使を見下ろす。

 ウェーブする透けるような銀髪の、猫のような顔をした、茶色い瞳の少女。唇を呆けたように半開きにしたまま、潤んだ瞳で、じっとこちらを見つめている。

 わかったわかった……。

 冷たい首に手をかけて、ぐりっと反時計回りにひねっていく。

 ギイギイと、中にバネでも仕込まれているような反発を感じ、物言わぬ瞳がピクピクと震えた。

 首の向きを直してから、向かい合うような位置にまで、頭を押し上げる。カチッという小さな音。天使の中で、脳に運動神経が繋がった証だ。

 膝から先に金属製の重りが取り付けられた天使の足が、ゴム動力のように苦しい動きで持ち上がる。それに連れて僅かな明かりが、雪よりも白い彼女の肌の内側から頼りなく染み出してきた。透け出る肋骨のシルエット、影となって目立つ乳首、テカテカと陶器のように輝く顔。

 また、客の口から屁の合唱。

「この子らはね、持ち上げた足を下げることが許されないのですよ」父が言う。「一度上げてしまった足を落としてしまうと、自動で首が元に戻ってスイッチがオフになってしまうのです。温もりを長引かせるためにも、彼女らは乏しい筋力の限りを尽くして、一生懸命頑張らなくてはなりません」

「いやー、この機械的にも見える動きが素晴らしいですな」

「まるでカラクリ人形なのに、これでもかと命を感じさせてくれる傑作だ」

 ……けっ。

 天使たちの足は、時折ピクピクと震えてテーブルに落ちかけては、薄まった光をまた取り戻そうとグイッと持ち上げられる、を繰り返している。こんなチカチカするライトで一体何を照らせってのか。

「それでは、食事といたしましょう」

 父が手を叩くのに合わせて、給仕たちが忙しく食卓にグラスを用意し始める。客たちが全員席についたのを確認してからダリルも座ったが、目の前に、幼い少女の開かれた股が見えてゲンナリする。

 こんなガキの穴を眺めながら飯なんぞ食えるか、変態どもめ。

「父上。ランプの正面は、自分よりも、お客様にお譲りしたほうがよいのでは?」ダリルは行儀よく、そう提案する。

「おお、それはそうだな」頷きながら父は、天井に指を立ててゴニョゴニョと何かを唱えた。

 三体の天使たちの位置がゆっくりと回転して、相対的に彼の席を三角形の辺の正面へと移動させる。回転が停止したタイミングでランプが慣性に従ってフラフラと宙で揺れ、光が明滅した。

 やれやれ……腹が減った。

 テーブルについた面々の前に、一人につき一つずつ、ボトルが配られる。

「これはこれは、また愛らしい」客のうちの一人……この中では一番人柄が良さそうだが、明らかにペドフィリアの気がある紳士がボトルの肌を恍惚と撫でた。

 ボトルの天使は、見たところ5歳程度でしかない冷たい幼女たちだ。丸い台座に上半身を飾ったような構造で、当然の如く腕はない。こちらの天使は目すら動かない、完全な人形だ。小さな顔はまっすぐ天井を向いており、その口の中には口枷のようにコルク栓が詰められている。

 なんとも、使いにくい。

 配られたボトルは当然、それぞれが別デザイン……つまり、別人だ。ダリルの前に置かれた幼女は金髪で、ガラス玉のようにクリクリの瞳とわずかにそばかすが見える頬が特徴の天使である。直前に着ていた衣服を加工して作られたというボトルカバーは白いドレス調で、この子が自分で作ったと見える下手くそな花のアップリケが、胸元に不格好に飾られている。

「口のそれは飾りですからね……手でも十分外せますよ」

 父の説明に合わせたように、この場にいる全員が幼女の口から栓を引き抜いた。

 つややかな乳歯の間に覗く、ボトルのそそぎ口。この天使たちは、つまり、体をボトルの上に被せられているのである。チラと周りに視線をやると、全員が両手で天使を抱え上げて、中身を直飲みしていた。味は変わらないのだから、素直にグラスに注げばいいのに。

 自分だけ浮いた行動を取るわけにもいかず、やむを得ず背骨を加工した取っ手を掴んで、幼女ボトルを持ち上げた。見た目よりも、遥かに軽い。元から小さな子供たちを更に徹底的に軽量化した努力は認めるが、そこまでしてこのチビの口から酒を飲む必要なんて、絶対にない。

 心のなかでブツクサと文句を重ねながら、中身を味わう。冷たいキスと、どこも見ちゃいないトロンとした茶色の瞳。ウォッカか。長い髪がふわっとズリ落ちてきて、首をくすぐった。全く鬱陶しい。

 苛立ちが行動に出ないよう、慎重に天使ボトルをテーブルに置く。先のペドフィリアは、酒をこぼしながら、茶色いおかっぱ少女の唇を貪るように舐め回していた。ほら見ろ、真性だ。

 食事はその後も、ねっとりとやかましく続いた。腹を皿に見立てられた天使、指を加工して作ったフォーク、乳からシロップが出るゲテモノ天使……その一つ一つに客人たちはいちいち歓声を漏らし、その都度ダリルも食事を中断して父の説明に頷く仕草を見せねばならなかった。

 どいつもこいつも、この天使は美しいだの、デザインが見事だの……誰ひとりとして、今自分が食っているものの味を世辞以上には語らない。飯時に料理の味を気にしない奴らが、芸術を語るなど笑わせる。

 天使の腹に詰められたシチューの中に入った、芋とも肉ともつかない塊。これに反応しないクズどもが、生きた人形という世界一残酷なアートに喜んでいる。なんとも甲斐のない話だ。まあ、甲斐があれば救われるような話でもないが。

 それに、ダリルはこの芋が嫌いだった。味は別にどうだっていい。ただ本当に、製法が気持ち悪いのだ。捨てられるものなら全て捨て去りたい。

 幼女のウォッカで無理やり食事を喉に押し込みながら、ダリルは何となく、入院している母のことを思い出していた。母は、14の頃に父と結婚して、子を産んだ。父がどこかの学園で若かりし頃の母を見初めて、その日のうちに強引に中退させて取り付けたような、誘拐も同然の婚儀であったらしい。身分違いもはなはだしい環境に一人閉じ込められた母は、作法がなっていないと何度となく執事や家政婦に厭味いやみったらしく説教されては、ひたすらに平謝りしていた。

 母は、まあ、不幸な人間だろう。数年に一度腹を膨らまされては、どこかでまたしぼませて帰ってくる。それなのに長男である彼の兄弟は、弟が三人だけ。さて、娘はどこへ行った?

 先程彼が飲んだ、ボトルの天使。髪の色は母と同じで、瞳の色はダリルと……父と同じ。

 まあ、そういうことだろう。今更どうだっていい話だが、大人しい母にはさぞ堪えたに違いない。産んではその都度連れ去られていってしまった自分の娘たちが、天使という作品となって帰ってきたのを見て、母は卒倒してぶっ倒れたのだ。

 父は、ダリルの知る全ての人間の中でも最も醜い人格の持ち主であり……そして、誰よりも、彼に似ていた。出来の悪い弟どもよりも、ずっとずっと。

 実のところ、顔以外のすべてが、そっくりなのだ。


 食事がデザートまで終わった頃、父はテーブルに手をつけながら、ゆっくりと立ち上がった。あの勿体つけた仕草は、これから重大なことを話す予兆。それを見た時点で、ダリルには父の狙いがわかって、死ぬほどゲンナリした。

 あれを見に行く気だ。

「さて、皆様方……料理の中に混ざっていた、芋とも肉ともつかない乳白色の塊が、一体何物であったかが気になっていらっしゃることでしょう」

「うむ」だの「もちろん」だのと、知ったかぶった返答が方々から漏れてきて、思わず舌打ちしそうになる。なるほど、こいつらがあれに疑問を抱いたのは事実かもしれない。だが、それが異常ゆえか己の無知ゆえかに自信が持てず、恥をかきたくない一心で今まで黙っていたんだろう。だから今更、得意顔でホッとしたように頷いている。

 なんて、浅はか。

「あれは大変に美味だった」と、この中で唯一父より年長らしき白ひげの老爺がニコニコと笑う。「後々どこの畑で取れたものか伺おうと思っていたよ」

 こういうのが一番嘘くさい。

「あれは普通の食材ではありませぬ……まま、これは見てもらうのが一番早い。我が屋敷唯一の家庭菜園をお目にかけましょう」

 父に従い、ゾロゾロとゲストたちは食卓を後にする。背後でバコンと音がして、ランプの一つから明かりが消えた。表情のない上向きの顔に微かな哀しみが映るのは、人の瞳が持つ表現力というよりも、こちらの勝手な想像力だろう。

 ダリルは最後尾で、すでにムカつき始めている胃の中身を気にしていた。

 気持ち悪い……なんで飯の後で、あんな悪趣味なもの見なきゃいけねえのか。

 キッチンの向こう、食卓からそれほど離れていない位置にある、頑丈な扉。錠前に父が鍵を差し込み、冷えた土間のような空間に、ゴミの一行が一人一人入場する。

 中央に吊るされた巨大な天使が、彼らを出迎えた。

「おー……」と、恐らくは今日一番の歓声が、食後の客どもの口からブリブリとこき出される。

 理由は簡単だ。単純に、死ぬほど美しい女だから。

 月夜を思わせる黒髪と、星のような瞳。男の魂を吸い込むような、幻想的な唇。それなのに、どことなく土の匂いがするような素朴さ。相反する二つの要素が完全に融合した、天使の中でもずば抜けた美貌。下からの照明に陰った頬も手伝って、女神のように神秘的に彼らを見下ろす。

 もちろん、きれいなのは顔だけだが。

 飾られた天使の体は、一言で言えば、昆虫のようにおかしな膨らみ方をした歪な化物だった。胸から上は肋骨が浮き出るほどに痩せこけているのだが、その下の腹は、球体関節人形の胴の可動部を五倍化したみたいな巨大なボールと化している。補強のための金属がところどころ食い込んだパンパンの腹は、ヘソがのぞき窓に加工された、独立した白い球体だ。腰の上と胸の下に、キチンと切れ目が見えるほどに、全く人形的。

 腹が膨らんだ天使自体は、珍しくもなんともない。子宮だの妊娠だのというのは変態どもの大好物だ。だが、この天使は違う。人形的なこの腹の膨らみに、妊娠に共通する滑らかな曲線はない。そもそも拡大の中心が下腹部ではない。

 これは純粋な、胃腸の過剰膨張。

 天使の腕と脚は竹のようにバラバラに裂かれていて、隙間から幾本ものホースが突き刺さっている。ホースの先は、部屋を囲い込むテーブルの上に置かれた沢山の中型のポッド。誰がどう見ても、あのポッドの中で溶かしたものを天使の体に取り込む仕組みである。それも、ありえないほど大量に。

「壮観な……」と、誰かが、不本意ながらも同意せざるを得ない感想をこぼした。

 だが、こいつらはまだわかっていない。この天使の、至極単純な悪趣味さを。

「どうです、美しい天使でしょう? 彼女は、繋がったチューブから食材を取り込むことで肉体を継ぎ足せる稀有な天使です。チューブは全て腸管を引き伸ばして作ったものなのですよ。確か、シロアリを使って作られた、似たような仕組みの天使がありましたね?」

「あぁ、確かに」と、明るい顔の男が鼻を鳴らして笑った。「カーターの植物園な」

「こちらへどうぞ」父が天使の腹の覗き窓へと客を誘導する。「中に彼女の肉が詰まっているのがわかるでしょう? このように、摂取した栄養は全てお腹に溜まるように作られています。顔なんかが太ってしまうと死活問題ですからな」

「なるほど」なんて適当なことを言いながら、見物人たちの一様に濁った目のほとんどは、天使の美しく白い顔に向けられていた。

 変態どもめ……と言いたいところだが、実際、この少女に目を惹かれてしまうのは仕方がないだろう。それくらい、圧倒的に蠱惑こわく的な美少女だ。

「このお腹のボールは、天使の製法を知る皆さんなら、誰しもがよく知っている、ある機械です」

 父はそう言って、咳払いと共に客人たちを下がらせた。

「では……覗き口に、ご注目」

 血のない天使にのみ特有の、肌の下のきれいな桃色。

 その裏側で始まる、おぞましい蠕動ぜんどう

 ビリっと、覗き窓から見える肉に切れ目が入った。

「うわっ」と、さっきの明るい男がうなる。

 ギギッと音がして、あっという間もなく、中身がグチャグチャにかき乱され始める。

 表皮に張り付いていた肉が引き剥がされ、髄液のようなドロドロがビチャビチャと跳ねる音。

 鼓膜と奥歯に響く、撹拌かくはん音。

 旧式ゴーレムのエンジンのようにやかましい振動が、物言わぬ天使を激しく揺すぶった。


 ズブブブ……ブブブ……。


 グチュ。


 ブブー……ヴヴヴヴ……ヴィー……イィ……ンンンン……。


 ……ほどなくして天使の振動は止まり、肌を犯すように湿気った静寂だけが取り残される。

「ミキサー、ですね」誰かが言った。

「その通り」と、父は言う。「この天使の腹は巨大な臓器……胃袋と腸と脂肪の複合体です。詰まった内容物は一種の肉として腹と一体化し、滞留しますから、取り出すためには内蔵されたミキサーで肉を刻んでやらねばならないのですよ」

「つまり、痛覚神経は繋がってるのですね?」

「もちろん……さぁ、始まりますよ」

 父の言葉からほどなくして、ギュルルル……と、ジジイのアクビのように無作法な音が天使の腹から響き出す。

 始まった……。

 この天使は、腰から下が逆向きになっている。つまり、尻をこちらへ向けている。赤く腫れた尻の穴が前方に晒されているというわけだ。

 ピクピクと、桃そのものな尻が震える。

 ヌチュヌチュ……と、おぞましく汚い音が、最初に響いて。

 下の巨大な受け皿に、尻穴から、精子のように濁ったタンパク質がビチャビチャと吐き出された。

 ブヒュっと下品な音を鳴らして、糸を引く。

 客の一人が、口を抑えた。

 次いで尻からはみ出す、白い肉の塊。

 穴を広げながら、ゆっくりと落下していたそれはメリメリと嫌な音を立てて、やがてボロンと、内臓ほどの大きさの塊として受け皿の乳液を跳ね飛ばした。

 ありえないほど湿気った爆発音。

 堰を切ったように、あふれ出す。


 ビチッ。


 ブブゥ……フフ……ブリャリャリャ……。


 バリッ、ミチミチ……ドボボボボボ……ビチャン。


 ズビャビャ……プヒッ。


 ビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャビチャ…………。


 ブゥー。


 ブリュリュリュ……リュリュ……。


 受け皿の乳海が、ソースのように渦を巻く。

 ミキサーで刻まれた中身が小さな尻穴から吹き出し続けるにつれて、あれだけ膨らんでいた天使の腹が見る間に縮んでいく。腹に突き刺さっていた黒い金属の棒……ミキサーの機構が、水面から引き上げたようにつややかな濡れをきらめかせて姿を表した。

 腹が萎むのに合わせて、高い位置にあった胸から先が、ズルズルと彼らが見下ろせる位置にまで下がってくる。

 天使の足元に溜まる、白い肉。あの腹が相当巨大であったことを差し引いてもまだ、多すぎると思えるほどに大量の冷えたシチューが受け皿に浮かんだ頃には、天使は気の抜けた風船のようにペラペラな腹をした、普通のサイズの少女の天使に姿を戻していた。

 立ち上る冷気。

 白い肉塊。

 誰もが口もきけない有様の中で、父だけが、満足げに微笑んでいた。

「……これが、皆様が召し上がったあの肉の正体です」満足のにじんだ、不愉快な声。「天使の<ココヤム>と私は呼んでいますがね。彼女の腹は全面が拡張された胃腸であると同時に、巨大な錬金釜の役目も果たしています。取り込んだ食材を自らの肉に混ぜ込む、新手あらてのカクテル装置とでも言いましょうか。投入した食材の味を反映して、作るたびに違った味と食感を提供してくれる、神秘の芋畑です」

「ハイヌウェレか」

 白ひげの老人が、ボツリと呟いた。

「排泄物から生まれる、新たなる食物……素晴らしい、実に神秘的だ!」

 その声に合わせて、突然わざとらしい拍手の音が響きだした。

「いや全くだ!」

「これはいいものを見た」

「ブラボー!」

 正直、ダリルはイライラの余りに叫び出しそうだった。

 ……何が、ハイヌウェレだ。

 これはただの、大便だ!

 糞だ!

 ウンコだ!

 白いだけの、きたねえ下痢だ!

 全く馬鹿馬鹿しい。

 人のケツから出たもの食わされといて、何を喜んでいやがるんだ、変態どもめ。今てめえらは、排便を見せつけられたんだぞ? 怒れよ。神話にかこつければ、汚さが紛らわされるとでも? お前ら、ハイヌウェレの神話がこの地上になかったとしても、同じように素晴らしいって拍手できんのか?

 いや、ありえねえ。こいつら全員、気持ち悪いって吐いたはずだ。

 大体この無学どもは、本当にハイヌウェレの神話を知っているのか? ココヤシから生まれたハイヌウェレが尻からひり出したのは財宝だ。食物は、不気味さゆえにぶち殺されたその娘のバラバラの死骸から生じたものであって、ウンコが芋だったわけじゃない。

 しかもだ……。

 女の穴は一つじゃない。父はあえてそれを口にする気はないようだが……あの醜い豚は時々、ここでそれを使っている。そして、そこから投入されたアレでさえ、この天使は消化して肉の一部としているのだ。

 あぁ、畜生、気持ち悪い。

 最悪は、まだ終わらない。

「あなたは本当に、天使に苦痛を与える天才ですな」人の良さそうなペド男が、柔和な笑みでそう呟く。「腹の中に肉が詰まる苦痛、ミキサーの痛み、そして、拡張しえない小さな穴からこれだけの量のお芋を排出する地獄の責め苦。いやはや恐ろしい」

「男なら死ぬと言われている出産の苦しみを立て続けに味わうようなもの、というわけですね」

 今まであまり喋らなかったスキンヘッドの男が、存外柔らかな声でささやいた。

「ところで、一つお尋ねしたい。こちらのハイヌウェレのお顔は、どうも、そちらに控えるご子息にそっくりだと思われるのですが?」

「ええ」父はそう言って、汚れた瞳をこちらに向けて、にやりと笑った。「血が、繋がっていますからね」

 苛立ちを抑えて微笑み返し、天使の顔を見つめる。

 ……懐かしい顔。

 父と、そしてダリルと同じ黒髪に、母に瓜二つの柔らかな面立ち。

 ナナリーという名前。

 8つになるまでは一緒に生活していた、彼の姉。

 ハイヌウェレと称された彼女は、父と母の最初の子だ。天使としての旬を過ぎた母を身籠みごもらせることで父が用意した、理想的な幼き美貌というわけである。

 唐突に姉が他所よそにやられることになった時……幼かった頃のダリルは、遊んでくれる姉と引き離された悲しみのあまりに、母と共に大泣きしたのを覚えている。

 あの時は、人生で一番悲しかった。

 だが、思えばそれ以来、ダリルはろくに泣いていない。

 あの一回で、彼はこの世界の真理を学んだのだ。

 何事も、思い通りにはいかない。

 現実は糞だ。

 父にこの姉の成れの果てを見せつけられた時も、ぶっ倒れた母や嫌悪を示した弟たちと違って、彼だけは何も感じずに、淡々と鼻を鳴らすことができた。あぁ、やっぱりな……と、そんな感想が風のように心を撫ぜただけ。

 だが、それでも……。

 笑顔を知っている対象がこんなになってる様を見せられて、不愉快じゃないわけがないだろう……。

 くそっ。

 姉上……。

 なんで、そんな姿でまだ、生きてんだよ。

「見ての通り、ダリルはとても美しく、頭もいい」歩み寄ってきた父が、彼の頭に毛むくじゃらの手を置いた。「嫁も目星はつけている。いずれは、美しい娘を彼にも生んでもらおうと思っていますよ」

 周囲の視線を感じながらダリルは、殺意すら感じている心とは正反対に完全な微笑みを父に返した。

 勝手にすればいいさ……どうせ、彼には関係ない話だ。

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