天使展・歯車

 暴風のように唸りを上げる水蒸気がモウモウと立ち上がり、倉庫を改造した巨大な工房をアッという間に白と灰色のモヤで包んでしまったために、驚いたオリバーは手を滑らせて、やや高い位置にある窓から工房内へともんどり打ってしまった。

「イタタタ……」と、この工房の主で、近所では名の知れた変人発明家……通称・ヤケド博士のうなる声が頭上で響く。「まいったなぁ、強すぎたか……ん?」

 あ、やば。

「おやおや……誰かな君は? 窓から入ったのかね?」怒られるかとも思ったが、博士は以外にもニコニコと笑いながら、逆さまにひっくり返っているオリバーを見下ろした。「いや……見たことがあるな。この辺の子だろう」

「あはははは……えっと、うん、そゆこと」とりあえずは苦笑いを返しながら、サスペンダーの位置を直す。

 今日、オリバーが忍び込んだ工房の持ち主であるヤケド博士は、このあたりでは一番古くて大きく、かつ、一番豪華な屋敷に住んでいる貴族のおじさんである。屋敷はオリバーたちの住んでいる住宅街からはやや外れた位置に建っているのだけれど、敷地のど真ん中に佇立した時計台は遠くからでもとにかく目立つし、遊び場の森は近いし、色んな音が聞こえてくるしで、近所の少年たちからすれば気になって仕方がない場所なのである。そしてまた、そこに住んでいるこのヤケド博士が、面白くて仕方のない人なのだ。

 ヤケド博士の面白いところその一……それはやっぱり、左半分だけ禿げ上がったオモシロ頭だろう。なんでそんなことになっちゃったのか、理由はよく知らないけれど、きっと毎日やってる実験のせいで、毛根が焼け焦げちゃったのだというのが僕らの予想だ。

 面白いところその二……変な実験。これはもう、見ての通りである。

「えっと、博士は、何をしてたの?」オリバーは頭を掻きながら、気恥ずかしさを誤魔化すように博士に質問する。

「ん? 博士とは私のことかな?」

(あ、そっか)オリバーは気がつく。(博士ってのは、僕らが勝手に言ってるだけなのか……)

「他に誰もいないよ」とりあえず、そう答えた。

「あぁ、それはそうだな」ヤケド博士は禿げた方の頭を撫でながら、満足げな表情でニヤけている。「博士か……子供たちだけは、私をちゃんと発明家として見てくれているわけだ。嬉しいねぇ」

「え、だって、発明家なんでしょ?」

「無論、私は発明家だ。一族郎党や魔法機関院のヘボ老人がなんと言おうとも、新たなるものを作り出そうと努力するものは皆、発明家だ」

「ふーん」

 オリバーが適当に相槌を打ちつつ、顔にまとわりつく水蒸気の煙を手で払ったりしているうちに、モウモウと立ち込めていた白いモヤが段々と晴れていく。それにつれて、この倉庫の中心近くに置かれていた黒い機械が、蜃気楼のようにユラユラと、おどろおどろしいシルエットで浮かび上がってきた。

 驚いて、目を丸くする。

 それは黒い大きな箱から、これまた大きな歯車が円周の三分の一ほど突き出ている、でっかい機械の塊だった。大体、水車くらいのサイズの歯車が、黒くてゴチャゴチャした塊の中に食い込んでるみたいな、そんな形。おじいちゃんの家にある農用ゴーレムの中身が、こんな感じだったと思うけれど……。

 その中心に、脚のない裸の女の子の人形が、まるで拷問にでもかけられてるみたいにはりつけにされているのだった。

 ちょっと、ゾッとする。

 というか、ジワーっと嫌な気分になる。

(えー……)

「は、博士、あれは……」

「うむ。天使だよ」オリバーの隣にどかっと座り込んだ博士は、金縁のメガネをキュッキュと拭いながら、そう答えた。

「天使? 天使って、羽の生えた、あれ?」

「そう、その天使だ。羽は生えていないがね。こいつはちょっと特別な、不死身の天使様なのだ」

「……いや、人形でしょ?」

「もちろん」

 ニコリともせず頷く博士を見て、オリバーはちょっと胸にオエッときたのを感じた。

 やっぱ博士って、ヘンタイなんだ。

「なんであんなところに人形挟んでるの?」オリバーは少し博士と距離を起きつつ、好奇心任せに聞いてみる。「すっごい悪趣味なんだけど」

「悪趣味とはなんだ悪趣味とは」あんまり怒ってる感じでもなしに、博士は怒鳴ってみせる。「まるで私が、なんの意味もなくあそこに天使を飾っているかのような言いっぷりじゃないか」

「違うの?」

「無論だ。あの天使は私の新たなる発明のために、最も効率的かつ機能的な位置に配置されている、純然たるパーツの一つなのだよ」

 やっぱり博士って、面白い。

「で、これは何をする機械なの?」

「何をする、というものでもないな。何かをするためのエネルギーを作るためのものだからね」

「動力機関?」

「ほう……よく知っている。こういうものが好きなのかい?」

「そうじゃなきゃ忍び込んだりしないよ」事実、オリバーは工作好きであった。学校のゴーレムの修理なら、多分、整備士よりも自分の方が得意だと自負しているくらいには機会に強い。

「ふむ……その通り、これは動力機関だ。魔法機関の動力を、何かにつけて個人の魔力に頼ろうとする風潮に一石も二石も投じるであろう、無敵の永久機関の雛形だ」

「永久機関?」

「不死の魔法があるのなら、そこから永久動力を取り出せなければウソだろう」

「ふし?」なんの話だろう。

「ところで君……ええっと、名前は……」

「あ、えっと……オリバー」

「オリバー? ふーん……じゃ、オリバーくん。君、寒かったりしないかい?」

「うん、寒い」オリバーは頷いた。この工房は、なんだかひどく冷たい。さっきまでモウモウと垂れ込めていた水蒸気は暑かったのだけれど、晴れてくるにつれて、シンシンと毛穴から、冷えが体に染み込んでくるのだった。長袖を着てくればよかっただろうか……。

「じゃ、これを握ってごらん? 暖かくなれるよ」そう言って博士は、胸ポケットから黒くてテカテカした小さな石を取り出した。不思議な光沢があって、角ばっているのか丸っぽいのか、形が見えない。多分、魔法石だと思う。

 それを掴もうと手を伸ばすが、博士はホイッと、宝石を意地悪く僕から遠ざけた。

 意味がよくわからなくて博士の顔を見たら、博士は銀歯を光らせて、子供っぽい表情でニカッと笑っていた。どうやら取ってみろということらしい。

 楽しんでるんだかムキになってるんだか、自分でもよくわからないまんま、博士と軽くもみ合いになる。

 なんなんだよもう……こっちは本気で寒いのに。

 とか思いながらも、オリバーは黒い石を目で追い続け、ついにはガバッと奪い去ることに成功する。

 やった!

 なんて、目的も忘れて喜んだ、その瞬間。

 ぶわっと顔に、熱風が吹きかかった。

 死ぬほど熱かったわけじゃないけれど、急なことでびっくりしたために、「あちっ!?」と叫んで取りこぼす。

 落ちた石はそのまましばらく、シューッと湯気を立てて転がっていた。

「はははは、いや失敬」博士はさも面白そうに笑いながら、静かになった黒い石を拾い上げる。「これは私がブラックオニキスから錬金したものでね……ちょっとした霊魔術がこもっているんだ」

「れ、れいまじゅつ?」博士から受け取った冷たいハンカチで顔を拭きながら、話を聞く。

「効果は簡単だよ。願望を持ってこの石を求めた人の、その願いに応じた結果を、思いの強さに準じたレベルで石の周囲に発現させる石、とでも言おうか。君、ずいぶん本気でこれを追いかけたからねぇ……」

「だから結構熱かったんだ……」

「うむ。と言っても、複雑な効果は現れない。例えば、すごい美味いものを食わせてくれとか、金持ちになりたいとか、頭良くなりたいなんていう曖昧なことを願っても仕方がない。せいぜい温度を上げ下げしたり、電気を作ったり、ゴーレムの動力になったり……そんなところか。それも、電気を帯びろ! とか、熱くなれとか願っても意味がない。寒い、暖めてくれ! と思って石を欲しがるのでなければダメなのだ」

「へー」と言いつつも、よくわからず。

「しかもだ……当然、魔力は願望者の分が消費されるわけだから、普通に疲れる。そうだろ?」

「……うん……」若干目眩を覚えているのを感じながら、フラフラと頷く。おかげで余計に寒い気がする。

「そしてこれの大型モデルが、あの天使の前に落ちてる宝石というわけだ」

「え?」

 博士の指差す方向を見て、ちょっとびっくりした。確かにそこには、今博士が持っている石の大きいやつが、無造作にゴロンと転がっている。さっきは人形のインパクトに気を取られて見落としていたらしい。

「今さっき君が掴んだやつは、頑張ってもせいぜいお湯が沸く程度が限界だが、あれはサイズがサイズだけに可能な熱量が半端ではない。だが、そこまで深刻に、温もりをあの石に求めるのは人間には難しいだろう……そこで、天使だ」

「天使……っすか」

「あの子たちは見ての通り凍えてるからね、温もりを求める心は人間の比じゃあない」

(何言ってんだこの人……)オリバーは苦笑した。

 ツルツルの方の頭をハンカチで拭きながら、博士は続ける。「そこで私は考えた。もしかしたら彼女らから、熱エネルギーなら取り出せるのではないかとね。やり方は簡単だ……まずは未活性状態のあの魔法石を天使の視界に入れる。そしてしばらくしたら、温かいスチームを吹きかけてやる。これを毎日繰り返すうちに、天使はあの石を見るたびに、熱をイメージすることになるだろう? ま、犬の調教みたいに単純な話だ。そして頃合いを見て魔法石を活性化させてやれば、少女の熱を求める気持ちによって、凄まじい高熱を得られるのではないだろうかと考えた。熱と水さえあれば、蒸気動力が得られる」

「……うん……んん?」なんだか不安な気持ちになってきたのを感じながら、人形を指差す。「えっと……え、なに、天使って人形じゃないの?」

「人形だとも」

「…………」

「ご覧の通り、結果は大成功……というよりも、予想以上だったと言おうか。そのために、タンクに貯めてた水が水蒸気爆発を起こし、石を設置していた機器ごと吹き飛ばしてしまったのが、今の爆発の正体なのだ。貯めた意思エネルギーの熱変換をもっと緩やかにしてやる必要があるな」

 博士の話を、必死に頭のなかでまとめ直す。

 人形が、温かさを求めた?

 つまり、あの人形には、意思がある?

(だとしたら、すっごい可哀想だと思うんだけど……)

 いや、きっとそういう意味ではあるまいと、オリバーは思いなおす。確か霊魔術というのは、芸術品から魔力を得るためのものだったはず。魔力を込めたモノを媒体にすれば、魔法の効果が上昇するみたいな話を、いつか父さんの部屋の学術誌で読んだことがあった。

 だとしたら……。

「魔法石が発動するってことは……魔力が使われてるんだよね? その魔力は人形から取り出してるんなら……一気に魔力使ったら、壊れちゃったりしないの?」

 ピタッと、博士がまっすぐに、オリバーを見た。

「君……理解が早いなぁ。いやいや、感心感心」

 ちょっとうれしくなって、照れ隠しに肩をすくめる。「そうかな……」

「ふむ、着眼点は素晴らしい。事実その点が、この動力機関を通常の方法で実用化できない理由でもある。現在使用されている動力機関以上の効率で、実用に足る熱量を得るために必要な魔力の発散量は、残念ながら人間が耐えられるものではない。あの石は、願望に応じた結果を、発動者の魔力の限界など歯牙にもかけず発現させるものだからね……魔法の訓練や詠唱の必要なく魔法を使えるという意味では素晴らしい媒体だが、威力の調節を、どうしても意思力というアバウトなものに頼らざるをえないのに、限界値が高すぎるのだ。かと言って調整機構などつけようものなら、それこそ通常の魔法で十分なわけだから、本末転倒だ。術者に訓練を必要としないのはメリットかもしれないが……とにかく、必要な熱量をこの方法で得ようとするならば、術者は急激な疲労と苦痛で死んでしまうだろう」

「うん」

「だが、天使は死なない。不死身だから。どれだけ魔力が枯渇しようとも、生きてさえいればまた魔力は充填される。どれ、もう少し近くで見てみよう」

 そう言って博士が立ち上がって歩き出したので、オリバーもついていく。この変な機械の周辺は、まだ結構暖かいようだけど、そのぶん、湿度がすごい。

 ふらりと立ちくらみする。魔力なんて使うから……。

「ほらごらん? 天使があの熱を得るために、どれだけの想いを発散させたか、なんとなく伝わってこないかね」

 正直オリバーはあまり見たくなかったのだが、博士に促されるままに、しぶしぶ人形を見つめる。

 手足のない等身大人形……白い肌に、びっしょりと水滴をまとわりつかせているキレイな女の子。髪は短めの銀髪で、目の色は空みたいなブルー。口は僅かに開き、濁った光を反射する瞳は、まっすぐに前を見つめている。ところどころ色が変わった皮膚は、焦げてしまっているのだろうか。

 そんな人形が、肋骨のあたりに棒を通され、金属の骨組みに首を支えられ、痛々しく歯車の中に組み込まれている。

 とても不気味だった。

 人形は取り憑かれたように一点を見つめながら、汗のように水をしたたらせている。そこから単純な疲れ以上の深刻な衰弱がにじみ出ているように思えて、オリバーは思わず身震いした。何より、それほどまでに熱を求めたという鬼気迫る想いが、この女の子の中に閉じ込められているような気がしてならないのだった。

 有り余る熱を、ヤケドも構わずに必死に取り込もうとしていたみたいな……。

「……これ……人形だよね……?」

「うむ」

「なんか怖いな……それにかわいそう」

「間違いあるまいな、それも」

「えっと……今はもう、この人形に魔力は残ってないんだよね?」

「そういうことになる」

「ということは、連続使用はできないの?」

 オリバーがそう聞くと同時に、博士は質問を見越していたように、装置脇についていた長いレバーをぐいっと引っ張った。

 ギギギギギ……と、派手な音を鳴らして歯車が回転し、組み込まれた人形が機構の中に消えていく。そして下から、新しい人形がググっと持ち上がってきた。

(う、うわぁー……)

「当然、ロータリー式だ。この天使も可愛いと思わんかね?」

 今度の人形は、先程までのヤツよりもやや幼い、おかっぱの女の子だった。確かにきっと、かわいいはかわいいのだろうとオリバーも思ったが……。

(僕的には、いちいち裸なのが嫌なんだけど……)

 オリバーは少しだけ、博士のことが苦手になってしまった。

「人間にはおおよそ不可能なほどの熱への願望と、不死の命……この組み合わせが、私の永久機関開発の根幹だ」博士はいたって上機嫌である。「今はまだ論理実験の段階だから、機関部分のデザインは適当だが……うむ、手応えは掴んだ」

「うーん……」と不明瞭につぶやきながら、オリバーはくしゃみをした。なんだか体調が悪い。昔っから、魔法を使うとすぐに疲れてしまうのがオリバーの悪いところだった。

 永久機関というものの価値……まだ11歳のオリバーは、のちに魔法機関史上最大の革命と呼ばれることになる「天使の歯車」の価値を、うまく理解することができなかった。何よりも、急に魔力を使ってしまったこともあって、オリバーは無駄に疲れてしまっていたのだった。

 不意にふらっと、倒れそうになる

「おお、スマンスマン、疲れているのだったな」博士は大げさに謝りながら、足元がぐらついたオリバーの背中を支える。「どれ、じゃあ続きは向こうで、温かいものでも飲みながらにしようか。そこで、天使についても詳しく説明してあげよう」

「ほんと……?」

「人形にどうやって魔力を込めるのか、気になっているんだろう?」

「うん、気になる」

「ははははは、上々上々」なんて笑いながら、博士はオリバーの肩に手を回して、工房の出口の方へと歩きだす。「そう言えば、君を前にいつ見たのかを思い出したよ。クレイグさんの家の子だろ? 一度、うちに花を売りに来たことがある」

 あんまり思い出したくない話だったので、オリバーは少し顔をしかめる。花売りなんてダサいことしたくなかったし、あげくに色んな家で冷やかされて、うんざりだったのだ。

「……うん……」

「あの時とは服装が全然違うから、勘違いかと思ってしまったよ。その時は髪飾りもつけていて、とても素敵なお嬢ちゃんだと思ったのだが……スカートは嫌いだと言ってたね? オリビアちゃん」

「……オリバーって呼んで……よ……」

「女の子らしい名前がいやか、はっはっは」

 疲れたオリバーを軽く抱き上げた博士の指が、唇にかかる。鬱陶しいなぁと思いながらも彼女は、なんだか一言もしゃべる気がしないまま、博士の禿げた方の頭がボンヤリとシルエットになっていくのを眺めていた。

(すごい眠たくなってきちゃったなぁ……)

「見れば見るほど、可愛いよ……まさに天使にふさわしい……機械いじりなんて、もったいないもったいない……」

 今まで散々大人に言われてきた言葉をヤケド博士が呟くのを聞きながら、オリバーはゆったりと目を閉じた。

(ヤケド博士の指先……なんだかすっごい冷たいなぁ……)

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