天使展・愛玩

「許して……ください……」と、みすぼらしく命乞いをする禿げた小男の右手の指が、バラバラと腐ったように崩れ落ちて、血溜まりの中をオタマジャクシのようにビチョビチョと飛び跳ねた。

「カーヴィ、もう限界か?」

「ダメみたいだね。こいつ、血がきたねえから効きが悪いのさ」

 カーヴィはそう言うとカーっと喉を鳴らし、小男の開かれた腹に向かって、ぺっとたんを吐きつけた。

 その小男は、平たく言えば裏切り者である。金に困って、ボスの友達とやらに「迷惑をかけた」らしい。無論、そんなフィッシュはそんな細かい事情に関心などなかった。彼はただ淡々と、日々の仕事をこなすだけである。

「ごめ……なさい……こんなに苦しい……しらなかった……です……」

 パーツの足らなくなった体で喘ぎながら、小男は体同様に小さな声を絞り出す。こいつは今まで仕事をした者たちの中でも、とびきりに痛みに弱い部類の男だった。

「どうすんの、フィッシュ、もう殺すの?」カーヴィは飽きたとばかりに長い舌を指に巻き付けながら、周りを黒く塗られた目で彼を見上げた。

 組織の始末屋として活動する彼は、仲間からはフィッシュと呼ばれている。フィッシュは筋肉質で顔も整っているが、生まれつき目の色が薄く、ついでに視力も弱いため、幼い頃から何を見るにしてもグッと目に力をこめるクセがあった。それは視力を矯正してからも変わらず、何につけギョロリと相手を睨む彼の目が魚に似てると女に言われたと仲間にグチった結果、それがそのまま通り名になったというわけである。

 フィッシュは始末屋……というよりも拷問家だった。フィッシュに体をイジらせるぞというジョークが、他所よその区域でもささやかれるくらいには有名らしい。

「そうだなぁ……そろそろ仕上げようか」

 フィッシュがぼんやりと呟くにあわせて、カーヴィは嬉しそうに火鉢から先が赤熱した黒い杭を取り出して、小男の心臓に迷いなく突き刺した。

 ジュッと小さく黒い煙が上がり、下品な叫びがビチャっとこぼれる。

「よかったなお前、そろそろ死ねるぞ」フィッシュは樫の椅子から立ち上がり、十字架にはりつけにされた小男の、都合三度潰した右目を覗き込む。左目は二度目の時点で治らなくなった。「これから心臓にそれを突き刺して、引き抜いては治すを繰り返す。そのうち死ぬはずだ」

 小男は何か言おうとしたが、同時にカーヴィが杭を引き抜いたため、痛みのあまりに白目を剥いた。

 カーヴィという女は、腕の良い再生魔術師である。見た目はかなりのブスだが、頭の半分を丸刈りにして、残り半分は紫に染めたうえで赤のメッシュを入れるという力技のおかげで、自分が通俗的美学に興味がないということへのアピールには成功している。痩せた顔は白く塗られ、ガリガリの体も含めて、散々に汚れたピエロの人形というのがフィッシュの感想だった。一度だけ行きずりで抱いたことがあるが、全身余すところなく骨ばっているために全く勃たずにご破産になったのを思い出す。カーヴィスタイルのいい女なんてあだ名をつけた奴は相当な皮肉屋に違いない。

 カーヴィが小男の胸に空いた穴に透明な粘液を塗りつけると、その穴が徐々に虫が湧くように塞がっていく。それは再生魔法の促進剤であり、副作用が強いことから、戦場か末期医療でもない限り使用は禁止されているものだった。

「あーあ、本当に効きが悪いんでやんの」カーヴィはクスクスと肩を揺らしながら、焼け落ちた小男の右膝の断面を指先でいじくり回す。その度に小男の体が震えて泡を吹くのを、この女は嬉しそうに長い舌で舐め取るのだった。

 カーヴィの舌の異常な長さは、再生魔法を使った人体改造手術の結果である。自分で引っこ抜いた舌を薄く伸ばして、またつけ直してを繰り返した伸ばしたらしい。おおよそ正気とは思えないアイデアだが、再生魔法の使い手が、その悪用を考える金持ちに取り入りたいのならば、こういうアピールは必要かもしれない。悪趣味な人間を好んで飼いたがる輩は、お眼鏡に適った変態には出資を惜しまないものだ。

 再生魔法は、誰もが使える魔術ではない。高い才能と適性、教育の全てが揃ってはじめて再生魔法を学ぶ”資格”を得る高度な医術だ。その上扱いにくい。再生魔法で怪我を直したいのなら、怪我をする前の時点で再生術を体に練り込まなければならないのだ。当然そんなものが一般的な医療として普及するはずはなく、再生魔法が使われるのはもっぱら戦場か、フィッシュのような仕事ばかりであった。正教会の治癒術の中でも特級資格に数えられる魔法の割には、用法が限定されすぎているというわけである。

 また再生魔法は、習得するまでに長い年月を要するにも関わらず、かなりのレベルまで習得しなければ使い物にならないという学習上の問題もあわせ持っている。再生魔法を志望するということは、正教会のエリートになるか、途中で人生やり直すか、落ちぶれるかのどれかしかありえないのだ。

 というわけで、カーヴィのような人材は貴重だった。彼女は見た目も性格も最悪の女だが、少なくとも再生魔法を実用レベルにまで扱える稀有な魔術師だった。

 ただ、普通は拷問程度のことに、再生魔法は使われない。そもそも痛い目に遭わせるだけなら、再生魔法に頼らなくともそこそこ頑張れるからだ。少なくともフィッシュの仕事はカーヴィと組む前から有名であったし、自信もあった。

 だがやはり、再生魔法があるのと無いのとでは、与えられる恐怖がまるで違う。なぜなら再生魔法は、「もう一回」ができるからだ。

 指を切り落とすのは、一本目よりも二本目のほうが怖い。

 左手を落とされれば、右手を落とされるのが怖くなる。

 一度しか壊せない場所に、「もう一回」ができるということがどれほど恐ろしいものなのかを、フィッシュは誰よりも理解していた。また再生魔法をかけられた相手というのは傷口が常に再生の方向に向かうため、即死させなければ意外と長持ちするという利点もある。

 再生魔法の理論に従えば、「もう一回」の繰り返しはほぼ永久にできるのだろう。だが、実際のところはうまくいっても五回ほどが限界である。傷口をもっとキレイにすればまた結果は違うのだろうが、フィッシュの仕事はいかに傷口を粗くするかにこだわっているという側面もあるので仕方がない。再生魔法の精度が高ければそれでも問題ないのだろうが、だからといってカーヴィを技術不足と評するのは酷であろう。完璧な再生魔法を扱える魔術師など、歴史的に見ても稀なのだから。カーヴィは十分に天才である。

 カーヴィが小男で遊んでいるのを見て、自分はもう仕事をする必要がないと判断したフィッシュは、現場から目を逸らすようにして見張りをしている新入りに夜食の買い出しを命令した。ここからフィッシュに仕事はないが、死ぬまでにはまだ時間がかかる。長く苦しめることに手を抜かないこそ、彼はカーヴィに仕上げを託しているのだ。

「確かヴィルの店の向かいに、美味いラム肉の串焼きを作ってる店があったはずだ。お前の分も買ってくるといい」

「……ええ、了解しました」ここで食うのかとでも言いたげな目をフィッシュに向けながら、新入りは小さく頷いた。「ただ俺……臭くないっすか……?」

「肉を焼く店に行くんだから、一緒だろ」

「はぁ……わかりました」

 そう言ってドアを抜け、階段を駆け下りていった後ろ姿を見送ってから、フィッシュは当初から部屋の中で異様な存在感を放ち続けていた白い人形へと目を向けた。この部屋はそもそも小男の暮らしていた場所であり、拷問は別の場所で行う予定だったのだが、この人形があまりにも可笑しかったので、この場で似たような姿にしてやろうと思い今に至っている。

 人形は、恐らくは天使を模しているのであろう。フィッシュが言うのも難ではあるが、死ぬほど悪趣味な人形だと思えた。

「わ……わたしは……罪深いにんげんです……ひどいことを……してきました……」

 小男のか細い声が、またうなる。

 人形は、十歳くらいの少女をモデルにして作られていた。頭は正しい向きのちょうど逆さまになっており、長い髪が地面に向かって振り落とされている。その頭は当然首に繋がっているわけであるが、その首もまたあるべき位置を離れて、ヘソの上辺りから長く突き出していた。というよりも、首を背骨ごと、胸を裂きながら折り曲げた姿と表現したほうが正しいだろう。両側に裂けた肩と乳房は、腕や肋骨、肩甲骨と一体化し、上を向いた翼のような形で広がっている。これのおかげでこの人形が天使だとわかったわけだ。脚はふとももの半分ほどのところから下の頑丈な台座の中に差し込まれていて、移動はできないようになっている。他にも刺々しい金具が幾つか体のあちこちに突き刺さっていて、大変痛々しい。

「すいまぜん……ゆるじて……ぐだざ……おぅえ……」

 長い首にまたがるような形になって、人形の顔を覗いてみようと顎に手をかけたとき、その頭が動くようにできているのがわかった。後頭部を支えて持ち上げれば、小男の身長的には、ちょうど位置になる。唇に指を突っ込むと案の定開いたために、これが実用のための人形であることがわかった。

「でんじさまぁ……いまあで……ごべんなざ……あっ……あっ……あっ……」

 今度は背後に回って翼を押すと、やはり体も丸まって、股の間が見えた。完全な性玩具なようだ。この男の悪趣味は本物である。試しにポケットから目抜きを取り出して”穴”に突っ込んでみると、翼がギチギチと、こすれるような音を立てて羽ばたいた。

「うは、面白いなぁ、そんな風になってるんだ」と、あくびをしながらカービィが、フィッシュの背に抱きつくように覗き込んできた。小男はまた気絶したようだ。「これさあ、死体から作ってんじゃねえかな」

「どうしてそう思う?」フィッシュは聞く。

「これ、再生魔法がかかってるよ。だから多分、人体で作ったんじゃねえかなって思うわけ」

「ふーん、そんな作り方があるのか」

 再生魔法は、生前にかけておけば、死体に対してもある程度の効果がある。ただし大した時間はもたない。

「再生人形だとしたらこれ、すげえ高いぜ」カービィは人形の前に回り、その顔を長い舌で舐め回す。「うーん、ちめたい。こうやってちゃんとコーティングするのだって大変だし、そもそも再生魔法のレベルが私なんか目じゃねえし……骨とかの加工は時間かかりすぎて気が遠くなるッスよ」

「時間がかかるなら、死体は使えないんじゃないか?」

「うーん、でもなんかこれ、本物の人っぽい気がするんだよなぁ……なんかやり方あるんじゃねえかな」

「だとしたら、随分可愛い女の子を殺したんだな、こいつ」翼を引いて体を起こしてから、薄目を開けた天使の顔を覗き込む。「そういうのは嫌いだ。可哀想だからな」

「これがボスの友達の娘だったりして」

「だったらこんな程度の制裁で済むものかよ」フィッシュはまたも近づいてきたカーヴィを片手で押しのけながら、チチチと高い音を鳴らす通信器のスイッチを入れた。「はい、フィッシュですが」

「終わったか?」直属の上司であるブルの声。

「もうすぐです」

「そいつの家に人形があったらしいな。ボスがどんなものなのか知りたがっている」

「悪趣味ッスよ。かわいい天使ちゃんでーす」カーヴィが、横からがなる。「なんか、再生魔法がかかってる気がするって言っといてくださいな」

「……確かか?」ブルの声が、少しだけ緊張する。

「この男、ずぅっとこの天使ちゃんに謝ってるんすよぉ、すいません、許してください、こんなに苦しいって知らなかったんですってさぁ……だから、やっぱり女の子いじめて作った人形なんじゃねえかなっと」

 ブルは笑うかと思ったが、何やら考えていることがあるらしく、しばらく黙り込んでしまった。彼独特の、唇の隙間から空気をヒューヒュー通り抜けさせる呼吸の音がしばらく暗い部屋の中に染み出し続ける。

「……その人形、回収の必要があるな」ややあってから、どことなくソワソワした声でブルはうなった。「もしかしたら、本物の天使かもしれん」

「いや、普通に天使っすよ」フィッシュは答える。

「そうじゃなくてだなぁ……凍える天使コールド・エンジェルって聞いたことないか?」

「不死魔法がかかった生きている人形ってやつッスか?」カーヴィが、プッと吹き出す。「んなの無理っしょ。ヨタ話ッスよ。不死魔法なんて教皇にだって扱えないって話なのに」

「……んまあ、本物をそいつが持ってるとは思いにくいんだが……万が一ってこともあるからな。おい、チックはまだ生きてるんだよな?」

「えぇ」

「予定変更だ。その人形をどこで手に入れたのか聞き出せ」

「えー、そういうのは早く言ってくださいよー!」二回目の杭を刺そうとしていたカーヴィが、ヒステリックに振り返る。「今さら体に聞いたら死んじゃうっての!」

「……了解。じゃあ気付け薬の足しを届けといてください」フィッシュは事務的にブルにそう伝え、通信を切った。最近流行りだしたこの水晶式通信機は本当に便利だ。こんな高価なものをわざわざ一介の解体屋に貸し出してくれるとは、フィッシュはよほどボスに気に入られているのだろう。

「まだコイツと遊ぶのかよ」カーヴィはまだ愚痴ってる。「あれ? メディックは?」

「さっき買い出しに行かせた」気付け注射を取り出しながら、フィッシュはもう一度だけ天使の顔を覗き込んだ。

 少女は動かず、骨のむき出した首に繋がった頭からは一切の生気が感じられない。血もなければ呼吸もしない、冷たい肌の人形である。

 なるほど、確かにこれは少女の死体なのかもしれない。だが生きているなんてことがありえるだろうか。もし生きているとすれば、それはフィッシュが今までやってきたどんな仕事よりも残酷な状態だろう。

 ……暗く淀んだ少女の瞳が、時折動くのは気になるが、そういうギミックが仕込まれた人形だってザラにある。

 擦り寄ってくるカーヴィを適当にあしらいつつ、フィッシュはまた、荒い呼吸を続ける小男の髪を掴んで目を合わせた。

「なぁチック……あの天使様は、生きているのか?」

「ご……ごめん……なさい……ごろじてあげて……ください……」歯のない口で、小男は嘆き続ける。すでに男からは片目と片耳と頭皮と睾丸、右脚、両手の指、腸などが失われており、肘や肩などの骨も鉄工ヤスリであらかた削られていた。再生魔法によって永らえているとはいえ、放っておけばあと半日ほどでくたばるはずである。

 フィッシュはその首に向かって一本の注射を打ち込んだ。

 たちまち小男の体が強張り、喉に詰まっていた血と体液がゴボッと吐き出されたかと思うと、たった今体が痛みだしたかのように重苦しい悲鳴を上げた。

「あがっ……ぎぎぎぎいぎ……や、やべてぇ……もうしま……げぇ……ぐぇっ……」

 フィッシュは、凍える天使コールド・エンジェルなどと言うものは信じていない。だが、ともかく仕事は仕事である。彼の頭はすでに、今、死につつあるこの体をどれだけ長く苦しめられるかのシュミレーションを始めていた。

 三秒ほどノコギリと電動ドリルの前で迷ってから、ドリルの方を選択し、小男の残った片足の削れた膝に丁寧にあてがっていた。

 ここに穴を開けて、中に無煙火薬を詰めてから再生させると、火を着ければ爆発する面白い骨ができあがる。仲間内ではチリチリボーンと呼ばれているこの骨を破裂させると、周りに被害の出ないごく小規模の爆発で、片足を粉々にし、神経を焼き潰すような痛みを生み出せるのだった。こいつの右脚はそれでふっ飛ばしたものであるから、その痛みも覚えているはず。ならば、尋問にはもってこいだろう。穴が開く頃には、追加の気付け薬も届くはずだ。

「あ、ま、待って、頼むぅ……」と、小男が焦りだした頃には、フィッシュはドリルのスイッチを入れていた。

 たちまちウィーンと電動音が鳴り出し、止血バーナーの火が骨と肉を炙るラム肉のような匂いが部屋に充満した。

 天使への懺悔の叫びが、狭い部屋にまた響く。

「また穴開けんの?」カーヴィが背中に抱きついてくる。「ショック死しない? 大丈夫?」

「うん、問題ない」フィッシュは答える。「麻酔無しでも、ギリギリ行けるよ。生きてさえいれば、再生魔法で元に戻るからね」

「すげー、長年の勘ってやつ? さすがはフィッシュぅ、かっこいーなぁ」

「お前の再生魔法があるからな」

「あ、もしかしてまた誘ってくれてるぅ? 頼むよぉ、次はちゃんとやるからさぁ、もう一回だけ、ねぇ?」

「……人は”もう一回”を何よりも恐れるんだよ」

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