エピソード・思い出

 その少女はとてもいびつな体をしていた。足も腕も、本来あるべき場所とは違うところから生えていて、形さえも不格好にネジ曲がっていた。


 少女の腕は、左右それぞれ、背中と胸から生えていた。どちらの腕も、中指と薬指のあいだから深い切込みによって縦に裂かれ、結果、少女は細長い四つの腕を持っていた。四つの腕にはそれぞれに独特な加工が幾重にも施され、なおかつやり直された形跡があり、伸ばされた骨が化石のような白さで曲がりくねるその様は、色素のない昆虫の脚のようにも見えるのだった。


 不気味でありながらも、どことなく美しさをたたえて見える腕とは違い、少女の足は全くの不格好であった。余った肉を乱雑に取り付けたそれは、醜い肉風船のように膨らみ、腰の下にぶら下がっていた。それは幼い子供の足を巨大な睾丸に作り変えたかのように生々しく気色が悪く、ナンセンスであった。


 その少女は顔も曲がっていた。地層のように乾き、ひび割れ、赤く塗られた唇だけがグロテスクなほどにツヤめく顔の表皮は、再生魔法による整形手術が幾度となく行われた証であり、それが失敗に終わったこともまた如実に表していた。本来ならば人間らしさを象徴するはずの瞳も、残酷な術式によって頭蓋に見合わぬフクロウのようなサイズに膨れ上がっており、少女が本来持っていたはずの愛らしさの面影おもかげはどこにもなかった。

 怯えているか、あるいは獲物を探しているかのどちらかにしか見えないほどに炯々けいけいに目を見開き(それは閉じられなくなっているのであるが)、カチカチと歯を鳴らす少女の顔は、たとえ親が見ようとも我が子だと気づくはずのない、不気味なモンスターのようであった。右耳が夢物語のエルフのように尖っていて、左耳はある種の犬のように垂れ下がっていることもまた、少女を人間からかけ離れた醜い生き物のように見せるのに一役買っているのだった。


 その少女は凍えていた。全身を巡るはずの血は一滴残らず取り除かれ、しかし、不思議と命は保たれたまま、恐ろしいまでの冷たさに打ちひしがれていた。血を失った体の内側には温もりと呼べるものなど存在しえず、ただ、極地の冷水のように容赦のない寒さの中で、少女は死を待つ小鳥のように震えていた。


 その少女は痛かった。血の恩恵を受けられなくなった体には、いかなる鎮痛物質も働かなかった。歪んだ体は歪んだなりに、削れた肉は削れたままに、地獄のような痛みを少女に訴え続けていた。小さく削られた体の中で、痛みを感じる部分だけは、いつだって大きく感じられるのだった。特に、数分前までアゴからまっすぐに眉間を貫いていた杭が引き抜かれたあとに走る灼けつくような激痛は、少女の体を幾度となく震わせ、再生魔法の働きさえもさまたげていた。


 その少女は苦しかった。弱り、潰れた肺は空気を吸い込めず、体を押しつぶすような苦しさが、途切れることなく少女の心をさいなんだ。そのまま眠ってしんでしまえないのが、少女にはとても不思議だった。この苦痛を終わらせる手段がないことが、何よりも悲しかった。


 その少女は怖かった。かすれた視界と、ぼんやりとした聴覚……そして、空気が刺ささるほどに過敏となった肌が時折捉える、毒蜘蛛のような指先を何よりも恐れていた。その手は温かかったが、それが体に触れるのは必ず痛みの前触れであり、体が折られたり、切られたり、何かを埋め込まれたりする恐怖と、少女は戦わなければならなかった。


 その少女は壊れていた。記憶のほとんどを失い、言葉も忘れ、肉体も出来損ないの粘土人形のように崩された今、少女の人間らしい部分は、純粋に幼い心だけだった。どれだけ姿が変わろうと、どれだけ肉体が醜かろうと、少女は罪を知らないという意味では、未だ完全に無垢のままであったから。


 その少女は化物のようであったが、心はまだ人間であった。


 その少女は心細かった。寒いという感覚ほど、寂しさを助長するものはなかったからだ。少女はいつか、どこかで知っていたはずの、柔らかく、痛みを思う必要がなかった温もりに、心の底から飢えていた。


 その少女は泣いていた。バカげているほどに大きな瞳から、どこで作られているかもわからないような涙が、いつも止めどなくこぼれ落ちていた。


 その少女は思い出していた。ボヤけ、形が曖昧になってしまった記憶の中、かすかに思い出せるシルエット……麦わら帽子をかぶった、大きくて優しい誰かの背中と、口元に、スプーンで温かいスープを運んでくれた優しい指先……気を抜けば、今にも消えてしまいそうなくらいに頼りないいつかの幻影を、少女は懸命に記憶の中につなぎとめていた。


 その少女は小さな記憶にすがっていた。それは少女の中で、たった一つの生きている記憶だった。疲れ、痛み、腫れぼったく痺れたままの脳の中で、未だ生き生きと輝いている、少女自身の持ち物だった。いつ始まったのかも思い出せない、凍える地獄のドン底で……どうしてこんな目に遭っているのかもわからない少女の心が生きられるのは、その思い出の中でしかありえなかった。それ以外の少女のすべては、ただ単に痛みと恐怖が通過するだけの肉の器官だった。


 少女は、幼き日の温もりを思い出しているときだけ、自分自身であれたのだ。


 凍える少女は、天使でさえなかった。少女はただの、練習台であった。


 その少女は今、鉤縄かぎなわ……左の肋骨に爪が掛けられ、かつて膣のあった場所から突き出ている硬い縄に体をズルズルと引きずられながら、床の上で、淡く光る天井の明かりを見つめていた。鉤縄は、少女には想像もつかないほどに悪趣味な注文の練習用として体に埋め込まれたものであり、ここ一ヶ月ほどの間、ずっと胸のうちをジュルジュルと痛めつけるとげとして、少女を苦しめていた。

 だが、骨を引っ張られる痛みくらい大したものではないと思える程度には、少女は苦痛に慣れていた。

 カツカツと、暗がりに高い足音が鳴る。

 体が引かれる度に、頭が床の上でゴトゴトと跳ねて、鼻の奥が燃え上がる。

 くぐもった誰かの泣き声が、どこか遠くない場所から響いていた。

 やがて少女の体は、とある部屋へと運ばれた。れすぎた果物のような匂いのする、暗い部屋である。

 ふいにグッと、鉤縄に力がこめられ、肉の下で骨がこすれた。

 カチカチと、神経を削られる痛みに、歯が鳴った。

 ……来る。

 そう思った少女は怯える心に身を任せ、力の限りに泣きながら、痛みに備えて精一杯に体を踏ん張った。

 不意に硬い金具が肋骨に打ち付けられて、枝が折るようなピキっという音が、骨から痛みとともに響き渡る。

 続けて、もう一発。

 パキっ。

 鋭く、容赦のない硬質な痛みに、少女の体は震え、跳ね上がった。もちろんそれは、外から見れば、寝返りにも満たないような小さな痙攣でしかなかっただろう。少女の痛みを物語るのは、声にもならない、わずかな喉の震えだけだった。

 肩……だった場所に、少女は重さを感じる。誰かがそこに、足を置いた。

 グッと、股の間に差し込まれていた鉤縄が、張り詰めて……。

 そして、それは力いっぱいに、引っ張られた。

 砕けていた骨が、胸の下で暴れて、乱雑に肉を引き裂く。

 全身の肉という肉が、その一点に向けてギュッと引きずり込まれ、大きな手に握りつぶされたかのような錯覚が少女を襲った。

 小さな体が、ピクピクと痙攣する。それは本来は死を免れ得ない痛みが引き起こしたショック症状のようなものであり、少女の体を生かしている未知の錬金媒体によって引き起こされた、天使しか知りえない悪魔の牙だった。

 少女の骨に食い込んでいたかぎの爪は、あらかじめ骨が砕かれていたとはいえ、そう易々やすやすと外れるものではない。再生魔法によって完璧に埋め込まれた鉤縄は、少し引くだけでも肉や臓器にグイグイと引っかかり、結局骨ごと膣から取り出されるまでの間、ニチャニチャと嫌な音を立て続けた。

 体の内側を爪が荒らすたびに、少女は震え、干からびた鳥のように哀れな声が、空気もないはずの喉から漏れ出していた。

 だが、少女の意識は途切れない。その媒体で生かされているものは、永遠に眠ることができないのだ。

 少女は、体の内側で縄が肉脂を絡めて鋭く肉を裂いていく音を聞きながら、涙でぼやけた視界で、近くに座っている一人の女の子を眺めていた。

 少女の目は弱っていて、自分よりも少しだけ幼いであろう、その子の姿をはっきりと見ることはできなかった。

 少女の鈍った頭では、口を塞がれ、手足を縛られたその女の子が……あまりにも痛ましい生き物と化した自分を見て、恐怖していることがわからなかった。その子も少女と同じように、家族から引き離され、容姿の美しさのためだけに連れ去られて来た可哀想な誰かであることさえ、理解できなかった。自分がそういう境遇であったことも、忘れてしまっていたのだ。

 少女には、その子が泣いていることしか、わからなかった。

 それはとても可哀想だと思えたから、少女は笑ってあげようとした。

 ショックのあまりに気を失っている女の子に、痛くないよと、誰にも聞こえない嘘をつき続けていた。少女は自分の意思を、人に伝える手段を持っていなかった。

 やがてズルズルと、長い時間をかけて鉤縄が引き抜かれ、体から無機物が完全に取り除かれた少女の体は、近くで待機していた大きなゴーレムによって乱暴に高く持ち上げられた。

 ……かと思う間もないほどに呆気なく、少女はジョポンと大きな音を立てて、何かの内部へと逆さまに投げ捨てられた。

 全身が、ぬるい液体の中にひたされる。

 小さな泡が、ブクブクと閉じられない目を焼いた。

 だが少しだけ、少女は心地がよかった。

 元から呼吸をなくしてしまっていた少女にとっては、生ぬるく、柔らかな液体に包まれることは、苦痛ではなかったのだ。

 そして……少女は今、自分が何をされているのかを、理解した。

 少女は今、捨てられたのだ。

 もはや取り返しの付かないほどにいじくり回され、これ以上どうにもできなくなった少女はついに、いらなくなったのだ。


 あぁ、やっと終わるんだ……。


 これで、もう……寒くない……。


 そう感じた少女の心に、記憶の奥底からふんわりと、暖かなある日の風景が浮かび上がった。

 それは、キレイな花畑が広がる晴れ空の下、三人で過ごしたピクニックの思い出だった。そよぐ風は春の香りに満ちた暖かさで……楽しさを胸いっぱいに膨らませて、太陽の下を走り回っていたあの日の彼女は、温もりに満ちた誰かの声に呼び戻され、その手の中に帰っていった。

 持ってきた手編みのバスケットの中から、小さなパンを取り出した、その人の腕。

 そのパンは、少女が作ったパンだった。

 優しいあの手の持ち主が、彼女のつたなさをうまく残して、一緒に焼いてくれた初めてのパンだった。

 麦わら帽子の大きな人が、それを受け取って、笑っている……。

 風が吹く。

 頬張った口元に残っていた白い粉を、まだキレイだった頃の少女の指が、拭き取って……。

 そう……。

 それは、少女の指だった。

 昔の彼女には、指があったのだ。

 肌には傷がなくて、体もどこも、歪んではいなかった。

 丈夫な足は、いつも願った場所にまで、駆けて行けた。

 あの頃の少女は、幸せだった。

 久しく言葉を忘れていた少女の頭に、タッタ二つだけ、確かな言葉が思い出された。


 お母さん。


 お父さん。


 いつ以来かもわからない暖かな涙が、羊水のような水の中に溶けていく。

 その少女は、泣いていた。凍えていた心は、死を想うことで……やっと何かを取り戻せたのだった。

 それは、胸が張り裂けそうなほどの懐かしさ。

 確かに少女が、生きていた頃の記憶。

 普通ならば、「寂しい」と呼ばれるその感情で、少女の心は暖かく満たされた。

 その少女は、力を抜いた。鉤縄の抜かれた傷口は未だに杭に刺されているかのように痛烈で、体も冷たいままであったけれど、それでも少女は、おおよそ五年ぶりの安堵の渦に、身を任せた。

 そして……。

 少女の、未だ聴こえているのが奇跡のような耳の中に、かつて一度だけ、聞いたことがあるはずの音が届く。


 ウィー……ー……ンン……。


 カチッ。


 ヴヴ……ブーゥーンンン……。


 瞬間、すべてが凍りついた。

 その音を、少女は覚えていた。それは少女の心が壊れる前、最後に聞いた音であり、少女の心が壊れてから、最初に聞いた音でもあった。

 それは、少女の心の最も深くに刻まれた、悪夢の象徴……少女からタッタ一晩で、言葉も記憶も奪ってしまった悪魔の機械の駆動音であった。

 少女はそれを、思い出す。忘れたくて仕方がなかった痛みを、思い出す。

 鈍い刃が、全身に突き刺さり……それがゆっくりと、体をねじって、回り始める。

 肉が溶け、骨がどろどろになるまで、刃は回り続ける。

 全身が、ぐちゃぐちゃになる。

「あぁ……うああああぁ……あぁ……」

 頭に、何か鋭く、太いものが噛み付く。それは脳を固定し、ようにするための機械である。それだけにその歯は深く、脳を切り取ろうとするかのように、頭蓋ごと、膨らんだ少女の瞳を引き裂いた。

 痛みに全身が硬直し、怯えが震えとなって水を泡立てる。

 少女は、固定された。

 唸るモーター音はいよいよ大きくなり、不気味な熱さが、頭をじわじわと燃やし始める。

 ガチガチと、少女の歯が鳴り始めた。機能をなくした四つの腕が、何かをつかもうとグラグラ揺れた。

 少女は叫ぼうとした。

 身をよじろうとした。

 逃げようとした。暴れようとした。助けを呼ぼうとした。

 怪物の体に閉じ込められた少女の心は、恐怖のあまりに、必死の思いで藻掻もがいていた。

 全身に、刃が食い込む。

 ズブリと、痛みが襲った。

 ギチギチと嫌な音を立てて、それは肉を引き裂いて骨へと突き刺さり、ゆっくりゆっくりと、恐ろしい蛮力で少女の体をねじり始める。体の筋が、前後左右に、無理な力で引き伸ばされ、。鋭い刃が、体を内側から外へ外へと掻き回していく。

 すでにおぞましいほどに膨れ上がっていた痛みが、それを確実に上回るであろう未来への恐怖として、少女の心を支配した。

 その少女はミキサーにかけられていた。一度体を混ぜ壊し、保存されていた型にはめて練習台として復活させるために、少女はミキサーに入れられた。

 その少女は叫んでいた。声のない体で、出来る限りの方法で、力いっぱいに叫びたけった。

 その少女は泣いていた。血のない体には、もはや涙しか残っていなかった。


 お父さん……お母さん……。


 だれか、たすけて……。


 …………。


 バキ。


 ……ッーーーー!!!??


 ……………。


 パキッ……バリバリ……。


 ズブブブ……ブブブ……。


 ギギギ……ピキ……ニチリ……。


 …………………………………………………………………………。


 カチ。


 ブシャ。


 ブブー……ヴヴヴヴ……ヴィー……イィ……ンンンン……。

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