耽美編

天使展・花瓶

「なんて悪趣味な人形だ」

 そう私が吐き捨てた横で、この館の主であるデップはいかにも心外といった表情を鼻筋に浮かべながら、勿体つけた眼差しを私へと投げつけた。

「悪趣味とは失敬じゃないか。君にはこの天使の美しさがわからないのかね?」

「わからないね。見ているだけでもお腹が痛くてうんざりするよ」

「その痛々しさを表現する技術も、人形作りの醍醐味の一つではないか」

 また反論しようかとも思ったが、その理屈には多少納得させられるところもあったので、何となく舌打ちしてから、もう一度、枯れ木を模して作られた台座の上に座る生白い肌の少女の人形に目を向けた。

 そもそも私は、こんな場所に裸の少女の人形を置くこと自体、悪趣味な気がしてならないのだが……。

 我知らず、腹をさする。

 なるほど確かに、痛々しさを表現するのが目的であれば、この少女人形はよくできている。

 少女は自らの両手を、お腹の前に、水をすくうような形に寄り合わせている。それだけならば可愛らしい人形であるのだが、その腕がわざわざ背中から腹を突き破って出てきているのはいただけない。正面から見た感じでは、腹から腕が生えているように見えるだろう。お椀状に上を向いた手のひらの中には土が盛られ、そこに植えられた小さな赤い花が、甘臭い微かな芳香を立ち上らせている。つまりこれは花瓶なのだ。こんな気持ちの悪い場所に植えられては、花も咲き甲斐がないだろうに。

 とまあ、ポーズは悪趣味の極みであるこの人形だが、実際のところ、その表面的な出来栄え、すなわち完成度に関しては、彼の今まで見てきた人形の中でも確かに群を抜いていた。

 それがまたなんとも不気味なのである。

 この人形の気持ち悪さの正体は、ありあえない形でありながら、ありえないなりのリアリティが追求されているという、その一点に集約されるだろう。とりわけ、その骨格の表現の巧みなこと巧みなこと……。背中から腹にかけて腕を通すという無理な姿勢に応えて、肩の骨が、太ったデップのサスペンダーのように苦しく軋んでいるのがアリアリと伝わってくる。皮膚も、少し外力を加えれば裂けてしまいそうなくらいに薄く張り詰められていて、見ているだけでも嫌な想像に歯を食いしばりたくなるほどであった。その迫力は到底、軟体自慢の芸人の曲芸を見ていて想像してしまうようなやんわりとした体の張りとは比べられない……むしろ、引き絞ったゴムが破裂する瞬間の極度の緊張感と、ついに弾けとんでしまった断裂部の勢いの両方を、人の体の中に閉じ込めたかのような気迫がこもっているのである。

 ……などと、詩的な叙述に頼るよりも、実際に目の前で、人間がこのポーズで自らの腹を貫いているかのよう、と表現したほうが説明は早いだろうか。こんな気持ちの悪いものを作るために、これほどの技術や工夫を詰められるという歪んだ執念こそが、悪趣味な人形全般が持つ怪しい魅力の正体であることは間違いない。

「触っていいか?」私は確認を取る。

「もちろんだ」

 指先で、軽く肩のあたりの脆そうなところを触ってみたが、やはりそこは硬く、無機物特有の滑らかな冷気を染み出させている。見た目は本物の人肌のように柔らかいのに、本当に、よくできているものである。

 今度はやや角度を変えて、お腹のあたり、腕が貫通している部分を眺めてみる。するとまた、そこにいびつなこだわりを発見してしまい、思わず苦笑せずにはいられなかった。槍のように、背中から真っ直ぐに腕が突き抜けている裂け目のやや上、腕に沿うような形で、へし折れた肋骨の先が、親不知おやしらずのようにわずかに突き出ていたのだ。なるほど、人体のこの位置から腕を貫通させれば、ギリギリで肋骨にぶつかるのだろうが……わざわざそれを、外側にはみ出させるなんて形で表現するとは、恐れ入る。痛そうな見栄えにすることに対して、本当に余念がない。当然ながら骨格から人形を作った訳はないのだろうから、この骨は位置を計算して作ったに違いない。ご丁寧に、腕がお腹を貫いている分だけ、ちゃんと脇腹の肉が横にたわんでいるのも見事である。

 この人形の姿勢は、ありえない。だがしかし、ありえないこの姿勢を取れば、人体はこうなるであろう予測に、解剖学的にも申し分のない形におさまっている。下品な花瓶のアイデアはともかく、それを本気で表現したという部分は評価に値するだろう。

 昨今の人形界隈は、二十年ほど前に開発された、関節部分を完璧に隠せるラバーを使い、球体関節人形に薄く伸ばした皮膚を貼り付けるというのが主流になっている。もちろん、関節をあえて見せるという発想も未だに健在であり、わざわざ同一モデルを両ヴァージョンで制作する作家も一定数存在する。

 しかし、今私が紹介されているこの人形……デップ曰く、天使の製法は、それとは多少異なった独自のものであるとのことだった。最も、デップも細かいやり方は知らないらしいが。

「……たしかに、完成度で言えば、この天使とやらは私が見てきたあらゆる人形の中でも一級品だ」趣味はともかく、技術には等しく敬意を払うこととしてる私は、差し当たりは天使に賛辞の言葉を述べる。「この骨なんかは随分と生々しいじゃないか」

「あぁ、それか。うん、そうだろう、そうだろう」デップは満足そうに頷いてから、意地悪く口元を引きつらせた。「背中はもっとすごいのだよ。見給え」

 そう言って彼は、台座の裏へと私をいざなったのだが、そこに現れた異様な光景に、私は悔しいながらも感嘆してしまった。

「そうかそうか……これは翼なのか。だから天使というわけだ」

「まあ、それも間違いではないな」デップはいよいよ得意気に鼻をふくらませて、太鼓腹を震わせた。「どうだ、見事なものだろう」

 少女の背中に突き刺さる腕……そこには皮膚がなく骨が露出しており、更に骨と同じ素材によってできたいくつもの羽が、皮膚の代わりを務めるように多重に折り重なっていた。折れ曲がる肘の部分から細長く弓なりに突き出ていたり、背骨のような滑らかさで重なっていたり……明らかに硬い材質でできているにもかかわらず、それは本物の羽毛のごとく柔らかな質感をたたえた翼であった。

 天使は翼をたたんでいる、まさにその姿で台座に鎮座していたのだ。

「うん……この天使は、傑作なのは間違いないな」観念した私は、ふうっとため息をついて、そう呟いた。「こんなところに置かれているのでは勿体無いくらいだ」

「顔も素敵だったろう?」

「あぁ、うん。それは言おうと思っていた。この人形は、実にいい表情をしている」

「ははは、美しさが伝わったようで何よりだ」デップは大笑いしながら、私に下手くそなウィンクを投げつける。「なにせ、そう簡単に作れるものではないからなぁ。この翼の造形なんかは、それはそれは時間がかかったそうだよ」

「ふーん」

 なとと生返事しながら、私は改めて正面に回り、感情の読み取れない、見る人によって様々な情感を呼び起こす、完成度の高い人形に特有の表情をした人形の顔をしげしげと眺める。

 この天使の顔は、とても愛らしい。実を言うと、この顔だけでも、この人形は十分評価されるべきものだと思えたのだが……腕の造形に気を取られ、まだ顔の見分は済ませていなかった。

 少女は薄っすらと目を開いて、自らの抱える花を見下ろしている。人ではありあえないような白さの中に、わずかばかりの温もりを感じさせる桃色が、頬をむき身の桃のように染め上げているその滑らかなつや……。細く品の良い金髪は、自然なウェーブを首筋で描いて、僅かな膨らみを見せる胸へと落とされている。

 まさに申し分ない儚げな天使のおもむきだ。

 ただ、私からすれば、天使というには多少、この少女の顔は野暮ったい感じがする。だが、それがむしろ、「生きた少女がここにいる」という幻想を生み出す一つの狙いである気もするので、なんとも言えない。

 物憂げな唇に浮かぶ、鮮明な赤。

 どことなく、自らの痛みを嘆いているようにも見える、うつむいた視線。

 痛々しく、悪趣味な姿に釣り合わない清らかな少女の肌は、思わず手を差し伸べて、頬をすりあわせてみたくなるほどに蠱惑こわく的である。いやむしろ、この天使が、私の温もりを求めているかのように錯覚させられるほどに……。

 段々と、心がかき乱されてくる。

 それはゆっくりでありながら、確かな速度で私を蝕み始める、渇望という名の熱意であった。「腹を貫く腕」という目立った表現に隠されていた天使の肉体の美しさに、私は徐々に徐々に、深刻かつ悪魔的な魅力を感じ始めていたのだった。その深度は、花瓶というアイデアから受けた衝撃よりも、今や支配的である。

 上等な人形は、命というものへの幻想を生み出す。頭と比べて不自然に細い体や芸術的すぎる造形は、人形の中に命がないことを如実に証明しているのではあるが、完成された顔……それに手の形というのは、無機物の中にありえない命の存在を香らせる。

 命の存在を感じるからこそ、痛ましい姿が、アートとして何よりも映えるのだ。

 実際には生きていないはずの少女が、確かにその姿で存在しているという幻。それを不気味としか感じない人間は人形を気味悪がり、愛おしさを感じる人間は、のめりこむ。

 私は、当然後者だった。

 あぁ、まずい。

 これ以上見ていると、欲しくなってしまいそうだ。

 名残惜しく、うつむく天使の表情から目をそらして、私はデップに向き直った。

「全体的に見て、私から見ればこの人形は装飾が過ぎているよ。ここまでゴテゴテと飾る必要はなかったんじゃないかな?」

「そうかそうか、まあ、君はそう思っても仕方がないな」デップは興味なさげに肩をすくませた。「だがしかし、私はこの天使に関しては過剰な表現こそが正しいものだと思うのだよ。つまりは、これだけの装飾を施したことが、この天使の表情に影響しているように感じられてならないのだ。しかもそれは、作者の美術的執念とは別の理由において、そうなのだよ」

「それは、なんだい?」

「……素材の問題さ」デップはそう言って、また笑った。「ところで、どうだい?友人の家の庭に、股から口にかけて巨大な杭に貫かれた天使の人形があるのだが……しかもその天使が、両腕を羽のように広げることによって、十字架を表現しているという背徳芸術だ。このあと、時間はあるかね?」

「おいおい、勘弁してくれ……」

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