天使展・兵器

 身をかがめ、染料工場の排水パイプのうちの一つに偽装されていた通路を彼はポイントマンとして進んでいく。後ろからは機動部隊の先遣隊五人が適切な間合いを保ちながら、セーフティの外された暴徒鎮圧用ライトニング・ロッドを抜き身で構え、前後を警戒しつつ油断なく追従してきている。目的は、この先に隠されているという、レジスタンスを名乗る反教会組織のアジト。といっても、こちらの突入の情報は漏れてしまったらしく、このアジトはすでに放棄されている可能性が高いとのことであった。だが、彼らが慌てて逃げ出したのであれば、その身元や目的が知れる証拠が残されている可能性も排除できない。テロ集団のメンバーが確実に逃げ去ったとも限らないため、まずは捜査員ではなく実戦部隊の我々が突入し、安全を確保する運びとなっている……と。

 そういう説明をされたのが、つい二時間ほど前のこと。

 ……なんとも気色の悪い話である。

 というのも、今回の任務は、彼らの所属する第六騎士団よりも遥か上位に位置する第二騎士団からの用命なのだ。これは異例のことである。なるほど奴らは大規模な反教会組織への対策が主な任務ではあるが、ならばなぜ第二騎士団から機動部隊を派遣せず、わざわざ間に第六騎士団を挟んで我々をここへ向かわせたのか。重要性が低いと考えたのか、身内にはさせたくない任務だったのか……。

 いずれにせよ、それらの判断をするのは我々ではない。我ら第六騎士団の機動部隊、通称、突入組はあくまでも現場の対小・中規模魔術部隊。任務は迅速かつ確実に、そして丁寧に果たすだけである。

 排水パイプの出口が見える。ポイントマンである彼は既に、空間認識魔法によってそちらに人間がいないことを確認していたが、この魔法をくぐり抜けられる手段がないわけでもないことを知っていたので、あくまで油断なく、ロッドを構えて、身を低くしたままパイプの先へと体を滑り込ませた。

 水が、足元でピシャリと跳ねる。

 水?

 反射的に、ロッドへの魔力供給をオフに。

 一瞬の逡巡。

 予想していなかった景色が、そこに現れたから。

 ……なんだここは?

 我々が突入した場所は、臭い下水が膝下まで溜まった、天井の高い崩れかけた空間だった。恐らくは、下水道工事の際に偶然発掘された前文明の遺跡がそのまま下水道の一部として組み込まれ、さらにそれが用無しとなり放棄された、あらゆる文化の残骸とも言うべき空間なのだろう。それ自体はこの街では珍しいことでもなんでもない。

 おかしいのは、錆びた残骸が浮かぶだけの濁った水と、だだっ広いこの敷地。

 こんなところをアジトにする馬鹿がどこにいる?

「なんの冗談だ、こりゃあ……」背後で、新入りの無駄口が聞こえるが、同じようなことを考えていた彼は咎めるような気にもなれず。

 ……ここがまだ目的地であるという確証はない。どこかに更に奥へと続く抜け道がないかを確認するために、突入組リーダー・パイロが散開の指示を出そうと片手を振り上げたときに、ふいに、水面が激しく波立った。

 全員の視線が、一点に。

 それまで残骸の一つだと思っていた、四角いタンスのようなものが、水の中から波を立てて垂直に持ち上がった。

 したたる水。

 軋んだ音。

 警戒の号令と共に、全員が中央へとロッドを構えた。

 ドクリドクリと、血流が指先にまで鼓動する。

 水の中から起き上がったそれは、我々が突入前に接触を予想していたいかなるものとも似ていなかった。

 それは少女だった。

 人形だった。

 クセのある赤毛が短く切りそろえられた、思春期の少女の生々しい模型であった。

 ゾクリと背筋が震える。

 人形は、巨大な蓋のような四角い立体の内側に、おびただしい量の糸で標本のようにくくりつけられていた。まるで不気味な絵画か何かのように見える。

 つまりは、明らかに、呪われた品。

 緊急事態。

 我々は皆、そう判断した。

「動くなっ!!」と、誰かが叫んだ。誰に叫んだのかはわからない。

 少なくとも、少女人形は動いていた。

 汚れた水を短い髪に滴らせて、首を持ち上げ、黒い瞳を、我々に向かってまっすぐに突き刺した。

 原始的な恐怖が、脳を震わせる。

 動く人形……当然、魔法の類。

 言葉が通じるとは思えない。

 攻撃すべきか、否か。リーダーの一声次第。

 が。

 わずかに、だが確実に、視界に妙な違和感が走り、目眩めまいを覚える。

 青い稲妻にも似た波紋が、ゆっくりと波打つさまが網膜の上に映り、景色そのものが歪んだような心地がした。

 人形の膝から下が、ゆっくりと、ねじれる。

 糸に引き吊られ、かかとが前を向き、更に、すねが竹の棒のように節くれ立って、へし折れた。

 しかし音はしない。

 積み木をズラしたかのような、不自然に滑らかな動きだった。

 突然、足に鋭く、そして常軌を逸した痛みが走り、彼はバランスを崩して転倒しかける。

 バチャバチャと、仲間たちもまた水の上に倒れ伏す音。

 左手で、かろうじて体重を支える。ライトニング・ロッドを落としてしまったが、魔力をオフにしていて助かった。

 が、そんなこと、ほとんど思慮のうちにも入らない。

 足が掘削機に巻き込まれたかのような狂気の痛みが脳を震わせ、呼吸を止める。

 何事か判断つかないまま、人形へと目を向けた。

 青い歪みが、もう一度。

 今度は人形の右腕が、音もなく中指と薬指の間から裂け広がり、片側が完全に切り離され、糸に吊られるままに宙をぶらりと漂った。

 恐ろしく嫌な汗が、理解より先に額を流れる。

 それでも、冷静な現状把握のために必死で息を吸い、咄嗟とっさに自分の腕を見つめた彼の視線の先で、想像していた通りのことが起きていた。

 まずは、かつて経験したことのないほどの、痛み。

 肉と骨を、力ずくで引き裂かれるような、無情さ。

 腕が、裂けた。

 あの人形と同じ有様で、千切れた先が、宙に浮いた。

 激痛。

 恐怖。

 悲鳴。

「落ち着けッ……!!!」リーダーの怒声が、耳の奥で反響する。「惑わされるな、出血はない!!」

 それは気がついていた。そんなことはわかっていた。

 だからこそ、恐ろしかった。

 傷口……そう言っていいかもわからない断面には、何も見えない。

 吐きそうな青い揺れが、見えるだけ。

 そこから、明らかに人形とリンクした痛みが、霜の張るような冷たさと共に、伝わるばかり。

 これは、なんだ? 我々は何をされている。

「やめろーーーッッ!!!!!」

 新入りが、咆哮とともにロッドから火球を生成する。規則違反にあたる改造だが、今はそれを咎めるタイミングではない。

「バカ、そんなことをしたら……っ!」

 制止は、間に合わず。

 火の粉が舞い。

 火球が、人形の肩で弾けて。

 視界が青くひずんで。

 人形の肉片が、細切れになって、ほどけ落ちる。

 ……あぁ、くそ。

 肩が、崩れる。

 欠片が、ふわふわと浮かび上がった。

 皆の絶叫が、重なった。

 肩の骨が、斧でメッタ斬りにあっている……そんな幻が脳裏をよぎり、意識が途切れかけ、胃の内容物が逆流する。

 目が霞んで、耳の奥からおかしな音が響き始める。

 ……寒い。

 とても、冷たい。

「やめろっ! 動くな、全員待機ッッ!!」苦痛に喘ぎながらも指示を飛ばすリーダーの声で、なんとか意識を繋ぎ止めながら、必死に前を向く。

 リーダーは、叫び続ける。「我々に今できることはないっ! 応援が来るまで、余計な体力を……」

 その時、ひときわ大きな歪みが、青い波が、視界を埋め尽くさんばかりにじわりと揺らめいた。

 おぞましいほどの恐怖が、凍えのように伝播して。

 人形の胸が、腹が、顔が開き、内側の内臓が、サナギから蝶が羽化するかのように、ゆっくりと裏返り、露出した。

 おぉ……神よ……。




 突入した機動部隊の視界の遥か上部、幻術で壁に偽装したマジックミラー越しに、花びらのように内側を露出させた彼らを、二人の男が見下ろしていた。

「気色悪いな……一体どういう原理なんだ?」

「次元魔法です」マスクとフードで顔を覆った小さな男が、か細い声でそう呟く。「天使の視界に入った人間たちの肉体を、天使たちと同じ姿になるように、空間ごと歪めているのです」

 次元魔法……それは原理こそわかってはいるが、未だにいかなる実用化の目処めども立っていないはずの未到達魔法だ。つい最近、どこかの研究組織が、球体をその性質を保ったまま四角く変えることに成功したと喜んでいたと記憶している。

「なるほど……そんなことまでできるのか。相変わらず天使の呪術的素養は途轍も無いな。呪術で対象の肉体と同期しているわけではないんだな?」

「はい。あくまでも、曲げているのは空間です」

「それなのに、痛いわけだ?」

「ねじれに巻き込まれたものは、物理的にも激しく損傷します。体から離れた先とも、感覚は繋がったままですから、実際に切り刻まれるよりも、苦痛はむしろ上でしょう」

 ふむ……確か、球体の形状変化実験でも、似たような話を聞いた。次元魔法に暴露されたものは、変化に応じた劣化を見せるものらしい。それが例え木のボールであれ、ヒヒイロカネの塊であれ、等しく傷つくのだと……。

「拷問にも使えるわけだ。バベルんとこのフィッシュのジジイに渡したら喜びそうだ。これはどうやって作った?」

「まず、天使の肉体を細切れに、丁寧に解剖します」黒魔術師は、説明する。「骨や関節、臓器、皮膚に至るまで、パーツごとに腑分けした上で、出来る限り細かく切り取っていくのです」

「ふむ」

「ただそのままでは、バラバラになった欠片は再生魔法でもとに戻ろうとしてしまいますから……肉片の一つ一つに再生魔法を阻害する働きのある薬液を塗り込んだ上で、神経を改造して作った細糸を肉の内側で結び合わせていきます。そうすることで神経糸だけが再生魔法で癒着し、自由自在に形を変えられる天使が作れるのです」

「なるほど。つまり彼女はサイコロステーキを繋ぎ合わせたみたいな体なのか。不安定だな」

 彼の言葉を受けてか、眼下の機動部隊の体が、一瞬にして細切れになり、衣服を全て滑り落としてから、バラバラになって宙に浮いた。それなのに叫び声が聞こえるということは、実際はパーツは繋がったままなのだろう。なるほど、次元魔法か。

 砕けた体が宙に拡がったのちに寄り集まって、不揃いな球体になる様を、じっと見つめる。よく見れば、目と脳の位置だけは変わっていないようだ。天使の視界が効果範囲であるが故の制約か。

 天使の物理的状態に合わせて、近くにいる人間を空間ごと捻じ曲げる兵器。

 これは強力だ。

「空間を曲げているということは、防ぐ手段が一切存在しないわけだ。なるほど素晴らしい」彼は頷いて、小柄な黒魔術師の肩を軽く叩く。「もう十分だ、やってくれ」

 彼の合図で、内臓だるまたちにかけられていた魔法が解かれ、同時に鮮血が、肉と内臓と骨のごちゃ混ぜシチューとともに下水の中に激しく撒き散らかされた。空間を歪めたまま魔法を解けば、元に戻るのではなく、刻まれたそのままの形が保存されてしまうようだ。

 ガラリと、壁の一部が崩れる音。空間が曲がる以上、巻き込まれる部分も存在するらしい。

「それでは本題だ」彼は黒魔術師に向き直る。「この天使はどうやって扱えばいい?」

「霊術で、神経の糸を操るのです」

「それはつまり、人の肉体をってことだろ? できるのか?」

 人体には、他者からの操作を拒絶する力が備わっている。人工の糸を通したとしても、そこに魔力を浸透させなければいけない以上、生きた人間の操り人形は作れないはずなのだ。

「血縁者なら、可能です」

 彼は唸る。「愛人に子を産ませてる奴らを使えってことか。その手の奴らは概ね保身屋だ。前線には引っ張り出せないぞ……」

 そこまで言ってから、ふと、気がつく。

(……血縁だと?)

「待てお前……じゃああれは……お前の娘なのか?」

 フフッと、黒魔術師は幽かに笑ってから、首を振った。

「じゃあ……」

 彼が次の質問を吐くより先に、そいつは仮面を脱ぎ、黒いフードを頭から取り去った。

 ……赤毛の美少年が、そこにいた。

「兄妹か……?」心臓に嫌な汗を自覚しながら、彼は聞いた。

「いいえ」

 穏やかな微笑みが、少年の顔を、柔らかく彩る。

 その先の答えを聞くよりも前に、彼は、こいつがなんなのかを理解していた。

 ……あぁ、なんてこった。

「あれは僕の、お母さんです」

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