クリスタル

 管理番号No329、330、331……332。

「惜しいよな」白い息を吐きながら、フィロがそう呟いた。

「何が?」

「何がって、あと一つで3のトリプルじゃないか」

「……あぁ、ホントだ。よく気がつくね」

「お前が鈍すぎるんだよ、イアン」

 そんなこととっくにわかりきっていた僕は特に感慨もなく肩をすくめ、そのまま二人がかりで、金属のプラカードに332と刻まれた保管用の棺桶を一気に引っ張り出した。

 パリパリと霜の割れる音。

 管理番号332番の体には、わずかにルビーのような輝きを見せる果物大の腫瘍が、表面だけでも都合7つほど膨らんでいた。

「ああ、くそ……」フィロは実にわかりやすく顔をしかめた。「誰だよ、ミキサー担当。血抜きが足りてないじゃないか」

「しょうがないよ……一滴でも残ってたらこうなるんだから」

 この保管庫は、天使としての出荷先がないままに16歳、あるいは身の丈が140センチを超えてしまった孤児院の少女たちを「予備」として保存しておく場所だ。予備の少女たちの加工は皆一様で、金具を仕込んで開閉式にしただけのお腹に、ただ腕と足を丸め込んだだけである。内臓は心肺以外ほとんど除去済みだ。つまりは当然、彼女たちも天使化の下準備である不死魔法とミキサー処理は済んでいるのだが、時折こんなふうに、残留した血液が肉体内部で停滞し腫瘍化してしまうことがある。基準には満たずとも聖母としての素質がある少女の、しかも月経が重なる時期にミキサー処理を行うと起きやすい症状らしい。普通の天使加工の最中であるならば小さな腫瘍ができた時点で血抜きすれば十分だし、そもそも人形として固体化コーティングしてしまえば関係のない話であるのだが……。

「これは一仕事だね」僕はそう呟いて、台車で彼女をアトリエへと運んでいった。



 冷たいアトリエに、叫び声が響く。

「言わんこっちゃない……」悶絶するように叫びまわるフィロを見ながら、今度は僕が顔をしかめた。「ちゃんと厚手の手袋つけないから」

 だがフィロには僕の言葉すら聞く余裕が無いらしく、あらかじめ桶に張っておいた治療エーテルに指を浸したっきりピクリとも動かなくなった。

「痛かったら、叫んでいいよ」

「…………」

「……OK。僕は続きをやってるね」

 喋りながら、溶かしたクリスタルを専用のさじで慎重に釜からすくい上げて、腫瘍を取り除いてできた肩の傷口を覆うようにそれを垂らす。ジェル状の液体が染み込み、油のように天使の柔肌に馴染んでいく。色艶いろつやから十分に染み込んだのを確認してから、突端が灼け付くように青白く光る金属のロッドの柄を握り、溶解クリスタルの上に丸い先端をゆっくりと押し付けた。

 ジュワッと煙が上がり、今度は清涼な少女の歌声がアトリエ内に響き渡る。

 あぁ……ほんと、なんて品のある叫びだろうか。僕ら少年たちとは透明度が違う。集中して声に浸れないのが残念でならない。

 天使の腫瘍というのは、再生魔法の副作用として生まれる。つまり、その傷口は再生魔法では治せない。治すためにはこうやって<始原の地>から取れたクリスタルを肌の上で再結晶化させるしかないのだ。

 喪失ロストした天使の肉体を復元できる唯一の素材、クリスタル。肌の上で結晶化させたクリスタルは周辺の神経を取り込んで一体化し、やがて肉や皮膚そのものとして再生する。

 言うまでもなく、死ぬほど痛い。

 結晶化の反応熱として(実際は外部の熱を奪って)噴き上がるこの煙には、溶けたクリスタルの成分が僅かだが含まれている。これが指先を少し掠めただけで、フィロは今あのザマなのだ。焼灼止血法のように傷口を殺して固めるのと違い、人体を密に這い回る神経そのものをそのまま直にきつけて固めるのが結晶化である。昔不注意で反応中のクリスタルにもろに触れちゃった兄弟がいたけど、結局彼は痛みに耐えかね自ら片腕を切り落とした。

 危なくないようゆっくりとゆっくりとロッドを傷口に這わせながら、よだれを垂らしてガタガタ震える天使の顔を眺める。

 僕と同じ白い髪の、きれいなお姉さんだ。目の上にあるひときわ大きな腫瘍に皮膚が引っ張られて片目が閉じなくなってしまっているけど、それを差し引いてすら吸い付きたくなるほどに愛らしい。

「ぁ……やあ……い……っ」

 いつも思うけど、天使がうまくしゃべれないのは悲しいな。

「い……い……やぇ……やっ……」

 こうして声を聞いていても、鈍い僕には、何を言いたいのかわからない。

「……あ……いぁ……おぇ……ぐっ、あ、あああ……あっ、あっ、ああああああああっ!!!!」

 喜んでいるってことだけはなんとなくわかるから、まあいいけど。

 肩の傷口がふさがり、結晶が皮膚の上でガラスのように美しく透き通った輝きを見せているのを念入り確認して、僕はようやくロッドの魔力供給を切った。これであとは目の上の一つだけ。

「それ、全部お前にやるよ、イアン」

「え?」

 思わず、僕らしくない速さで振り返ってしまった

「俺はもう灼きつけはやりたくない」フィロは口元を歪めて笑いながら、中指の先にフーフーと息をかけた。「くっそ……まだ全然沁みるなあ」

「だから、手袋をはめればいいって」

「んなもんつけながら加工できるほど俺は器用じゃないんだよ」

 フィロはそう言って近くの椅子に座り込むと、頬杖をつき、あごで僕に先を促した。

 また少女を振り返り、目の上に膨らんだ最後の腫瘍に手を伸ばす。ブニブニと柔らかい中に凝り固まった膿と血液の塊がレーズンのように固まっている。引き伸ばされた皮膚はワインのような赤と薄い黄色、それにかすかな緑にくすんでいて、まるで昆虫か爬虫類の目玉のように不自然でグロテスクだ。あるいは混血ゴブリンの睾丸か。

 マスクを外す。

 銀髪の少女の口元がピクリと震え、濡れた唇の間でカチカチと歯が鳴った。

 僕も歯を、カチカチ。

「や……め……」

 膨らんだ天使の腫瘍に、かぶりつく。

 口の中で弾けるレーズン。

 粘つく泥。

 予備の少女がまた、とびっきりにきれいな歌を響かせた。

 弾力のある皮が裂け、閉じ込めていた汁気が泡となって喉に押し寄せてくる。歯の間に挟まった繊維ごとグチュグチュと腫瘍を噛み締め、味わい、飲み込んでいく。

 頭と下半身に、ブルブルと痺れが走った。

 天使の腫瘍は、不思議な味がする。頭がとろけ、心臓に雷が走るような複雑な味。フィロはこれが苦手だというが、僕は大好きだ。ただ切り取るだけなんてもったいない。

 哺乳瓶に吸い付く赤ん坊のように、夢中でしゃぶりつく。

 ジュルジュル……ジュルル……。

 声にならない歓喜の叫びが、音階を上げて部屋を満たす。ホント、天使の素体の少女たちって、どこからこんなキレイな声を出しているのか。

 噛み千切られた腫瘍から血と体液が吹き出し、鼻の中に入った飛沫にむせてつい咳き込む。赤く澱んだ水色の液体が爬虫類の皮膚のような腫れものの上を伝って、閉じなくなっている天使の目の中へヌルヌルと落ちていく。僕は、そのまぶたを更に右手でこじ開けて、瞳の上に舌を這わせた。

 ヌルヌルと。

 冷たくて。

 とろけそう。

 歌声を耳元で聞いてるうちにクラクラしていた僕は、気がついたらその瞳をまぶたごと歯でぐちゃぐちゃにしてしまっていた。構うものか、どうせ再生魔法で治るんだ。

「いぁ…………イア……」

 ズルリと、前歯に挟まった腸管のようにも見える腫瘍のレーズンを引っ張り出し、鼻水のようなワインを飲みこぼし、食べ尽くし、ついでに口に溜まった液体を天使に口移しでおすそ分けしていく。もちろん体内に残したらまた腫瘍になりかねないけど、このあとの加工を考えたらどうせもう関係ないのだ。存分に味わってもらおう。

 口移しながら、冷たい舌と舌、鼻と鼻をこすり合わせ、その瞳を眺める。天使は片方の目に涙をいっぱいに浮かべ、ねだるように僕をまっすぐ見つめていた。

 体がすごく震えている。きっと、彼女もこの味が好きなのだ。



「すげえよな、天使って。まだ喋れるんだから」

「……え?」腹に埋まった天使の腕を引っ張るのに夢中だった僕は、フィロの言葉をつい聞き漏らす。「今、なんか言った?」

「お前は本当に鈍いやつだよ、イアン」フィロはやれやれと首を振った。「何回も名前呼ばれてたろ」

 何を言われてるかよくわからず、天使の顔を見下ろす。ビクンビクンと喉を震わせながら、何も言わずに風邪を引いたみたいにゼエゼエと息をしてる。

「いいよもう、忘れてくれ」フィロはハーッとため息を付いて、天使の手足の癒着した皮膚をカッターでブチブチと切り裂く作業に戻った。折りたたんでしまわれていたんだから、皮膚が張り付いていしまうのは仕方がない。

「おい、そっち側からも頼む」

「了解」肩の関節をハンマーで砕くのを切り上げて、僕もタンスのように開いたお腹の中、肋骨の下に根を張ってしまった二の腕にハサミを這わせる。スベスベで頬ずりしたくなる柔い白い肌だが、実際に切ってみると革素材のように固く粘ついてるから不思議だ。途中でハサミがガリッと鳴り、むき出しの筋肉がぎゅるりと引き締まった。骨かと思ったが、実際は埋め込まれた金属の蝶番だった。金属の棒を骨盤と肋骨の間に二つ通し、蝶番で両開きにするのが予備の少女への加工らしい唯一の加工である。

「よし、こんなもんだろ」とフィロが言ったので、僕は前に回り天使の手首をしっかりと掴む。姿勢としては少女の頭にまたがってるみたいな感じで、股がなんだかくすぐったい。フィロは後ろで足首を脇に挟んでいる。

「せーのっ」

 力いっぱい引っ張ったら、ビリっと筋繊維が裂ける音。

 もう一回。

「ふんっ!」

 新芽が花を開くような激しさで、少女の両腕両足がお腹からヌチャリと開放された。同時に、お尻の下で鈍い音。勢いで首を折っちゃったようだ。

「うわっ、きたねっ」フィロが唸る。足首についていた血糊のような液体を見て、嫌そうに顔をしかめていた。「なんだこれ? って、お前がさっき飲ませてた腫瘍ジュースか」

「胃とかないから筒抜けだもんね」

「これ、拭かなくていいのか?」

「関係ないよ、もう」

「……あぁ、確かにな」

 二人がかりで予備の天使を持ち上げ、床の真っ白な処理台に下ろしてから、5段階くらいにひしゃげた手足を小槌でコツコツ伸ばし、関節を元の形へと戻していく。どぽっどぽっと変に湿気った音。先に打ったところから順々に青あざが生まれていく。一つ打つたび、カバンのように開いたお腹の中で腹直筋がぐるりと動くのが見ていて楽しい。

 試しにお腹に手を伸ばして、薄桃色の腹筋をキュッキュと掴んでみた。「っあ……アッ、アッ……ひ……」と声が漏れた。やっぱりくすぐったいのかな。

 見てくれだけでも真っ直ぐになった左腕をメリっと伸ばし、手のひらにクリスタル製の釘を思い切り打ち込んで固定する。大の字に体を固定し終えた僕らは、お腹の蓋を閉め、予備の少女を見下ろした。

 天使解剖の指南図そのままに、手足を広げて横たわる彼女……腫瘍があった傷跡はすっかり結晶化して、内側の骨が透けて見えている。僕が噛み潰した瞳も、とっくに再生して虚ろな輝きを取り戻していた。

「……きれいだね」

「ああ、キレイだ」

 仕事の成果を確認し合いながら、僕らは錬金釜に詰まった溶解クリスタルを、ホースと浸透圧を使って如雨露じょうろの中に移していく。

 いよいよ最終工程。

 フィロは爪先から、僕は指先から、全身にムラが出ないようゆっくりとクリスタルの液体をかけていく。

 チョロチョロと、肌が銀色に埋まっていく。

 眠たげにも見えた少女の瞳が、カッと見開いた。

「あ……うあ……」と、涙をこぼして首を振る。

 その顔も、口の中まで銀の輝きで埋めていく。

 やがて全身余すところなく、水銀の光沢になった。

「OKだ。離れて」フィロの合図で僕は身を引く。流石の彼も今はちゃんと手袋をはめていた。この作業に巻き込まれたら、痛い程度じゃ済まされない。

 フィロの手が、慎重に処理台の“蓋”部分である白い鉄板の脇についたレバーをひねる。灼け付く青白い光がジューッと音を鳴らし、パチパチと火花が跳ねた。

「あっ……ああっ……や……イ、イ、イ、イア……っ!?」

 歯車が悪魔の牙のようにギリリと軋み、倒れるように予備の少女へと蓋が迫る。

 天使の体が、青白く神秘的に照らされて……。

 瞬間、声が枯れていたはずの少女の口から、今までで一番の叫びが轟いた。

 まるで聖夜の鐘のように、崇高な響き。

 天使のハミング。

 イ・ア・ン。

 本当だ。

 僕の名前を、呼んでいる。

 ガチャンと、勢いよく蓋が閉まった。

 予備の少女の体が全身、結晶機クリスタルベッドの中にサンドされ、沸騰した油の中に猫を突っ込んだような音がアトリエの中を満たす。

 これで、今日はおしまい。

 あの子、どうして僕の名前を知ってるんだろう。

 名前なんていうのかな。

「面倒な作業だよな」ボソリと、フィロが呟く。「どーせ最後はこうするのに、いちいち傷口塞がなきゃならないって」

 フィロが言うことは、わからないでもない。実際二度塗りの効果なんてちょっとしたものなのだ。全身プレスでの結晶化は「現在の体の形」そのままでしか固められないため、再生魔法で治せない腫瘍除去後の傷跡を放置すると出来上がりにちょっとした歪みや凹みができてしまう。

 本当に、ちょっとだ。

 そういうちょっとに手を抜かないのが、天使の加工だ。

 手袋を脱いでエプロンを外し、作業着を雑然と腰に巻いた僕らはそのままアトリエをあとにした。このあと彼女は半年をかけて全身結晶機クリスタルベッドによる全身プレスを裏表それぞれに10回ずつ、計20回繰り返す。結晶の上に肉体が再生されるよりも先に次々とクリスタルを継ぎ足すことで、最終的に彼女は全身髪の毛までくまなく透き通った玻璃ガラスの天使となる。その状態でポーズを固定しコーティングしてしまえば、再生魔法の効果が止まり、晴れて天使結晶のできあがりというわけだ。なんでも最近その注文が20体ほどドカッと来たらしく、こうして保管庫の中から予備の少女を引っ張ってくることになったんだとか。

「くっそ……まだ沁みるな」フィロはまたフーフーと指に息を吹きかけている。「結晶化ってホントにやばいんだな」

「次からは手袋はめなよ」

「だな」珍しく、素直にフィロは肩をすくめた。「でもこんな機会でもないと、自分が何をしてるのかわかんなくなるだろ?」

 僕は、フィロの顔をまっすぐに見つめる。

「天使は、痛みを感じないよ」

 ハハッと、彼は口元を歪ませて、意地悪く微笑んだ

「……ホント、お前は鈍いやつだよ、イアン」

 フィロはそれだけ言って、休憩室に引っ込んでしまった。

 鈍い、か。

 そんなことくらい、わかってる。

 5歳のとき、姉さんに初めてそう言われた頃から、ずっと知っているつもりだ。

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