デイドリームⅡ

「南美さん……?」

両手を口にあて、エリがしきりにその名を発していた。

流し目をまん丸に開けて驚きの表情を隠していない。

普通に賑わっていた街中の雰囲気が、まるで無差別テロによって混沌とした様相を呈している。

(なんだ? ……なにが起こったんだ?)

大パノラマを見渡すかのように、ナオキの視界は360度回転した。

目が止まる。ギャングスタのような出で立ちをした男が地面に打っ伏して動かないでいる。 男の背中には赤い斑点が大きく浮き出ていた。

その傍らでは、忘れもしない、菅田。

彼を抱えた若い男が喚いている。

サイレンの音がだんだんと近づいてくる。

ナオキは南美に顔を向けた。

美佐子が、彼に向って叫んでいたからだ。

「ミア!」

そう口にしながら、美佐子は南美のほうに駆け出した。

「な……!?」絶句した。

美佐子の視線の先にはマイがいたからだ。

「マイ、どうして?」

元妻であるマイの存在が、テレビドラマでしか見たことのない出来事に驚愕していたナオキをさらに驚かせた。

背中に向けて声がした。

「どうして南美さんがここにいるの?」

「南美を知ってるの?」ナオキはエリに聞いた。

彼女は軽く両腕を組んで目を細めている。

「うん、彼は菅田の顧問弁護士だったの、でも企業買収に失敗したとかで解雇されたはず」

「菅田って、エリの……」

ナオキの問いに元恋人は頷いた。

「ん? ……主人だけど」

そう言うと、エリは彼の肩越しに目をやった。

「どういうことなの? ナオくん、なにか知ってるの?」

振り向くと、美佐子がマイの両肩に手をかけているのが分かった。

「アンタなにしてるの!?」

美佐子はそう叫んでいた。

マイは母親にカラダを揺すられたまま立ち尽くしている。

南美はとうに立ち去っていた。

数分後。

菅田は救急隊に運ばれた。

菅田の運転手とマイ、そしてナオキと美佐子は警察署に連れて行かれた。

エリは、菅田の妻としての役目を果たすかのように救急車に乗り込んだ。

ナオキが知ったのは、マイと思われた女性は別人だったということだ。

その数時間後。

美佐子から聞いて知ったのが、その女性がマイの双子の姉であるということだった。

笹原ミア、それが彼女の名前。


***


3日後。


最低限の荷物を抱え、俺は改札口に向かって歩いている。

実家のある地方都市に帰るところだ。

新幹線を降りた。新快速で乗り換えの予定だった。

駅構内の混雑にはうんざりする。

いつまでたっても都会慣れしない自分がいた。

ため息をついて切符をつまむ。

マイには双子の姉妹がいた。

彼女は、妹の栄光を妬む笹原ミアだった。

マイとミアの母親、美佐子は、気のふれたかのようなミアに付き添ったまま俺の前から姿を消した。

どうなってんだ……。

エリの夫である菅田は、ミアの彼氏に殺され、南美がその男を拳銃で撃った。

南美は以前、菅田に雇われていたという。


もう一度、ため息をついた。


なんだか分からない疲労感が、俺を東京から追い出した。


疲れた。


もう一度、静かな場所からやり直そう。


そう思った。


***


ホームで次の電車を待っている。

俺はどうしようもなくて途方に暮れていた。

事件の翌日、南美は警察に自首したのだった。

動機は、元雇い主の菅田を守るためではなく、笹原ミアの彼氏への嫉妬心からだということだった。

拳銃はどうやら菅田の下で働いていた時に手に入れたものらしい。

エリはそこまで説明すると、『ごめんね』と一言残して電話を切ったのだった。

その後、何度かエリの携帯に連絡を取ろうとしたが繋がることはなかった。

手に持った缶コーヒーに口をつける。


ゴクリ。


喉を鳴らした音が、鋭気構内の喧噪とは対照的に生々しかった。


エリ、ミア、美佐子。


俺になんらかの形で関わり、そして一瞬で消えていった。



「あはは! もうやだ、タックンたらぁ~」



俺に関わったもう一人の人物が、突如視界に入ってきた。

小柄の女と、見覚えのある若い男が、数メートル離れた斜め後ろに立っている。

丸出しの背中に刻まれた紫色の蝶が踊っていた。


マイ……


どちらかというと人はまばらなのに全く気づかなかった。

マイは背中を向けたまま、甘えるかのように男の腕にしがみついている。

その若い男は俺の視線に気づいたのか、眉をぴくりと動かした。

眉間に自然としわが寄る。

やがて男は口端を吊り上げ、真っ白な歯をみせた。

そしてその目が大きく開き、その頬がゆっくりと上がり、男はなにかを口にした。

『気づかなかったアンタが悪いんだよ』

そうなのか。

お前は、人妻だったマイを俺から奪ったんだな。

俺の気づかない間に。

そうだ、お前がいなければ、俺はマイと解りあえてやりなおせる筈だった。


お前がいなければ、俺は、俺は――――――――――――


男はにやけた顔でマイに耳打ちしている。

俺の存在を彼女に告げたようだ。

「え? ナオキ?」マイは振り向きざまそう言った。

つけ睫毛に真っ赤な口紅。やたらと化粧の濃い顔。

俺と一緒にいたころの彼女とはまるで別人に見えた。

「マイ」顔が強ばる。

その表情からなにかを汲みとったのか、マイは片眉をあげて口を開く。

「偶然ね。で、どうしたの? そんないっぱい荷物持ってさ。あ、もしかして実家に帰んの? でもナオキがどうしようが、あたしにはもう関係ないから」

奥歯を噛みしめた。持った空き缶の手に力が入る。

マイは続けた。

「なに怒ってるのか知らないけど、もうあたしたちは終わったんだからね、ねえ」

彼女に同意を促された男は、首を縦に何度も振った。

到着予告のアナウンスが流れ始めた。

最後に言い残してやりたいことを俺は言った。

「マイ……お前、その男に騙されてるよ」

男の眉間にシワが寄る。

「アンタ、へんな言いがかりはやめてよ」

そう言って前歯を見せる。

「ナオキ、なに言ってんの?」マイが真剣な眼差しを俺に向けた。

「騙したのはナオキのほうじゃないか!」

じきに電車が到着するとのアナウンスに入り交じった、マイのその言葉が俺には信じられなかった。

でも、聞き間違いではなかった。


「あたしの母親とデキてたんでしょ!」


それも聞き間違えじゃなかった。


全身が凍り付く。


手に持った空き缶がするりと落ちた――――――――――――



第一部 完

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年下彼氏。 吉川ヒロ @hirokichi

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