マイ
好きなひと。
「ったくよぉ遅えよ」
「ごめんごめん!」
あたしは駆け足で彼に寄った。
日曜日。澄み渡った青空の下。多くの若い子達が浮かれ歩いてる。
そんな光景を眺めてるだけでも心地良い。
だけど。
今日は渋谷で13時の約束はずが、あたしの落ち度で30分も彼を待たせちゃった。
「ほんとにごめん! 大家さんに家賃支払うのに時間がかかっちゃった!」
嘘。
ほんとは化粧するのに時間がかかったのと、ミリタリージャケットを着ていこうか随分悩んでたから。
正解。
彼はレザージャケットにジーンズ姿だった。
あたしもジーンズを身につけている。
「マイ」
ナオキがあたしの手を握る。
「な、なに?」
心臓がばくばく。
「似合ってんよ」
「え? そう?」
……嬉しい。
ナオキは大手建設会社に勤めるサラリーマン。
大学生のあたしと同い年。
デートするにもなかなか時間が合わないんだなこれが……。
当然ながら、なかなか会えなくたってあたしは彼のことが好き。
「ん? なんだよ?」
ナオキがあたしを見下ろす。
ほりのある顔立ち。
耳までのびた、パーマがかった赤い髪。
痩せてるけれど筋肉のついてるカラダ。
あたしのよりひとまわり大きな彼の手をぎゅっと握った。
「好き」
人混みのなかだけど思わず言っちゃった。
「ばーか」
ナオキは少しだけ頬を赤くしながらそう応えた。
***
「あ、この服、可愛い」
海外メーカーの洋服店のなかで、あたしはニットセーターを手に取りはしゃいでいた。
カップルや子連れの若い女性客が店内を埋め尽くしている。
みんなお洒落に着飾っていた。
私たちも負けてないよね?
ナオキよりかっこいい男なんてどこにも見当たらないし……。
「ああ、春らしくていいよな」彼は同意してくれてた。
ナオキは以前、アパレル関係で働いていたらしい。
あたしは、手に持ったセーターを彼に掲げてみせた。
「肩が丸出しになるね、これ」
「俺、そういうの好きだよ、あ、このキャミソールもそれに合ってんじゃん」
「うん」あたしは微笑んだ。
「ん?」ナオキが自身の胸元に目をやる。
微かにバイブ音がしていた。
彼は携帯電話を手に取りあたしから少しだけ離れた。
数秒後。「……ええ、分かってます、では」そこまで言うと、ナオキは通話ボタンを押した。
「仕事の電話?」あたしは聞いた。
「ああ……クライアントがさあ」
それを聞いて、あたしは愕然とした。
今日のデートはこれで終わり。
「……また仕事なんだね」
「ごめんな」
本当に申し訳なさそうな表情をみせるナオキ。
店を出てしばらくすると駅の改札口に到着した。
どこもかしこも行き交う人で混雑しているなあ。
「マジでごめん」
「うん、気にしないで」
あたしがそう応えると、ナオキはあたしの頭に手をのせた。
温もりのある大きな手。
「マイはほんとに良い子だね、偉いぞ、えらいえらい」
そう言って、あたしの頭を撫でた。
たまらない……とろけそう……。
さっきまでの尖った感情なんて知らないうちに消えていた。
ナオキの胸に飛びこんで甘えたい。
「あと、これ」
彼は、可愛くコーティングされた小さな包み紙をあたしに手渡した。
「あとで見ろよ、じゃあな」
「うん、お仕事がんばってね!」
「ああ」
彼の背中が人混みに消えていく。
その日の夜。
逸る気持ちをなんとか抑えながら、書き終えた短編作品の推敲を済ませた。
そしてついに、あたしは彼から手渡された包み紙を開けようとしている。
どきどきしている自分がいた。
「わあ」 中身はピンキーリング。
それは、あたしが以前、表参道で彼に子供のようにねだったもの。
お姫様の冠の形をした、5つのダイヤが入っているピンクゴールドの指輪。
高かったはず。 彼なりに、ずいぶん無理をしたのかもしれない。
小さく折りたたんだ紙もあった。
ゆっくりと広げる。
形の整った彼の手書き文字。
『俺の可愛い麻衣 麻衣はずっと俺のもの そして俺もずっと麻衣のもの ……キザっぽいかな でも、こんなノリでずっとずっと一緒にいたいな 麻衣、愛してる 尚貴』
何度も何度もこの短い文面に目を走らせていく。
目頭が熱くなってきた途端に涙がぽろぽろ手紙に落ちた。
***
半年ほど前。
学園祭で自作の本を売っていたあたし。
そんなあたしの前に現れたのがナオキだった。
「この作品、感動しました」
彼は、あたしにそんなことを言ってくれた。
彼が手に持っていたのは分厚い同人誌だった。
あたしと数人のサークルの仲間達で、それぞれが持ち寄った作品を編集したものだった。
テーマは『年下彼氏』
全ての作品が年下の彼氏を主にしたものだった。
彼が指していたのはあたしが描いた作品のページだった。
あたしの作品は、上司と部下の関係である男女の、ちょっぴり切ない恋物語。
でも、時間がなくてそんなにリキんで描いたものではなかった。
なので褒めてくれたナオキには申し訳ないけれど、あたしにはそんなに嬉しいことではなかった。
だけど。
「こ、これ、あたしが描いたんです」
……言っちゃった。
「え? そうなんだ、素敵な作品をありがとう」
彼はそう応えてくれた。
「え、え、え、そ、そんな、こと……」
あたし自身、しどろもどろになったことを覚えている。
外見も艶がかった声色も魅力的なナオキ。
そんな彼に興味をもたれた、とくに見た目が良くもない、ぽっちゃり系のあたし。
頼りがいのある彼。
奥手のあたしと何度か会いに来てくれる内に、あたしたちはいつの間にやら付き合うようになったのだった。
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