マイ

好きなひと。

駿河するが麻衣まい-21歳のとき


「ったくよぉ遅えよ」

「ごめんごめん!」


あたしは駆け足で彼に寄った。

日曜日。澄み渡った青空の下。多くの若い子達が浮かれ歩いてる。

そんな光景を眺めてるだけでも心地良い。

だけど。

今日は渋谷で13時の約束はずが、あたしの落ち度で30分も彼を待たせちゃった。

「ほんとにごめん! 大家さんに家賃支払うのに時間がかかっちゃった!」

嘘。

ほんとは化粧するのに時間がかかったのと、ミリタリージャケットを着ていこうか随分悩んでたから。

正解。

彼はレザージャケットにジーンズ姿だった。

あたしもジーンズを身につけている。

「マイ」

ナオキがあたしの手を握る。

「な、なに?」

心臓がばくばく。

「似合ってんよ」

「え? そう?」

……嬉しい。

ナオキは大手建設会社に勤めるサラリーマン。

大学生のあたしと同い年。

デートするにもなかなか時間が合わないんだなこれが……。

当然ながら、なかなか会えなくたってあたしは彼のことが好き。

「ん? なんだよ?」

ナオキがあたしを見下ろす。

ほりのある顔立ち。

耳までのびた、パーマがかった赤い髪。

痩せてるけれど筋肉のついてるカラダ。

あたしのよりひとまわり大きな彼の手をぎゅっと握った。

「好き」

人混みのなかだけど思わず言っちゃった。

「ばーか」

ナオキは少しだけ頬を赤くしながらそう応えた。


***


「あ、この服、可愛い」

海外メーカーの洋服店のなかで、あたしはニットセーターを手に取りはしゃいでいた。

カップルや子連れの若い女性客が店内を埋め尽くしている。

みんなお洒落に着飾っていた。

私たちも負けてないよね?

ナオキよりかっこいい男なんてどこにも見当たらないし……。

「ああ、春らしくていいよな」彼は同意してくれてた。

ナオキは以前、アパレル関係で働いていたらしい。

あたしは、手に持ったセーターを彼に掲げてみせた。

「肩が丸出しになるね、これ」

「俺、そういうの好きだよ、あ、このキャミソールもそれに合ってんじゃん」

「うん」あたしは微笑んだ。

「ん?」ナオキが自身の胸元に目をやる。

微かにバイブ音がしていた。

彼は携帯電話を手に取りあたしから少しだけ離れた。

数秒後。「……ええ、分かってます、では」そこまで言うと、ナオキは通話ボタンを押した。

「仕事の電話?」あたしは聞いた。

「ああ……クライアントがさあ」

それを聞いて、あたしは愕然とした。

今日のデートはこれで終わり。

「……また仕事なんだね」

「ごめんな」

本当に申し訳なさそうな表情をみせるナオキ。

店を出てしばらくすると駅の改札口に到着した。

どこもかしこも行き交う人で混雑しているなあ。

「マジでごめん」

「うん、気にしないで」

あたしがそう応えると、ナオキはあたしの頭に手をのせた。

温もりのある大きな手。

「マイはほんとに良い子だね、偉いぞ、えらいえらい」

そう言って、あたしの頭を撫でた。

たまらない……とろけそう……。

さっきまでの尖った感情なんて知らないうちに消えていた。

ナオキの胸に飛びこんで甘えたい。

「あと、これ」

彼は、可愛くコーティングされた小さな包み紙をあたしに手渡した。

「あとで見ろよ、じゃあな」

「うん、お仕事がんばってね!」

「ああ」

彼の背中が人混みに消えていく。

その日の夜。

逸る気持ちをなんとか抑えながら、書き終えた短編作品の推敲を済ませた。

そしてついに、あたしは彼から手渡された包み紙を開けようとしている。

どきどきしている自分がいた。

「わあ」 中身はピンキーリング。

それは、あたしが以前、表参道で彼に子供のようにねだったもの。

お姫様の冠の形をした、5つのダイヤが入っているピンクゴールドの指輪。

高かったはず。 彼なりに、ずいぶん無理をしたのかもしれない。

小さく折りたたんだ紙もあった。

ゆっくりと広げる。

形の整った彼の手書き文字。

『俺の可愛い麻衣 麻衣はずっと俺のもの そして俺もずっと麻衣のもの ……キザっぽいかな   でも、こんなノリでずっとずっと一緒にいたいな   麻衣、愛してる     尚貴』

何度も何度もこの短い文面に目を走らせていく。

目頭が熱くなってきた途端に涙がぽろぽろ手紙に落ちた。


***


半年ほど前。

学園祭で自作の本を売っていたあたし。

そんなあたしの前に現れたのがナオキだった。

「この作品、感動しました」

彼は、あたしにそんなことを言ってくれた。

彼が手に持っていたのは分厚い同人誌だった。

あたしと数人のサークルの仲間達で、それぞれが持ち寄った作品を編集したものだった。

テーマは『年下彼氏』

全ての作品が年下の彼氏を主にしたものだった。

彼が指していたのはあたしが描いた作品のページだった。

あたしの作品は、上司と部下の関係である男女の、ちょっぴり切ない恋物語。

でも、時間がなくてそんなにリキんで描いたものではなかった。

なので褒めてくれたナオキには申し訳ないけれど、あたしにはそんなに嬉しいことではなかった。

だけど。

「こ、これ、あたしが描いたんです」

……言っちゃった。

「え? そうなんだ、素敵な作品をありがとう」

彼はそう応えてくれた。

「え、え、え、そ、そんな、こと……」

あたし自身、しどろもどろになったことを覚えている。

外見も艶がかった声色も魅力的なナオキ。

そんな彼に興味をもたれた、とくに見た目が良くもない、ぽっちゃり系のあたし。

頼りがいのある彼。

奥手のあたしと何度か会いに来てくれる内に、あたしたちはいつの間にやら付き合うようになったのだった。

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