Angels Cry

ナオキとエリが付き合いはじめて半年ほど経つと。

彼はすでに運転免許証を取得していた。

「ちょ、左寄りすぎ!」

エリは、愛車のロードスターを運転しているナオキを激しく叱りつけていた。

「わ! 危ない! ちゃんと前見て運転して!」

「わかってるよ!」

海岸沿いの国道。

椰子の木の立ち並ぶその通りを走っていると、まるで南国にいるかのようだった。

「きっもちいい!」と、叫んでみたナオキ。

「……あたしは、ぜんぜん気持ちよくないよ」

ジッとみつめるエリの視線を感じた。


そんな頃。

社長が金策に走っている、という噂が社員のあいだに広まっていた。

「もうこの会社だめかもね」

「アンタはいいよお、旦那、公務員でしょ?」

「給料あるんかなあ?」

「え? ボーナスは?」ナオキが彼女らの輪の中に入る。

先輩社員たちはどっと笑う。

「あるわけないじゃん!」

自分のクルマを手に入れるにはほど遠いか……。

四駆でも買って、エリをディズニーランドに連れて行ってやりたい。

そのとき、階段を下りる音がした。

「あ、専務がきたよ!」

茶菓子をわさわさと片付け、みな一斉に席に戻る。


「みなさんにとって、会社にとって、重要なお知らせがあります」


そう口にしながら、エリは浮かない表情をみせていた。

彼女より年上の社員たちが、ほらきた、と呟く。

エリは、ミニ丈ワンピースにショートコート姿だった。

いつものその格好に、ナオキにはなんら違和感がわかない。

「会社は、破産の手続きにはいることになりました、でも心配しないで。みなさんへの給料、そして退職金は保証しています」

耳を疑う。

……え?

破産だって?

「あ……」彼は声を漏らした。

「なに?」エリはナオキに向いた。事務的な表情。

「あ、いや、なんでもありません」

ナオキは会社が倒産したんだと気づいた。

エリはその後もたんたんと説明を続けたのだった。

その夜。

ナオキの携帯が鳴った。

築30年の安アパートの自宅で横になっていた。すばやくボタンを押す。

「もしもし?」

返事がない。

「エリ……?」

「……」

「会社……なくなるんだね」

そう言ってすかさず言い直した。

「あ、いや、立て直すんだね」

「……違うよ」

「エリ?」

「もう……終わりだよ」

「え?」

「……父さんが死んじゃった」

「な……社長が!?」

「うん、自分で首を、もう、わけがわからない」

「いまからそっちに行くよ!」

携帯電話を片手にナオキは部屋着を脱いだ。

「うん……すぐに来て……あたし、どうしたら……」

それ以上聞き取れなかった。

「分かった! そのまま待ってろ!」

通話を切った。素早くジーパンに履き替えた。

夜の11時をまわっている。

ナオキは自転車のペダルをこいだ。

そして1時間後。会社に隣接した彼女の自宅に辿り着いた。

30坪ほどの2階建て日本風建造物に、こぢんまりとした庭園のある社長宅である。

想像していたほど、場は騒然としていなかった。

見たことのない、黒塗りの四輪駆動車が止まっているだけであった。

彼は玄関先で彼女の名を呼んだ。

「ごめん! いま行くから待ってて!」 2階からエリの声がした。

「ああ」

落ち着かない……。

こんなとき、俺、どうしてやればいいんだ?

ナオキは何度も首を振った。

情けねえぞ、俺!

エリを助けなきゃ!


「誰……かな?」 聞き覚えのない低めの声。


振り向くと、ナオキの背後にグレーのスーツ姿の男が立っていた。

テカテカに撫でられたオールバックの髪に、日焼けした貫禄のある顔立ち。

30代だろうか?

「失礼」男はそう言ってナオキを横切り、ずかずかと玄関を上がる。

手にはコンビニの袋が握られていた。

親戚の人だろうか。

その時、気づいた。

なんか買って持ってきてやらないと。

「エリ! なんか欲しいものない!?」

「はあ!?」男は、階段を上がる途中で声を上げた。

「お宅さん、誰?」

顔をしかめた男はナオキに聞いた。

「あんたこそ誰なんだよ」

「はあ!?」男は2階に顔を向けた。「玄関に知らねえ若造が突っ立ってるぞ」

その言動にナオキはキレた。

「あん!? てめえこそ誰なんだよ!」

「ふん」男は鼻を鳴らした。「誰ってさあ、俺はエリの婚約者だけど」

え?

婚約者だって?

ナオキは首を捻った。

どうなってる……? いや、そうか。

婚約者……だよな……聞き返すまでもない。

エリの結婚相手が存在していたということ……俺は単なる遊び相手なのか。

恋愛話でよく聞いた、『遊び』と『本命』……他人事だと思っていた。

だが俺は……エリに遊ばれていた。

「嘘だ」

吐いた言葉と同時に、そのリアリスティックな思考が一瞬にして消える。

「は? 嘘じゃねーよ」男はナオキの言葉に反応した。「エリ! このガキいったい誰だよ!」

ナオキはさっと顔を上げた。


恋人だと言ってくれ! エリ!

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