大好きなひと。

…………んあ?


目が覚めて空を見上げる。

夜だ。

満月が揺れている。

街灯も揺れている。

コンビニ……スーパー銭湯……学生寮。

見慣れた風景も揺れていた。

「マイ、ついたよ」

「あっ」ナオキの声に反応した。

まるで動物の赤ちゃんのように、あたしは彼の背中にしがみついていた。

……そうだった。

ドライブはサイアクだった。無言の時間がずっと続いた。

その後、レンタカーを返して二人で駅前にあるお洒落なバーに入ったんだ。

飲み過ぎたかも。

雨は上がっていた。湿った空気が肌を触る。

いつもなら改札口で別れるつもりが、いつの間にかナオキの背中に乗っていた。

あたしの住んでいる学生寮まで、彼は送ってくれたのだ。

「マイ、いつもより飲んだな」

ナオキはそう言い、横顔をあたしに向けた。

頬が痩けている。

「ここまでおぶってくれたの?」

彼は、ああ、と応えたあと、

「大丈夫か?」と言ってくれた。

学生寮まで、お店から歩くと1時間以上かかるはず。

涙腺が緩む。もちろん、お昼の時とは違った理由で。

優しい彼の両腕をぎゅっと掴む。

離れない。

離さない。

絶対、ナオキと離れない。

「うん……大好きだよ、ナオキ」

その言葉に応えるように、ナオキはあたしの太ももをぐいっと上げる。

声での返事ではなかったけれど、彼のその動作があたしには嬉しかった。

「あたし、重いでしょ?」

「は? 全然」

彼は言うけれど。

ダイエットしなきゃ。お酒の飲み過ぎも控えよう。

ここは男子立ち入り禁止の寮だ。

濡れたアスファルトの地面に両足をつけた。

隙間のない程に建物の入り組んだ、深夜の路地裏。

人の気配がない。まるで周囲全体がぐっすり眠りについているかのよう。

「また、来週な」彼の言葉は胸に痛かった。

寂しい……せめて電話で話したい。

「ねえ、キスして」

「ここで?」

少しだけ空気が止まったように思えた。

すると、彼は中腰になってあたしを抱きしめた。

強く。強く。

彼の舌があたしの口の中に絡みつく。

二人の舌が別の生き物になり、また新たな愛を育んでいる。

激しく、もっと激しく――――――


そんなこんなで、あたしは大学を卒業した。

「一緒に住まないか?」

ナオキはそう言ってくれた。

飛び跳ねるくらい嬉しかった。

いや。そんなもんじゃない。

1週間おきにしか会えないことなんかなくなったんだ。

すぐに親を説得して、なんとか承諾を得た。

あたしはプロの小説家を目指した道を選んでいた。

彼も納得してくれている。

なんの問題もないまま、あたしは彼の部屋に転がり込んだのだった。


***


同棲し始めて、およそ半年。

あたし達はついに結婚した。

そして数年後。もう一つの夢も叶ったのだ。

ナオキの支えがあって、あたしは死に物狂いに執筆を続けたのだった。

新人賞。

某出版社主催の特別賞。

文学賞。

いまはシリーズものが飛ぶように売れて、有名な脚本家によってそれが映像化にまでされている。

そういったこっとがきっかけとなり、テレビ関係の人達と繋がりをもつようになった。

報道番組のコメンテーターのオファーまでくるようになったのだ。

いまではナオキの給料より、あたしの稼ぎのほうがぜんぜん上だ。

住む場所だって、乗っているクルマだって、全てセレブ級。

サラリーマンの彼が何十年働いても絶対出来ない暮らしぶり。

だけど。

どれもこれも、大好きな彼があたしの支えになってくれるから。

そう。お金では絶対買えない、彼との愛がある。

ナオキを失いたくない。

何年経っても彼のかっこよさに変化はないんだ。

キセキの男。

あたしの描いた各々の小説のテーマとして、彼をモデルにしたことが何度もある。

まあ、相変わらず出世頭の彼の仕事の忙しさはずっと続いていた。

あたしはといえば、小説を書くこと以外にも忙殺されている。

なので彼とのすれ違いの時間が多い。

そろそろ子供だって欲しいし。

出来たら引退だって考えている。

そんなに贅沢しなくてもいいわけで。

いまは家賃200万の5LDKマンション。

だけど、学生の頃は四畳半の部屋に住んでいたくらいだし。

普通の、ごく普通の生活で良い。

夫の稼ぎだけでも十分生活していけるはず。


久しぶりに二人で夕ご飯を食べることが出来た日。

宅配サービスのナポリタンとワインの組み合わせだった。

デザートは白桃のシャーベット。

ナポリタンで熱くなった口の中をシャーベットで中和させて、さらにほんのりした甘みを楽しんだ後、テーブル越しのナオキに向かってなんとなく私的な話題に切り込んだ。

「えー、もったいないよ、せっかくマイの夢が叶ったんだろう?」

予想通り、夫は目を丸くさせてあたしの願いを拒否した。

「でも、このままじゃ子供だって作れないよお」

あたしがそう言うと、彼は表情を曇らせた。

「いまマイが一番る時じゃん、引退なんてもったいないだろう?」

さっきと同じ口調で彼は返す。

もったいない、ってなんなの?

アナタとの今後の事の方があたしにとって重要なの。

「まあ、でも」彼は続けた。

「マイも疲れたのなら、休めば? また描きたくなったら描けばいい」

あたしは咄嗟に口を開いた。

「あたしの稼ぎはゼロになるよ、家賃も払えなくなるよ」

すると、彼はゆるゆると頭を振った。

「いいよ、いまの生活じゃなくなっても……俺が頑張ってお前達を養うから」

え?

「お前達って、ナオキ? ……」

「家族を増やそう」

彼は躊躇いなくそう口にしたのだ。

胸の中で安堵の息を漏らす。

ああ……ナオキと一緒になって本当に良かった。

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