妄想キッス

「顔、こっち向けろよ」

「……うん」


ナオキに指輪をプレゼントされて、1週間後。

日曜日。雨催い。

一人暮らしの彼の部屋。

5階建ての賃貸マンション。最上階の12畳のワンルーム。

室内の色調はとてもシンプル。

グレーのカーテン。オフホワイトで統一された電化製品や家具類。

必要最低限なものしか置かれていない、清潔感のある彼の部屋。

あたし達の写った思い出の写真立てだってもちろんある。

すっきりした空間はすごく居心地良い。なんといっても大好きな人の住まいだし。

そしていまはスプリングベッドの上。

羽毛布団にダイブして濃厚なキス。

「んんっ……!」

ナオキの熱い息。

彼のカラダが、小柄なあたしのカラダに覆い被さっている。

彼に、征服されている。

あたしの左の小指には、彼にプレゼントされたピンキーリングが嵌めてある。

ナオキはあたしの肩を抱いた。 「指輪……ちゃんとしてるじゃん」

えー!? 「やだっナオキってば、いま気づいた?」

「ばーか」

「え?」あたしは聞き返した。

「ばーかばーかばーか」

「え? なになに、どうしたの?」不意に声が裏返ってしまった。

「……嵌めてなかったらショックじゃん」

そんなわけないじゃん!

「どうしてそんなこと言うの!?」

あたしは目を丸くした。

何故か彼の表情は暗かった。

「もしさ、俺の他に好きな男の存在がいたとしても、マイ……オマエ指輪してる?」

え? なに言ってんの?

あたしは眉間にしわを寄せた。

「ナオキ……意味分かんない」

「怒った?」

「うん、ちょっとだけ」

彼は顔を歪めて黙ってしまった。

真っ青なリンゴをかじったかのような、彼の表情。

その意味が、あたしには分からなかった。

「ねえ……キスして」

いてもたってもいられない。

あたしは彼に求めた。

「……ん」

なんだか素っ気ない、ナオキ。

「ねえってば!」

あたしは彼の胸を揺らした。

天井を見つめている、ナオキ。

「うん、俺、マイしかいないし」

あたしだって同じだよ!

「ねえ、キスしてよ!」

自分でも驚いた。

積極的なあたしに。

シーツがめくれる。

あたしは彼の上に覆い被さっていた。

ナオキは応えてくれた。

互いの口のなかで交わりあう。

さきほどよりも、もっと激しく……。


***


あたしは長編小説にとりかかった。

今回は、ナオキへの思いの詰まった作品にしたい。

執筆にリキがはいる。

がんばるぞ!

まず、無数の魔女が騎士である主人公を襲う場面から入る。

ジャンルは、ファンタジーホラーかな。

主人公のモデルはもちろん、ナオキ。

で、あたし自身をモデルにしたキャスティングをどうしようか。

ドキドキワクワクしながら試行錯誤している。

ああ、妄想女子……。

3月末といえども、まだまだ肌寒い夜。

ファンヒーターをつけ、3本目のカクテル缶を開けた。一気に飲み干す。

ほろ酔い加減の状態だと、シラフでいる時よりも思考が活性化する。

ナオキは伝説の騎士。

あたしは馬の世話係。

湖のほとりにある、大草原のなかの小さな牧場。

小鳥のさえずりが聞こえる、麗らかな朝。

『いつもありがとな』ナオキはそう言った。

彼の馬のたてがみを手入れしていたあたし。

朝日に照らされてキラキラと光る彼の鎧。

思わず、櫛を床に落とす。『え、え、そんなこと……』

彼があたしに急接近した。

『顔、こっち向けろよ』

……顔、こっち向けろよ…………。

ん。これって昨夜、彼があたしに言った言葉だった。

妄想タイム突入状態――――――

お酒をのんで気持ちよくなってたあたし。

4畳半のあたしの部屋には、書斎机とシングルベッドがきちきちに収まっている。

「ああー!!」椅子を180度回転させ、あたしはベッドにダイブした。

羽毛布団にカラダを沈める。埋めた顔を横に向けた。

『俺の他に好きな男の存在がいたとしても、マイ……オマエ指輪してる?』

小指の指輪に目をやりながら、昨日の彼の言葉を思い出している。

ナオキは聞いた。

彼以外の男を好きになってもあたしはこの指輪を嵌めているのかどうか、ということを。

何故そんなことを聞いたのだろう?

あたしは軽い女にみられているのか?

うーん。微妙に気分が沈む。


***


レンタカーで海岸沿いを走っている。あたしは助手席。

しとしと降る雨の日。

この日曜日がくるまでの1週間のあいだ、ナオキとの会話どころかメールのやりとりさえなかった。

あたしからの一方的な連絡に、彼からの返事はまったくなかったのだった。

車高のある四輪駆動車。

「あ、この曲好きだ」彼は言った。

ラジオから流れる洋楽だった。

あたしには分からなかった。

カーペンターズの曲。彼はそう言った。

しばらくの沈黙の後。「どうして返事してくれなかったの?」あたしはそう聞いた。

「ん……ごめんな、仕事で忙しかったからさ」

彼の言葉に、あたしはぷいっと窓に向いた。

「メールの返事くらいくれてもいいじゃん……」

すると突然、彼はブレーキを踏んだ。

後ろのクルマがクラクションを鳴らす。

「ちょ、ナオキ!?」思わず彼に向いた。

「仕事で忙しいっていってんだろ!」

彼はあたしに向いて怒鳴った。

一気に涙腺が緩む。

怖かった。

眉を寄せた彼の表情。

「ご、ごめんね」 あたしは涙声を出していた。

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