パンキッシュ★ラヴ

安西先生のことを思い出し、涙を拭きながら電話の前に突っ立っていた。

ふと、掛け時計に視線を上げる。

気づけば、アニメのアヒルの指さす針は夜7時をまわっていた。

「たっだいまあ!」 張りのある彼の声に振り向く。

仕事から帰ってきたユージ。薄汚れた作業用スニーカーを脱ぎ捨てて床に上がる。

10畳のワンルーム。

ユージは放りっぱなしの雑誌や、その他あちこち転がった小物を足でどかすと自分の座るスペースを確保した。

掃除の苦手な私。だからいつも散らかり放題の部屋。

「おかえり」気のない声で返す。

「あっちいな、おい、エアコンついてんの?」

大手SSのロゴのついた真っ赤なつなぎを脱ぎながら、ユージはしかめっ面を私にみせた。

「さっきつけたばかりだよ」

「あ、そう。ん? ん?」ユージが突然部屋中を見回し始める。

「どうしたの?」私は聞いた。

鼻っぱしにしわを寄せながら、彼は犬のようにクンクンと音を鳴らす。

「あ? 他の男を連れ込んでないやろな」

いつものことだ。嫉妬深い彼。

彼の金髪の下にある鋭い吊り目。鋭く私に向いている。

私より3つ年上なんだけど、彼は私と同じく小柄な体型。

「なに言ってんの? 私にはユージしかいないんだよ」

少し甘えた声を出して彼の腰に手をまわす。

ベッドに彼を押し倒す。

「はっ?」目を見開いたユージ。

彼の下半身をまさぐる。

のっぺり顔の南美を記憶から消し去りたかった。

あの男はもう用済みだ。


「あんっ……ねえ、明日はライブなの?……あ、あんっ」

私って、なんでこんなに感じやすいんだろう。

首筋を吸っていたユージが、息を吐きながらゆっくりと顔を上げる。

「ああ……明日は土曜だから客も多いかもな」

彼の舌ピアスがキラリと光る。

「ねえ……明かり消して」

その通り部屋が真っ暗になると、私はユージに身を任せたのだった。

次の日。

「じゃあ行ってくっから」

ユージはそう言い、ベースギターを肩に掛けた。

彼がベースボーカルの3ピースバンド。

「あ、うん、また打ち上げで遅くなるの?」

ツンツンに立てた彼の髪がこちらに向いた。

「うん、飲み過ぎてまともに帰れなくなるかもしれんから、ミア、迎えにきてくれ」

私は、ふうと息をつく。

「……そんなん言ってさ、乗ったバイク、またノブくんに持ってきてもらうの?」

ノブとは、ドラム叩いているひとだ。

顔をあげた彼は口端を上げていた。

「ああ、奴はとてもいいヤツだ」

「……わかった」

数分後、アパートの外で彼のオフロードバイクのふかす音が聞こえ、やがて消えた。

部屋の中がしんと静まりかえる。

私は、またひとりぼっちだ。


***


ユージside


ミア……………………。


俺はノブに見張りを任せてベースとバイクを公園に置いた。

とげ抜き地蔵を横目に徒歩で自宅アパートに戻ってる。

ミア……俺の女。

命より大切な、俺の女。

でも、むかついて殴ったこともあったっけ……。

でも、あれは愛情表現なんだ、わかってくれ……ミア。

他の男と寝てないだろうな?

ああ、考えたくもねえ。

でも、最近ミアの行動に違和感を持った。

今日は一日中、アパートの前を見張ろうと思う。

もし、ミアと寝る野郎がいやがったら……。

そいつを殴り殺す。

そしてミアも殺して俺も死ぬ。

そこまで思考をめぐらした俺は、ポケットの中にあるジャックナイフの存在を確かめたのだった。

俺とミアが住んでいる築10年ほどの3階建てアパート。

密集した住宅地のなかにある。

普段から人通りが少なく、物静かな場所。

俺は、階段の登り口からちょうど死角になる位置にいた。

アパートの薄汚れたタイル壁に背中をくっつけると、一瞬、真夏の暑さを忘れるくらい背筋がヒンヤリとした。

「……あん?」

携帯電話が鳴っている。

カーゴパンツのポケットをまさぐった。

「くっそ!」おもわず毒づく。

ジャックナイフとは反対側に入っている、その折りたたみ式の携帯電話がうまく取り出せない。

「ちっ! なんだよ!」

大好きなパンクバンドの曲が鳴り続いてる。

ようやく取り出せた携帯電話に耳を当てた。

「私よ」

は?

「ミア……?」

電話の声と生の声が重なって聞こえた。

まさかと思い、顔を上げる。

すかさずミアが口を開いた。

「ウソついてたんだね」

「な、なんでよ?」俺は目を見張った。

最愛の彼女は、3階の踊り場から顔を覗かせていたのだ。


***


ミアside


ひとりぼっちじゃ寂しいから、私はユージが出てった後すぐに化粧をして玄関を出た。

「ん……?」私は首をかしげた。

ユージが、徒歩でこちらに向かって歩いてくるのが見える。

英語のロゴが入った黒い半袖シャツに、迷彩色のカーゴパンツ姿の彼。

ポケットに手をつっこみ、ブーツで地面を蹴るように歩いていた。

階段を降りて、踊り場で立ち止まった私。

すると彼は、こそこそと自転車置き場の影に隠れ始めた。

(なにしてんだろう?)

ユージは、アパートの壁に背中をくっつけて身を潜めるようにしている。

そして、何故か彼は階段の降り口にずっと目を向けている。

面白そうだから電話をしてみた。

「私よ」

すかさずユージが口をぽかんと開けて私を見た。

「ウソついてたんだね」私は言った。

お互いに、携帯電話を耳から外す。

「あ、ああ、ウソや、ずっと見張っているつもりだったんや」

そう言って、ユージは顔をしかめた。

南美のことか。

彼の勤めているガソリンスタンドは、 買い物などで、私が毎日徒歩で横切る場所にある。

だから、安易に仕事だと嘘はつけない。

それにライブだと嘘をつけば、夜遅くまで帰ってこないことを私が知っているから、男を簡単に連れ込みやすくなるって考えたのか。

馬鹿なくせに。よく考えたものだ。

「どうしてそんなこと?」あえて、私はそう聞いた。

バイクやベースギターをどこにおいていったのか知らない。

でも、そんなことはどうでもよかった。

「お、お前のことがよお!」

ユージはそう叫び、私のいるほうに駆けだす。

私の視界から消えた彼は、階段で足音を立て始めた。

その時、全身に電流が走った。

毛細血管にいたるまでバチバチッと。

東京全土に広がるまで、私は大声で笑い出したくなった。

私には、ユージがいる。

私のことを死ぬほど愛してくれる彼。

マイを蹴落とす。

代わって私が世に出る。

その絶対的な方法を、砂漠から突然わき出た冷水のようにキラキラと閃かせたのだった。

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