外へ出る日

 卒業後、つまり前回の件から一ヶ月は経過観察という猶予が与えられた。この街がどのように変わるのか、手を下した責任として見守る義務がある――とか何とか。

 覚悟を決める時間を与えた、鷺花の優しさなのだろう。

 ――もっとも、この時点で街を出ると全員が決めていた。というか、あんな騒動を起こした時点で、街にいたって疫病神だ。いいように使われるのは目に見えている。主に、エレット・コレニアに使われる。

 ちなみにここ数日の間、屋敷には侍女がいない。後始末と、根を張るための手配で忙しいらしい。どういうことかとファゼット・エミリーに問えば。

「ただの侍女として各地に配備させての情報収集。命令一つで思想誘導から暗殺まで幅広く。まあ黒幕フィクサーだとでも思ってくれ。あくまでも、冒険者たちの体裁を保つ程度のもの――……、ものだ」

 どうして最後に考えたのかはよくわからないが、そういうことらしい。

 給料などはもちろん、エレットから支払われるのではなく、普段の生活が仕事と直結するため、あまりやり取りはないらしい。だが、自分の稼ぎの一部を定期的に組織へと納入する者が多いそうで、活動資金には困らないが、しかし、個人のためにもっと使えと、エレットは言うのだが、通じないらしく、困っているようだ。

 大きく見れば、暗部の仕事はあるものの、家族なのだ。仕送りもするし、たまには帰って食事もする。故に、身内の裏切りは御大であるエレットの仕事なのだ。これを機に倦み出し――整理を、するとも言っていた。

 ともあれ、基本的には訓練なし――と、言われているのだが。

 鷺城鷺花の監督下、畑中はたなか藍子あいことファゼットは戦闘を行っていた。

 術式あり、何でもあり、それこそ〝殺す〟ための戦闘だ。だからこそ、鷺花が監督をしている。事実、致命傷になりうる攻撃が防御術式の差し込みによって無力化された回数は、開始五分でもう八回になっている。数えているのは観戦している藤崎デディだ。

 はっきり言って、藍子は厄介だ。

 ――小太刀二刀。

 短い刃物ではあるが、ナイフより長く、接近戦闘が主体。一撃を回避しても、二撃目がある。速さ、そして手数、油断すれば飛針とばりを投げられ、疎かにすれば剛糸ごうしに足を取られる。

 まず、空間把握能力が必要となる。

 顔を狙った一撃を見切ったところで、そのまま踏み込みにより二撃目が腹を薙ぐ。いつ抜いたのかもわからぬままだ。けれど、二撃目を理解するだけでも駄目だ、防戦になれば手数の多い藍子が有利になる。

 技から技への繋ぎも、非常に滑らかだ。こうして観戦していても、集中していなくては見逃してしまう。一撃目を薙ぎに使えば、三撃目には突きへと変化し、五撃目には針を飛ばしているのだから参る話だ。しかし、多くても六度の斬戟が最大数と見える。

 ――手数だけか?

 その自問に対しては否だ。破壊力もある。特に一撃を決めるような〝突き〟は、空気が捻じれるような鋭さを持って、音を立てていた。

 そして、手数そのものが、攻撃ではなく防御にもなる。自在とは言わずとも、防御と攻撃を同時に行われれば、厄介と表現せざるを得ない。しかも、小太刀に囚われず、蹴りや納刀後に殴ることもあるのだから、どういう戦術かと見たくもなろう。

 常に、両手で小太刀を扱わないのだ。一本は抜きやすい左腰に佩き、右手で抜く。腰裏のものは左手で――だが、その左手が、空くことがある。飛針や剛糸を扱う時だけではなく、だ。その法則性が見抜けない。

 隙をあえて作っているのか、状況に対応しているのか。

 納刀で一手、後れを取る理由がわからない。

「――九回目」

 術陣が展開して、手ごたえだけを作って現実を防いだ。

「鷺城さん」

「んー?」

 チェアに寝転がった姿勢で本を読んでいる鷺花が、仰ぐようにしてこちらを見る。一瞥は投げるものの、デディの視線は二人へ向けたままだ。

「藍子さんの技術は、点と線の複合ですか?」

「まあそうね、面そのものは主体として入れない。でもまだまだ、畑中も糸の扱いが雑ね。立体意識が特にそう」

「僕じゃ正面からは困難ですよ」

「だったら?」

「正面から挑まなければいい」

「基本はそうね」

 それでも、その状況を想定はすべきだ。

「小太刀二刀術――入り身を主体とするから、実際に無手の格闘術と限りなく近いし、扱うことができる」

「ええ、小太刀を握ったまま殴ることも」

「状況に応じた多様性が技の範疇になる。斬戟、刺突の組み合わせもだけれど、剛糸と飛針もそう。たとえば居合い」

「覚えてます、僕もやられましたからね、居合い。いつ抜いたのかもわからないまま、斬戟が現実となって、刀は納められている。抜刀術――でしたか」

「攻撃、防御に関して大きく見ても、居合いの場合、抜刀の場合、どうであれ、抜刀で対処することになる。単純な話として捉えなさい」

「……対応の多様性」

「そう。一発を撃ち込んだのを、たとえば防ぐとして、小太刀、剛糸、飛針、そのいずれでも対処できる。けれど、その局面において、どれで防ぐのか、あるいは防いだのか?」

「逆に言えば、選択そのものが問題になる――と?」

「錬度で多少はどうにかなるけれど、先天性のものも必要になるわね。考えてもみなさい。飛針の扱いで、椋田くらたを越えている? 私の判断としては、どっちもどっちだけれど、まあ椋田の方が上手いでしょうね」

「一つを追う者と、三つを得る者の差ですか」

「そう」

「十回目」

 最初よりも早く、カウントが動いたのを見てか、二人は一度距離を取った。

「正直、今の藍子さんは厄介だと思います」

 デディだとて、拳銃を使うだけ、ではない。遠距離ならば狙撃銃を使うし、接近ならばナイフを使う。無手格闘術は基本的に部位破壊をする実用的なものばかりを覚えた。

 ともすれば、えげつないと称されるようなものだ。

「雷系の術式は補助として使った時、かなりの効果を発揮しますしね」

「範囲殲滅でもしない限りは、術式なんて大半が補助よ」

「今ならその言葉がわかります」

 術式を攻撃に使うのも、アリだとは思う。だが、一辺倒になりやすい。どちらかといえば、攻撃のために術式を使う方が良いわけだ。

 雷系術式で磁場を張り、そこに飛針を投げ込めば、一気に加速して屋敷一つを壊し更地にするだけの威力がある攻撃をすることができる。だがそのためには、まず、磁場を張らなくてはならなく、その予兆が見えた時点で内側に潜り込めばいい。それを想定して、攻撃の合間に準備を挟めば、一つの準備が二つ目に至るあたりで壊される。

 一言で済ますのならば、――実用的ではない。

 これが準備をして襲撃をする状況で、殲滅が前提ならば有用なのだけれど、攻撃力だけを考えてしまえば失敗する。学園の教育でわかりにくいのが、この部分だとも思う。


 ――ああ、だが。

「十一回」

 それだけの回数、藍子が殺されているのは、一体、どういうことか。


 身構えている様子はない。ファゼットはほぼ自然体のまま、回避に専念しているように見えるが、腰裏に隠した小太刀を抜いた時は必ずと言っていいほど、藍子が殺されているのを証明する術陣が展開している。

「……攻めが的確、というのも、やや違う」

「不思議に見える?」

「結果だけ見れば、隙というか、藍子さんの綻びに一手を当てているのかと。しかし、速いとも思えません。隙を逃さない――とは、やはり違う」

 かといって、隙を作っている動きには見えない。

「なんだろう、ファゼットの技術が見えないんですかね、これは」

「対峙している畑中はもっとわからないでしょうね」

「――、そういうものですか」

「攻撃の流れを作っているのは畑中だもの。だから、エミリーがその流れを作っていることに気付かない」

「……は? この状況、攻撃の流れそのものを、ファゼットが作る――やらせていると?」

「全部ではないけれどね。条件としては回避可能で、破綻ができる流れかしら」

「戦術を組み立てている?」

「ある程度はね。椋田くらただってこれくらいはやるわよ。ただ目の前を見るんじゃなく、続いた先を見るのと同時に、終わらせる一瞬を作ればいい」

「またそんな難しいことを、簡単に言ってくれますね」

「ある程度の実力がなければ、そもそも戦術が目に見えないから、基礎ができた証拠よ。あんたもね。間抜けが相手じゃすぐ終わる」

「それはそうかもしれませんが」

「状況の話よ」

「……条件ではなく?」

「同じこと」

 相手を生け捕りにする場合もあれば、殺す場合もあり、戦闘の条件とは勝つこと以外にも存在する。であればこそ、何事もすぐに終わらせれば良いわけでもない。

 そして、十二回目が訪れた。

「――あーもう降参! 降参! もーやめ!」

「チッ、根性がねえ。笑えなくなる程度には面白かったけどな」

「くっそう……あ、鷺城先生、ありがとうございました」

「下手くそ」

「うぐっ……!」

「おい藍子、煙草買っとけよてめえ。今日中な」

「うっさいわかってるばーか!」

 ひらひらと手を振って、ファゼットは屋敷の中へ戻って行った。

「随分とやられたね、藍子さん。僕に言わせれば、それでも、藍子さんの戦闘技術はとてもじゃないけれど、僕が相手にはできないものだよ」

「嬉しくないなあ、それ。結局、デディの場合、真正面から対一の条件にしないって意味だし」

「最悪の想定くらいはするけどね。けれどたぶん、僕の有利なその条件であっても、ファゼットは対応するんだろうなと」

「するでしょうね」

「出逢った時からずっとこれじゃ、なんだか劣等感を抱いたままになりそうだ。鷺城さんはこういうの、ありました?」

「ないわねえ。状況が違えば対応も変わるし、絶対王者なんてものはいないと理解するのが早かったし、自分にないものは学ぶだけだもの。だから武術において勝てない人はいたけれど、それは、私が武術を使って――という条件だったし、逆に魔術の領域において、勝ち負けがはっきりする部分の方が少なかったわ」

 要は、どう使うかよ、なんて気楽に言ってくれるが、やはりこの女はどうかしてる。

「あんたたち二人は、ようやく基礎が終わった程度だけれど、突き詰めれば問題点は、思考の差に直結するものよ。限りなくゼロに近い時間の中で、正着ではないにせよ、自分の手の内の中で何を選択し、結果を出そうとするかね。思考速度、判断速度、そういった〝速さ〟が違えば、捉え方も変わってくる」

「捉え方って?」

「どこまでを一手として捉えるか。そこに関してはエミリーも、まだまだね。私の場合、本腰を入れるなら相手の思考を読む。肩が動いた時点で後手を踏むこともあるからね」

「ジーザス……」

「え、小太刀を抜くとかそういうレベルじゃなく、動きの支点となる部分の力の入れ方で? 冗談でしょそれ」

「少なくとも、私の知る最高峰の武術家は、私の術式がワンアクションで発動することを前提として、アクションが起きた時点で間合いに入るだけの実力を有していたもの」

 簡単に言うが、鷺花のワンアクションとは、つま先が砂利を噛んで音を立てる程度のもので術式が完成するのだ。それに対応するとは、それがどんな化け物なのかと頭を抱えたくなる。

 だがそんなことには慣れた。いちいち頭を抱えていれば、頭痛持ちになるだけだ。

「最近、鷺城さんは物思いに耽るというか、そういう時がたまにありますね」

「ん、まあちょっとね。あんたたちを見てて――私にとって、一番密度の濃い時間は、十七かそこらまでだったかなと」


「ほう! 鷺城鷺花が昔話とは老け込んだものだな。どれご老人、貴様の皺を指折り数えてやるから見せてみろ。いや面倒だからやはり必要ない。これからは鷺城老化とでも名乗っておけ。私がわらってやる」


 ――などという、朝霧芽衣の幻聴を聞いた。


「……あ、先生がすげー妙な顔してる。八つ当たりする時の顔だ」

「うるさいわよ」

「ほらやっぱそうじゃん!」

「客がきたから出迎えなさい、畑中」

「ん?」

 振り向けば、誰もいないが――ああと、納得が一つ。五秒後に顔を見せた研究科教員のリンが顔を見せたので、手招きをした。

「ちょうどいい、二人ともいたか。邪魔をする鷺城」

「どうぞ。ちょっと畑中、こいつ誰」

「うちのクソ教員」

「へえ? じゃあ椅子は出さなくてもいいわね」

「それでクソ教員殿? 何やら僕にも用事があるようだけれど?」

「報告書だ、目を通せ」

「ああ、再提出させてやーつだ。鷺城先生に渡して」

「構わないが……」

 手にした書類を受け取るため、鷺花は本を閉じる。

「というか遅いだろ、いつまでかかってんだクソ教員」

「ここのところ、どたばたしているのは知っているだろう? 原因は貴様らだろうが……」

「原因? おい藍子さん、あれほど便所を詰まらせたら自分で掃除しろと、何度も言ってるだろ。またやらかしたのか」

「またって何だ! っていうか、一度もないわそんなの!」

「――ああ、卒業試験で提出した魔術品。ふうん。藤崎、使用限界は?」

「一般使用で約五千と三十六回」

「畑中、破壊方法」

「通常三通りは含めてある」

「このクソ教員が解析レベルEっていう現実については?」

「一ヶ月の便所掃除」

「教職の免許制度、手入れした方がいいんじゃないかなーと」

「結構。改善した物品の作成は?」

 藍子は〝格納倉庫ガレージ〟から、デディはすぐに作って渡せば、書類をリンへ押し付けて返した。

「使用限界、破壊方法の二点を追記しておきなさい」

「あ、ああ……」

「鷺城さんの評価だ、僕からの文句はないよ」

「わざわざご苦労さま。次から労力を費やさないようにね? それが成長ってもんなの。知ってたかな、クソ教員殿?」

「……相手にするのも面倒になってきた」

「おいおい、僕は最初から相手にしていない。何を勘違いしてるんだ」

「しょうがないでしょ、クソ教員だし。ほんでリンさん、そっちはもう落ち着いてんの?」

「幾人かの教員が辞職したのを除けば、それほど混乱は見られない。卒業試験が終わった頃合いという、時期も良かったからな」

「……?」

「あたしが調べた限り、リンさんの辞職届が出てないんだけど?」

「何故、私が、辞職しなくてはならんのだ……?」


「「え?」」


 疑問を浮かべ、二人は顔を突き合わせ、それから。


「「クソ教員だから」」


 リンは額に手を当てて俯いた。

「はい返すわ、及第点。ようやく半人前レベルね」

「どーもでーす」

「ようやくか……ま、そんなもんだよな」

「まだまだよ――ん? どうしたのリン、沈痛な面持ちで」

「鷺城、お前の教育はやや間違っていないか……?」

「やや? だいぶ間違っているわよ。教育に正解なんてないもの」

「一年でお前は、こいつらが半人前だと言う。であるのならば、どうなれば一人前だ?」

「誰かを育てて、その子を認めることができたら一人前よ」

「……弟子を取れと?」

「え、なにこのクソ教員。弟子って。息子とか娘とかそういう発想はないわけ?」

「藍子さん、独り身の女性に言うのは酷だよ」

「お前ら……」

「いやでも、この前ちょっと危なかったんだって」

「離そうとしなかったのは藍子さんだろ。それで妊娠してちゃ世話ないよ」

「大丈夫だったからいいじゃん。あれから気を付けてるし」

「まあね」

「なんだ、お前ら、その、……なんだ、そういう間柄なのか?」

「ん? まあ、眠れない夜が多かったから」

「人肌で安心することもあれば、お互いに交替で警戒することもできるからね。とうかあの頃は、本気で参ってた」

「そもそも眠れないし、悪夢は見るし、次の日は訓練だし、廃人ってこうやれば作れるんだなーとか考えてたもんねー」

「あはは、確かにそれは考えた」

「笑いごとではないだろう……⁉」

 世の中には、もう笑うしかないことも、存在するのである。

「おい鷺城、間違っているだろうこれは!」

「壊れない程度を見抜けなくて、なにが教育者なのよ」

「ぎりぎりを攻めてたと思うけどね」

「むしろ半分壊れたというか……」

「……まあいい。それよりも、外に出るそうだが、いつ出るんだ?」

「いつ? さあ、どうかしら。明日でも、一週間後でも、今からでも」

「今から?」

「証明しましょうか?」

「いや、そうは言っていないが」

「当然、あたしも大丈夫」

「とっくに準備は終えてるよ。この身一つで充分だ」

「そうか。とやかく言うつもりはないが……さすがだな。これも、返事は期待していないが、何故外に出る?」

「簡単に言えば人探し。あの大剣の所有者が、どうなったのかを知る義務が私にはある。といっても、強制力はないから義務でもないけれど、私には必要なことよ」

「――ああ、あの大剣の」

「デディ、今ならどう?」

「あの時はぱっと見ただけだし、鷺城さんが許可していない以上、今の僕でもとっかかりが得られないってことだろう」

「その通り。実際、生涯を賭けても難しいレベルよ。何しろ製作者が生涯の中、最後の番号を振った剣だもの」

「そりゃまた先になりそうだ」

「――そういうお前たちも外に出るんだろう?」

「この街に留まる理由がないね」

「鷺城先生から学べないことはないって、胸を張れるほどの馬鹿じゃないし」

「でもまあ、受動的だって指摘をするんなら、きっと僕は頷くんだろうね」

「というか今までだって能動的じゃなかったっしょ……」

「そうか」

 そう、短く返事をするしかない。

 一年前の藍子が相手ならば、何かを口にしただろうけれど、今の藍子を見たリンは、続く言葉を持たなかった。

 ――そうして。

 その日以降、街で彼らの姿を見ることはなくなった。

 そして〝いつか〟まで、外で冒険者たちが見かけることもなくなる。

 十年後になれば、そんなこともあったと、思い出話になり、現実味を伴わなくなり――侍女服に身を包む彼女たちだけが、心の片隅に真実を押し込めた。

 いつかまた、帰ってくる。

 それが約束であるのならば、彼女たちにとっては現実だ。

 ただ、今はまだ、帰ってきていないだけ――。


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